#11

 

 ほんと、知らねーよ…と自分に呆れ、ノヴァルナは再び濡れた頭髪を掻き乱した。とその時、大樹の幹の向こう側から、控え目なくしゃみが一つ、やや間隔をあけてさらに二つ、立て続けに聞こえて来る。ノアであった。

 あらためて周囲の様子を探ると、この雨の影響で気温が一気に下がって来ている。加えて二人とも、西へ向かい始めてからは密閉されていては歩き難い事もあって、パイロットスーツのファスナーを胸元まで下げていたため、土砂降りに遭った際にそれなりの量の雨水がスーツの内側まで流れ込んでしまっていた。寒さを感じても不思議ではない。


「………」


 上を向いていつもの即断力が欠如した自分にため息をついたノヴァルナは、“生き延びることが最優先のこんなところで、この俺ともあろうものがなにやってんだか…”と自分を叱咤した。サバイバルバッグを持って幹を回り、ノアの所へ歩み寄る。


 ノアのいる方は枝葉の密度が高く、雨を遮る範囲がノヴァルナがいた方よりは少し広かった。ノアはそこで脚を畳んで座り、やはり寒そうに両手で反対側の二の腕を抱えて森を見ている。

 激しい雨音と雷鳴で、下草や落ちた小枝を踏む足音が掻き消され、近寄るノヴァルナに気付かなかったノアは、すぐ近くでノヴァルナの発した「よう!」という大声に、跳び上がりそうなほど驚いて、怯えた顔で振り向いた。


“ヤベぇ。コイツまた怒るぞ、こりゃあ…”


 ノヴァルナがそう思うと案の定、ノアは強い口調で「ちょっと! おどかさないでよ、がさつ者!」と突っ掛かって来る。

 ところがその怒声を口にするまでの一瞬、ノアの顔に安堵の表情がよぎった。これまでにない変化だ。ただそれを、ノヴァルナが気付いたか否かは定かではない。つい脊髄反射的に「はん。おまえがボーッとしてるからだろが!」と、やり返してしまったからである。


 そうなるとまたノアも黙ってはいない。すっくと立ち上がってノヴァルナを睨み付けた。


「なによその言い方! それに気安く“おまえ”って呼ばないでと、いったい何度言えばわかるのかしら!? それとも理解する脳を持ち合わせていないのかしら!?」


「おう! わりーな! 自分から戦場に飛び出して来るようなジャジャ馬を、“姫様”と呼ぶような脳ミソなら、あいにくと持ち合わせがねーんだよ!」


「そのジャジャ馬に負けそうになった、“カラッポ殿下”がいたようだけど!?」


「はあ!? 負けてねーし!!」


「あら? 私が手加減してあげてたの、わからなかった!? 相手との実力差も計れないの?」


「んだと、てめぇ!! ふざけんな!!!!」


「ほら、都合が悪くなるとすぐ怒鳴る。そういうのを最低って言うのよ!!!!」


「てめぇの言い方が、いっつもそう仕向けてるんだろが!!」


「なによ!! 私がわるひっ―――」


 二人とも次第に加熱する中、ノアもつい息を大きく吸って怒鳴りかけたその時、雨の寒気に刺激された鼻腔が、発作的にさらなるくしゃみの衝動を引き起こした。


「ひクシャンっ!!!!」


 抗議の声の代わりに大きなくしゃみが、睨み合っていたノヴァルナの顔面を襲う。それをまともに喰らうハメになったノヴァルナは、「わっ! てめぇ!」と腕で顔を拭いながらそむけた。当然、慌てたのはノアも同じである。


「きゃ…ごめんなさい!」


 自分のはしたなさに顔を真っ赤にして揃えた指先で唇を押さえ、素直に謝罪するノア。「…ったく、とんでもねえな」と文句を垂れながら振り返るノヴァルナだったが、意外にもノアはうつむき気味にしょんぼりとしたまま…そんなノアの姿にノヴァルナも、一気に怒気が削ぎ落とされてしまった。




