異文化交流 2 気候属性特有気象現象で強面体育教師を懲らしめちゃえっ!
午前八時二五分頃、豊中塚高校一年三組の教室。
和彦が自分の席に座ってくつろいでいると、
「ぃよう、かずひこ」
彼の中学時代からの数少ない親友、寺浦俊也がほぼいつも通りの時刻に登校して来て近寄って来た。丸顔で目は細め、背丈は一六九センチと普通だが、ぽっちゃり体格な子だ。
「おはよう俊也(しゅんや)」
和彦は昨夕から今朝にかけての出来事のわだかまりを残しつつも、明るい声で挨拶を返してあげた。中学入学当時、俊也の出席番号は今学年同様、和彦のすぐ前だった。そのことと互いにアニメ好きだったことがきっかけで入学式の日から自然に話し合う機会が出来、お互い仲良くなったわけだ。
「俊也、姉ちゃんは俺とUSJでデートしたがってくるんだけど、俊也が代わりにしてやってくれないか?」
「ノーサンキュー。リアル姉は勘弁だ。かずひこのリアル姉、アイドル声優としても通用するくらい顔はかわいいんだが」
そんな会話を弾ませている時、
「おはよう俊也くん」
「……おっ、おはよう」
桜子に明るい声で挨拶された俊也は思わず目を逸らしてしまった。彼は桜子に限らず、三次元のリアルな女の子がよほど年上か年下でもない限り苦手なのだ。かわいい女の子に話しかけられると緊張してしまうのは物心ついた頃かららしい。その性格が、彼が二次元美少女の世界にのめり込むようになった原因ではないかと和彦は推測している。
「やぁ、おはよう」
ほどなく和彦のすぐ後ろの席の男子生徒も登校してくる。和彦にとっての親友は俊也と彼くらいなものだ。
「ひでのり、数Aと英語の宿題写させてくれへん? 分からんのばっかでほとんど白紙やねん」
俊也はにこやかな表情でお願いしてみた。
「はいはい。喜んでぇ~」
秀則は快く応じ、自力で仕上げた宿題プリントを貸してあげた。
「サーンキュ」
「秀則、いい加減甘やかし過ぎは良くないぞ」
こうしたやり取りを今までに数え切れないほど見て来た和彦は若干呆れ気味。同じ幼小中出身のため秀則のことは昔からよく知っている。つまり桜子にとっても古い顔馴染みというわけだ。フルネームは北之防秀則。公立中学入学当時から今に至るまで校内テストの総合得点で学年トップを取り続けている秀才君である。坊っちゃん刈り、四角い眼鏡、丸顔。まさに絵に描いたようながり勉くんな風貌な彼は、背丈は一五六センチと高一男子にしては低く、学年男子ワーストクラスだ。
「秀則くん、おはよう」
桜子はそんな彼にもほんわか顔で明るく挨拶する。
「おっ、おはよう、ございますぅ」
秀則は俯き加減で緊張気味に挨拶を返した。彼も俊也ほど重症ではないが、物心ついた頃から三次元のリアルな女の子を苦手としていて、小四の頃にはすでに二次元美少女の世界にどっぷり嵌っていた。しかしながら、秀則がそういった趣味を持っていることは、和彦は中一で秀則と小三以来の同じクラスになるまで気付かなかったのだ。
どうしようかな?
和彦は昨日の出来事を俊也と秀則には話そうかな、と思った。けれど、やはり信じてもらえるわけは無いだろうと感じ、黙っておくことに決めた。
八時半の、朝のSHR開始を告げるチャイムが鳴ってほどなく、
「皆さん、おはようございます。まだ六月上旬ですが、今日は朝から真夏のような暑さですね」
クラス担任で英語科の播野先生が半袖姿でやって来た。雪乃の高一の時の担任でもあったお方だ。
背丈は一五〇センチちょっと。面長ぱっちり瞳。ほんのり栗色ミディアムボブヘア。二九歳の実年齢よりも若く見え、女子大生っぽさもまだ感じられるそんな彼女はいつも通り出席を取り、諸連絡を伝えて一時限目の授業が組まれてあるクラスへ移動していった。
このクラスの今日の一時限目は家庭科。一年生が今学習しているのは保育の分野だ。
「このページを捲ると可愛らしい厚紙工作が迫り出してくる飛び出す絵本、皆さんも幼い頃に楽しんだと思います。遊び心があって懐かしいでしょ?」
小顔でぱっちり瞳、ほんのり茶色な髪をフリルボブにし、お淑やかそうな感じの四十代女性教科担任はそれを教卓から、クラスメート達に向けて見せた。
あのハンカチ、厚紙工作どころか、生身の人間が飛び出したんだけど……。
「利川君、どうかしましたか?」
「……あっ、いっ、いえ、なんでも」
和彦はロダンの『考える人』のような格好をしていたため、教科担任に心配されてしまった。和彦の席は教卓に近いため目立ちやすいのだ。
一時限目終了後。
「和彦くん、さっきの授業中深刻そうな顔してたけど、何か悩み事でもあるの?」
「いやぁ、何でもないよ」
桜子が和彦の席へ歩み寄って来て、心配してくれた。
同じ頃、和彦のお部屋では、
「カズヒコくん、サクラコちゃんと本当に仲良さそうだね」
「交尾はもう済ませたのかな?」
「和彦お兄ちゃん、リアルにもいるなんて意外だね。クラス内での階級低そうなのに」
「和彦君、異性交遊関係はリア充ね」
「桜子さんはクラスに一人くらいいる、どんな冴えない男の子にも、たとえ正直気味悪いタイプであっても嫌がらず温かく接してくれる、心優しい女の子という感じがしますね。まさに大和撫子ですね」
世界の料理キャラ達が飛び出しベッドの上に座り込んで、テレビを眺めていた。
和彦の学校での様子を、モニター越しに観察していたのだ。
「それにしてもこのハンカチは摩訶不思議だね。上空からの映像だけじゃなく建物内部の映像まで見られるなんて」
ムサカは感心気味に呟く。
「地球上の任意の地点のライブ映像を映し出すことが出来るってすごく便利ね。ストリートビューと、衛星カメラの合体版かしら?」
ブリトーは楽しそうに呟く。部屋ほぼ中央のローテーブル上に敷かれていた世界地図柄ハンカチ上の日本の北摂付近と、テレビ端子とが包装していた地球柄リボンで繋がれていたのだ。
「あっ、あのう、いいんでしょうか? 盗撮なんかして?」
ボルシチは困惑顔でブリトーに問いかけてみる。
「……日本の法律的に、良くないとはわたくしも思いますけど、その、和彦君の学校での様子、もっと広げれば日本の高校生の学校生活が気になってしまって」
ブリトーは少し俯き加減になり、バツの悪そうに言い訳した直後、
――ドスドスドス。と廊下を歩く足音が五人の耳元に飛び込んで来た。
「カズヒコくんのウンムが来るようだね。みんな隠れて!」
ムサカは注意を促し、テレビの電源も切った。彼女を先頭に他の四人も素早く例のハンカチに飛び込む。一番動作の遅かったボルシチが飛び込んで姿を消してから約二秒後に、扉がガチャリと開かれ、母が和彦のお部屋に足を踏み入れて来た。
「和彦ったら、こんなに散らかしちゃって。リボンまであるし……これ、和彦が気に入ってる世界地図柄のハンカチね。これも散らかしちゃって。もっと大事に扱わなきゃ」
母はため息まじりに告げながら、床に散らばっていた世界地図柄のハンカチを小さく畳んで学習机の上に置き、掃除機をかけて部屋から出ていった。
「ウンム、畳んだら出にくくなっちゃうよ。ラバースアリック?」
一階へ降りていったことが確認出来ると、ムサカはハンカチからぴょこっと飛び出す。そしてハンカチをベッドの上に広げてあげた。
すると他の四人もすぐに飛び出してくる。
「ムサカさんに乗っかられてなまら重たかったです」
ボルシチはホッとした表情で告げた。
「E・ボルシチ、一番重たそうなE・ムサカに乗っかられるなんて災難だな」
「ワッ、ワタシ、そんなに重たくないよ。太ってないよ」
ハロハロに指摘され、ムサカはむすぅっとなった。
「ラクダの瘤ん中みたいに脂肪いっぱいってキャラ設定になってるくせに」
