#10
明日の午後、ソニアに従兄のミディルツ・ヒュウム=アルケティのところへ、案内してもらう約束をしたノアは、夕刻になってホテルへ戻って来た。
帰る途中から何処からともなく姿を現した、護衛役のカレンガミノ姉妹を従え、廊下を歩いて来たノアは、自分の部屋の手前で立ち止まると、メイアがドアを開けるまでの短い間、その眼を斜め前にあるノヴァルナの部屋へ向ける。
ドアの横で警備に立っている『ホロウシュ』のヴェール=イーテスが、敬礼をして「ノヴァルナ様はまだ、戻られておりません」と報告する。
「そう」
自分がノヴァルナの事を気に掛けているように、ヴェールに受け取られたのではないかと思ったノアは、素っ気なく返事をした。自分の部屋のドアが開かれ、メイアを警備に残してノアはさっさと中へ入った。
いや、気に掛けていないと言えば嘘になるが、ギクシャクした今の状態で、自分から折れ始めた思われるのが、気の強いノアには腹立たしいのである。平たく言えば意地を張っているだけなのだが。
護衛役だけでなく侍女でもあるマイアに上着を預けて、着衣を脱いだノアはバスルームへ入る。そして快適な温度に保たれたシャワーを浴び始めると、明日の事を考えた。
ミディルツ・ヒュウム=アルケティ…会うのは何年ぶりだろう。十年ぶりぐらいだろうか。子供の頃はよく遊んでくれて、兄のように慕っていたのを思い出す。
漫然とアルケティ家の家督を継ぐ事を良しとせず、叔父に当主の座を譲って、自分という個人の力でどこまで行けるかを試すため、ミノネリラを離れたミディルツだったが、今やそのアルケティ家は無い。二年前のドゥ・ザン=サイドゥと嫡男のギルターツが争った際、ドゥ・ザン側について滅んだのである。
思えばミディルツへの憧れが大学生時代の先輩、ルディル・エラン=スレイトンへの憧れに通じているのかも知れない。真面目で誠実で兄のような存在の年上の男性…それがノアにとって、好きになる男性に求める要素であったはずなのだ。
“それを…なによ、あいつと来たら―――”
頭の中に浮かんで来る、不敵な笑みを浮かべたノヴァルナの顔に、ノアは苛立ちを覚える。いつまで経っても子供で、自分勝手で、私を振り回してばかりで…なんであんな奴を好きに―――
しかしそう思う側から、ここ数日のまともに顔も合わせていない事が、心にすきま風を吹かせる。と同時にノアは、そんなふうに感じてしまう自分に、忌々しさを覚えずにはいられなかった。
入浴を済ませ、バスルームを出たノアは、クリームホワイトのバスローブを身に着けて、ソファーに腰を下ろした。予めプログラムされていたのか、ノアが座ると同時に、音量を控え目にした音楽が流れ始める。惑星キヨウの大昔の作曲家アスロラントの交響曲だった。当時の大陸国家の宮廷で流されていた曲のはずである。
ノアはNNLで部屋の環境調整モジュールホログラムを呼び出すと、照明の光度を落とした。部屋の照明は全て間接照明であり、この光度が下げられただけで、周囲は柔らかな光に包まれる。
ソファーの背もたれに背中を沈めたノアは、その柔らかな光を放つ天井を見上げて、軽くため息をついた。
明日は、ノヴァルナは午後から星帥皇のテルーザ陛下への拝謁。その間に私はミディルツと会う。その事はノヴァルナには伝えておかなければならない。いくら距離を置いているとは言え、動向を知らせるのだけは必要だ。ただ…まだ、直接顔を合わせたくない気持ちもある。
そこへマイアが、アイスレモンティーの注がれたグラスを、銀のトレーに乗せてやって来た。入浴後の喉を潤す一杯だ。
「マイア」
ノアに呼び掛けられてマイアは、コースターとグラスをテーブルに置いてから、「なんでございましょう?」と応じた。
「あの…明日の午後、ミディルツと会うために留守にする事を、あのひとに伝えて来てください」
