あはれとも

 人は、何かに依存しなければ生きていけないのだと、誰かが言った。




 雨だ。

 暑い日々が続くこの季節には有り難い、恵みの雨。

 人々はこれをとても喜んだが、私にはざぁざぁと降り頻るこの雫が、彼の涙のように見えて仕方がなかった。



     */*/*



――事の始まりは、肌に茹るような暑さが這うようになりだした初夏の頃、静かに掛かってきた一本の電話だった。

 私は、常と変わらず食堂を営んでいる父親の手伝いをしていた。食堂の客に対する明るい声ではなく、落ち着いた少し低い声。

 父がこの声を出す時は、決まって裏の――というより此方が本業なのだが――仕事の客と話している。

 此処は吾妻食堂。今年で十八歳になった私、吾妻樹とその父親、吾妻喜助の二人で切り盛りしている地元では少し名の知れた食堂だ。

 けれど、それは世間から見た表の顏。私達には、町の人は絶対に知らない裏の顏がある。

――情報屋だ。裏社会の人間達に様々な情報を売っている。そして、必要ならば自ら依頼を受けて殺し屋となる……そういう裏の顏。

 実際には情報屋と殺し屋を掛け持ちしているのは父だけで、私は殺し屋の仕事しか経験した事はないのだが。

 父曰く、「お前を最高の殺し屋に育ててやる」らしい。その「最高の殺し屋」の定義が何なのか、私には今一つ分からないのだが、恐らくは裏社会の誰よりも強い実力者、といったところだろう。

 けれども、私はそんなものになりたくはない。

 父は、私のことを理解しているようでしていないのだ。

「樹、これからお客様がいらっしゃるから、準備しておきなさい」

「……はい」

 少し微笑んで返事をする。

 今日は食堂の仕事は無しなのだな、とぼんやり考えながら。


 父は聡明な人だった。けれども同時に、傲慢で欲深い人でもあった。

 今から七年前、母をとある殺し屋に殺されてしまったから復讐をするのだと、父は言った。樹にもその手伝いをしてもらうよ、と私に告げた時の父の、その目の奥に燃え盛る真っ黒な炎を、今でも覚えている。

 あの時から、元々の傲慢さに拍車が掛かったように思える。

「いらっしゃいませ……藤雲家の奏様ですね?」

 父の声が鼓膜に届く。

 ああ、どうやらお客様がいらっしゃったようだ。


     *


「……藤雲奏。当主から聞いてると思うが、仕事の手伝いを頼みたい」

 私の前に腰を下ろした少年。真っ白な髪に、赤い瞳。全体的に色素が薄い彼は、アルビノというやつだろうか。年頃は、私と同じくらいだろう。

 目付きがきついようにも見えるが、掛けている眼鏡のお蔭で少し柔らかくなっている。初めて出会った、同じ年頃の裏社会の人間。

「息子の樹でございます。依頼の手伝いは彼にさせますので。奏様と同じ年頃ですから、仲良く出来ると思いますよ」

「よろしくお願いしますね、奏様」

 なるべくなら、沢山話して仲良くなりたい。きっと彼なら、私のことを理解してくれる。

 その一心で、私は彼にふわりと微笑んだ。



     */*/*



 藤雲家の名前はとても有名で、裏社会の人間ならば誰もが一度は耳にする。昔から続く由緒正しき殺し屋の一族で、今の当主は十二代目らしい。

 その藤雲家十二代目当主から、夏休みに入ってから仕事の依頼が多すぎるので手伝ってもらいたい、と電話があったという訳だ。

「電話だけでいいと思うのですけど、奏様は何故ウチに?」

 藤雲奏と顏を合わせてから数日後、私は彼と一仕事終えて公園で休憩していた。

「……当主に行って来てくれって頼まれたんだよ」

 奏様がぽつりと答える。ここ数日で分かったことだが、藤雲奏という人間はあまり話さないし笑わないタイプらしい。クールな一匹狼、という奴だろうか。

(何とかして奏様と友人に……)

 私の心は、そのことで一杯だった。


「吾妻さん、そろそろ次いいか?」

「……はい」

 奏様の言葉に、私は座っていたベンチから腰を上げる。今日の仕事は、後一件だ。


     *


 殺し屋の仕事は、いつまで経っても慣れないものだ。

 人の命を屠るという行為に慣れろというのも、並の人間ならば到底無理な話だが。

 恐らく――否、絶対に――私には殺し屋の仕事は向いていない。

 だからこそ……藤雲奏と友人になりたいと思ったのだろう。少なからず憧れている面もあったのかもしれない。

 少し離れた場所で銃を構えて標的を追い詰めている彼。その迷いの無い動きに、私は――……。


「……吾妻さん!」

「……っ」


 ああ、仕事中に無駄なことを考えていたからだろう、一瞬隙が出来てしまったようだ。自分の目の前に鈍く光るナイフの刃が見える。

(……これは、間に合いませんね)

 焦燥よりも先に諦めを感じた私は、そっと瞼を閉じた。


――ばしゅ。

 胸に熱い感覚。けれども、痛みは感じない。

「……?」

 そろりと瞼を持ち上げてみると、目の前には倒れている標的の姿。そして、その後ろに――藤雲奏の姿があった。


(私……彼に、助けられた?)

 ゆっくりと彼が近付いてくる。その眼鏡の奥の瞳は、少し心配そうに見えた。

「吾妻さん……大丈夫か?」

 奏様が聞いて来る。その声音にも、心配そうな響き。

「大丈夫です……ありがとう、ございます」

 ああ、今なら。

 今なら言える。

「あの、奏様……私と、友人になって下さいませんか……?」

 この時の奏様のぽかんと呆けたような表情は、きっと一生忘れられないだろう。



     */*/*



 それからというもの、私と奏さんはプライベートでも会うようになった。

 彼曰く、「自分は様呼びされる程偉くはないし、吾妻さんとは対等の立場でいたい」らしい。

 なので、私は遠慮無く彼のことをさん付けで呼ぶことにした。その代わり、奏さんには私のことを呼び捨てで呼んでもらっている。

 奏さんは私に敬語も止めてほしかったらしいけれど、こればかりは幼い頃からの癖でどうにもならなかった。


「奏さん、今度私のネックレスあげますね。絶対似合いそうですから」

 肌を焼く暑さから逃れようと公園の日陰に避難し、近くのコンビニエンスストアで買ってきたシュークリームを頬張りながら、私は奏さんに言う。

 私がいつも首に掛けている金色のネックレスは、彼のアルビノ特有の白い肌にさぞ映えるだろう。彼がネックレスを首に掛けた姿を想像して、口元が緩む。

「……クリーム、ついてんぞ」

「……どっちにです?」

「……右」

 隣で充分冷やされたスポーツ飲料を飲んでいる奏さんが発した言葉に、私は慌てて指で右側の口角を拭った。

 そんな私を、奏さんが目を細めておかしそうに見つめている。


――この時はまだ、私と奏さんがあんな事になろうとは、夢にも思わなかった。



     */*/*



 からん、と吾妻食堂の扉が開いたことを知らせる音が小さく響く。奏さんとの仕事を終えた私が帰宅した音だ。

 奥から足音が聞こえて父が顏を出す。

「お帰りなさい、樹」

「ただいま、父さん」

 常と変わらないやり取り。けれど、違う。

 父の目の奥が、燃えている。あの時と同じ、真っ黒な炎。

「……樹、頼みがある。聞いてくれるね?」

――ああ、この先を聞きたくない。

 父の言う「頼み」が殺し屋である私に対する「命令」であることを、私は知っている。父の命令には逆らえないのだ。

 聞いてしまえば、もう……。

「藤雲奏及び藤雲一族を……全員始末しなさい」


 ああ、やっと……やっと、友人になれたというのに。父の「復讐」の為に、私は彼を――……。


     *


 かり、かり。小さな音を立てながら、私は彫刻ペンを使って自分のネックレスの裏に文字を綴っていた。

 相手は奏さん。彼より覚悟や決意の甘い私は、きっと奏さんに勝つことは出来ないだろう。父には申し訳ないと思うが、私はこれで解放される。

 唯、気掛かりが一つあった。

 そう、奏さんだ。

 彼は初めこそ一匹狼な風だったが、本当は彼も私と友人になりたかったのだと言っていた。

 不器用で、とても優しい。仕事の時は冷酷な一面を見せはするが、やはり人の子。私と同じように、殺し屋の仕事に慣れきっていない、そういう人。

 だから、彼が心配なのだ。

(奏さん……)

 刻み終わった文字を見つめて一つ息を吐く。奏さんがこれに気付く日は来るのだろうか。

(気付いてほしい気もするけれど、気付いてほしくない気もします)

