#09

 

 キヨウ皇国大学のキャンパス。午後の太陽が、秋めいた柔らかさを含んだ日差しを窓から注ぎ込む研究室。ノアはキーボードを指で叩きながら、真剣な表情で眼前に浮かぶ数枚のホログラムスクリーンを見詰めていた。


 スクリーンが映し出しているのは、皇国暦1589年のムツルー宙域でノアが、ノヴァルナと共にその存在を確認した、建設者不明の超々巨大施設『超空間ネゲントロピーコイル』の全体想像図である。


 『超空間ネゲントロピーコイル』―――それは、水平面に正六角形を形作る位置にとなる六つの恒星系が、銀河の中心に対し直角を得ている場合、六つの恒星系それぞれの任意の惑星に、巨大な重力子放射コイルを設置して、同時に作動させる事によって、その六角形水平面の中心と銀河系中心の間に、トンネル状の“熱力学的非エントロピーフィールド”を一定期間発生させるというものだ。


 “熱力学的非エントロピーフィールド”とは、宇宙創生のビッグ・バン以前の宇宙の状態、つまり時間も何も存在しない“完全なる無”の事である。これをトンネル状に形勢する事が出来れば、その内部を移動する事によって、瞬時に何万光年も離れた宇宙へ転移する事が出来る、いわゆる『トランスリープ航法』が可能となるのであった。


 しかしこれはあくまでもノアの推論であり、結果として、今いる元の世界に帰って来られたのであるが、その正体と真実を探るには検証が必要である。そのために皇国大学で、レベル3の閲覧制限がかけられている、次元物理学の最新研究情報に触れねばならなかったのだ。


「………」


 画面を見詰めすぎて視力に疲労を感じたノアは、指で両方の目頭を押さえると、軽く伸びをした。今日はノヴァルナがキヨウに到着する日であり、早めに切り上げて帰るつもりだったが、大学の保管するレベル3の最新科学情報に触れれば触れるほど、学術意識が高まってキーボードを操作する指が止まらなくなる。


「少し、休もうか」


 そんなノアに声を変えて来たのは、隣の少し離れた位置で検証を手伝っていた、ノアの先輩にあたる研究員のルディル・エラン=スレイトンだ。


「はい」


 返事をしたノアは、ホログラムスクリーンの右下に表示させていた、時間表示に目を遣る。今は午後三時半を回ったところだ。たぶんノヴァルナはもう着いているはずである。休憩よりも帰ろうか…と思いもするが、スレイトンがすぐに席を立って、「じゃあ、コーヒー淹れるよ」と親切心を見せると、もう少しぐらいいいか…と考え直した。

 どうせノヴァルナは、いつものあっけらかんとした調子で、自分が居なくても気にしないだろうし、それなら区切りのいいところまで進めておきたい。

 

 スレイトンは研究室内に設置されたサーバーから、二杯のカップにコーヒーを注ぐと、ノアの座る作業卓へ向かいながら、『超空間ネゲントロピーコイル』の想像図を映し出す、ホログラムスクリーンを眺めて言った。


「それにしても…あらためて見ると、凄いものだね。ノア君はよくこんなものを、思いついたものだ」


「え…はい」


 スレイトンの感心した口ぶりに、ノアは少し躊躇いがちに返事をする。この恒星間規模の『超空間ネゲントロピーコイル』はノアの発想ではなく、皇国暦1589年のムツルー宙域で、その一部を実際に見たものだからである。

 ただこの『トランスリープ航法』によってノヴァルナと共に、皇国暦1589年のムツルー宙域まで飛ばされたという話は、当時のナグヤ=ウォーダ家とサイドゥ家の両星大名からは公にされていない。世間一般に話しても、到底信じられる話ではないからだ。

 その代わりの公式発表が、ミノネリラ宙域で旧キオ・スー=ウォーダ家に襲撃を受けたノア姫は、これを救援に来たノヴァルナと共に、『ナグァルラワン暗黒星団域』近くにあった、生存可能な未開惑星へ不時着して、そこで救援を待っていたというものである。