「そんな設定ないもん!」
ムサカはそう主張して、ハロハロの髪の毛を引っ張る。
「いたたたたたっ、やったな、E・ムサカ」
ハロハロはムサカのほっぺたをつねる。
「二人とも、興奮状態になるとより一層周囲の気温を上げちゃう設定になってるんだから、しょうもないことでケンカは止めましょうね」
ブリトーは優しくなだめてあげた。
「だってハロハロちゃんがぁー」
ムサカはつねられながら言い訳する。
「アタシ、E・ムサカに温度では勝てねえけど湿度では圧勝出来るぜ」
ハロハロは髪の毛を引っ張られながら対抗する。
「そんなの、ワタシの乾燥体質で相殺出来るよ」
ムサカは得意顔で主張する。
この部屋の室温はますます上がり、四〇℃以上にまで達していた。
「なまら暑苦しいですぅ~」
ボルシチは純白ブラ&ショーツの下着姿で、和彦のベッドにうつ伏せ状態でぐったりしていた。
「暑ぅ~い。熱波が来た時のフィレンツェ以上だよ。ボルシチお姉ちゃん大丈夫?」
パンナコッタは萌えアニメキャライラストのうちわを二柄手に取ると右手で自分に、左手でボルシチに向けてパタパタ仰ぐ。
「二人とも、いい加減にしなさい。わたくし達、熱中症になっちゃうじゃない」
ブリトーは不愉快そうな表情を浮かべ、二人の頭を今しがたバンジョーと呼ばれる撥弦楽器でゴツンッと叩いた。
「いたぁ~っい。分かったよ、やめるよE・ブリトー」
「ワタシも大人気なかったな」
すると二人はすぐにケンカをやめてくれた。ブリトーのことを恐れているようだ。
「涼しくなって来てよかったです♪」
最高46℃まで上がった室温も一気に20℃近く下がり、ボルシチはホッと一安心する。
「和彦お兄ちゃんのクラス、次は体育みたいだよ」
パンナコッタによって再びテレビがつけられると、みんなはまたも画面に食い入る。
和彦はすでに体操服姿でグラウンドに出ていた。
和彦達のクラスの二時限目、体育。今日は男女ともグラウンドで行われることになっていて男子はサッカー、女子はソフトボールだ。体操服もすでに完全夏用。男女とも同じ柄で、学年色黄色のラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと、青色ハーフパンツだ。
「なあ、かずひこ、ひでのり。おれ、今日買いたいCDあるから帰りに梅田のメイト寄ろうぜ」
「いいですねえ」
「姉ちゃんも大学の帰りによく梅田とかポンバシ寄ってるみたいだけど、今日は講義びっしり埋まってるみたいだし夕方ならたぶん遭わないだろうから俺も付き合うよ」
俊也、秀則、和彦。他男子が準備運動の腕立て伏せをしている最中、
「こらそこぉっ! おしゃべりせんと真面目にやらんかぁいっ!」
背丈一八〇センチを越え筋骨隆々、強面な男子体育担当教師、鬼追(きおい)先生の怒号が。
和彦達三人はしぶしぶ会話をやめて、彼らなりに真面目に準備運動をこなしていく。
「あいつ、いつの間にあんな近くに。ほんま鬱陶しいわ~」
「僕達が準備運動中に注意されたのはこれで三度目ですね」
「鬼追先生はもっと偏差値が低くて問題児の多い高校に赴任した方が似合ってるよな」
鬼追先生が遠くへ離れたのを確認すると、こんな愚痴を呟きながら。
「カズヒコくんと、友人二人もあのぎこちない動きを見る限りスポーツは大の苦手みたいだね」
「そうだな。走り方からしても」
ムサカとハロハロは微笑み顔で推測した。
ともあれ、和彦達が一周約二百メートルのトラックを気怠そうに二周走り終えた直後、
「あの、利川くん。悪いんだけどちょっといいかな?」
突如、一人の女子生徒の呼び声が。
「えっ、俺」
振り返るとそこには、和彦を呼んだ子ともう一人、
「和彦くん、保健室いっしょに付いて来て」
桜子がいた。
「どうしたの?」
和彦は心配そうに尋ねる。桜子は痛そうな表情をしていた。
「突き指しちゃって」
桜子は左手人差し指を押さえながら伝える。
「そういうことだから、利川くんが連れて行ってあげてね♪」
和彦を呼んだ子はウィンクまじりにお願いして来た。
「おっ、俺が、連れて行くの?」
「もっちろん♪ きみの彼女でしょ?」
「いや、そうじゃ、ないんだけど」
「いいから、いいから」
その子に背中を押される。
「かずひこ、ついていってやれ」
「利川君、これは付き添うべきですよん」
俊也と秀則からもにやけ顔でそう言われると、
「じゃあ、付いていって、あげるよ」
和彦はちょっぴり緊張気味ながらも快く引き受けてあげた。
「ありがとう♪」
桜子は嬉顔を浮かべる。
「あの、ちょっと、桜子ちゃんが怪我したみたいなので、保健室に連れて行って来ます」
和彦は鬼追先生に恐る恐る許可を取りに行ったあと、
「和彦くん、ごめんね。迷惑かけちゃって」
「べつにいいよ、気にしないで」
桜子と並ぶようにして歩いて保健室へ。
辿り着くと、
「失礼、します。辻江先生、あの、この子が、体育の授業中に、突き指したみたいで」
ちょっぴり緊張気味に保健室の、グラウンド側の扉をそっと引いて小声で叫び、先に中へ入った。
「辻江先生、失礼しまーす」
桜子は申し訳なさそうに挨拶する。
「いらっしゃい」
養護教諭、辻江先生は二人を笑顔で迎えてくれた。ぱっちり瞳に卵顔。さらさらした黒髪は黄色いりぼんでポニーテールに束ねている、三〇歳くらいの女性だ。
今保健室には、この三人以外には誰もいないようだった。
「左手の、人差し指で」
桜子はソファにぺたりと座り込み、該当部位を辻江先生にかざす。
「軽い突き指だから、心配ないわ。利川君がこれ貼ってあげて」
辻江先生は診察してアイシングを済ませたのち、微笑み顔で勧めて来た。
「俺が?」
「うん♪」
「和彦くん、お願いするね」
桜子から照れ顔でお願いされると、
「わっ、分かった」
和彦は辻江先生から受け取ったテーピングを桜子の左手人差し指に、緊張気味ながらも優しく巻いてあげた。
「和彦くん、ありがとう♪」
桜子から満面の笑みでお礼を言われ、
「どういたしまして。じゃあ桜子ちゃん、俺、もう戻らなきゃ」
和彦は桜子から視線を逸らして照れくさそうにこう伝えて、保健室から出て行く。
「二人ともとても仲が良いわね」
辻江先生はにっこり微笑んだ。
「はい。幼馴染同士ですので。では、私も失礼しまーす」
桜子も嬉しそうに保健室をあとにする。
「カズヒコくん、とても心優しい男の子だね。日本じゃ法律的に無理だけど、妻を複数持っても平等に扱ってくれそう」
「あたしも和彦お兄ちゃんに買ってもらえてすごく幸せ♪」
「桜子さん、お友達にも嬉しそうに伝えてますね」
ムサカ達は楽しそうに桜子のその後の動きを観察していると、
「こらっ! 利川。ぼけーっと突っ立っとらんとボール奪いにもっと積極的に動かんかいっ!」
鬼追先生の怒号がムサカ達の耳元にも飛び込んでくる。
和彦が授業態度のことで説教されてしまっていたのだ。
「E・カズヒコ、叱られてるみたいだな」
ハロハロはリモコンを操作し、映像を和彦の姿が映っている方に切り替えた。
「カズヒコくんはカズヒコくんなりに一生懸命頑張ってるのに、あの日本の伝統工芸品、鬼瓦みたいな顔の先生はアル=シャイターンだね。お仕置きしちゃえっ!」
ムサカはにやけ顔でそう呟くと、モニター画面に向かって両手をかざす。
『あちちっ! 何やこの風? いたっ! 砂まで飛んで来よったぞ』
鬼追先生はびくりと反応して後ろを振り向いた。
「いい気味だね。サハラ砂漠の熱風、ハムシン攻撃。リビアではギブリ、ヨーロッパ側ではシロッコと呼ばれてる季節風だよ」
ムサカは得意げにほくそ笑む。
「あたしこの風嫌ぁ~い。次はあたしがあの怖いおじちゃんお仕置きするね。くらえっ! パンナコッタ・アタッコ♪」
