第8話 うっかり邪魔な女

「……なんと、私がシズキの相手だと?」


「恐れ多いことですが」


 わたしは、王子の誤解をまず解いた。


「母に欲情する息子がいるのか?」


「……」


 世の中は広いから。


「殿下、シズキが乳母であることは秘密でありますから、年頃の男女が頻繁に会っていれば、そういうものだと邪推はされましょう」


「シズキは人気があるのだな」


 王子は顎に手を当て、まじまじとわたしの顔を見つめる。なんかこう、見慣れた母親が意外とモテると気づいて不思議そうな息子という雰囲気なんだけど、ナチュラルに傷つくからやめて。


 興味なかったんでしょ。


 顔自体は前世とあんまり変わってない。


 どういう訳か。


 表現するならば、美人は言い過ぎだし、可愛いというほどでもない。凡庸で地味、男性は胸の大きさだけに心おきなく集中できるぐらい。


 おっぱいに人気がある。


 それをモテるというのなら、わたしは前世からモテモテですよ? ええ、パスしてくれた彼に惹かれたのは胸に興味なさそうだから、こっちが興味を持ったというような具合ですから。


「褒めたつもりだが、あまり嬉しくなさそうだな。父上のことがあるから、私が女好きだと思われるのはともかく、相手として名前が挙がるのは、シズキに好意を寄せる男が多いということではないのか?」


 王子は首を傾げている。


「シズキのことはいいですから」


 たぶん表情が強ばってるんだと思う。


「意中の相手はいないのか?」


 しかし、王子はさらに突っ込んできた。


「乳母のことは王家の威信に関わると秘密にさせられてはいるが、もし結婚するとなれば、相手には伝えねばならないだろう。浮気であるとか、私が略奪しているなどという話になって、シズキが困るのでは心苦しい限りだ」


「…………」


 わたしが困るのは王子の疑問の方だ。


 なんて言えばいいのか。


 十五歳になって母乳を求めていること、このことを王子自身が真剣に恥ずかしいとは思ってないのがどうかと思う。けれど、それを直接に告げたら流石に無礼というか不敬というか。


 ええい。


「殿下に毎夜のお世話をしなければならない限り、結婚できないでしょうから、そのような些末なことはお気になさらずともよいのです。シズキの命は殿下に救われたのですから」


 ちょっと皮肉っぽいけどこれでどうだ。


「……」


 王子はわたしの顔をじっと見た。


「……」


 怒った?


 わたしは緊張する。


 整った顔立ちの男性は真面目な顔をするだけで、不機嫌に見えることがある。視線の鋭さ、無言の重圧、そうしたものの強さが、整っていない人の隙のある顔と比べると大きくなる。


「では、私が貰うしかないな」


 真顔で言った。


「!? へ?」


 思わず、間の抜けた声が出た。


 今、なんて?


「冗談だ」


 王子はニッコリと笑った。


「……」


 わたしは顔を押さえる。


 たぶん赤面してる。もう、自分がおっぱいをあげて育てた子供に翻弄されてて恥ずかしい。そんな気がないことはわかってる。そんな気があったらとっっくに貰われているのだから。


 シンデレラ願望ですか!


 フられて死んだ前世持ちの癖に!


「冗談はともかく、シズキにも幸せになってもらわなければ私の気が済まない。気になる相手がいるのならば遠慮なく言うのだぞ? 相応しい相手かきちんと調べ、そして必ず結びつけてやる。トーア・エレ・エネンドラの名に賭けて」


「そのようなことにお名前を」


 軽々しく言っちゃダメなヤツだから。


「いないと言うのなら、私が命じて相手を捜させるからな。二十歳までには身を固めて貰うぞ。私だけ結婚したのでは、話題がすれ違うではないか。そうだろう?」


「殿下、ご不安なのですか?」


 わたしはハッとした。


「不安? そう聞こえたか?」


 王子自身も言われて目を見開く。


「ご自覚なさっていませんでしたか?」


 そういうところがある。


 鈍感というと語弊があるけど、王子という立場が大きすぎるのか、自分自身にもあまり興味がないのではないかと感じるときが。


「どうなのだろうな。よく、わからないが」


 そう言いつつも、心当たりがあるのか、王子の視線は虚空を見つめた。無理もないとは思う。十五歳、前世のような世界ならばまだ将来の夢とかを語れる年齢に、もう国を背負う準備をはじめ、結婚をしなければならないのだ。


