第14話 この世ならざる物
「……ん?」
「一葉隊長?」
警邏部の片隅にある作戦会議時などに使う大きなテーブル。
その上に地図を広げて見ていた葵は、肌を刺すような空気を感じ取って顔を上げた。自らの能力である予言は突然降ってくることもあるが、今の感覚はそれとは異なるものだ。どちらかと言えば、本能が危険を察知したようなものか。
傍らで現在の捜索済み範囲にチェックをつけていた蒼夜は、小さく声を漏らした葵に気づいて首を傾げる。
「何か来る」
「……嫌な予感がする」
「予言か?」
「いえ、経験則です」
お前もできたのか、と言わんばかりに目を見張った葵だが、彼と仕事をしていれば自然と身につくものだ。
葵はやや残念そうに「そうか」と項垂れたものの、すぐに出入り口から入ってきた者に気づいて顔を上げる。
「こーんにーちはー!」
「失礼します」
「えっ。朝陽と夜陰……!?」
「お届け物だよ!」
声を弾ませた朝陽が差し出したのは、八つの封妖石で作られた小箱。そして、その中に閉じ込められているのは、黒い縄のような物だった。
不穏な気配を纏うそれの正体の目星はつくものの、認めたくない気持ちから訊ねる。
「……一応、お訊ねします。これは?」
「呪詛だよ」
(泥団子とかを差し出してくる子供の言い方……)
笑顔で答える朝陽は、まさに天真爛漫な子供のようだ。
葵の後ろで聞いていた蒼夜は、頭痛を覚えて額をそっと押さえた。しかし、朝陽の隣にいる夜陰の首や手に残る痕を見て眉を曇らせる。
当の夜陰本人は、何食わぬ顔で話を進めたが。
「いい加減、破綻組に遅れを取るのも、我々としては見過ごせません。ならば、これを利用し、こちらから打って出ようと思いまして」
「利用って、まさか……」
先ほどの嫌な予感の正体はこれか。
言葉を濁した蒼夜に、夜陰は表情ひとつ変えずに頷いた。
「はい。これには、ラグナロクの長の力も混じっているはず。力を求める破綻組なら、自身の進行を抑える力の一部が別の場所から感じられれば、そちらに引き寄せられるのではないか、と」
「確かに、ルーインの力の一部であるなら、これに釣られて寄ってくる者も多いでしょう」
「げっ」
「有効活用させていただきます。我々も、いつまでも十二生肖に甘えているわけにはいきませんから」
葵も表情の変化がやや少ない人だが、どこか期待の色を含んだ声色に、蒼夜は小さく声を上げた。
そんな副隊長の心情に気づいていないのか、それとも触れずに流しているのか、葵は何の躊躇いもなく箱を受け取る。黒い縄――ここへ来るまでに暴れて霊力を消費した呪詛の欠片が、ぴくりと動いた気がした。
「うんうん。その意気その意気」
「あの、そのもう一つはどうするんですか?」
葵が受け取ったのは、朝陽が差し出してきた箱一つのみ。夜陰はまた別の箱を持っており、そちらにも同じく呪詛の欠片が入っている。
てっきり、部隊を分けて対処に当たれと言われると思っていた蒼夜は、渡される気配のない箱に首を傾げた。
「これ? これはねぇ、麗に渡す分!」
「我々は性質上、呪詛に関わることが出来ません。ですが、巳である麗殿であれば、手がかりは掴めるはずです」
都季の中に巣食っている呪詛。姿がうまく視えず、麗は随分と苦心している様子だった。
ならば、呪詛を視られる環境はできないか? そう考えた結果、出てきたのは呪詛を切り取ってしまえばいい、だ。
「それじゃ、僕達は急ぐから、あとはよろしく!」
箱の中の呪詛は、その一部に残った霊力でしか動いていない。
二人が颯爽と去って行った後、葵は部屋にいる警邏隊員達を集めた。何組かは捜索のために外に出ているが、そちらについては状況に応じて呼び戻せばいい。
呪詛の欠片に集まってくる破綻組はどれほどか。想像した蒼夜は、疲労の混じる溜め息を吐いた。
禁書庫の扉がノックされる。隔離はまだされておらず、麗の結界のみの禁書庫は普段よりも音が伝わりやすい。
ノックをした主が誰か、霊力で判断した麗は片付けの手を止めて出入り口へと歩み寄った。
ドアを開ければ、状況に反して明るい声が耳に入った。
「片付けご苦労様ー。って、あれ? あんまり片づいてなかったや」
「失礼な。これでも棚一つ分は終わったのよ」
やって来たのは分神達だ。
麗の横から室内を見た朝陽は、未だ床の大半を覆う本の山に目を瞬かせた。
元々、禁書庫には膨大な数の本があった。それをたった二人で片づけるなど、今日の残りの時間では無理な話だ。
溜め息混じりに朝陽に返した麗は、ふいに感じた嫌な気配に、視線を朝陽の隣へと向ける。夜陰が黙ったまま立っており、封妖石で作られた箱を持っていた。その首と手には禍々しいばかりの赤黒い痕が目立っている。
「ちょっと。それ何よ」
「え?」
「『え?』じゃないわよ。その首! あと、その箱の中の物騒な物!」
いっそ、指摘する麗のほうがおかしいと言わんばかりの反応だ。しかし、どう見ても平然としている場合ではない。
夜陰は葵達にも話したこと――呪詛を切り取り、囮にするのだと説明するも、麗の表情は険しいままだった。
「大丈夫なの? 箱に入れたままだと霊力は漏れないけど、出したら出したで何が起こるか分からないのよ?」
「んー、大丈夫じゃない? 相応の対策は取ってから出すだろうし」
「軽いわね……」
適当な物言いに一抹の不安を覚えた。かといって、今の状況で麗と龍司が葵達を手伝いに出るのは難しい。
室内で片付けを進めていた龍司は、小さく息を吐くと、あとで他の十二生肖に連絡を入れておこうと決めた。そして、夜陰の持つ箱を見て首を傾げる。
「その一つはどうするのですか? 囮に使うなら、警邏にあるほうがいいでしょう?」
「呪詛の姿が分からないかと思いまして。視認できたほうが、解析はしやすいですよね?」
「確かに、形は分かるけど……でも、解呪にしろ、返し方にしろ、調べるのはこれからね。見たことがないもの」
呪詛の形は、同じ種類のものでも変形することは多々ある。麗が呪詛を見分けられるのは、呪詛の内側にある霊力の形が視えるからだ。
しかし、今、軽く視た限りでは初めて視る形のものだった。
手っ取り早いのは麗がこの呪詛を身に受けるかだが、正体不明だからこそ下手に手を出せない。自身の死が怖いことも多少はあるが、何より、周りにどのような影響を及ぼすか分からないのだ。
すると、夜陰は箱を朝陽に渡すと、自身の手を麗に向けて言う。赤黒く変色した両手は、呪詛を掴んだ才知の怪我と似ているが彼よりも状態が酷い。
「ならば、これで試すことは出来ませんか? 別件のため、そのままにしていましたが……」
何を試すかなど、呪詛に触れた肌を晒け出した時点で察した。ただ、別件が何かは分からないが。
ここまでこの状態で来ていることに顔を歪めた麗だが、その申し出はあっさりと一蹴した。
「試すほどのレベルじゃないわ。それは表面についているだけで、浄化すれば取れるものよ。蒼姫達は何もしなかったの?」
「させる前に来ました」
今、都季は霊力を整えるために調律部にある治療室にいるが、調律しているであろう才知や蒼姫は何をしているのか。そもそも、二人がこの状態を放置するだろうかと不思議に思いつつ訊ねれば、さらりと返されてしまった。
いくら呪詛本体より危険度が落ちるとは言え、長期間の放置は体に悪影響を及ぼすこともある。分神である二人もその程度は知っているはずだ。
解呪方法が分からないばかりに、危険を冒すようなことをさせてしまった。
麗は、自身の力不足を感じ、そっと手を握り締めた。
「骨折り損?」
「いや、先にも言ったように、元々は別件のためだ。意味はある。それはここに来るまでに果たしている」
「ん?」
こてんと小首を傾げる朝陽に、夜陰は襟元を正しながら返した。襟が肌に擦れたことで、焼けつくような痛みがじわりと広がる。
別件については夜陰一人の考えて行ったことだ。朝陽が不思議に思うのも仕方がない。
歯痒さから手を握っていた麗だったが、今は他にやるべきことがある、と深い溜め息を吐いてから気持ちを切り替える。
「それは龍司が浄化しておいて。あたしは『これ』を使って何か掴めないか視るわ」
「分かりました」
「一応、念を押すけれど、浄化は外でお願いね」
夜陰についているのは呪詛の残滓だが、箱に入っているのは呪詛の欠片だ。解呪、もしくは返し方を調べるのなら、欠片のほうが分かる可能性は高い。
浄化は麗でなくとも、相応に霊力のある者ならばできる。そちらを龍司に任せ、麗は朝陽から箱を受け取った。
龍司を外に出るよう言ったのは、室内で浄化の術を使われ、散らばった本が何らかの反応を示されても困るからだ。
分神達を連れて外に出た龍司は、手早く夜陰の首と両手を浄化する。
青い光と共に涼やかな霊力が首と両手を包めば、赤黒かった肌は瞬く間に元の色へと戻っていく。同時に痛みも引いていき、光が消えた頃には元通りになっていた。
両手を開閉して異常がないことを確認する夜陰に、龍司は彼の行動の理由について訊ねる。
「夜陰。何故、こんな危険なことを……?」
いくら分神とは言え、直接呪詛に触れるなど、下手をすれば月神にまで影響が及ぶ可能性もあった。
麗も返し方について調べているところだが、何が彼を突き動かしたのか。
夜陰からの答えは想像を遙かに超えるものだった。
「この世ならざる物の可能性があるからです」
「え?」
麗も見たことがない呪詛だとは言っていた。しかし、呪詛を仕掛けたのは、もうこの世にはいないが、元一般人の破綻者だ。ルーインから呪詛の種を授かっていたとしても、そのルーインも幻妖ではなく人間のはず。
この世の物ではない呪詛を手に入れるルートなど存在するのか。
眉を顰めて思案する龍司を見て、夜陰は補足した。
「私にも確証はありません。ですが、あちらにも呪詛という物はありますから、向こうの物なら『探せる者』に視せるのが早いと思ったのです。そのためには、一部でも結界から出す必要がありました」
だからこそ、夜陰は浄化をさせずにここまでやって来たのだ。
危険を冒してまで、この呪詛を視せたい相手とは誰なのか。
その答えは、するりと禁書庫に滑り込んだ気配が告げた。
「こちらから招くのは今回だけだぞ。……狐」
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