パンナコッタは画面に向かって右手をかざす。
『ぐはっ、何やこれ? 甘ぁっ! 誰や投げた奴は?』
鬼追先生は顔面にリアルパンナコッタをべちゃっと直撃された。不思議に思った彼は険しい表情で調理実習室のある方角を睨み付ける。
「アタシのスコール攻撃ならもっとでかいダメージ与えられるぜ」
ハロハロは画面に向かってフゥゥゥーッと息を吹きかけた。
『なんでわしんとこだけ雨が?』
鬼追先生はずぶ濡れに。
『なんかちょっと息苦しなって来たわ~』
ほどなく鬼追先生の周囲一メートル以内だけ気圧が急低下した。ブリトーが手をかざして攻撃を加えたのだ。
「標高四四〇一メートル、ロッキー山脈の最高峰、エルバート山山頂を再現した気圧に平然と耐えてるなんて、体育教師だけにタフね。これならどう?」
『辛ぁっ! 誰やぁっ? わしにぶっかけた奴は?』
さらに、画面に映る鬼追先生の顔面目掛けて、サルサ・ロハをくらわした。浴びせられた鬼追先生は顔中鬼のように真っ赤になり、鬼のような表情で怒声を上げる。
「これもノーダメージっぽいわね。こうなったら」
ブリトーはそう呟くと、ホルスターからリボルバーとも呼ばれる回転式拳銃を取り出し、休まず画面目掛けてバンッ、バンッ、バンッ、バンッと連射した。
『いたたたっ、どこから飛んで来たんや?』
見事全弾命中。鬼追先生の全身至る所にヒットする。
「Oh,E・ブリトー、さすが西部劇キャラだな」
「ブリトーちゃん、格好いいっ!」
ハロハロとムサカは楽しそうに見つめる。
「ブリトーお姉ちゃん、怖ぁい」
パンナコッタはけっこう怯えてしまう。
「ブリトーさん、それ、おもちゃですよね?」
ボルシチは若干引き攣った表情で問いかける。
「Si.さすがにここは日本なので、法律は守りますわ。でもおもちゃとはいえ、これも全然効かないなんて、人間離れしてるわね」
「ボルシチちゃん、ブリザード攻撃でとどめ差しちゃって。得意技でしょ?」
「あの、ブリトーさん、かわいそうなので、ミナには、出来ないです。料理キャラなのに食べ物を粗末にするのも良くないです」
「あらら。心優しいわね」
「ボルシチちゃん、寒いロシアの料理キャラだけど心は温かだね」
「あたしが台風攻撃でとどめ差すよ。ハロハロお姉ちゃん、台風ちょうだい♪」
「OK.アタシのハリケーンをE・パンナコッタが受け取ったらその瞬間に台風だな」
ハロハロは快く右手のひらを天井に向け、自然界では定義的にも起こり得ない超ミニハリケーンを発生させる。雲量はどんどん増え、十秒ほどで直径約五〇センチ、中心付近の最大瞬間風速八〇メートル以上にまで発達させた。
「温くてなまら不快な風ですね」
その端よりも離れた場所にいる他のみんなにも強風が届いた。黙読中だった雪乃所有の青年コミックのページがバサバサ捲られ、髪も大きくなびいたボルシチはなまら迷惑がる。
「完成させたよ。E・パンナコッタ。手を出して」
「グラーツィエ、ハロハロお姉ちゃん」
ハロハロが手渡した瞬間に一気に衰え直径三〇センチ程度に。
パンナコッタはそれを画面内の鬼追先生に向かって投げつけた。
『突風まで吹いてきよった』
鬼追先生にピンポイントで雨風がより一層強くなる。
「このおじちゃん、最大瞬間風速五〇メートル以上の風にも吹き飛ばされずに耐えれてるぅ。Bravo!!」
「温帯のE・パンナコッタは最盛期レベルはやっぱ維持出来ねえか」
「Si.これくらいが限界だよ」
「あいつ頑丈だし、アタシの本気、最大瞬間風速百メートル以上のハリケーン攻撃最盛期のまま食らわそうかな」
「ハロハロちゃん、わたくしが本気を出せば、極々狭い範囲だけどその風速以上の竜巻を発生させられるわ」
「E・ブリトー、さすが竜巻の本場、西部劇の舞台の名物料理キャラだな」
「ブリトーちゃん、ワタシだって砂漠気候属性でそれくらいの竜巻発生させられるよ。今からワタシと勝負しようよ」
「Vale.鬼追先生に大ダメージを与えた方が勝ちってことで。テキサス生まれのわたくしに勝てるわけはないと思うけど」
「ブリトーちゃん、自信満々だね」
「ハロハロさん、ムサカさん、ブリトーさん、さすがにその規模の気象現象はあの頑丈なお方に対してでも危険過ぎると思いますし、周りにいる子達や建物にも甚大な影響が及ぶかもなので絶対やめるべきです」
ボルシチは困惑顔で注意する。
「それもそうだな。じゃあやめておこっと」
ハロハロはてへっと笑った。
「わたくしも、控えておきまーす♪」
ブリトーはてへっと笑った。
「ボルシチちゃんの言う通りだね。パンナコッタちゃんの台風攻撃でもあの先生けっこうダメージ受けてるっぽいよ。もうこの辺で許してあげよう。もう一回ハムシン食らわせて服乾かしてあげなきゃね。それっ♪」
『あちちちっ! さっきからいったい何やねん?』
ともあれ和彦はあれ以降は、散々な目に遭わされた鬼追先生から注意されること無く体育の授業を終えたのだった。
ちなみに鬼追先生にべっとり付いたリアルパンナコッタやサルサ・ロハの食べ物の汚れは、あのあとすぐに自然消滅した。世界の料理キャラ達の攻撃は地球環境に優しいのだ。
*
この日の放課後。和彦、俊也、秀則の帰宅部三人組は体育の授業中に打ち合わせた通り解散後すぐ、午後三時四〇分頃には学校を出て徒歩で最寄りの阪急電鉄駅へやって来た。
切符を買い改札を抜けホームへ上がり、ほどなくしてやって来た阪急宝塚線急行に乗り込んで、揺られること約12分。終点の梅田駅で降りた三人は人ごみを掻き分け改札口を出て、お目当てのアニメグッズ専門店へ立ち寄った。
発売中または近日発売予定のアニメソングBGMなどが流れる、賑やかな店内。
彼らと同い年くらいの子達が他にも大勢いた。
「あっ! これ、M○Sで今放送中のやつだ。ブルーレイのCM流してる」
和彦は店内設置の小型テレビに目を留めた。
「おれ、このアニメのブルーレイめっちゃ集めたい。でも三話収録で八〇〇〇とかじゃ手が出んわー」
「僕達高校生にとっては高過ぎるよね」
「同意。おれ、このフィグマもめっちゃ欲しい。けど四五〇〇円もするんか。やっぱ高いなぁ。これまで買ったら今月分の小遣いすっからかんや」
俊也は商品箱を手に取り、全方向からじっくり観察し始める。
「買おう!」
約五秒後、魅力にあっさり負け、購入することに決めた。
「寺浦君、清水の舞台から飛び降りましたねぇ。僕も欲しいグッズがあるのだよん。あのクリアファイル」
「おれも他にもあるぜ」
「俊也、秀則。衝動買いは程ほどにした方がいいぞ」
和彦が爽やか笑顔で助言すると、
「かずひこんち、こういうグッズ類リアル姉が買い集めてくれてるからいいよなぁ」
「僕もあんな感じのリアルお姉さんなら欲しいですよん」
羨ましがられてしまう。
「まあ確かに姉ちゃんのおかげで俺はアニメグッズ購入費ほとんど使わずに済んでるけど。俺が欲しかったこの下敷きも買ってくれてたし」
萌え四コマ漫画原作アニメのキャラ集合下敷きを手に取り、和彦は苦笑い。
そんな様子を和彦のお部屋から、
「カズヒコくんったら、あんなテンプレートで量産型のアニメ美少女キャラに鼻の下伸ばしちゃって」
「アニメ美少女には容姿で劣っちゃうのは仕方ないわ。だからわたくし達は内面と香りでで魅力を出さなきゃね」
ムサカとブリトーはちょっぴり嫉妬心を抱きつつモニター越しに眺めていたのだった。
☆
夕方六時ちょっと過ぎ。
「ただいまー」
「おかえり和彦、お部屋はもっときれいにしなさいね」
「分かってるって母さん」
和彦は帰宅後、手洗い、うがいを済ませて二階に上がり、
いるわけ、ない、よな?
恐る恐る自室の扉を開くと、
「マルハバ! カズヒコくん」
「エ コモ マイ。E・カズヒコ」
「Moi! С приездом! 和彦さん」
「Bentornato! 和彦お兄ちゃん」
「Hola! 和彦君」
世界の料理キャラ達がみんな揃って爽やかな表情で出迎えてくれた。
キャラ名と同じ料理の、美味しそうな香りもぷんぷん漂っていた。
「……夢じゃ、無かったのか。昨日の、出来事は……」
和彦は顔を強張らせる。
「だから現実だって。E・カズヒコ、もう認めちゃいなよ。アタシ達は非実在と実在の二面性を持っているのだ」
ハロハロが肩をポンポンッと叩いてくる。
「わっ、分かった。認めるよ、もう」
和彦はついに観念してしまった。その方が精神的にずっと楽だと感じたからだ。
「カズヒコくん、今日、体育の先生に叱られたでしょ?」
ムサカににやけ顔で言われ、
「よくあることだけど、なんで知ってるの!?」
和彦は当然のように驚く。
「これでカズヒコくんの学校生活を覗いてたんだよ」
ムサカはテレビ画面を指し示す。和彦の通う学校校舎の映像が映し出されていた。
「いつの間にそこにカメラ仕掛けたの?」
「カメラは仕掛けてないわ。このハンカチには、地球上の好きな場所の映像を映し出せる技術が組み込まれてるみたいよ」
ブリトーが説明を加えると、
「どういう原理で、こんなことが?」
和彦はかなり驚いている様子だった。世界の料理キャラ達がハンカチ内から最初に飛び出した時と同じくらいに。
「それが、わたくしにもよく分からないの」
ブリトーは照れ笑いする。
「……これ、非常にやばくないか? 盗撮だろ」
「和彦さんもそう思いますよね?」
ボルシチは同意を求めてくる。
「そっ、そりゃそうだろ」
「E・カズヒコ、これでE・サクラコって子のおウチ内部も見られるぜ」
ハロハロはそう伝えるとリモコンボタンを操作し、映像を切り替えた。
「こっ、これは――」
和彦は思わず顔を画面に近づけた。桜子のお部屋の一角の映像が映し出されたのだ。
ピンク地白水玉模様のカーテンで、水色のカーペット。窓際に観葉植物。学習机の周りにはケーキ、ドーナッツ、アイスクリーム、いちご、みかん、バナナなんかを模ったスイーツ&フルーツアクセサリーやオルゴール、着せ替え人形。ゴマフアザラシ、モモンガ、コアラなどの動物やゆるキャラの可愛らしいぬいぐるみなんかがたくさん飾られてある、じつに女の子らしいお部屋だった。何度か桜子のお部屋を訪れたことのある和彦には特に目新しくは映らなかったが、こんな視点で観察したのはもちろん初めてのことだ。
「E・カズヒコ、好きな女の子がおウチでどんな風にして過ごしてるか知りたいでしょ?」
ハロハロはにやっと微笑む。
「ダメダメダメ!」
和彦は冷静に判断する。
「あっ、サクラコちゃんっていう子、今から降水をもたらすみたいだよ」
ムサカは画面を食い入るように見つめる。
「どわあああああああっ、ダッ、ダメダメダメッ。法律的に」
「カズヒコくん、見たくないの? 高校生くらいの男の子って、こういうのにすごく興味があるかと」
「ない、ない、ない、なぁーっい!」
和彦は慌ててテレビの電源を切った。また映像が切り替わり、トイレで下着を脱ぎ下ろしている桜子の姿が映し出されていたのだ。桜子の穿いていた水玉模様のショーツを、和彦はほんの一瞬見てしまった。
「あーん、もっと観測したかったのにぃ」
「アタシもーっ。降水量気になるよね」
ムサカとハロハロはふくれっ面で駄々をこねる。
「これは、プライバシーの侵害だよ」
「ぺルドン和彦君、わたくし達、世界の人々の暮らしと環境について好奇心旺盛な性格設定になってるもので。これからは必要最低限の生活面だけを観測するようにするね」
和彦に困惑顔で注意され、ブリトーはスペイン語も交えて申し訳なさそうに謝る。
「いやぁ、全く見なくていいんだけど」
和彦は対応に困ってしまう。
「カズヒコくんのお部屋の環境、もっと知りたい欲求に負けて勝手に調べさせてもらったよ。面白い漫画やラノベ、けっこう持ってるね。ワタシも漫画やラノベ大好きだよ」
「E・カズヒコって、リアルな女の子の裸が載ってるエッチな本は一冊も持ってないんだな。ベッドの下も隈なく調べたんだけど、収納ケースが置いてあって、中に服とアニソンCDとゲームが入ってただけだし。男子中高生必須のアレする時に使うビジュアルは二次元の女の子のみってわけだな」
「カズヒコくんは健全だね。いい子いい子。カズヒコくんは中学の卒業アルバムによると誕生日が日本の祝日、文化の日な十一月三日で、サブカル趣味にも嵌ってるから文化的で日本人らしい日本人だね。武士道は備わってないけど。でもブシ○ードの作品は好きみたいだね」
ハロハロとムサカは機嫌良さそうに話しかけてくる。
「……あのう、あんまり俺の部屋、荒らさないでね」
和彦は悲しげな表情で注意しておく。
「和彦お兄ちゃん、このテレビ、テレビ番組は見れなかったよ。どのチャンネルに変えても受信出来ませんって出た。これじゃあイタリアでも大人気のド○えもんもクレ○ンしんちゃんもちび○る子ちゃんも妖怪○ッチも見れないよぉ」
パンナコッタは和彦のポロシャツの裾をぐいぐい引っ張りながら不満そうに伝えた。
「そりゃあ放送用のアンテナ繋いでないからね。このテレビはDVD・ブルーレイ視聴とテレビゲーム専用なんだ。繋ぐのは大学合格してからって母さんと約束してる。姉ちゃんの部屋のは繋がってるよ」
和彦は素の表情で伝える。
「それじゃ和彦お兄ちゃん、雪乃お姉ちゃんのお部屋みたいにさせてもらえるように、お勉強頑張らなきゃいけないね」
「うっ、うん」
パンナコッタににっこり笑顔上目遣いで言われ、和彦はちょっぴり照れくさがる。
まあ、テレビ番組見れない現状でも特に不満はないんだけど……リビングで見ても母さん特に何も言わないし。
「E・カズヒコ、E・サクラコ今からお風呂に入るみたいだぜ」
ハロハロは和彦が他の事に意識が移っていたのをいいことにまたテレビをつけ、桜子のおウチ内部を観察していた。
「うわっ、こらこらっ、ダメだろ」
今度は桜子が脱衣場で服を脱いでいる様子が映し出されていた。桜子のブラジャー姿を一瞬見てしまった和彦は慌てて主電源を消し、ハロハロの頭をパシンッと叩く。
「いたたたっ、ひどいよE・カズヒコ」
ハロハロが頭を押さえながらそう言った直後、
「和彦ぉー、晩ご飯よぉー。今日利川先生、職員会議で遅くなるからいらないって。雪乃も七時半頃になるって」
一階から母の呼ぶ声が聞こえてくる。
「分かったーっ。すぐ行くよ」
和彦は大声で返事をしたのち、
「桜子ちゃんがお風呂入ってるとこ、絶対覗いちゃダメだよ」
ムサカの方を向いてこう念を押し、部屋から出ていった。
「男の子からそんなこと注意されるって、変な気分だよね」
ムサカはにこっと微笑む。
