第19話 新たな依代


「――以上が、この呪詛の仕組みですね」

「…………」

「麗さん?」


 刻裏が持ってきた書物を解析した龍司は、その内容を事細かく麗に伝えた。

 やはり、今回の呪詛は植物の根のように都季の中に根付き、宿主の霊力を吸収して呪詛へと変換するタイプのものだった。ただし、よくある植物型と違う点は、僅かでも根を残せば、呪詛の本体である核がそちらに移動し、再度発芽するという厄介なものだ。

 頭を抱える麗を案じて声をかければ、気持ちを落ち着かせるためか大きな溜め息が吐かれた。


「核に自我があるなんて、ホント、呪詛が幻妖みたいなものね」

「……あの、解呪方法らしきものが書かれていないのですが、これだけで大丈夫なのでしょうか?」

「今回は跳ね返しだから、仕組みが分かれば引き剥がすだけ。問題ないわ」


 あっさりと言ってはいるものの、どこか踏ん切りがつかない様子だ。本当に出きるのか不安が残っているのだろう。

 それを自分が払拭してあげられれば、と思いつつも、龍司にはいい言葉が思いつかなかった。

 ふと、夜陰が持ってきた呪詛の一部が視界に入る。


「呪詛の核は、移動するんですよね?」

「ええ。あなたが解析したんでしょ」

「……例えばの話ですよ。ここに、呪詛を移せるようなものはありますか?」

「あるけど……どうやって移すのよ」


 禁書庫には様々な物が置いてある。中には、呪詛をかけられた者から呪詛を移行させる依代も。ただし、これはあくまでも切り離して移すことが出来る呪詛の場合に使用する物だ。

 今回の物は、都季に少しでも根が残れば、例え他に依代を用意したところで都季の中に残ったままになる。

 だが、麗は龍司が見ていた物を確認すると、ある事に気づいてハッとした。


「もし、移行した先に自分と同じ核があった場合、核は引き離されるものより、既に根を広げている方に移ったりはしないのでしょうか?」

「なるほど。そのためには、この夜陰が切り取った呪詛を取り込ませる依代が必要ってわけね。それも、あの子の中に潜り込める依代が」


 核の動きについては憶測だ。しかし、元の宿主に根が残っていればそちらに移行するという特性を鑑みるに、移行先に同じ核や根があった場合はそちらに移る可能性も十分にある。最も、移行するには都季の中で行う必要が出てくるが。

 龍司は眉間に皺を寄せつつ、呪詛の一部が入った箱を手にした麗を見て言う。


「やはり、外部からではその移行は出来ませんか?」

「切り離すのと同じだから無理ね。鉢植えからそのまま引っこ抜くより、同じ土を入れた新しい鉢植えを突っ込んで掬い上げるような感じかしら」

「……なんだか、大胆ですね」

「えっ。そ、そういうことじゃないの?」


 麗の例えを想像し、なかなかやることではないなと思わず笑みが零れた。

 龍司としては、花の植え替えのようなイメージだったが、植え替える鉢植えを直に突っ込むとは思わなかった。

 イメージに齟齬があったことが発覚し、やや慌てた様子の麗にまた笑いがこみ上げる。


「ふふっ。やはり、あなたは見ていて飽きませんね」

「はぁっ!? か、解析で疲れて頭おかしくなったんじゃない? 休んでなさい。外で」

「いえ、これから行うのでしょう? サポートくらいは……」


 突然、何を言い出すのかと赤面し、慌てて言う割には、しっかりと禁書庫から出ることも付け足している。

 しかし、これから跳ね返しを行うのであれば、呪詛に関連する術を見られるせっかくの機会だ。ぜひ、目にしておきたいところではある。

 その本音を知ってか知らずか、麗は口調を少し強めた。


「駄目。自分の顔色を見てから言ってちょうだい」

「え……」


 顔色にまで出ているとは思わず、言葉に詰まってしまった。

 その様子で麗は自身の見立てが合っていたと察し、刻裏が持ってきた本を龍司から取り上げる。


「『これ』だってあまり良くない力を纏ってるの。解析だっていつもどおりにはいかないだろうし……そもそも、こんな状況じゃなかったら解析も危ないからさせない。魁達も呼ぶから休んで」