 わたしの想像できる範囲だけでも相当に。


「そうなのかもしれない」


 王子は頷いた。


「シズキに出来ることはそれほど多くありませんが、殿下のお話でしたらいくらでも聞かせて頂きます。口に出すだけで、気持ちが楽になることもあるでしょうから」


「うん」


 少し幼く返事をして、王子は椅子からわたしの横、ベッドに座って身を寄せてくる。小さい頃は添い寝なんかも良くした。


「私は、母上の顔も知らないだろう?」


 王子はわたしを見て言う。


「ええ」


 平静を装ったけど、内心ではかなり焦っていた。核心の話題だ。これはヤバい。迂闊なことを言ったら国家の大問題。王妃様の話題がこの部屋で出たことは一度もないので油断してた。


 てっきり、言わないものだと。


「父上は、結局、新たな妻を迎えることはしなかった。おそらく、するつもりもないのだろう。それほど愛し合った二人の間を私が断ってしまったのだと言う感覚が拭えない」


「……!」


 胸の谷間にじわっと汗が滲んだ。


 ガチだ。


 ガチのヤツだ。


 わたしの答えられる限度を超えてるヤツ!


 うっかり母性を出したから!


「繰り返されるような気がする。そう。繰り返される。本当の母を知らない私が、果たして、妻になってくれる女性を本当の母にしてやれるのか。そんな、不確かな」


「大丈夫です!」


 わたしは王子を抱きしめていた。


 そうすることしかできないから。


 ぎゅっと胸にその頭を押し当てることが不安を和らげることになると思うほど自惚れてはいないつもりだけど、殿下が強く乗り越えていくための鋭気を養う休憩場所ぐらいにはなるんじゃないかと思ってる。


 そうでなければ、この胸は無駄な脂肪だ。


「シズキ」


「なにも、なにも心配はいりません。殿下が立派に成長なされたことは皆が知っております。それは皆が殿下を育てたからです。皆、殿下の愛するこの国こそが殿下の母なのです」


 わたしは必死だった。


 母国。


 ときどき思い出す日本のことを脳裏に浮かべながら、自分を励ますつもりで語りかけた。王子として生まれ、母親に殺されかけた気持ちがわかるなどとは口が裂けても言えない。


「そうか……そうだな」


 胸に顔を埋める王子の身体がリラックスしていくのがわかった。疲れぐらいは取れるといいと思う。母乳だけじゃなくて、枕ぐらいにはなれる。疲れさえ取れれば、不安はいくらか軽くなって、前向きになれるんじゃないだろうか。


「国が母、その通りだ」


「……」


 なんか恥ずかしいことを言った気がする。


「やはり、シズキに頼もうか」


「はい。なんなりと」


「父上と共に、ガルテが国にやってくる。結婚前からこの国に馴染もうということのようだ。あちらにも使用人はいるだろうが、この国の作法などを教えてやってほしい」


「それは、つまり」


「ガルテ付きになってくれ」


 王子は胸から顔をあげてわたしを見た。


「あー」


 わたしの頭の中には色々と駆けめぐっていた。


 国を乗っ取るかもしれない。


 警戒すべき相手が、まだしばらく先になるはずの結婚を前にやってきて、馴染もうとする? どういう意図があるのだろう? それってもうなんかはじまってない? 乗っ取り、はじまってない? 結婚決まったって言ってからすぐすぎじゃない? 相手の国、つまり、夫の実家でしょ? 心の準備とかいるでしょ?


「いやか?」


「滅相もありません。謹んでお受けいたします」


 反射的に請け負っていた。


 そもそもわたしの立場で王子からの命令を断るという選択肢はない。だけど、これって責任重大な気がする。国が乗っ取られるかもと聞かされていて、実際に乗っ取られようものなら、わたしに責任の一端がある感じになってる。


「よかった」


 王子は身体を離して身体を伸ばした。


「考えていた。結婚してから、こうしてこそこそと会うのはどうかとな。それならばいっそ、ガルテと一緒にいてもらえば、私は堂々とシズキにも会える、説明もしやすい。そうだろう?」


「そうなりますか……」


 わたしは苦笑いするしかない。


 まだ説明する気だ。


 国の乗っ取り云々より、結婚相手に結婚後もおっぱいを与える女という立場で妻と接する仕事ってもう、ヤバくない? ぶっちゃけわたしが殺されない? 王子だから側室を持つことも許されてるわけだけど、それでも母乳を与えてるとかは浮気より深刻な感じ?


 百パー邪魔な女だ。

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