第18話 積み重ね
「さすが龍司。浄化はきっちりできてるな」
「ええ。お陰様で、このとおり問題なく動かせますよ」
「木にも影響はなさそうで安心した」
神降りの木がある地下室にて、紫苑は呪詛に触れたことで穢れを受けた夜陰の容態を見ていた。
龍司が浄化を施したことで、爛れていたという手はうっすらと赤みを残しているだけで穢れは残っていない。皮膚の赤みも数日すれば引いて元通りになるだろう。
そして、もうひとつ。心配していた神降りの木も、特に大きな影響は出ておらず、細い枝についた葉も枯れていなかった。
「…………」
「どうかしたか?」
念のため、と霊力を木に送っていた紫苑は、どこか晴れない表情の花音に気づいて声をかけた。
彼女は一度紫苑を見た後、すぐに視線を落としてから呟くように言う。
「麗ちゃん、大丈夫かなって……」
「ええ? 今になって? 龍司もついてるし、大丈夫だろ」
「だからこそだよ。私も大丈夫かなって思ってたけど、今の状況って、解呪に対して必要以上に慎重になった切っ掛けとよく似ているなって気づいたら、なんだか気になっちゃって……」
「ああ、あの時のか」
まだ麗が巳の役に選ばれる前のことは、紫苑も軽く耳にしている。龍司がケガをしたということも。
だが、その件があっても麗は「巳」の役に選ばれている。着任してからの仕事もきちんとこなしていたように見えたが、何か問題になることでもあったのか。
それが顔に出ていたのか、花音は「勿論、慎重なのは悪いわけではないんだけど……」と苦笑を浮かべた。
「麗ちゃんって、解呪の仕事のときは、どんなものでも入念に調べるの」
「けど、下調べは必要だろ?」
「うん。それも必要なんだけど、全部が全部そうだと、迅速に対処しなきゃいけないときに詰まっちゃうでしょう?」
「あー……まさに、今がその時ってことか」
「そう。幸か不幸か、今までの呪詛にこれほどまでの大きな力のものはなかったからね」
正解が不明瞭なまま突き進むのは、相応の覚悟と勇気が必要だ。それを、果たして彼女は持ち合わせているのか。
都季の呪詛は辛うじて抑えが効いているものの、いつ暴走するか分からない状態だ。
ここへ来る前に様子を窺ったが、現調律師の中でも一、二位の二人がかりで漸くといったところだった。才知はまだ余裕そうな笑みで「今のところは大丈夫だから、任せといて」と言っていたが、その後すぐに花音達を追い出した辺り、やはり繕っているだけだと分かる。
「経験を積めば動きも変わるんだろうけど、最近は呪詛の事案も少ないから難しいし……」
幻妖と人との関わりが減ってきたからこそ、幻妖が人に対して呪詛をかけるということは昔に比べて少ない。それでも、人が知らず知らず幻妖の領地などを犯し、怒りを買って受けるということはある。また、人が人を呪うということも。その場合は局が動くことは少ないが、ゼロではない。
呪詛の案件には麗が動いていたものの、彼女はどんなものが相手であろうとすぐに解呪に着手することはなかった。一度、解呪したパターンのものでも、必ず手順を確認してから行っていた。「慎重」と言えば聞こえはいいが、「手際が悪い」と言う陰口もある。
禁書庫を離れる前の麗に不安げな様子はほぼなかったものの、それは彼女の強がりではないだろうか。
そう思いはじめると、悪い方向へと勝手に思考が動いてしまう。
これは自分の悪い癖か、と花音が溜め息を吐くと、話を聞いていた朝陽がきょとんとした顔で言ってのける。
「あれ? そのために出てたんでしょ?」
「え?」
麗が町を長期間離れていたのは、表の仕事の関係だ。才知は何件か仕事を彼女に流したようだが、あくまでも「外にいるから」という理由だったはず。
一体、何が起こっていたのかと困惑している様子の花音に、朝陽は麗が町を出る前のことを思い返しながら言う。
「勿論、表の仕事のこともあったけど、ほら、この町の外はここよりさらに幻妖は減るけど、事案がないわけじゃない。この町だけじゃなくって、もっと広い範囲のこともこなせば、経験を積むのはさらに早くできるんじゃないかって」
