12月3日  プレイステーションの日

 やあやあ諸君。

 私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。


 諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。

 私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。




 本日2017年12月3日は『プレイステーションの日』である。


 1994年のこの日、化物家庭用ゲーム機「プレイステーション」が発売された。勿論制定したのはソニーコンピュータエンタテインメントである。


 私が幼少期に持っていたのはスーパーファミコンとこのプレイステーションの二つのみであった。nintendo64だの、セガサターンだのに目をくれず、ボタンが潰れるまでプレイステーションで遊んだ。


 ところで諸君。

 このプレイステーションが発売された時代は、据え置きゲームの三国時代であった事を覚えてはいるだろうか。


 任天堂のnintendo64

 SEGAのセガサターン

 SONYのプレイステーション


 いや、人によっては任天堂とSONYの二強時代であったとも言うだろうが。唯一つ言えるのは、恐らくこの時プレイステーションさえ出なければ、ゲーム機は任天堂一択、現在のプレステ4や、VITAは存在せず、nintendo switchとDSがシェアを独占していたはずだ。


 任天堂にとってはライバルであり、最も忌むべき存在プレイステーション。そんなプレイステーションを生み出したのが、任天堂であったと言ったら諸君らは信じるだろうか。


 これは作り話でも噂でもなく真実である。時代はスーパーファミコン全盛期。メガドライブなどのライバルたちは従来のカセット式ではなく、CD-ROM形式のソフトを採用し始めていた。ソフト自体にセーブはできないものの、生産コストや容量を考えればカセット形式よりもCD-ROMの方が優れていたためである。

 そこで任天堂もスーパーファミコンの付属機器として、つまりはスーパーファミコンにCD-ROMを読み込ませる後付け機器としてSONYと共同開発をしたのがプレイステーションである。


 結局、このプレイステーション自体は途中で計画を頓挫したが、後にこれのみを据え置きゲーム機として、プレイステーション本体としてSONYから発売する。

 任天堂としては、己の生み出した計画が、最大のライバルとして目の前に現れたのである。


 今やパソコン、スマートフォンが普及し据え置きゲーム機は売り上げを落とし続けている。これに対抗するには再び手を結んだ夢の据え置きゲーム機、nintendoプレイステーション5を開発してみては如何かと私は提案する。




 今日はプレイステーションの日、特別な一日である。

 我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。

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