 矛盾した気持ちを抱えながら、ネックレスを首に掛けていつも仕事をする時に着ている動きやすい洋服に着替える。

――私は今から、奏さんに……唯一の理解者である親友に、刃を向けに行く。



     */*/*



 ゆっくりと、足音を立てないように雨に濡れたアスファルトの上を歩く。向かう先は、藤雲奏の実家である藤雲邸。

 吾妻食堂から、そう遠くない距離にある大きな日本家屋だ。誰もが寝静まった夜中とはいえ、藤雲邸は住宅街の中にある。あまり時間は掛けていられない。

(……このまま、奏さんと会って……遠くへ行けたのなら)

 それはそれは、さぞ素敵なことだろう。吾妻からも、藤雲からも解放されて、二人で自由になりたい。そうしたら、もう誰も殺さずに済む。

 けれどもそれは、所詮夢物語。藤雲はどうか分からないが、私の父――吾妻喜助は、どれだけ遠くへ行っても私を見つけてしまうだろう。


 いつも奏さんと二人で休憩していた公園が視界に入る。と、同時に此方へ向かって来ている人影。

(――ああ、)

 奏さんだ。

 きっと彼も、「命令」を受けて……。


(……あれ?)

 そろそろ此方に気付いてもいい頃なのに、奏さんはぼうっとした様子で少し俯いている。天から降り頻る雨が、彼の邪魔をしているとは思えない。

(……らしくない、ですね)

 奏さんは、それ程までに私と刃を交えたくないということか。

(今なら……この私でも、彼の身体に私の証を残せる?)

 自らの武器である日本刀にそっと触れる。一度躊躇うように鍔を撫でてから、束をぎゅっと握る。

 そして――……。


「……っ、」

「……アナタが最初の一撃を避けられないなんて、珍しいですね……奏さん」

 私は、藤雲奏の右の脇腹に、私の証を刻み込んだ。

「……アンタだから、避けれなかったんだよ……っ」

 傷を片手で押さえながら、少し苦しそうな声音でそう言った彼に、私はゆっくりと近付く。

「その隙が、命取りになりますよ? 殺し屋なら、分かっているでしょう?」

 例え昨日まで仲が良かった相手でも、命令を受けたのであれば殺さないと。

 まるで自らに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 そう、殺し屋とは本来そういうものだ。余計な馴れ合いなどするから、こうなってしまう。

「……樹、一つだけ……いいか?」

「……? 何ですか?」

 未だに銃も刀も手にしない藤雲奏に首を傾げれば、彼が私を真っ直ぐ見つめて口を開いた。

「……逃げよう」

「……はい?」

「俺と二人で、一族から……藤雲と吾妻から、逃げよう」


――雨の音が止んだ、気がした。自分の目が丸く見開かれるのが分かる。

(……出来るのなら、私だってそうしたい)

 けれど、出来ない。叶わないのだ。

「……申し訳、ありません」

 喉から声を絞り出す。

(……出来れば、もっと)

 二人で、笑い合って。それから……。

「……藤雲奏さん、その命……取らせてもらいます」

 私の前髪からぽたりと落ちた雨の雫が、目尻に零れて頬を伝った。



     */*/*



 茹るような暑さが世界を抱き締める。肌の上を這う熱が、じりじりと私の身体を焦がしている。

「……暑い」

 隣に座っている真っ白な少年がぽつりと呟く。

「……アイス、いります?」

「……いる」

 ぼうっとした声で答えた彼に、私は小さく苦笑を零して。はい、とカップに入ったアイスを少年に手渡す。自分も食べているそれは、優しいバニラの味だった。

「……ねぇ、奏さん」

「……あ?」

 暑さで溶けてしまいそうなアイスを少し早いペースで頬張りながら、私は彼の名前を呼ぶ。

「……私達、お互いが殺し屋じゃなかったらもっと違う出会い方、してましたかねぇ」

「……、」

 私が紡いだ言葉に、少年はアイスを食べる手を止めた。どうやら、少し思考の海に潜っているようだ。もし、お互いが殺し屋ではなかったら。そうしたら――。

「……さぁな」

 分かんねぇよ、そんな事。

 そう呟いて、再びアイスを食べ始めた彼。私は、そうですよね、と苦笑交じりに言って、小さく微笑んだ。



     */*/*



 きん、と金属同士がぶつかる音が雨に溶ける。ばしゃ、と音を立てて、私は藤雲奏から距離を取った。

 私と彼の実力はほぼ互角。今は、傷を負っている藤雲奏の方が不利な状態かもしれない。

 初めの一撃で、私は分かっていた。自分に藤雲奏は殺せない、と。傷を負わせることは出来ても、命を奪うまでの致命傷は与えられない、と。

(藤雲奏は、消耗すると必ず自らを護る為に刃を容赦無く振るう……ならば、彼を消耗させてしまえばいいんですね)

