#23
一回転した『センティピダス』の胴体は、ついに魔女の大釜―――火口の底で煮えたぎる溶岩の中へ落下した。その内部に残っていた、オーガーの手下達の運命は言わずもがなである。
ただノヴァルナ達のいる前方部分は、胴体が一回転した事が怪我の功名となった。へし折れていた箇所でまだ繋がっていたところが、完全に断裂して落下を免れたのだ。
しかし同時にそれは、一時的なものに過ぎなかった。前方部分もは崩れかけた崖の縁に斜めになり、かろうじて乗っているだけの状態となっている。残された時間は少ない。
その『センティピダス』のちぎれ残った前方部分では、横転していた状態が元に戻った事で、天井扉から出ようとしていたノアが宙吊りとなっていた。ノアの手を握るのは先に外へ出ていたノヴァルナである。
「ノア、手を離すな!」
「ノヴァルナ!」
「いま引き上げる。待ってろ」
するとそこで溶岩の中に落下した『センティピダス』の胴体が、大きな爆発を起こした。巨大な火柱と熱風が巻き上がり、崖の上に残っていた『センティピダス』の前方部分は、ドスンという衝撃に跳ね上がる。ノヴァルナとノアは思わず声を上げた。
「ぅあッ!!」
「きゃああッ!!」
しかも断崖の崩れが大きくなり、傾斜を増した『センティピダス』の前方部分は、次第に火口の方へ移動し始める。上空に留まる『デラルガート』では、この状況にカールセンがアンドロイド達に命令を下した。
「すぐに救命班をワイヤーで降ろせ。あのままでは駄目だ」
カールセンの判断は正しい。天井扉の端から上体を乗り出したノヴァルナは、ノアを吊り下げる右腕が伸び切っていた。しかもその腕は右脇腹の傷の激痛が広がって、“いま引き上げる”とは言ったものの、腕に感覚がない状態なのだ。
“くっそぉおお!…腕に力が入らねぇえええ!!”
シャトル格納庫は床から天井扉までの高さが六メートル程はある。当初の予定通りシャトルを使っての脱出に切り替えたとしても、飛び降りるのは危険な高さだ。しかも眼下にはシャトルの短い主翼と、翼端に取り付けられた短い垂直尾翼がある。落下して激突でもすれば、さらに危険度が増す。
“このぉお! 動きやがれぇえええ!!!!”
胸の内で自分の意のままに動かない右腕を罵り、苦痛に顔を歪めながら、ノヴァルナは必死にノアを助け上げようとした。ノヴァルナの苦闘に、上空の『デラルガート』からカールセンの声が告げる。
「待ってろ、ノバック。すぐに救命班が降りる!」
だがその声は当のノヴァルナの耳に届いているかも疑わしかった。苦痛に負けまいと、意識を右の腕先に集中させるので精一杯だからだ。
やがて僅かずつだが、ノヴァルナが腕に込める渾身の力にノアの体が上がり始める。驚異的なノヴァルナの精神力だと言っていい。
ところがその時、火口の崩落が進んで、ノヴァルナ達のいる『センティピダス』前方部はさらに傾き、溶岩の湖に近付いた。その震動が、せっかく上がりかけたノアの体をまた下げる。そして悪循環で、それが脇場に電流のような激痛を走らせ、ノヴァルナを責めさいなんだ。
「うぐッ!!!!」
痛みに呻き声を上げるノヴァルナを、その右腕にぶら下がるノアが沈痛な表情で見上げて呼び掛ける。
「ノヴァルナ…」
傾きが大きくなると、ノアを腕に提げるノヴァルナの負担も大きくなる。そして溶岩に近付く事で、噴き上がる熱風と硫化水素の火山ガスが、天井扉の上にいるノヴァルナに襲い掛かった。
「ぐぐぅう…」
苦しむノヴァルナの姿に『デラルガート』の艦橋では、モニターの前で振り返ったルキナが、悲痛な声で叫ぶ。
「救命班はまだなの!!」
「いま降りる!」と応じるカールセンの声も切迫している。
するとカールセンの言葉とタイミングを合わせたかのように、『デラルガート』の底部が開いて、六本のワイヤーがノヴァルナのいる近くに投げ下ろされた。すぐさまそのワイヤーを使い、六人のアンドロイドが降下を開始する。
その時だった―――
ノヴァルナの右腕に釣り下がるノアの足首を、下からむんずと握り掴む大きな手があった。
驚いて下を向いたノアの視線の先にいたのはオーク=オーガーである。全面に刺青を施した、イノシシのようなピーグル星人のその顔は、右半分が黒く焼け焦げていた。ノヴァルナと戦った時に格納庫の管理パネルを金属棍で叩き壊し、感電して大きな火傷を負ったのだ。
シャトルの翼端の上に立つオーガーは、感電のダメージにゼェゼェと息を切らしながら、足首を掴んだノアとその先のノヴァルナを見据えて喚き咆えた。
「にっ…に、逃がさねえぞ、ガキ共が!」
そう言い放ちノアの脚を引っ張るオーガー。だが体勢が悪く、思ったほど力が入らない。
「ノアを離せ!!!!」
それはノヴァルナが発した、いつも見せる不敵な笑みも、挑発的なセリフの付随もない、心からのひたむきな言葉だった。オーガーを睨み据えるその目には、悲愴なまでの焦燥感すらある。その眼差しを見上げて、ノアは一瞬、およそ場違いな気持ちを抱いた。
そっか…私のために、そんな目をしてくれるんだ―――
馬鹿で…生意気で…横着者で―――
自分はなんでもお見通しみたいに尊大で―――
………そして、私の大切な…やさしいひと
実際に微笑んだのか、それとも気持ちの中で微笑んだのかは分からない。
ただノアが確実に行った事は、ノヴァルナから預かるように頼まれ、パイロットスーツの懐に入れていた、元の世界に戻るために必要な『ネゲントロピーコイル』の航過認証コードが入ったメモリースティックを取り出したこと。
そして、自分を引き上げようとしていたノヴァルナの手を、自分の方から離す間際、そのメモリースティックをノヴァルナの手に握らせたことであった。
このままでは二人とも助からない、それなら―――
「あなたは元の世界に帰って」
そう告げてノアは、オーガーに足を引っ張られるまま格納庫の中に落下した。シャトルの翼端にいたオーガーは、落ちて来たノアにバランスを崩し、さらにノアを体の上に乗せた形で、格納庫の床に転げ落ちる。
その刹那、何が起きたのか理解出来なかったノヴァルナの周囲では、時間が止まった。いや、それはノヴァルナがそう感じただけであり、その間に『デラルガート』からワイヤーで懸吊降下して来た、汎用タイプのアンドロイドがノヴァルナを助けるために取り囲む。
茫然と自分の右手に残されたメモリースティックを見下ろし、なんだこれ…なんで俺の手は、ノアの手を握ってないんだと自問すると、ノヴァルナは我に返った。
「ノ!…ノアっっ!!!!」
ノヴァルナは自分の周りにいるアンドロイドにすら気付かない。その視界には格納庫の床の上で体を起こしだすオーク=オーガーと、気を失ったノアが映るだけだ。ノヴァルナあらん限りの声で叫んだ。
「ノアーーーっ!!!!」
▶#24につづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます