#18

 

「きゃあああああ!」


 真空の宇宙に吸い出されかけて悲鳴を上げるノア。ノヴァルナは咄嗟に足を蹴り出すとノアに向かって飛び掛かり、右手でノアの右手を掴む。そしてさらに左手で船外作業艇の台座の手摺にしがみついた。二人とも宙に浮いた状態となり、周囲を上層から落下して来ていた構造材や、据え付けられていない装置、工具の類が高速で飛んでいく。


「ノアっ!!」


「ノヴァルナっ!!」


 ゴウゴウと唸りを上げて吸い出される艦内の大気。その中で叫ぶように呼び掛けるノヴァルナに、ノアは憔悴しきった顔を向けた。


 しかもその直後、ノヴァルナとノアを待つ『デラルガート』に新たな脅威が迫って来る。本隊からはぐれたと思われるアッシナ軍のASGULであった。


 主力ASGULの『レゼラ』が3機と、セターク家と共同開発したその後継機『アールゼム』が2機、『ヴァルヴァレナ』に張り付いたままでいる『デラルガート』を発見し、攻撃を仕掛けて来たのである。戦場に紛れ込んだ宇宙海賊が、総員退艦後の艦隊旗艦に略奪を行っていると勘違いしたのだ。そのような海賊行為は特に、辺境宙域の戦場ではよくある事だった。


「CIWS起動。迎撃はじめ!」

 

 5機のASGULの接近を知らされたカールセンが、鋭い声で命じる。右舷側の4基の迎撃用ビーム砲塔が回転し、陽電子の砲火を浴びせ始めた。だが攻撃艇形態に変形しているASGULの速度には追い付かない。逆に5機のASGULは、それぞれのタイミングで搭載している2発の対艦誘導弾を発射した。


 10発の対艦誘導弾に対し、『デラルガート』のCIWSが迎撃に成功したのは3発。迎撃を回避した7発は、5発が盾代わりにしている重巡航艦に、そして2発が『デラルガート』に命中した。『デラルガート』への命中個所はいずれも艦の上部で、エネルギーシールドを貫通して、爆発とともに艦を激しく揺さぶる。


「損害状況知らせ!」


 報告を求めるカールセン。とその時、右舷側で盾代わりにしていた重巡が大爆発を起こした。重巡航艦は、ここに至るまでにアッシナ軍から大量の砲火を受け、いつ爆発してもおかしくはない状態であったのだ。それはアッシナ軍のASGULにも想定外であったらしく、至近距離にいた『レゼラ』が一機、爆発に巻き込まれる。


 当然、『デラルガート』の受けるダメージは大きかった。捕らえていた重巡航艦の爆発でそれを支えるワーキングアームは全てへし折れ、砕けた重巡の艦体が激突して来る。その衝撃で『デラルガート』は接舷していた『ヴァルヴァレナ』から引き剥がされ、破片を撒き散らしながら漂流を始めた。しかも対艦誘導弾が直撃した箇所は大きくえぐれ、推進機関が停止する。


“しまった! ノバックとノアがまだ…!”


 離れていく『ヴァルヴァレナ』の外殻を、艦橋の窓から見詰めるしかないカールセン。さらに4機のASGULが襲撃行動を再開しつつある。


 爆発した重巡の激突は、『ヴァルヴァレナ』にも及んで大きく被害を与えた。その激突位置はノヴァルナとノアがいる船外作業艇の格納庫に近い。


 宇宙空間に吸い出されそうになっているノアの手を握り、必死に繋ぎとめているノヴァルナ。すると次の瞬間、格納庫全体を揺さぶる鼓膜を破らんばかりの轟音と、震動がズズン!と起きて、搭乗用ハッチだけでなく船外作業艇のエアロックそのものが、ゴッソリと宇宙空間に持っていかれる。

 艦内の大気がもし水であったなら、滝か鉄砲水のような勢いで大量の空気が抜け始め、それまで以上に大きな機材などが吸い出され、火花が荒々しく飛び散る。


「く!…ノア!」


「ノヴァルナ!」


 絶体絶命であった。手摺を伝えば格納庫の扉まで辿り着く事は可能だが、嵐の中にいるような今の状況では到底無理な話だ。だがその嵐が止むのは、艦の大気が全て消失した事を意味する。そして何より二人がいるこの艦自体が今、最期を迎えつつあるのだ。ノアは吹きすさぶ風の中で黒いロングヘアをなびかせながら、ノヴァルナを見詰めた。


“ノヴァルナ…”



二度目だった―――



 惑星アデロンでも、機動城『センティピダス』からノヴァルナを脱出させるために、自分の手を握るノヴァルナの指を振りほどいた。


 あの時は偶然生き延びる事となったが、今度は待ち受けるのが真空の宇宙空間である。吸い出されたら万が一にも生きられる可能性はない。




“…もういい。充分よ、ノヴァルナ”