 そう考えて、私は彼を傷付けないように、けれどもそれが彼に悟られてしまわないように注意しながら、距離を取りつつ刀を振る。

(……そろそろ、ですかね)

 私の体力も、限界に近付いてきていた。これ以上長引けば、お互いに動けなくなってしまうだろう。

(……もう一度、傷を負わせれば……そうすれば、奏さんは私を……)

 身体を雨に濡らしながら、一歩前に出る。それと同時に、藤雲奏に出来た一瞬の隙。それを、私は見逃さなかった。


――ざしゅ。

 手にした刃が、藤雲奏の脇腹を捉える。初めに付けた傷の、直ぐ下。

 小さく声を漏らして地面に片膝を突いた藤雲奏の、その瞳の奥。そこには、まだ迷いが映っていて。

「……勝負、ありましたね」

 ああ、私は今、殺し屋としての冷たい表情を顏に出すことが出来ているだろうか。

 一歩ずつ彼に近付いて、目の前に跪く。そして――。

「――さようなら、奏さん」

 藤雲奏が私を――吾妻樹を、確実に殺してくれる言葉を、口にした。



 雨だ。

 暑い日々が続くこの季節には有り難い、恵みの雨。

 人々はこれをとても喜んだが、私にはざぁざぁと降り頻るこの雫が、私自身の涙のように見えて仕方がなかった。


――愛していたのだ、私は。彼を。唯一人の友人として、愛していたのだ。

 否、友人と言っては語弊があるかも知れない。この愛情が本当に純粋な友愛であるのか、私には分からないからだ。

 彼は、正しく私を理解してくれていた。そして、私の最期まで良き友でいてくれた。


 ざあざあと雨の音が遠く聞こえる。奏さんの腕の中で、私は彼の揺れる紅い瞳を見つめていた。

「…………どう、して……分かったんです……?」

 最期に与えられた、僅かな時間。この時くらいは赦されるだろう。

 奏さんの友人として、彼と話すことが。

「……私、が……本当は…………逃げたかった、こと……」

 自分でも驚く程の、か細い声。いつの間にか激しくなっていた雨が、私の体温を容赦無く奪っていく。奏さんは、まるで自らの熱を分け与えるかのように、私の身体を抱き寄せる。

「……アンタの癖だろ、冷たい表情してる時程……本当は正反対の事、考えてる」

「……はは、ばれて……ました、か……」

 呼吸をする度に、ひゅうひゅうと音が鳴って。

(……そろそろ、ですかね……)

 奏さんの顏が、よく見えない。

 ああ、ネックレスを。ネックレスを、渡さなければ。約束、したのだから。

「…………かなで、さん……」

「……うん、何だ? 樹」

 震える腕を持ち上げて、彼に触れる。手に伝わる確かな温もり。雨で冷え切っているけれど、そこには確かに、生きている者の熱があった。

「…………次、会う時……まで、私の……ネックレス……持ってて、下さい……」

 そう、次に会う時まで、奏さんには私のネックレスを渡しておこう。ネックレスの裏に掘った文字に彼が気付く前に、ネックレスは返してもらわなければ。

「……分かった」

 奏さんが小さく頷いたのが分かった。私はそれが嬉しくて、ふわりと微笑む。

「……私が、会いにいくまで…………外さないで、下さい……ね?」

 約束、ですよ。

 そう告げた私は、訪れた柔らかな眠気に身を委ねて瞼を閉じた。



 ああ、これで安心できる。

 私は、晴れて自由の身となったのだ。やっと、誰も殺さないで済む。

 けれど、やはり一人は寂しいもので。

「……様子、見に行ってみましょうか」


――あれから五年。私は今も、彼を傍で見守っていた。


 了



百人一首アンソロジー さくやこのはな( http://sakuyakonohana.nomaki.jp ) 参加作品

〇四五(謙徳公)

哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

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唯のしがない柑橘系。まったり更新中。 小説家になろうさんとpixivさんにも投稿してます。 ツイッターやってます:@yzspicaもっと見る

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