「これはチャーンス! E・サクラコの入浴シーン、思う存分覗くぞーっ」
ハロハロは嬉しそうに叫んでテレビをつけ、桜子のおウチの浴室を映し出した。
ちょうど桜子が風呂イスに腰掛け、長い髪の毛をシャンプーでこすっている最中だった。
「おう、E・サクラコ下の毛がけっこうもっさり生えてジャングルになりかけてるじゃん。E・カズヒコはまだステップだったぜ。アタシは砂砂漠だけどな」
「桜子お姉ちゃん、おっぱい大きいね」
「ナイスバディだね、サクラコちゃん」
「羨ましいわぁ~」
パンナコッタとムサカとブリトーも画面に食い入る。桜子は自分の体をバスタオルで隠すことなく全裸姿だったのだ。
「皆さん、やめた方がいいですよ」
ボルシチは困惑顔で再度注意するも、
「大丈夫だってE・ボルシチ。E・ボルシチもいっしょに見ようぜ」
「ボルシチちゃん、同性なのだからよろしいでしょ?」
「今ちょうど体洗ってるいいところなのに。これからオアシスに浸かる姿も観察出来るんだよ」
「ボルシチお姉ちゃん、眺めてると桜子お姉ちゃんといっしょにお風呂入ってる気分になれるよ」
他の四人はこう言い訳して尚も画面に集中する。
「ねえ、皆さん……今すぐ、そういうдурак(ドゥラーク)なことはやめなさい!」
ボルシチは眉をへの字に曲げて、流暢なロシア語も交えて少し強めに言った。
すると次の瞬間、
「ミッ、ミスクーズィ、ミスクーズィ、ミスクーズィ、ボルシチお姉ちゃん」
「ひいいいいいいい、エ カラ マイE・ボルシチ」
「ロシエント!」
「アッ、アナアーシファ」
他の四人は皆びくびく震えながら慌てて謝った。ハロハロはとっさにテレビの電源を消す。パンナコッタは泣き出してしまった。ボルシチの顔が今しがた、ノルウェーの画家テオドール・キッテルセン(1857―1914)によって描かれた『森のトロール』の顔に急変化したのだ。しかも元の顔の大きさの五倍くらいまでふくれ上がっていた。ボルシチの顔はそれから瞬く間に何事も無かったかのように元の可愛らしいお顔へと戻った。
「ミナは、怒りがある程度上昇すると、こんな風になっちゃう設定になってるんです。和彦さんには絶対こんな醜い姿見られたくないです。穴があったら入りたいよぅ」
ボルシチはとても照れくさそうに、顔を真っ赤に火照らせながら呟いた。
「「「「…………」」」」
ボルシチの恐ろしい風貌を見てしまった四人は、すっかり反省したようである。
それから四〇分ほどのち、
「覗かなかった?」
夕食を取り、風呂にも入り終えた和彦が自室に戻って来た。
「あの、和彦さん。この人達、みんなで桜子さんのお風呂、覗いてましたよ」
ボルシチは困惑顔で、四人を指し示しながら告げ口する。
「やっぱり……」
和彦はムスッとなった。
「E・カズヒコ、すまんね。もう金輪際やらねえから。たとえ裾礁が環礁になるくらい長い時間が経とうとも」
「アナアーシファ、カズヒコくん。サクラコちゃんがオアシスに浸かるところ、どうしても見たくって」
「和彦君、もう二度とやらないから。わたくし、次こういうことしたらわが身を生贄に捧げるわ」
「和彦お兄ちゃん、ミスクーズィ」
四人は和彦の方を向いて深々と頭を下げた。
「和彦さん、ご覧の通り皆さんはなまら反省しているので、許してあげて下さい」
ボルシチは和彦の目を見つめながら頼み込む。
「まっ、まあ、いいけど。今後は、絶対やらないでね」
そんな中、ボルシチは和彦の所有するマンガを読み、ハロハロとパンナコッタは携帯型ゲームで遊んでいた。
「ちょっと寒いな。ボルシチちゃん達も、もう一度言うけど、あまり俺の部屋を荒らさないでね」
和彦が優しく注意すると、
「エ カラ マイ、E・カズヒコ」
「Извините.(イズヴィニーチェ)和彦さん。すぐに元の位置へ戻します」
「和彦お兄ちゃん、すぐお片づけするね」
三人とも快く応じてくれた。
「ありがとう。大事に扱ってくれるんだったら俺の所有物好きに使ってもいいよ」
和彦は快く条件付きでこんな許可を出すと、
「和彦さん、Большое спасибо.(バリショーエ スパシーバ)」
「和彦お兄ちゃん、大事に使うね」
「壊したり破いたり濡らしたりしないように丁寧に扱うぜ」
三人はまた取り出して、さっきと同じような状態でくつろぎ始めたのだった。
めっちゃ良い子達だな。
和彦がそう思いながら朗らかな気分で学習机の前に立つと、学習机に貼られた時間割表を眺めながら明日行われる授業の教科書・副教材、ノートを通学鞄に詰めていく。
その最中に、和彦のスマホ着信音が鳴り響いた。今放送中の深夜アニメのED主題歌だった。電話がかかって来たのだ。
「桜子ちゃんからか」
番号を確認すると和彦はこう呟いてベッドに腰掛け、通話アイコンをタップする。
「もしもし」
『あっ、和彦くん。今日はありがとう。すごく嬉しかったよ♪』
「どういたしまして。怪我は、大丈夫?」
『うん、痛みも引いたからもう平気。和彦くんが手当てしてくれたおかげだよ♪』
「いやぁ、それほどでも。じゃっ、じゃあ俺、そろそろ切るね」
『あっ、待って和彦くん』
「なっ、何?」
『今から世界地図柄のハンカチ見に行くね』
「えっ! それは、ちょっと。今日はおウチで安静にしてた方が……」
『もう平気だよ。それじゃ、今から行くねー』
そう伝えられ、電話を切られてしまった。
「ねえカズヒコくん」
「うわっ!!」
和彦はかなり驚く。すぐ横にムサカがいたからだ。
「サクラコちゃんと、いっしょにお風呂に入ったこともあるよね?」
ムサカがにやけ顔でこんな質問をすると、
「ないよ」
和彦は俯き加減で即答した。
「怪しい」
ムサカは顔をぐぐっと近づけてくる。
「あの、今から桜子ちゃん来るから、みんなは隠れてて。姿見られたら説明に困るし」
「ハサナン」
「Хорошо.」
「和彦お兄ちゃん、ハンカチの中に戻っておくね」
「今んところはそうした方が良さそうだな」
「わたくしは姿を見られても問題ないと思うけど……」
世界の料理キャラ達は快く世界地図上の適した位置へ飛び込み姿を消した。
それから一分も経たないうちに、
「和彦くん、こんばんは」
桜子がこの部屋を訪れて来た。
「……いらっしゃい」
和彦は緊張気味に招き入れる。
「和彦くん、世界地図柄のハ……あっ、これだね。やっぱ恰好いいね」
桜子はローテーブル上に広げられていたのを楽しそうにじっくり眺め、こんな感想を抱いた。
「俺も、同じように感じたよ」
和彦は全身から冷や汗が流れ出ていた。
「あの、和彦くん」
「なっ、何?」
「その……今度の土曜、明後日だけど、いっしょにショッピングに行こう」
「えっ!」
桜子からの突然の発言に、和彦はどきっとした。
「あの、今日の、お礼がしたくて……」
「あっ、そっ、そう。それじゃ、いっ、いいけど」
デートの誘いなんじゃないのか? これ。
