第11話 灰色の噂
都季を担いで地下へと向かっていた才知は、こちらへと駆けてくる複数の足音に気づいて足を止めた。角の向こうのため、音の主はまだ見えない。
禁書庫を出た際、対処に当たるために来ていた蒼姫達には、先に治療室に向かうついでに人払いと、通路に結界を張ってもらうよう伝えている。万が一、麗がかけた封印が解けたときに被害を最小限に抑えるためだ。
そのため、才知はできるだけ都季に刺激を与えないように運んでいたのだが、一体何処の誰か。大半の警邏隊員や調律師は、ルーインの捜索に向かわせているはずだ。
気配を探って相手が判明したのと、角の向こうから足音の主が姿を現したのはほぼ同時だった。
「っとお!?」
「お前、ここで何してんだ? 龍司から連絡行かなかったのか?」
真っ先に姿を現したのは魁だった。その後ろからは悠と琴音も顔を出した。
ただ、先ほど、龍司が警邏に指示を出していたのは才知も聞いている。警邏部の……それも、率いている十二生肖がここにいてもいいのか。
怪訝に眉を顰める才知に、魁はばつが悪そうに視線を泳がせて言う。
「きた、けど……でも、都季の様子が心配で」
「あのなぁ……。俺だってそう簡単に見殺しにはしないから」
まして、都季は破綻したわけでもない。厄介な呪詛が発動しただけで。
才知も普段はいい加減に思われがちだが、相応の実力はあるのだ。現に、今も麗がかけた封印が解けないよう、上から自身の霊力で覆って強化している。
呆れ混じりに言えば、見かねた悠が間に入った。
「すいません。勝手なこととは思ったんですけど、隔離が破壊されるほどだったので、どうしても気になったんです」
「野次馬かよ。壊れたのは、麗ちゃんも急拵えで結界張ったし、蒼姫達が外からも結界張ったから心配ない。中は麗ちゃんだけじゃなくて龍司もいるし」
「えっ。辰兄、入って大丈夫なんですか? ずるい」
「本音」
禁書庫に入れるのは、麗と才知だけだ。一時的とは言え、入れるならば悠も入りたい。
素直に漏れた本音に突っ込みつつ、才知は軽く息を吐いてから言葉を続ける。
「入ってるのも俺の守獣の加護がある前提だし、今日一日だけだぞ」
「僕も入りたいなあ」
「だーめーだ」
可愛らしくおねだりをして見せたが、才知に効くはずもない。これが女性だったなら、一瞬は迷うだろうが。
担がれた都季を見た魁は、不安を湛えた目で訊ねる。
「都季の呪詛、解けそうなのか?」
「そこは、麗ちゃんと龍司に任せてる。進捗は知らねぇけど」
似た呪詛を見たことがあると言っていたため、もしかすると何かヒントは掴んでいるかもしれない。
唯一の懸念は、麗でも手に負えないと弱音を吐いていたことか。これについては魁達には言わないほうがいいだろう。
「更科君の呪詛って、どういうものなんですか?」
「宿主の霊力を食って呪詛に変えるやつかな。詳細はまだ分からん」
「布の下が呪詛ですか?」
「あ、触んなよ? こんななるぞ」
才知の隣に回り込んだ悠はまだ手すら伸ばしていないが、念のため、先に忠告をしておいた。破いたハンカチを巻いただけの右手を見せて。
呪詛を掴んだ才知の右手は、焼け爛れたようになっていた。ハンカチで大部分を隠してはいるものの、端からは赤くなった皮膚の一部が覗いている。
先に都季を運ぶために治療を後回しにしているが、ハンカチの下では今でもじくじくとした痛みが続いているのだ。
通常のケガであれば、治療すれば跡形もなく消すことは可能だが、呪詛によるケガとなると完治までに時間を要したり、痕が残ることがあるのだ。
「仕事に支障が出そうなことはやめときまーす」
「おう。そうしとけ俳優」
悠は今でも表向きでは芸能界の仕事をしている。才知の負ったケガをすれば、それなりに騒がれて面倒だ。
しかし、彼はそれでも都季のそばから離れることはせず、布を見つめたまま言う。
「それで、ラグナロクのリーダーを探しているのは、何か関連があるからなんですよね?」
「ああ。ほら、コイツが月神を取り込むことになった切っ掛けの破綻者がいただろ?」
「いたな」
すっかり忘れかけていたが、局から月神を持ち出した破綻者の青年だ。
消滅した際に、彼と関わった者達からは彼に関する記憶は消え、彼が使った物なども全て消えている。覚えているのは局の一部の者だけだ。
才知は三人の様子をこっそりと窺いながら、呪詛が何処に仕掛けられていたかを告げる。
「アイツがつけた傷に、呪詛の種が埋められていたんだ」
「……!」
「でも、消滅してもなお呪詛が残っているのは、破綻の進行を止めていたリーダーの影響があるんじゃないかと睨んでる」
「なるほど。霊力が混じっているのだとすれば、確かに種は残りますね」
魁は愕然として言葉を失った。琴音と悠も眉間に皺を寄せている。
近くにいたというのに気づけなかった己を責めているのか、魁はそのまま俯いてしまった。
「問題は、麗ちゃんでも発芽するまで視えなかったって話だ。そんなのは今までに一度もなかったんだと」
「そんな……。じゃあ、更科君の呪詛は……」
解呪できるのか。言葉にはならなかったが、不安を覚えてしまった。勿論、麗の実力を疑うわけでもないが。
そんな琴音を見た才知は、余計なことを言ったかと少し後悔しつつ、龍司が出した指示の理由に繋げる。
「解呪は掛けた本人に聞くのが手っ取り早い。解呪を知っているかはともかく、どういう呪詛かが分かれば、解呪方法も探しやすいからな。だから、探せって言ったんだよ」
麗でも知らない呪詛を、継承してすぐに破綻したような者が知るはずがない。ならば、彼の時を止めていたルーインが知っているはずだ。
そこまでを聞いて、悠は自身の行動を反省した。
「うーん。なんか、僕がアイツを消しちゃったのマズかったですね」
「いや、そもそもやってたことがマズかっただろ」
「てへっ」
「ぶっ飛ばすぞ」
悠が反省したのは、あくまでも破綻者を消したことだ。
その他の部分を反省した様子がない悠に指摘を入れれば、可愛い子ぶった反応が返ってきた。
ただでさえ、都季の呪詛のことで気が立っているのだ。言動次第では彼に当たりかねない。
今にも暴れ出しそうな魁と、彼を茶化しつつも何処か冷静な目をした悠を止めたのは才知だ。
「はいはい。茶番はその辺にしてくれ。俺もいつまでも野郎を担ぐのは複雑なんだ」
「蒼姫さんなら?」
「それならこんな担ぎ方じゃないけど、いくらでもやってやる」
呪詛が封印を食い破る心配ではなく、男を抱えていることへの不満を漏らした才知に、悠がぽつりと訊ねる。
そんな状況が起こる可能性は限りなく低いが、反射的に想像した才知はさらりと答えた。ただ、担いだ後を考えると、色々と恐ろしいことが起こるとも気づいて補足する。
「でも、出来ればまだ生きてはいたいな!」
「……可哀想」
「えっ」
「いいぞ、琴音。もっとやれ」
素直に才知の扱われ方を哀れんだ琴音だが、まさか同情されるとは思わなかった。出来れば、笑って流して欲しかったところだ。
このままでは煽る魁に悠も便乗しかねないため、才知は本来の目的のこともあって声を上げて止める。
「あー、もう! ほら、さっさとどいてくれ! お前らの大事なもんが手遅れになる前に!」
「都季を抑えるのは才知さんだけで大丈夫か?」
実のところ、都季の霊力は十二生肖よりもずっと高い。いくら才知の実力もあるとはいえ、果たして抑制できるのか。
その心配は、才知本人によって解消された。
「そこは、むしろ俺がメインで抑えるっていうより、『適任者』がいるだろ」
「……あ」
三人の脳裏にある女性の姿が浮かんだ。今はここにいないが、確かに、彼女であれば……正確には、彼女の守獣であれば抑えることは不可能ではない。
「思い出したか? うちの、恐ろしいほどの『霊力食い』達。アイツらに食わせつつ、俺が一緒に調整してやれば、辛うじて抑えれるんじゃないか?」
オリジン種ということもあって、まだまだ未知数の幻獣。しかし、自らの成長のため、霊力を食す一面がある。