「いや、その、なんだ…」


 ノヴァルナはノアとの関係で一番苦手にしている独特の気まずさに囚われ、顎の先を人差し指で撫でながら視線を逸らせる。そして空模様を気にしているかのような素振りで言葉を続けた。


「俺も…悪かった…うん」




「え?…」と顔を上げるノア。


 ノヴァルナは心の中にいるもう一人の自分が、“こんなの俺らしくねーって!”と繰り返すのを聞きつつ、今度は地面の様子でも気にするような素振りで応じる。




「いや…だから、最初にくしゃみした時…そのまぁ、寒いんじゃねーかと気になって、来てみたんだけどよ…おどかしちまって、悪かった…って、な」


 なんでこんなつまんねー事を言うだけで、勇気がいるんだよ…と自分に納得出来ず、無言で見返すノアの前で、ノヴァルナは居心地の悪さに身じろぎをし続けた。すると一拍置いて、ノアが笑いを発する。鼓膜を軽やかに打つ澄んだ笑い声だ。


「あはははっ」


 ノアのその笑顔は、周りのものすべてが華やいだようにノヴァルナの目に映った。


「あなた、さっきから動きが怪しい」


 また毒を吐くノアだがその表情は楽しそうで、今度はノヴァルナも全く怒る気にはならない。それどころかむしろ、ノヴァルナも自然と笑顔になった。


「俺を不審者扱いすんじゃねー」


 苦笑交じりに言い返したノヴァルナは、サバイバルバッグの中から六角形のブロック型の固形燃料を三個掴み出し、ノアに手渡す。


「それ使えよ。この雨じゃ焚き木は集められねーし。着火はハンドブラスターをライター代わりにな。火があった方が少しはマシだろ」


 そう言ったノヴァルナは背中を向けてノアを残し、一人でまた幹の反対側へ戻ろうとする。今しがたノヴァルナが歩み寄って来た時に、ノアに一瞬浮かんだ安堵の表情の意味…今度はノアが勇気をふるう番であった。


「待って!」







 スルガルム/トーミ宙域国星大名イマーガラ家本拠地、スルガルム星系第四惑星シズハルダ、スーン・プーラス城。


 皇都キヨウ表層階にある貴族の御殿のように、空中回廊の美しい巨大な城郭が天を衝く。その天守では、領主のギィゲルト・ジヴ=イマーガラが、三人掛けサイズはある大きな玉座に、自身の大きな肥満体を預けていた。彼の前に控えた古代東洋の龍を思わせる姿の異星人は、ギィゲルトの宰相セッサーラ=タンゲン。現在のイマーガラ家の隆盛は、ひとえにこの齢七十を超える老臣の手腕によるものと言っていい。


 ギィゲルトは現在四十九歳。よく太った体を豪奢な装束に包み、のっぺりとした顔は色白で、細い目と不自然なほど太短い眉が印象的である。

 イマーガラ家は皇国貴族としても星帥皇の血統に繋がる名門で、宙域総督から星大名へ転じたため、家風も貴族色が強く出ていた。巨大な玉座に半ば寝転ぶように座ったギィゲルトは、右手に持った小さな扇をもて遊びながら、タンゲンに問い掛ける。


「報告を聞いた…トクルガル家のヘルダータが、横死したそうじゃの?」


 ギィゲルトの声は巨体に似合わず甲高かった。言葉遣いも名門貴族の出を意識しているのか、妙に鷹揚としている。一方のタンゲンの声質は重く、歯切れよく、まるで年齢が逆のようで対照的だ。


「仰せの通り」


「暗殺したのはイーゴンの教徒とか…狂信者どもが、恐ろしき所業じゃ」


「まことにもって」


 そこでギィゲルトは扇をパチリと鳴らして閉じた。


「事の是非はともかく、問題はミ・ガーワの宙域よ…………」



▶#12につづく

 

 

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