町内で数が少ないなら、範囲を広げればいい。タイミング良く、町の外に出る切っ掛けもあった。
局の襲撃の際に駆けつけられなかったのは痛手だったが、それでも町に留まっているよりは、解呪の経験を重ねることが出来たと朝陽は聞いている。
そんなことを考えて外に出ていたとは知らず、愕然としていた花音は、ふと、驚いた様子のない紫苑に気づいた。
「もしかして、紫苑君は聞いてたの?」
「いや、俺は龍司が楽しそうに言ってたのを聞いただけ。本人からじゃない」
「龍司君が?」
紫苑は龍司とよく鍛錬を行っている。それこそ、継承前から。継承をしてから龍司の性格はがらりと変わっているが、鍛錬のときはその片鱗が垣間見えるという。
麗から聞いていないのは、やはり彼女の強がりな性格故のことだろうが、龍司からというのも少し予想外だ。
「麗が暫く外に出るって周知は俺達にもあっただろ? で、気になった龍司が色々訊いたら、『しつこい!』って怒りながら、自分の経験を積むためだって言ってくれたらしい」
(想像がつく……)
龍司は気になったものはとことん追究するタイプだ。それも、自身の気の済むまで。最近では空気を読んである程度のところで自制しているが、当時はまだ自制が出来ていなかった頃だったのだろう。
思わず溜め息が漏れた花音に、紫苑も苦笑を浮かべた。
「龍司って本音が分かりにくいときはあるけど、あれでも麗のことは結構気に入ってるから、成長が見えると自分のことみたいに喜んでるんだ」
「へ……」
「ほら、元々、龍司って術系統に対しての探究心はすごいだろ? 特に、継承前から巳の一族には興味津々でさ。『解呪について、私も知ることができればいいのですが……』って残念そうに言うことが何回あったか」
龍司の言い方を真似る紫苑は、その言葉を相当聞いているのだろう。少しうんざりした様子だ。
しかし、当時を振り返っているせいか、すぐにどこか遠い目をして言う。
「でも、『お前の霊力は解呪に向いてないんだろ。知ってどうすんだよ』って言った後の鍛錬は死ぬかと思った。あれを八つ当たりって言うんだろうな」
「地雷踏み抜いたんだね」
適当に流せばいいものを、彼は正直に言ったのだと想像は容易い。
深い溜め息を吐いて気を取り直した紫苑は、後ろ頭を掻きながら、麗を見ていて彼なりに思ったことを口にする。
「麗は十二生肖としてのプライドはかなり高い方だと思う。選定前に龍司を巻き込んであんなことあったけど、だからこそ、役に就いてからは何とか乗り越えよう、失敗せずにこなそうって必死だったんだろ。それで、外に出て行くまで追いつめられたんじゃないか?」
「失敗せずにって……」
失敗は誰にでもあることだ。むしろ、失敗を重ねて成長する人もいる。しないことのほうが難しいのだ。
紫苑は、彼にしては珍しく神妙な面持ちで話を続ける。
「解呪の失敗は取り返しのつかないことにもなりかねないし、そもそも、俺達十二生肖は『出来て当然』だから」
「……!」
失念していたことに気づかされ、ハッとした。
失敗をすることは誰にでもある。ただ、十二生肖以外の者達からすれば、十二生肖はどういう目で見られているか。
今、その点についての改善は行われようとしているが、まだまだ始まった段階だ。
「龍司も、そこは心配してた。これでいいのか、これで合ってるのかって不安な状態で成功しても、誰もそれが『正解』だとは言ってくれない。まぁ、俺らからすれば、解呪方法なんて分からないから正解だとも言えないんだけど」
先代に教えを乞えば、ある程度の答えは見えてくる。ただ、巳の先代は長年に渡って呪詛に触れていたせいで身体が蝕まれており、継承した翌年に亡くなった。
継承により解呪の知識も受け継いでいるはずだが、目の前の呪詛と知識を紐付けていくのは常に実戦の中でだ。
「もしかすると、もっと良い答えがあったんじゃないかって……麗が毎回、慎重に調べるのはそれもあるのかもしれない」
「そうだったんだ……」
解呪の仕事が入ったとき、麗は決まって禁書庫に籠もっていた。期間はその時によって違うが、動き出すまでに数日を要することもあった。