「……すみません」


 無意識だろうか。悲痛に歪んだ表情の麗に言われれば、大人しく従うしかない。

 また、麗の指摘どおり、解析には普段より多くの霊力を消費している。さらに、読み進めれば頭の中が何かに汚染されるような感覚もあった。

 一度、浄化もしてもらう必要がありそうだと思いつつ、本をテーブルに置いて呪詛の一部を持った麗に気になる点だけを確認する。


「あの、ひとつだけいいですか?」

「なに?」

「呪詛を移すための、適した依代はあるんですか?」


 外部での移行にならず、都季の中で移せる依代はあるのか。

 真白が麗の肩に上り、主と同じ赤い瞳で龍司を見た。

 麗は徐に龍司へと視線を移し、躊躇いのない真っ直ぐな目で言う。


「あるわよ」

「そ、れは……」

「『出て』。ここから先はあたしの領分よ」

「っ!」


 目に見えない力の波が龍司を襲い、反射的に顔の前に腕を翳す。

 ゆっくりと腕を下ろせば、そこは禁書庫の外……局員であれば誰でも入れる書庫だった。


「追い出すだなんて……」

『龍司?』


 依代が何かを言っているようなものだ。

 ざわついた主の霊力に反応してか、普段、喚ばれるまで出てこない翡翠が姿を現した。

 主人の異変を案じる翡翠は、恐らく、龍司の内を浸蝕していくものに気づいている。

 だが、今だけはそちらに構っている場合ではない。


「翡翠。あなたでも破れませんか?」

『無茶を言うな。丑の隔離と巳の術。二重の壁を破ろうとすれば、お主の身体が保たぬ上に余計な混乱を招く。この先が何か忘れたわけではあるまい?』


 局の中でも一部の者しか入れない禁書庫に踏み入ろうなど、後で大きな問題になる。そもそも、破れるほどの力は今の龍司にはない。

 だというのに、龍司は珍しく食い下がった。


「ですが、止めなければ麗さんは……!」

『真白が止めぬのなら、無謀ではないのだろう。今は信じてやれ。そして、然るべき時に備えるべきだ』

「…………」

『依代について言うのではなかったと? ……まぁ、口が裂けてもお主からは言えぬか』


 翡翠の指摘は当たっている。そして、それを口にするのは、都季を救おうとする行動に反すると分かっているからこそ、何も言えなかった。

 歯噛みする龍司に、翡翠は軽く息を吐いてから言葉を続ける。その目は子を見る親のように慈愛に満ちていた。


『やれやれ。麗のことになると周りが見えぬのう』

「からかう余裕があるなら、魁達を呼び戻してください……」

『相分かった。お主は調律部に行くついでに浄化をしてもらうとよいな』

「……そうします」


 時間が進むごとに頭痛は増している。途中で倒れなければいいが、最悪、局内であれば誰かが見つけてくれるだろう。

 今日、局にいた十二生肖は誰がいたかと思考を巡らせ、先ほど見た紫苑が浮かんだところで意地でも調律部までは倒れないと心に決めた。




 一方、龍司を禁書庫の外に弾き出した後、麗は疲労を出し切るように溜め息を吐き、呪詛の一部に向き直った。


「準備はいい?」


 封妖石で出来た箱を開けば、中の呪詛はどうなるか。霧散して消えるか、襲いかかってくるか。

 真白はすぐに動けるよう、石を掴んだ側の腕に待機する。

 龍司が察したとおり、依代となるのは真白自身だ。呪詛の一部を真白に取り込ませ、一時的に呪詛にかかった状態にする。それが出来れば、真白を都季に潜り込ませ、都季にある核本体を真白に移せる見込みも立つ。ただし、手元にあるのはあくまでも呪詛の力の一部で核そのものではないため、うまくいくかは定かではない。

