#12

 

 そして翌日。夜半から降り出した雨が、キオ・スー宇宙港の景色をグレーの濃淡で染め分ける中、恒星間旅客便用ポートでは、銀河皇国航宙公社の中立宙域巡回旅客船が出港準備を進めている。巡回旅客船は各星系外縁部に設置された、『超空間ゲート』を回り、ゲートから住民の居住する植民惑星までは、連絡船を利用する仕組みなのだが、この便は惑星ラゴン始発のため、地上の宇宙港へ降りて来ているのである。


 旅客船は全長およそ200メートルと、サイズ的には軽巡航艦並みだが、戦闘艦ではないため、全体的にスマートな印象だ。出港前の最終点検と合わせ、貨物用扉が開いた船底部では、アンドロイド作業員達が他星系向けの貨物を、次々と手際よく積み込んでいく。また搭乗ゲートも開放され、乗客の搭乗も始まっていた。戦国の世であっても人の往来は盛んで、各宙域そのものの経済活動は衰えていない事を示す一端だ。


 出港時間まではまだ少し時間があるため、搭乗ゲートに向かう乗客達の動きも、緩やかであった。


 そんな乗客の流れを背後に、少し着飾った姿のネイミアが立っている。目深に被る帽子の下、左眼にはレンズ付きの眼帯が巻かれていた。失った左眼のクローン培養再生治療は終わっていたが、まだ虹彩の機能が完全ではないため、眩しさの調整を補正してやる必要があったからだ。


 そのネイミアが船に乗り込まずにいるのは、昨日届いたキノッサからの、“明日は絶対見送りに行くから待っててほしいッス”という、NNLメールに従っての事である。

 すると搭乗エリアの窓を濡らす雨に眼を遣ったネイミアの聴覚が、NNLメールの着信音を捉える。


“ごめん。遅れたッス。いま何処ッスか?”


 ネイミアの目の前に小さなホログラムウインドが開き、キノッサからのメッセージが届いた。文字入力でも語尾に“~ッス”と付け足すのが、キノッサの特徴だ。ネイミアはホログラムキーボードを呼び出し、返信を入力する。


“3番搭乗ゲートのところ”


“すぐ行くッス!”


 そして近くにいたのか本当に、キノッサはすぐ現れた。待合ロビーの方から、右腕に小振りな花束を抱え、左手に洋菓子店の手提げ小箱を持って、急ぎ足でやって来る。いつもながらのせわしなさに、ネイミアは自然と微笑んだ。


「ネイ!」


 呼び掛けられたネイミアは、はにかんだ表情でキノッサを迎える。


「キーツ。来てくれてありがとう」


「当たり前ッスよぉ!」


 陽気な声でそう応じたものの、二人は向き合ったまま、互いに次の言葉に詰まってしまう。


「………」


「………」

 

 実際は一瞬、当人達にとっては長く感じた間ののち、今度は二人で同時に声を発した。


「あの―――」

「えっと―――」


 そこでまた気まずくなるキノッサとネイミア。苦笑いを浮かべてネイミアは、キノッサに「キーツから言って」と促す。ぺこぺこと頷いてキノッサは、ぎこちなく小振りな花束を差し出した。


「ごめんス。途中で思い付いて買ってたら、遅くなったッス。こっ、これ…」


「ありがとう」


 花束を渡すのが言い方も妙だし、もう少しムードを出せば良いはずだが、今のキノッサには、これで一杯一杯であった。続いて洋菓子店の小箱を差し出す。


「それとこれ。前から食べたがってた、『スコレッシュ』のフルーツタルト。船の中で食べるといいッス」


「わぁ、嬉しい。よく買えたね」


「寄ってみたら、まだあったんで買ったんス」


 それはキノッサの下手な嘘だった。『スコレッシュ』は惑星ラゴンで今一番トレンドなスイーツ店で、その中で最も人気のフルーツタルトは、午前11時の開店と同時に売り切れる“幻のスイーツ”として有名であり、ネット販売や予約も受け付けていないため、確実に購入するなら夜明け前から、店頭に並ばなければならないと言われている。