それは彼女が不安を抱えていたからかと納得した花音だが、朝陽はさらに別の事実を告げる。
「あと、巳の一族って、幼い頃に色んな呪詛を教え込まれるでしょ? それも、自分の体を使って。それをね、麗は最近までやってたよ」
「最近まで!?」
「確か、あれって耐性をつけるためだよな? 大人になってからでもつくもんなのか?」
「いえ。ある程度の成長をした後に呪詛を取り込むようなことは、並大抵の術者でもしませんし、我々も見たことがありません。耐性がつきやすいのは、あくまでも幼い頃ですから」
麗は今年で二十一歳になった。呪詛を体に馴染ませるのは、大抵は小学校に上がるくらいまで。それ以降は日常生活に支障を来すため、殆ど行われない。やったとしても、せいぜい十二歳くらいまでだ。
それを今なお行っていたとすると、麗の身体に異常は出ていないのか。
別の不安が生まれたものの、朝陽はそれを払拭しようと言う。
「大丈夫だから、麗は今もいるんだよ? まぁ、禁書庫からなかなか出てこなかったのは、多分、中で呪詛を抑え込むのに必死だったんだろうけど」
「努力家なのは知ってたけど、そんな思い詰めるほどだったなんて……」
「あいつ、自分のこと過小評価してる節はあるけど……ん? もしかして、龍司は麗がやってたことに気づいてたのか? だから、取り返しのつかないことになる前に、自分がストッパーにならないとって思って、あれこれ構ってたのか……」
麗の大胆な一面にまたもや驚いていたが、紫苑はこれまでの龍司の言動を振り返って、何故、彼が麗に対してやたらと構いたがっているのかの合点がいった。
ただ、その大きな独り言は、花音に新たな混乱を招いたが。
「龍司君のその行動って……」
「どうかしたか?」
難しい顔で考え込む花音に対し、紫苑は目を瞬かせている。
しかし、今の花音には彼に構う余裕はない。
何せ、かつて麗は龍司に好意を寄せていた時期があり、思い切って告白をしたものの、「駄目だった」と言っていた。だが、紫苑から聞いた龍司の言動をひとつひとつまとめていくと、どうしても告白が失敗したのが腑に落ちない。
同じ十二生肖の者として仲間が傷つくのは見たくはないが、かといって、龍司がそこまで他の者に構っているかと振り返れば一定の距離はある。仲が悪いというわけでもないが。
そこまで考えたところで、花音は三人の視線が集中していることに漸く気づいた。
「だ、大丈夫? ボク、余計なこと言っちゃった……?」
「朝陽の言うことは、あまり気に病まずとも大丈夫ですよ。良くも悪くも素直なだけなので」
「もしかして、夜陰に何かしちゃった?」
朝陽は、さらりと貶されたような気もして、これまでに夜陰に何かしてしまったかと自身の言動を振り返った。
いらぬ心配をかけていると分かった花音だが、果たして自分が考えていたことはこの場で言ってもいいものか。何せ、今まで麗の行動に関する話だったのだ。同じ麗のこととはいえ、内容ががらりと変わってしまう上、彼女の過去にあった話を勝手にするのも気が引ける。
かといって、誤魔化せる空気でもない。
「ええっと……その、話はまったく変わるんだけど……恋についてって、今、言ってもいいのかな……?」
「『鯉』? 魚の?」
「お決まりの……」
恋愛ではなく、魚の鯉と勘違いするのはさすがと言うべきか。
夜陰と朝陽は半ば呆れつつ、紫苑の勘違いを訂正した。
「紫苑が茜に想ってるようなことだよ」
「……あ、ああ! いや、分かってるって! ……え。恋の話? 今?」
「んー……やっぱり、一度女子メンバーで話し合うね」
やはり、紫苑は龍司と麗の間にあったことを知らないようだ。
龍司から語られるとも思いにくいが、それならば話の通じる人達と話し合ったほうが墓穴も掘らずに済む。
だが、曖昧に話を終わらせられた紫苑は食い下がった。
「えっ。何それ。ここで止められるの、すげぇ気になるんだけど」
「また今度ね」
「ええー!」
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