和彦はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けてあげると、
「それじゃ、また明日ね。和彦くん、おやすみー」
桜子は満足げにこの部屋から出て行ってくれた。
「おやすみ」
和彦はホッとした気分で見送る。
「雪乃ちゃん、また明日」
「またね、桜子ちゃん♪」
桜子が目下ダイニングで夕食中の雪乃にもご挨拶して、玄関から外へ出て行ったのが確認出来ると、
「E・サクラコ、かわいいだけじゃなく性格もめっちゃ良さそうだな」
「桜子さんは純真無垢な大和撫子のようですね」
「あんなかわいい子と親しく出来てるなんて、カズヒコくんは幸せ者だね」
「あたしのお姉ちゃんに欲しいなぁ♪」
「和彦君、他の男の子に略奪されないようにしなきゃダメよ」
世界の料理キャラ達が飛び出してくる。
「みんなハンカチ内に戻っててくれてありがとう」
「カズヒコくん、今からサクラコちゃんとのデートプラン考えようよ」
ムサカは顔をぐぐっと近づけてくる。
「べつにそれは、考えなくても……誘って来たのは桜子ちゃんの方だし」
「それはラーだよカズヒコくん、カズヒコくんがエスコートしてあげなきゃサクラコちゃんに嫌われちゃうよ」
「あたしもついて行って国際交流した~い」
「パンナコッタさん、デートの邪魔はダメですよ」
「それもそうだね。和彦お兄ちゃんと桜子お姉ちゃん、二人っきりで楽しんで来てね」
「E・カズヒコ、E・サクラコとハネムーン楽しんで来なよ」
ハロハロはにやにや笑っていた。
「定義上無理だから。あっ、あのさ、ブリトーちゃん。昨日、地図帳から民族衣装を取り出してたけど、他の教材からも、写真や図に載ってる物を取り出せるの?」
和彦は話題を切り替えようと、ブリトーの方に話しかけた。
「Si.もちろん出来るわよ。ちょっと教科書借りるね」
そう自信たっぷりに言うとブリトーは、化学基礎の教科書カラー口絵を開いて手を突っ込んだ。そして、
「ゴールドラッシュよ」
と呟き、金の延べ
「うわっ、E・ブリトー凄ぇ。本物だ」
「ブリトーお姉ちゃんBravo!」
「ブリトーちゃん、マジシャンみたーい」
ハロハロ、パンナコッタ、ムサカはパチパチ大きく拍手する。
「あれ? でも中の写真はそのままだ」
和彦は不思議そうにその教科書を見つめる。
「わたくしが取り出したものは、コピーされたものだからよ。何度でも複製出来るの。わたくしがこんな技を使えるのは、アステカ帝国の太陽神、トナティウが授けてくれた力のおかげよ。キャラデザさんの設定によると。続いて英語の教科書から、登場人物のアメリカ人のボブ君を取り出してみせましょう」
ブリトーは得意げな表情で、今度は英文読解用の教科書に手を突っ込む。
数秒後、
「Ouch!」
中から男性の叫び声がした。
次の瞬間、クリーム色の髪の毛が飛び出て来た。
ブリトーがさらに引っ張り上げると顔、首、胴体、足も姿を現す。
ブリトーは本当にボブ(Bob)という登場人物を取り出して来たのだ。
「What‘s happen? Where’s here? Why am I here?」
引っ張り出されたボブは周囲をきょろきょろ見渡す。彼はとてもびっくりしている様子で、かなり戸惑ってもいた。
「やっぱ英語か」
和彦は冷静に突っ込む。彼はあの光景を先に目にしているので、もはやこんなことが起こってもあまり驚かなかった。
「大丈夫だよ。ボブはきっとこのテキストの範囲を超える用法は使用してこないから。英語の得意な日本人高校生よりもボキャブラリーは少ないと思うよ」
ムサカは推察する。
「Who are you?」
ボブは世界の料理キャラ達と、和彦のいる方に目を向ける。
「アロ~ハE・ボブ。O Halo‐halo ko‘u inoa.I am Halo‐halo.」
「Ciao! ボブおじちゃん、Piacere.あたしの名前はパンナコッタです。小学四年生、九歳です。趣味はお絵描き、特に好きな食べ物は日本料理と中華料理と地中海料理です」
ハロハロとパンナコッタは嬉しそうに自己紹介した。
「パンナコッタちゃん、ボブは老けて見えるけど、ワタシやカズヒコくんと同級生ってことになってるよ。おじちゃんじゃなくて、お兄ちゃんって呼んであげた方がいいかも」
ムサカは笑顔で伝える。
「そっか。ミスクーズィ、ボブお兄ちゃん」
「Oh! very cuty girl! I‘m very happy to meet you.」
上背一八〇センチくらいあるボブは中腰姿勢でパンナコッタの顔を眺めながらそう叫び、目を大きく開いた。
「ねえ、ボブお兄ちゃんさっき何って言ったの?」
パンナコッタは興味津々に尋ねる。
「とてもかわいい女の子だね、キミと会えてボクはとても幸せだよ。だって」
ハロハロがにこにこ顔で教えてあげた。
「わぁーっ、嬉しいなーっ! あたしも幸せーっ♪」
パンナコッタは満面の笑みを浮かべる。
「Panna Cotta,I fell in love with you at first sight.Shall we dance and s○x?」
ボブはこう告白すると突然、パンナコッタにガバッと抱きついた。
「……いっ、いやあああっ。こっ、怖ぁい、このおじちゃん」
押し込まれ壁際に追い込まれたパンナコッタは途端に怯え出す。
ボブにほっぺたをぐりぐり引っ付けられて、さらにはほっぺたにチュッとキスまでされてしまったのだ。
「Wow! yummy♪ You are very sweet and creamy.」
ボブは嬉しさのあまり、嫌がるパンナコッタにさらにチュッチュとキスをした。
「わぁ~ん、怖いよぅ~」
ぺろぺろ舐めまでされてしまい、パンナコッタはとうとう泣き出してしまう。
「おい、何してるんだよ」
「ボブ君、パンナコッタちゃん嫌がってるからやめなさい!」
和彦とブリトーは慌ててボブの背後に詰め寄る。
「Get out of the way!」
「きゃぁんっ!」
「いてっ、強いな、こいつ」
瞬間、ボブに蹴り飛ばされてしまった。ブリトーはしりもちをついたさい、けっこう可愛らしい悲鳴を上げた。
「Bob,Stop body contact to Panna Cotta at once.」
ハロハロは命令形ながらも穏やかな口調で注意した。
「No way!」
けれどもボブは聞き耳持たず。
「In place of Panna Cotta,Hug me.」
「I’m not interested in middle age‘s woman like you at all.You are,so to speak,foolish Chimpanzee.」
ボブは腐った生魚でも見るかのような目つきでフッと笑い、命令して来たハロハロに向かって言い放つ。