 しかも店はキオ・スー市ではなく離れたサブラ・スー市にあるため、スクーターしか乗れないキノッサでは、店からこの宇宙港まで三時間はかかるであろうから、とても“寄ってみたら”で済む話ではなかった。


 自分でも下手な嘘だと分かっているのか、キノッサは話題を変えてネイミアの帽子を覗き込み、左眼の状態を尋ねる。


「眼の調子…どうッスか?」


「うん。問題ないよ…てゆーより、ちょっとカッコイイかも」


 そう言ってレンズ付き眼帯を指差し、微笑むネイミアに、キノッサは硬い笑顔を返して頷く。


「モルタナさんばりの、女宇宙海賊みたいッス」


「ほんと?…じゃあ、ザーランダには帰らずに、『クーギス党』に入れてもらおうかな?」


 不出来な冗談に作り笑いを交わしたあとのキノッサとネイミアに、再び訪れる静寂の中、ネイミアはぽつりと切り出した。




「本当にありがとう…キーツ」




 ネイミアにそう言われてキノッサは目を伏せる。


「………」


「元気でいてね。ノヴァルナ様とノア様のお世話、あたしの分もお願いね」


「………」


「あと、戦場に出ても無茶はしないでね。キーツ、強くないんだし」


「………いやッス!」


 目を伏せたまま、ネイミアの言葉を聞いていたキノッサは、絞り出すような声で告げた。「え?…」と小首をかしげるネイミア。顔を上げたキノッサは、強い口調で言い放つ。


「俺っちは嫌ッス!!」

 

「やっぱり、こんなのって無いッス! 俺っちは嫌ッスよ!!」


 その声に驚いた周りの乗客達が、一斉にキノッサに振り向く。


「キーツ…」


「悪いのはネイじゃないのに! 脅されて仕方なくやっただけなのに! ノヴァルナ様もノア様も無事で済んだのに! なんでネイがクビなんスか!!」


 昨日のノヴァルナとのやり取りで感じた不条理さに、いまだ納得できない部分のあったキノッサは、その時の思いをここでも口にした。


「悪いのはカルツェ様と、トゥズークじゃないッスか!!」


「キーツ!」


 その名前を大っぴらに声に出してはいけないと、ネイミアはキノッサの肩にそっと手を置いて、首をゆっくり左右に振る。


「キーツ。聞いて…」


「ネイ…」


 ネイミアの諭すような声に、キノッサは幾分気を取り直した。それまで二人を見ていた周囲の乗客達が、止まっていた時間が進みだしたように動き始める。


「実はね…クビじゃなくて、あたしからノヴァルナ様にお暇を頂いたの」


「えっ!?」


 意外なネイミアの言葉にキノッサは眼を見開く。


「ホントはノヴァルナ様から口止めされてたんだけど、キーツ…つらそうだから、言うね」


「………」


「今のウォーダ家は…ノヴァルナ様は、誰に対しても油断しちゃいけないの。今が一番大事な時期だから…でしょ?」


「そ…そうッス…」


「それはノヴァルナ様にお仕えするあたし達も同じ。今はフラフラ遊びに出掛けてもいい時じゃなかったの。カルツェ様達に付け入る隙を与えたのは、あたし達が油断したからよ」


「だったら悪いのは俺っちス。ネイをツーリングに誘ったのは俺っちス」


 キノッサがそう訴えると、ネイミアは再び首を振る。


「それを言うなら、同意したあたしも…でしょ?」


 そして少し間を置き、ネイミアは眼を細めて付け加えた。


「キーツが誘ってくれたのが嬉しくて、あたしもついつい浮かれちゃった。えへ…しっぱい」


 僅かながらいつもの茶目っ気を交えて言うネイミア。これを聞いたキノッサは歯を喰いしばり、拳を握り締めた。


「だからどっちかが責任を取らなきゃ。そしてキーツはあたし以上に、ノヴァルナ様にお仕えしなくちゃいけない人よ。それであたしにお暇を下さるよう、お願いしたの」


「………」


「そしたらノヴァルナ様、仰って下さったの。“おまえはキノッサに必要なヤツだから、辞めなくていい”って」


「!!??」

 