そう告げられてマイアは、無言で少し間を置き、「かしこまりました」と返答する。間を置いたのは無言であっても、“ご自分で告げられたら如何ですか?”と問い掛けているのが明白だ。ノアはそれを見て、バツが悪そうに視線を逸らせた。そこにマイアが言葉で問う。
「ついては、お夕食はどうされますか? ノヴァルナ様とご一緒に?」
引け目に追い討ちをかけるような物言いのマイアに、ノアは幾分気分を害した表情をして言い放った。
「いいえ。ここで食べます。こちらに運んでください」
すると普段、あまり表情を変えないマイアが、やれやれ…といった眼をして口を開く。
「姫様。差し出口を、お許し頂けますか?」
「なんですか?」
「姫様は今回の諍い…ノヴァルナ様が悪いとお思いですか?」
“諍い”とはっきりと言われて、ノアは嫌そうな顔をしながら「当たり前です」ときっぱりと答え、抱えていた不満を並べ立てた。
「皇国大学のデータアーカイブで、『超空間ネゲントロピーコイル』の分析と検証を行うのは、はじめから決まっていた事です。私はあのひとのためにも、ここに滞在する間に、少しでも分析と検証を進めようとしているのに、私がキヨウに帰って来た事に受かれ、勝手な事をしていると不貞腐れて…自分の方がいつも、私まで巻き込んで勝手な事ばかりしているくせに!」
ノアの愚痴を聞いたマイアは、さらりと応じる。
「それで、姫様は悪くないのですか?」
「私が? どうして? 何が悪いのです?」
「姫様も、勝手をなされておられます」
「それはあのひとがいつも、自分勝手だからだと言ってるでしょう? それともマイアは、私は勝手をせず、おとなしくあのひとの言う事を、聞いていろと言うのですか!?」
ノアの発する言葉に怒りの成分が増えて来ても、マイアは動じない。
「いえ。それはお互い様でしょう」
「だったら―――」
「ですが!…ノヴァルナ様は姫様を、置き去りにはなされません」
「!?」
マイアに言葉を遮られたノアは、“置き去り”という気になる言い方に、口をつぐんだ。これほど喋るマイアも珍しい。
「今、姫様はノヴァルナ様が自分勝手な事をなさる時、“自分を巻き込んで”と仰せられました。でもそれは裏を返せば、言い方は悪いですが、“悪だくみするなら姫様と一緒に”と、思われているからでしょう」
「私と一緒に………」
「姫様は、ノヴァルナ様と『ヴァンドルデン・フォース』との戦いの報告書は、お読みになられましたか?」
「い…いいえ。多忙でしたので、まだ」
「心身ともに疲労する、かなり厳しい戦いだったようです」
マイアはそこまで言うと、「少々お喋りが過ぎました。あとはお察しください」と告げ、「明日のご予定をノヴァルナ様にお伝えして参ります」と続けて、その場を去って行く。
マイアが部屋を出て行くとノアはNNLを立ち上げ、戦闘輸送艦『クォルガルード』の戦闘レポートにアクセスした。詳細は取りあえずあとにして、戦闘の背景情報に眼を通す。すると首領のラフ・ザス=ヴァンドルデンと、『ヴァンドルデン・フォース』の過去に関する情報を、かいつまんで読んだノアの表情が、みるみる強張って行く。
“ノヴァルナ…こんな人達と戦ってたんだ”
壮絶な過去と思想を持った、『ヴァンドルデン・フォース』との戦いを終えたノヴァルナが、キヨウに着いたその足で、皇国大学の研究室にまで迎えに来てくれた時の記憶が甦り、ノアは自分に欠けていたものに気付いた。
“やっぱり、夕食はノヴァルナと一緒にとろう!”
そう思い直したノアが、戻って来たマイアにその事を告げようとする。ところが先に、マイアは思いがけない事を報告した。
「ノヴァルナ様は急用のため『クォルガルード』で、このヤヴァルト星系に隣接するキヨウ・ノーザ星系へ向かわれたそうです。お戻りは明日の午後で、そのまま星帥皇陛下に拝謁されるとの事にございます」
▶#11につづく
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