「失礼だな、このロリコン。おまえのような年増には全く興味ないね。おまえはいわば、おバカなチンパンジーだ。だって」
ハロハロはアハハッと笑うもちょっぴり怒りが沸いたようだ。
「I‘ll marry Panna Cotta in the near future.If the sun were to rise in the west,I wouldn’t change my mind.」
ボブはスキンシップをやめようとはしない。
「やめてやめてやめてぇぇぇぇぇぇぇ~」
パンナコッタは大声で泣き叫ぶ。
「ボクは近い将来、パンナコッタと結婚するんだ。仮に太陽が西から昇っても、ボクは決心を変えないよ。だってさ」
ハロハロが苦笑いで解説すると、
「ハロハロちゃんはまだまだ子どもだよ」
ムサカも怒りが沸いた。ぷっくりふくれる。
「あっ、あのうボブさん。パンナコッタさんとても怖がっているので……」
ボルシチも彼の暴挙を止めさせようと説得に加わる。
「Really? Panna Cotta,please don‘t be afraid to me.If you marry me,I‘ll buy anything you want to.」
ボブは一応、日本語も理解出来ているようだった。彼はパンナコッタに優しく微笑みかける。
「ボブお兄ちゃん、早くやめてぇぇぇぇぇぇぇーっ!」
しかし逆効果。パンナコッタはますます大泣きしてしまった。
「Why?」
ボブはハハハッと陽気に笑いながら問いかけ、再びパンナコッタに頬を引っ付ける。
「ロリコンのE・ボブ、E・パンナコッタいじめちゃダメだぞ」
ハロハロはこう注意すると直径三十センチくらいのココヤシの実に変身し、ボブの脳天にゴンッと直撃させた。
「Ouch!」
ボブに衝撃が走る。両目が☆になった。
「引っ込め! 引っ込め!」
ハロハロは元の姿に戻ると英語の教科書を素早く拾い上げ彼のいたページを開く。そしてボブの脳天に押し付け、中へ戻してあげた。
「あぁん、すごく怖かったよぉぉぉ~。グラーツィエ、ハロハロお姉ちゃぁぁぁーん」
パンナコッタはえんえん泣きながら礼を言い、ハロハロにぎゅぅっとしがみ付く。
「Kipa aloha♪」
ハロハロは上機嫌なにこにこ顔だ。
「ボブって奴、教科書本文にはBob is the kindest boy in our class.って書かれてあるけど全くの嘘だったな」
和彦は苦笑いを浮かべていた。
「ワタシはボブ君みたいなラム肉食系の男の子は苦手だな。カズヒコくんみたいなモロヘイヤ食系がいい♪」
ムサカはそう告げて、和彦の手をぎゅっと握り締めた。
「えっ、あっ、あの……」
和彦の頬は唐辛子の実のごとく赤くなる。
「カズヒコくん、照れてる。かわいい」
ムサカはにこっと微笑みかけた。
「そっ、そんなことないって」
和彦は必死に否定しようとする。
「和彦君、しぐさでバレバレよ。あの、英語の教科書にもう一人出てくるイギリス人男の子キャラ、トム君も引っ張り出してみようかしら? handsome boyって書かれてあるから」
ブリトーは微笑みながら問いかける。
「ブリトーお姉ちゃん、もう止めてっ! また変なおじちゃん、いやお兄ちゃんだったら嫌だよぉ~」
パンナコッタはげんなりとした表情で伝えた。
「この教科書に出てくる女の子、メアリーとスージーはきっとボブに悲しい目に遭わされてるわ。ボブは笞打ち刑にすべきだよ」
ムサカはため息まじりに告げる。
「ボブ君も二次元平面上では本文通りのいい子かもしれないわよ。三次元空間上のリアルな女の子はオタクを嫌う酷い子が多いのと同じようにね」
「俺は桜子ちゃんは二次元からそのまま飛び出したような子だと思うよ」
「アタシ達は人間化状態だと普通に排泄行為をするし、現実の女の子と生物学的特徴がほとんど同じだけどな。ただリアルな人間の女の子とは違ってアタシ達、お尻とあそこは排泄物の臭いじゃなくて他の部位同様、キャラ名の料理と同じ香りになってるぜ。さらにキャラ名になってる料理以外にも同じ地域のその他の名物料理や気候特有の植物と同じ香りだって出すことも出来るぜ。アタシだったらハロハロ以外にはバナナとかマンゴーとかカカオとか、ロコモコとかラウラウとかだな。その時々によっていろいろ変わるぜ。ドリアンの香りがする時もあるよ♪ E・カズヒコ、試しに嗅いでみる?」
「ワタシはムサカの香り以外にもフール・メダンメスや、モロヘイヤやサボテンのお花の香りとかがするよ。嗅いでもいいよあとね、ワタシ達、体中どこを舐めてもキャラ名と同じ料理の味がする設定にもなってるんだ。だから舐めてもいいよ。けど食べるのはラーだよ。ワタシ達は食べることは出来ないの。料理そのものじゃなくて、擬人化キャラだからね。でも、舐め専用だからこそ腐らず永久にワタシ達の味が楽しめるの」
ハロハロとムサカはちょっぴり照れくさそうに打ち明けた。
「あたしはオリーブやオレンジやゴルゴンゾーラやピッツァ・マルゲリータの香りとかも出せるよ。あたし、和彦お兄ちゃんみたいな男の人だったら匂い嗅がれたり舐められてもいいなぁ。ボブみたいな男の人は絶対No(ノ)」
パンナコッタは満面の笑みで主張する。
「わたくしも同意よ。和彦君、わたくしはアンティクーチョやカピロターダ、チリコンカン、タコスなんかの香りも出せるわ。優しく嗅いでね」
「和彦さん、ミナはボルシチの他、カレリアンピーラッカやサルミアッキやピロシキ、ビーフストロガノフ、ライ麦パンなどの香りも出せますよ。ミナ達の香りを堪能したくなったら、遠慮せずに嗅いで舐めて下さいね」
ブリトーとボルシチも頬をほんのり赤らめて、照れくさそうにこんなことをお願いしてくる。
「いや、いいよ……さてと、勉強始めなくちゃ」
和彦は俯き加減に呟き、意識をよそに向けようと数学の問題を解き始める。
「カズヒコくん予想通りの反応だ。真面目だね」
ムサカはフフッと笑った。
「俺の通ってる高校、進学校だから予習復習しっかりしないとすぐについていけなくなっちゃうから」
「あたし、これから和彦お兄ちゃんと日本のテレビゲームで遊びたいのに」
パンナコッタは不満そうに呟く。
「パンナコッタさん、学生の本分は万国共通、勉学に励むことですから、勉強中は邪魔しないようにしてあげましょうね」
「はーい」
「ごめんね、みんな。平日は特に勉強忙しいから」
和彦が申し訳なさそうに伝えた直後、
「和彦、マンガ返しに来たよ」
雪乃に入り込まれてしまった。
「姉ちゃん、勉強の邪魔だからそれ置いたら早く出て行って」
「分かったわ」
ムサカ達は目にも留まらぬ速さでハンカチ内に戻り世界地図上の適した位置へ。間一髪、姿は見られずに済んだ。
雪乃がこの部屋から出て行ってから三十秒ほどして、みんな一斉に飛び出してくる。
