9月15日 老人の日

 やあやあ諸君。

 私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。


 諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。

 私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。




 本日2017年9月15日は「老人の日」である。


 老人の日は、2002年1月1日改正の「老人福祉法」によって制定された一日である。2003年から「祝日法」の改正によって「敬老の日」が9月第3月曜日となるのに伴い、従前の敬老の日を記念日として残す為に制定された。

国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日である。


 誰でも齢を取る。生きてさえいれば。

 毎日が暇だろうと忙しかろうと、一生懸命だろうとそうでなかろうと、積み上げようと平坦だろうと齢を取る。

 故に、齢を重ねているから敬意を払うと言う風習が、私には今一理解できない。

 生きるだけなら誰でもできる。年金制度のあるわが国ではある程度の仕事をこなせば死ぬまで安泰だ。朝から海物語に並ぶことも可能である。


 ならばなぜこんな風習が出来たのか。それは国策、企業の戦略が少なからず関係していると私は考えている。

 団塊世代。古くは良い企業、大きい企業に入る事が全てとされた。そして定年まで毎日の様に働いた。だが離職率は少なくなかった。それはなぜか。人生に成功する先輩の姿を見せつけていたからである。


 頑張って長年勤めればいい車、安定した暮らし、余裕のある生活が手に入る。年功序列の社会では、齢と給料は比例する。上の人間に憧れを抱けば、新入社員も低給で奮い立たせられる。

 その名残が年上を敬うという習慣に変わったのでは? と私は考える。


 だが、時は流れた。今や長年勤めようとも先に待つのはリストラかもしれず、年金もしっかりと貰えるかわからないまま支給年は引き上げられた。

 どうしても老人を敬えない私の様な存在が生まれるのは、時代のせいなのかもしれないと、不謹慎ながら老人の日に提唱する私であった。




 今日は老人の日。特別な一日である。

 我々は本日を祝福し、過ごさねばならないだろう。

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