#06
「じゃ、行って来っかんな」とランに告げ、執務室を出たノヴァルナは、中庭を回ってエントランスへ向かう長い廊下を、頭の中の懊悩など微塵も見せずに、鼻歌でも歌いそうな軽い足取りで歩く。途中ですれ違い、立ち止まって丁重に頭を下げる二人連れの家臣に、“よっ!”とばかりに右手を挙げて、肩で風を切りながらさらに歩く。
一見気ままなノヴァルナのそんな姿を発見し、三階上の窓辺から見詰めるのは、シヴァ家のカーネギー姫である。彼女はキオ・スー城内でのシヴァ家の執務室となっているその部屋で、来客を待っているところだった。
“ノヴァルナ様…”
胸の内で呟いたカーネギーは部屋の中を振り返り、自分の机から少し離れた別の机で、ホログラムスクリーンに何かの資料を打ち込んでいる、側近のキッツァート=ユーリスに声を掛ける。
「キッツァート」
顔を上げカーネギーに振り向くユーリス。
「はい。姫様」
側近の生真面目な口調に、躊躇い気味に一拍置き、カーネギーは問い掛けた。
「あの…例の件…その、ノヴァルナ様はお城に帰られてから、一度もノア姫様とお会いになっていないという話…どうであったかしら?」
するとユーリスは、部下達に命じ、それとなく探らせた結果を口にする。
「は…どうやら、本当のようにございます」
それを聞いてカーネギーは再び窓の外を―――中庭を見下ろした。ただその先の廊下には、もうノヴァルナの歩く姿は消えている。しかしカーネギーは、そのまま外に視線を向けて「そう…」と呟く。
「やはり、お二人は…噂通りなのかしら………」とカーネギー。
律義なユーリスは、カーネギーの言葉を自分に対する質問と受け取ったらしく、最近城内を中心に広がっている、“ノヴァルナ、ノア不仲説”について話しだした。
曰く、およそ二カ月近く前、オ・ワーリ宙域に逃げ込んで来たドゥ・ザン=サイドゥの二人の息子、ノア姫にとっては弟になる二人をノヴァルナが連れ帰った辺りから、ノヴァルナとノアの関係がおかしくなり始めたという。
重傷を負った二人の弟の世話を焼いているうちに、ノアはだんだんとノヴァルナと顔を合わさなくなり、オフタイムはいつも一緒にいたノヴァルナ側の居住区のリビングも、今はノヴァルナ一人で過ごしているらしい。
だが真相は、ノヴァルナの方からノアを避けるようになり始めたのであって、ドゥ・ザン=サイドゥが当主の座を
また気の強いノア姫が再三再四、父ドゥ・ザンへの救援を要求したのを、ノヴァルナが煩わしくなって遠ざけた…とも考えられる。
事実ノヴァルナにはいまだ、ドゥ・ザン=サイドゥの救援に赴く様子が見られず、カーネギー姫とミ・ガーワ宙域のライアン=キラルークの友好協定締結を急いだように、自分の領地の経営に専心していた。
そこでユーリスは声を一段低めて、「さらにこれは新しい噂ですが…」と言い置いてから続ける。
「実は新たにミノネリラ宙域の星大名を宣言した、ギルターツ=イースキー殿からノヴァルナ様に持ちかけられた話がありまして、その内容と言うのが、“ノア姫と二人の
それを聞いたカーネギーは、目尻のやや吊り上がった瞳を僅かに見開いて、ベージュ色をした窓辺のカーテンを軽く掴み、ユーリスに振り向いた。
「本当なの?」
「は。それで…実際には、ノア姫様は二人の弟御と共に、ご自分の居住区で軟禁状態に置かれているのではないか…と」
「まぁ…お可哀想に」
戦国の今の世、政略結婚で他の勢力から得た妻、養子は、相手の家と敵対関係になった場合、離婚され、送り返される事が多い。ノヴァルナの弟分だったトクルガル家のイェルサスの母、ミズンノッド家から嫁いだオディーナなどがそうである。
だがノア姫達をギルターツの元へ送るのはそれとは話が違う、実家に帰されるのではなく、全く別の敵の元へ送られるのだから、もしこの噂話が本当なら、イースキー家に送られたノア姫達が、どのような苛酷な目に遭わされるか分かったものではない。カーネギーが同情の言葉を口にするのも、無理からぬ事である。
ただ………
同情の言葉を口にする一方で、カーネギーはある光景を思い出していた。
それはノヴァルナがナグヤ=ウォーダ家の当主として、旧キオ・スー家と戦っていた、三ヵ月ほど前のことだ。
ノヴァルナが頼りにしていた叔父のヴァルツに裏切られたと思い、それが策略とも知らずに騒ぐ重臣達が、不貞腐れて部屋に引きこもった振りをするノヴァルナに業を煮やし、ノアに説得を申し出た時の光景である。
ノアは重臣達の訴えを突っぱね、お茶を相伴していたカーネギーに、穏やかに言い放ったのだった。
「私は、あのひとが何をしたいか、何をしようとしているか、知ってますから」
その時のノア姫の満たされた表情に、カーネギーは自分の心の一番奥底で、何か黒いものが蠢くのを感じた。そしてその時と似たものが、背筋をザワザワと撫でていく。
だけど今度のは………不快じゃない―――
▶#07につづく
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