分かっていた…自分が生きている事を知れば、彼は必ず助けに来ると。




腹が立った―――


見捨てればいいものを―――




嬉しかった―――


来てくれたことが―――




あとは自分の大好きな、このひとが生きてくれさえいれば―――




 さようなら…と胸の内で別れを告げて、繋がった手をひねらせ、振りほどこうとしたその時、ノヴァルナがあらん限りの声で自分の思いをノアに浴びせた。


「馬鹿野郎!!!!」


 突然の叱咤の言葉に、周囲の炎と火花と暴風がすべて、現実の感覚としてノアの五感に帰って来る。その喧騒に負けない大声でさらにノヴァルナは言い放った。ノアのやろうとしている事を見抜いたその眼差しは怒りに満ちて真剣で、痛いほどノアの手を握り直す。


「おまえはもう二度と、俺の手を放すんじゃねえっ!!!!」


「!!…」



酷い言葉…せっかく大好きなあなたのため、命を投げ出そうとしているのに…


だけど―――




 自分の手を強く握り返して来るノアの指を感じ、ノヴァルナは辺りを見渡した。僅かでも生き延びる可能性を探るためである。すると隣に固定された船外作業艇のマニュピレーターの陰に、オーク=オーガーと戦う時に放り出した、SSPがいるのを発見した。本体からトンボの羽か、ウサギの耳のように突き出た細長い二枚の安定板の両方が、マニュピレーターを制御するためのワイヤーケーブルに絡まっている。


“稼働インジケーターが点いてる!”


 ノヴァルナはSSPの本体に、小さな青い光がある事に気付いた。金属片が突き刺さって安全確保のために停止していた機能が、それが抜かれた事で再起動したのである。


「センクウ! NNL接続!!!!」


 ノヴァルナはSSPに向けて叫んだ。それに応えてSSPは金属片の傷跡がある丸い本体の、青いインジケーターを点滅させる。

 SSPはサバイバルのため搭乗者がBSHOを離れた際、NNLを介してBSHOを搭乗者に簡単な遠隔操作をさせる事ができる機能を有していた。ノヴァルナの意識がSSPとの接続を感じ取り、“命令待機中”の文字が視覚の片隅に浮かぶと、即座に『センクウNX』に命令を送る。


 その時である。遂に『ヴァルヴァレナ』の全体が爆発を起こし始めた。ノヴァルナが独房区画に向かった際、通路が抜けていた箇所が再び爆発し、爆風と炎が船外作業艇格納庫に、猛烈な勢いで降り注ぐ。炎に巻かれる直前、ノヴァルナは手摺にしがみついていた手を離した。エアロックのあった大穴の中へ、ノヴァルナとノアの二人は一直線に吸い込まれていく。SSPも安定板を畳んで二人のあとをついて来た。


 ノアを両腕で抱き締めたノヴァルナは、真空の宇宙に飛び出す直前に叫ぶ。


「ノア! 肺の中の空気を全部吐き出せ!! 息を止めろ!!」


 無数の機材や破片に紛れて宇宙空間に吸い出されたノヴァルナとノア。息を止めた二人は丸く抱き合って、真空の暗闇をグルリ、グルリと回転する。そこに高速で迫って来る金属製の巨体、ノヴァルナの専用機『センクウNX』だ。間一髪、ノヴァルナがSSPを介して遠隔操作を行い、待機していたBSI格納庫から緊急発進、二人を迎えに来たのだった。


 『センクウNX』は、慣性で宇宙を転がるように飛ばされるノヴァルナとノアの前で停止すると、腹部のコクピットのハッチを開く。二人と、重力子推進で追いついて来たSSPをその中へ受け止めて、ハッチは即座に閉じられた。ノヴァルナが腰を下ろす形で二人は操縦席に収まり、彼等を迎え入れたコクピットは生命維持機能が作動を開始、新鮮な空気を満たし始める。


 その中でノヴァルナとノアはまだ強く抱き合ったままだった。互いの心臓の鼓動とぬくもりで生存を確かめ合う。やがてノアが絞り出すような涙声でノヴァルナを問い詰めた。


「馬鹿…なんで来たのよ」


 するとノヴァルナは、年上のノアからすれば少々生意気な物言いで静かに応える。


「惚れた女に命を賭けて悪いかよ…」




「…うぅん、ありがと…」


 ノヴァルナの背中に回した腕に力を込め、それだけ告げたノアはようやく体を離して、自分の想い人と見詰め合った。無言の中に交わる二人の瞳が多くを語り合う。




 その直後、内部誘爆が限界を超えた『ヴァルヴァレナ』の艦体は、無数の閃光に覆われてバラバラに砕け散る。ノアを膝の上に乗せたままで、ノヴァルナは素早く『センクウNX』の操縦桿を握り締め、回避行動に移った。飛来する無数に砕けた艦体から軽々と逃れる。だが連絡の取れない『デラルガート』はどうなっているだろう。


「カールセンは!?」


 まさか爆発に巻き込まれたのではと、全周囲モニターを見回すノヴァルナ。するとカールセンの乗る『デラルガート』は、左下の宇宙空間に浮かんでいた。アッシナ軍のASGULが3機、纏わりついて攻撃している。艦の上部は大きく損傷しており、迎撃砲火の光がせわしなく輝く。次は二人が帰る場所を守らなければならない―――ノヴァルナは再びノアを見詰めて告げた。


「ノア、行くぞ!」


「ええ」




▶#19につづく

 

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