「今日、和彦君と雪乃ちゃんが学校行ってる間に雪乃ちゃんのお部屋も拝見したんだけど、一般人には耐えられない雰囲気ね」
「ユキノちゃんのお部屋は姉クメーネだね。人間が定住出来ないアネクメーネになぞらえて」
「E・ユキノの部屋の気候区分は変帯だな」
「姉ちゃんそれ自虐気味に言ってたよ」
思わず笑ってしまった和彦は、勉強を再開。
「きゃんっ! ムサカちゃんがさっき座ってたとこ、熱くなり過ぎだわ」
「ブリトーちゃん、お尻大丈夫? ズボンとパンツ脱がすね」
「大丈夫よムサカちゃん。ちょっとヒリヒリするくらいだから」
「ブリトーちゃんのお尻、ちょっと赤くなっちゃってるね。アナアーシファ、ブリトーちゃん、痛い思いさせちゃって」
「気にしないで。高山病に罹るより遥かに症状軽いから」
「ブリトーお姉ちゃんのお尻、ニホンザルさんのお尻ほどは赤くないよ」
「E・ムサカ、E・ブリトーのお尻を焼畑にしちゃったんだな」
「ブリトーさん、冷やしますね」
「グラシアス、ボルシチちゃん、ひゃんっ! 冷た過ぎるわ。今度は凍傷になっちゃう」
「イズヴィニーチェ、ブリトーさん」
ブリトーはスペイン語でお礼を言い、ボルシチにお尻に両手をじかに当ててもらった。
「……」
すぐ後方で起きているこんな状況から、和彦は集中力を削がれるのだった。
それでもその後ムサカ達が気を遣って各自、和彦の所有するマンガや雑誌、携帯型ゲームなどで楽しんで静かに過ごしてくれると、
なんかいつも以上に勉強が捗る。頭が冴えてる気がする。室温が快適な環境になってるからだな。
和彦は普段よりも集中して勉強に励むことが出来た。
☆
まもなく日付が変わる頃、
「和彦お兄ちゃん、あたし、もう眠いから、寝るね。ブォナノッテ」
「ミナも眠いので寝ます。仮に白夜であっても深夜まで起きているのは辛いです。スパコイナイノーチ。ヒュヴァーウオタ。グナット」
「アタシも眠くなって来たぜ。メガネザルみたいに夜行性じゃないからな。E・カズヒコ、あとは頑張ってね。アロハ ポ」
睡魔に負けたボルシチ、パンナコッタ、ハロハロはハンカチ内の適した位置目掛けて飛び込み就寝。
「おやすみ♪」
まだ勉強を頑張っている和彦は朗らかな気分で見送る。
「和彦君、夏にぴったりの夜食よ。元気が出るわよ」
ブリトーは和彦のために学習机の上に、あるメニューを置いてくれた。
テクス・メクス料理の代表、タコスだった。
「ありがとうブリトーちゃん。俺これ好きだよ。これも地図帳から取り出したんだね」
「その通りよ。食べ物だって取り出せるの。ちなみにメキシコシティは高山気候の代表的な都市の一つよ」
「昨晩のパーティのお料理も、ブリトーちゃんがカズヒコくんの部屋にある地図帳や図鑑に載ってたイラストや写真から取り出したんだよ」
「そうなんだ。俺、小学生の頃から地理関連のことが好きで、世界の暮らしとか食文化とかが載ってる本、何冊か持ってるからそれから出したってわけか」
「Si.」
「カズヒコくん、これ食べて一息つこう!」
「じゃあ、いただきます」
英語の復習中だった和彦は一旦シャーペンを置き、とうもろこし粉で作られた薄焼きパン《トルティーヤ》の部分を手で掴んで挟まれた牛肉のサイコロステーキ、玉葱、トマト、コリアンダーなどの具といっしょに口に運び入れた。
「本物みたいだな。サルサもたっぷりかかっててめっちゃ美味い♪」
そして満足げに一気に平らげていく。
「カズヒコくん、お口直しのナツメヤシだよ」
ムサカは重量にして約十キロ、千個ほどの果実が詰まった一房丸ごと机の上に置いた。
「ありがたいけど、そのままじゃ食べられないよ」
和彦はちょっぴり困ってしまう。
「アナアーシファ」
ムサカはてへっと笑った。
「ムサカちゃんも物を取り出せる能力持ってたんだね」
「取り出したんじゃなくて召喚したんだよ。出身地に関する物を召喚出来る能力はみんな持ってるよ。出身地以外の物でも、出身地と同じ気候帯に属する地域の物なら召喚出来るよ」
「わたくしも、バッファローとかを召喚出来るわ。こんな風に」
「うわっ!」
ブリトーが手をグーの形から広げると、和彦のお部屋に体長二メートルは超えてそうな一頭のバッファローが現れた。
「これ、本物だよな?」
和彦が恐る恐るバッファローの背中に手を触れると、バッファローはくるっと体の向きを変えて和彦の方を振り向いた。
Mooooooo!
と鳴き声も上げる。
「本物みたいだな。獣臭さも漂ってるし」
和彦は驚き顔を浮かべつつ、ハハッと笑う。
「本物よ。ちなみにメスを召喚したわ。オスだとこの部屋に収まりそうに無いからね。唾吐かれないうちに片づけておくわね」
ブリトーは微笑み顔で言い、バッファローの頭にそっと手を触れるとバッファローの姿は一瞬で消滅した。
「このキャラを考えた人、こんな超自然設定も作ってたのか」
和彦は強く感心する。
「カズヒコくん、これもどうぞ。エジプトのお茶だよ」
ムサカはナツメヤシの実を消したあと、グラスに注がれたカルカデと呼ばれるエジプト風ハイビスカスティーを召喚した。
「ありがとう。おう、初めて体験した味だけど、けっこう美味いな」
和彦はルビー色のそれを飲み干して一息つくと再びシャーペンを手に取り、英文読解の演習問題を解いていく。
「そういえば、ムサカちゃん達、世界の料理が擬人化したキャラだけど食事するんだね。昨夜のパーティーといい。共食いっぽい感じもするけど。キャラデザの人もおかしな設定作るよなぁ」
その最中に和彦は、召喚したバケツサイズの“コシャリ”と呼ばれる米、マカロニ、スパゲッティなどのパスタ、ヒヨコ豆、レンズ豆をミックスし、揚げた玉葱とトマトソースをかけたエジプト料理を巨大スプーンで掬ってもぐもぐ美味しそうに頬張っていたムサカにちらっと視線を向けた。
「ワタシは別におかしな感じはしないよ。プロの漫画家やラノベ作家が他の作家の作品を読んで楽しむのと同じような感覚だし」
ムサカは幸せそうに伝えた。
「そんなものなのかな?」
あまり共感は出来なかった和彦は、五人全員飛び出していたさっきと比べて暑くてちょっと息苦しくなり集中力が削がれたためか、その後は十分程度で家庭学習をやめた。
和彦が歯磨きとトイレを済ませて来て時刻は午前0時半過ぎ。
「ティスバフアラヘール! カズヒコくん」
「和彦君、Buenas noches.無理し過ぎないようにね」
ムサカとブリトーがハンカチ内に飛び込むのを見送って、
「おやすみー」
和彦は楽しげな気分でお布団に潜り込む。
あの子達、顔もしぐさも声も香りもすごく萌えるな。
和彦が眠り付いてから数分のち、
「和彦さんの寝顔、なまらめんこいです」
眼鏡を外したボルシチは飛び出して、和彦の寝顔を覗き込んでまたハンカチ内に戻っていったのだった。
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