 すべては今から行うことに懸かっている。

 麗はゆっくりと深呼吸を繰り返した後、手にした封妖石の一つを自らの霊力で割った。

 同時に、ガラスが割れる音が室内に響き、中に封じられていた呪詛の一部が麗に襲いかかる。


「真白!」


 黒い影に真白が横から食らいつき、そのまま飲み込む。

 直後、麗の全身に刺すような痛みが走った。


「っ!!」


 呪詛を取り込んだ真白から伝わる激痛に、麗は悲鳴を上げることもできず、その場に膝から崩れ落ちた。

 喉の奥から熱いものがこみ上げ、息苦しさに咳込めば、ごぽりと真っ赤な血が溢れた。


(あの子、これの核によく耐えてるわね……!)


 咳と共に吐き出される血を拭いながら、これで呪詛の一部とは、核を持つ都季の体がよく保たれているなと感心してしまった。真白の白い鱗も、一部が黒く変色しているほどだ。一般人と変わらぬ体の構造であるはずの都季だが、これも彼の霊力の強さが影響しているのか。

 暫くじっと耐えていると、徐々に痛みは収まってきた。

 吐血のせいで服が汚れ、大惨事にも見えるが服を変える暇はない。

 真白を見れば、黒く変色したままだが辛うじて動けている。首をもたげた真白に手を伸ばすと、普段よりかなり重い動きで腕に上ってきた。

 その真白の額にそっと触れれば、中にある呪詛に小さな核が出来ているのが視える。


「……なるほど。核は、力の一部からでもできるってわけね」


 種ではないものの、それに近しい物から新たな芽を芽吹かせるとは、まさしく植物だ。

 これで第一段階は完了した。あとは、都季から本体が移ってくれればいいが、新しい核が出来ている依代に移るのか懸念が残る。


(ううん。気を揉んだってしょうがない。やるしかないんだから……)


 真白に根付いたものも都季と同じ呪詛だ。もたもたしていれば、同じように発芽して取り返しのつかない事態になってしまう。そうなったとき、麗は自分の身がどうなるかは覚悟している。

 「よし」と小さく気合いを入れ直し、麗はゆっくりと立ち上がる。吐血による貧血で目眩がしたが、テーブルに手をついて収まるのを待ってから禁書庫を出た。

 ちょうど、禁書庫の出入り口で麗を待っていた花音と出くわしたが、彼女は麗の状態に小さく息を飲んだ。


「ちょっ!? それ、何が……!」

「ここにいるっていうことは、龍司が連絡したのね?」

「そう、だけど……麗ちゃん、先に手当てを――」

「ごめんなさい。私にも時間がないの。今、あの子がいる場所を教えて?」


 どれくらいの猶予が残されているか、麗にも分からない。ならば、早々に行動に移すまでだ。

 都季の呪詛は芽吹くまで時間はあったものの、彼の場合は抑制があっての話だ。さらに、真白も麗も呪詛に馴染んだ体であるが故に、取り込んだ際に浸透するのも速い。

 真剣な眼差しの麗に、花音は彼女の具合を案じつつ都季のいる場所を告げた。


「ぐ、グラウンド……」

「分かった。……あ。それと、花音ちゃん」


 花音の脇を通り抜けた麗だが、すぐにあることを思い出して足を止める。

 麗の顔色は悪い。本来であれば、先に治療を受けさせたい程に。

 何か手伝えることがあるのかと麗を見れば、彼女は手短に用件を伝えた。


「可能な限り隔離してちょうだい。あたしが合図したら、解いてほしいの」

「……うん」

「あと――」


 物言いたげな花音を見れば、自身が呪詛を取り込んでいると気づいているのだと分かった。

 ならば、頼んでおくことは残りひとつ。


「もし、『最悪の事態』になったら、迷わず切り捨てていいから」


 心優しい彼女に言うのは酷な事だ。しかし、誰かに告げておかなければ、動いた人に余計な負担を掛けてしまう。

 「切り捨てる」という意味を理解した花音の表情が歪む。

 どうして、と涙声で呟いた花音には返さず、麗は書庫を後にした。

 じわりじわりと、呪詛が根を延ばすのを感じながら。




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