1月23日 八甲田山の日

 やあやあ諸君。

 私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。


 諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。

 私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。




 諸君らは八甲田山と呼ばれる火山群をご存じだろうか。火山群、つまり、正確には八甲田山と言う名の山は無く、青森県に存在する密集した複数の山々からなる山脈の総称である。冬になれば豪雪地帯として有名で、様々な物語の舞台となっている。

 本日、2017年1月22日は『八甲田山の日』である。


 八甲田山の日である1月23日は、210名が同時に遭難し、その内199名の尊い命が奪われ死亡すると言う、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故、『八甲田雪中行軍遭難事件』が起きた日。つまりは遭難初日の日付である。


 210名中17名しか生還できず、さらには後遺症で6名が命を落とす。その一文を聞けば、昨今のデスゲーム小説を思わせる様な、そんな実話が引き起こされてしまったのは1902年の事だった。当時、日清戦争で寒冷地での戦争に苦戦した日本陸軍は、今なお北方領土問題でわだかまりの残るロシアを次の相手へと想定し、雪山での訓練を行っていた。

 その訓練こそがこの事件を引き起こした『雪中行軍』である。列車が止まった時に物資をソリで運べるか。その調査の為、神成大尉の率いる約40名の小隊は、八甲田山の片道約9㎞の道のりを往復することに成功した。これを受けた山口少佐は、屯営~田代間は一日で踏破できると判断し、21日に行軍命令が下され、その後23日、210名と言う大編隊が組まれ、『青森第5連隊』は八甲田山へと向かったのである。


 事前に現地の報告を受け、計画立てられた訓練がなぜこのような悲劇を招いてしまったのか。それは雪山の認識の甘さが引き金であったと考えられる。

 神威大尉が小隊を率いて踏破に成功した時は、実は天候に恵まれていたのである。今回も同じ様な状況を想定した山口少佐は、兵隊たちに一日分の食料しか持たせず、服装は極寒の地に行くにはあまりに軽装であり、更には案内人が止めるのも聞かず、地図とコンパスだけでこの計画を実行してしまったのだ。


 結果、天候の悪化により、『青森第5連隊』は行軍を中止し引き返すも、すでに手遅れだった。コンパスは凍り付いて役に立たず、飢えと疲労から凍死する者が次々と出た。中には発狂して裸になる者もいたそうだ。その惨状はあまりに凄惨すぎて詳しくは書きたくない。諸君らの中に知りたい者がいれば、自分で検索してみてほしい。山の怖さを思い知るだろう。


 この事件から115年経った今なお、八甲田山には迷える彼らの行軍の足音が聞こえると言う。お国の為、壮絶な最後を遂げた彼らを崇める気にはならない。だが我々は、雪山、大自然から見れば人間なんて非力な存在であると言う事と、どれだけ信用していようと、上司の言葉に従うべきか否かを、時には真に見極めなくてはならない事をこの日から学ぶべきである。




 今日は八甲田山の日、特別な一日である。

 我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。

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