 自分へ向けて放ったのとはまるで違う、ネイミアへのノヴァルナの言葉を知り、キノッサは顔を上げた。


「それであたし、今言ったのと同じ事を言ったの。どちらかが責任を取らなきゃってね。そしたらノヴァルナ様、“んなもん、気にすんな。文句があるヤツは、俺がぶん殴ってやる!”ですって。あたし笑っちゃった」


「!………」


 言葉を失うキノッサに、ネイミアはさらに続ける。


「でね…どうしてもってあたしが言ったら、分かったって承諾して下さって、“それなら俺がクビにした事にしておけ。あのヤローはおかしなとこで繊細だから、おまえを巻き込んで嫌われた、とか思い込みかねねーし”って、仰られたの」


「そ…それは…」


「で、ここからが重要。“あのヤローが大きな手柄を立てて、誰にも文句を言わせ無いぐれぇになったら、おまえを迎えに行かせっから、それまでザーランダで待っててやれ!”だって」


「うぅっ!…」


 冷淡だったノヴァルナの態度の裏を知り、キノッサは思わず、心臓発作でも起こしたような呻き声を漏らした。その一方で、ネイミアは全部を告げた後で、何かに思い当たったらしく、口に片手をあてて「あっ!」と声を上げる。


「ズルいなぁもぅ。ノヴァルナ様ったら、絶対あたしがお喋りだから、今の話をキーツに教えちゃうって知ってて、わざと口止めしたんだよ!」


 苦笑いと共に悔しそうに言うネイミア。その前でキノッサはさらに悔しそうに…いや、本当に悔しいのか、眼に涙を浮かべながら握った拳をさらに硬くすると、自分の主君を不遜な言い方にして声を絞り出した。



「あの…あの“性悪アメとムチ野郎”!…何もかもお見通しッスか!?…何もかも手の平の上ッスか!?…これじゃ…これじゃあ俺っち、頑張るしかないじゃないッスか!!!!」



 キノッサの頭の中に、ドヤ顔で高笑いするノヴァルナの顔が浮かぶ。考えてみれば見送りが自分しかいないのもおかしい。いくらクビでも、ノア様ぐらい来ていてもいいはずだ…全部、自分とネイミアの二人だけにしてやろうという、ノヴァルナ様の企てに違いない。すべては計画通りというわけだ。


 立ち尽くしたまま、溢れる涙を拭いもしないキノッサ。そんなキノッサと同じく、双眸を涙で満たしたネイミアは励ますように囁いた。


「うん。だから早く、あたしを迎えに来てね…」


 二人の向き合う姿の向こう、窓の外の雨は一段と量を増やしていた………





 そしてまた翌日。一転してカラリと晴れた朝の陽光のもと、ノヴァルナの執務室にキノッサの声が響く。


「おはよーーございます!!!!」


 先に執務室へ入っていたノヴァルナは「おっす!」と言葉を返して、キノッサの様子を見る。つかつかと歩み寄って来たキノッサはノヴァルナの前に来ると、大きく頭を下げ「いろいろと…恐れ入りました!!!!」と大声で告げた。


 子飼いの側近が自分を取り戻したのを理解したノヴァルナは、不敵な笑みを浮かべてキノッサに命じる。


「ふん。てめーが休んでたせいで、このクソ忙しいのに、山ほど仕事が溜まってんだ。グズグズしてるヒマなんざねーぞ。すぐかかれ!」


 いつも通りの叩きつけるような物言いに、キノッサは背筋を伸ばして応じた。



「御意!!」





▶#13につづく

 

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