 理論として以前から存在はしていた『超空間ネゲントロピーコイル』だが、それを実現させるためには、現代の対消滅反応炉技術では出力不足だった。しかしこの恒星間にまたがる超々巨大な『超空間ネゲントロピーコイル』であれば、出力不足を補う事も可能だ。六つのコイルのそれぞれが、設置された惑星のコアが発生させる自転のエネルギーを利用し、『熱力学的非エントロピーフィールド』発動のための膨大な出力を得る事が出来る。


 ノアの作業卓の片隅にコーヒーカップを置いたスレイトンは、「ありがとうございます」と礼を言うノアに笑顔で告げた。


「でも、僕は嬉しいよ」


「はい?」


「きみが今でも、次元物理学の研究を続けていたって事さ」


「………」


 真っ直ぐな笑顔を向けられて、ノアは学生時代の思い出と共に戸惑いの混じった微笑みを返す。キヨウからミノネリラへ帰る事を決めた三年前、本当は学問を続ける事を諦めたはずだったからだ。


「先輩こそ…研究員になられていたとは、思いませんでした」


 それを聞いてスレイトンは、笑顔のままで答えた。


「僕は貴族と言っても、三男坊だからね。気楽なものさ」


 その笑顔につられてノアも笑顔と笑い声を上げる。そしてそんな笑顔を向け合う二人の姿を、研究室の中を望む窓越しに偶然見ている者がいた。ノアを迎えに、バイクでやって来たノヴァルナである。

 

「でも先輩がいて下さったおかげで、この数日間で検証がだいぶ進みました。ありがとうございます」


 ノアの感謝の言葉に、スレイトンは軽く頷いて応じる。


「ベラルニクス教授は、いろいろとお忙しいからね。また昔みたいに、きみの役に立てて良かった」


 キヨウ皇国大学など銀河皇国の教育制度では、一人の上級生が下級生数名の課題をサポートするシステムが取られていた。これは知識自体は記憶インプラントで獲得する事が出来るが、それを完全に記憶に固着させ、応用・発展させるためには、得た知識を活用する場を作るのが重要という考え方によるものである。

 そしてノアは偶然にも、初めてキャンパスを訪れた際に、はぐれた友人を一緒に探してくれた上級生のスレイトンが、サポート担当者となったのだった。


 優秀な学生であったスレイトンは、人柄がいい上に教え方も上手く、彼のサポートを受けた下級生は成績も上がっていった。元々、次元物理学に興味を持っていたノアが、星大名サイドゥ家の姫として貴族の作法の取得と、皇国大学卒業暦のキャリアを積むための留学から、本格的に次元物理学へ傾倒していったのも、スレイトンの存在が大きかったのである。


 昔を懐かしむ眼で互いにコーヒーを啜ったあと、スレイトンは少し身を乗り出してノアを見据え、おもむろに口を開いた。


「ねぇ、ノア君………」


「は、はい…」


 近づくスレイトンに、ノアは身を引いて応じる。


「きみ…本格的に、研究者の道に進まない?」


「えっ!?」


「きみの、この大規模な『超空間ネゲントロピーコイル』の発想は、本当に素晴らしい。これなら現代の工学技術でも、実現出来る可能性がある。もっと具体的なプロジェクトとして、教授に提案すれば―――」


 熱を帯びて来るスレイトンの言葉に、ノアは困惑の表情になった。この恒星間規模の『超空間ネゲントロピーコイル』は、すでにムツルー宙域に存在しているはずで、自分はそれを建設した者の正体を探るために、検証を行っていたからだ。無論そのような事は知らないスレイトンはさらに続ける。


「実はね、教授がお忙しいのは今、ご自分の研究機関を立ち上げる準備を、なさっているからなんだ。“ベラルニクス機関”っていう仮称なんだけど―――」


「!!??」


 『ベラルニクス機関』という名を聞いて、ノアは目を見開いた。それこそ皇国暦1589年のムツルー宙域で、元の世界に帰るためのヒントの一つとなった、研究機関の名前だったからだ。


「先輩。あの…―――」


 ノアが何かを言いかけたその時、ゴンゴン!…とノックするにしては、些かけたたましい音で研究室のドアが叩かれ、こちらが「どうぞ」という前に開かれた出入り口からノヴァルナが姿を現す。


「おい、ノア」


 呼び掛けるノヴァルナの声は、ぶっきらぼうで不機嫌そうだった。






▶#10につづく

 

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