第20部:新たなる風

#00

 



およそ二週間前、スェルモル城―――




 夜の八時を過ぎた食堂には宴の後の、使用人達が食器を片付けるカタカタという音が、部屋に流れる風雅な古典音楽と混ざり合っている。


 ヒディラス・ダン=ウォーダは、食後のワインを口に含みながら、マリーナとフェアンに連れられて扉を出ていく、ノヴァルナの三人のクローン猶子達を見送った。


 性格には個々に差異が生じ始めているが、クローンだけあって見た目は、今より子供であった頃のノヴァルナとそっくりそのままだ。




“ノヴァルナの奴には、まんまと逃げられたが…”




 本当ならこの夕食会の場で、明日からノヴァルナに家督を譲る事を、宣言する腹積もりだったのだ。それに感づいたのかは不明だが、サイドゥ家のノア姫と会うなどと言って、逃げ出したノヴァルナに苦笑いを浮かべた。


「では私もこれで…」


 隣で妻のトゥディラがそう言って席を立つ。ヒディラスは「うむ」と応えて振り向き、小さく頷いた。妻はさらにヒディラスの斜め前に座る、次男のカルツェに優しく声を掛ける。


「カルツェも遅くならないように」


「はい、母上」


 愉快な夜であった。星大名という星々の支配者ではなく、妻と子らを持つ一人の人間としてである。マリーナの誠実さとフェアンの屈託ない明るさが、夕食会を楽しい雰囲気で包んでくれたからだ。トゥディラと会話したのもいつ以来であろうか…。


“このように和やかなものなら、もっと早くから繰り返しておくべきだった…”


 そうしていればナグヤの家中の空気も、今とは違っていたのであろうものを…いいや、まだ遅くはない。まだやり直しは利くはずだ。




義父上ちちうえ




 その声に振り向くと、クローン猶子のルヴィーロが穏やかな表情で、こちらへ歩み寄って来ている。自分の若い頃に瓜二つのルヴィーロはさらに言葉を続けた。


「一つ、お願い事がありまして」


「何かな?」


 難しい話でないなら二つ返事で認めてやろう―――自分のクローン猶子として作られたルヴィーロには、これまで肩身の狭い思いをさせて来たのだから…今宵は自然とそんな気分にもなる。


 するとルヴィーロは、微笑みを湛えたままの口で告げた。


「お命を…頂きたいのです」


 そして懐から取り出す、鈍い光を放つ鋭いナイフ。それがヒディラス・ダン=ウォーダが自分の生涯で、最後に見た光景だった………




▶#01につづく

 

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