不安が和らいだのを見て、才知は三人を追い払うように手を振った。
「ほら、こっちは俺達に任せて、お前らはルーインの捜索に向かってくれ」
「……分かった」
「何かあったら連絡してください」
「おう」
三人が慌ただしく去った後、才知は都季を抱え直しながら呟いた。
「ありゃあ、どっちの反応だろうな」
呪詛の話をしたときの、三人の内の一人の反応。
『ある噂』が才知の耳にも入ったことで、それとなく様子を見たものの、噂を否定する判断材料にはならなかった。
深い溜め息を吐いてから、「ま、アイツも探ってる様子だし、とりあえず任せとくか」と今は諦めることにした。
「……なぁ、二人とも」
「何ですか?」
「……魁?」
局の出入り口から出た所で、魁は二人を呼び止めた。
悠は首を傾げたが、琴音は魁の心を読んだのか怪訝な顔になった。
「手分けして探すのでもいいか?」
「けど、ルーインの捜索を行う際は、僕ら十二生肖でも二人以上は一緒にいるように、以前の会議でも言われましたよね?」
相手の能力にまだ不明なところが多く、十二生肖でも最低二人で行動するように決まったのだ。行動する時の相手は決められていないため、もし、手分けをするのであれば、局の者から一人連れてこなければならない。
ただ、既に捜索に出ている今、誰か残っているだろうか。
「単独行動が危険なのは分かってる。けど、こんな小さい町で、俺達がいくら探しても見つからないような奴なんだ。このままだと、一生見つからないような気がするんだよ」
田舎と言うには人は多いが、都会と言えるほどの規模ではない。さらに、局だけでなく特務の目もある。だというのに、ルーインはおろか、彼がいた痕跡すら掴めていないのだ。
もっと一度に広範囲を探せるよう、固まって動くより、分散させたほうがいいのではないか。
魁の焦りを見た悠は、暫し考えてから了承した。
「……分かりました。じゃあ、僕と琴音先輩で動きます」
「えっ。魁が一人なら、私も一人で動くよ……?」
琴音も神使を出せるまでにはなった。最初の頃は戻し方がよく分からなかったが、今ではそれも解消されているのだ。
すると、悠は琴音を一人にさせない理由は別にあると説明する。
「琴音先輩の実力が不安だからってわけじゃないんです。ただ、先の件もあるでしょう? また接触があっても困りますから」
「……! わ、分かった」
元より、単独行動を禁じられたのは、琴音の一件が大きい。それを出されてしまえば、琴音は何も言い返せない。
話がまとまったところで、魁は早々に自身の行く先を決めて言う。
「じゃあ、俺は西の方を探す」
「僕達は商店街の辺りを見ていきます。何かあったら、すぐに連絡してくださいよ。必ず」
「分かった」
頷いたのと駆け出したのはほぼ同時だ。
魁は西へと走り、角を曲がったところでポケットに入れていた携帯電話の振動に気づく。
足を止めて携帯電話を取り出し、振動の正体を確認する。
「――ちっ。今はそれどころじゃねぇっつーのに……」
届いていたのはメッセージだ。さっと目を通した後、魁は苛立ちを隠さずに舌打ちをすると、携帯電話をポケットに仕舞ってから暮葉を喚び出す。
暮葉は主の異変に首を傾げたが、頭を撫でられると嬉しそうに目を細めて尻尾を振った。
そして、魁は「集中集中」と気を入れ直してまた走り出した。
「まさか、あの人から離れてくれるとは思いませんでした」
「ねぇ、悠。さっきのは……?」
悠は魁の様子を角から窺いつつ、疑惑の色が孕んだ言葉を吐いた。
一方、琴音は先ほど悠に伝えられた言葉の意味が分からずに説明を求める。
「一部の警邏隊員に、嫌な噂が流れているんです。僕はネズミ越しに聞いただけなので、直接耳にしたわけではないんですけどね」
「噂?」
目を瞬かせた琴音は、どうやらまだ知らないようだ。
能力の制限がうまくいっている証でもあるが、今回ばかりは先に知っていて欲しかった。それならば、魁の本心も聴けたかもしれない。
「魁先輩の家の人が、不審な動きをしているって。魁先輩も今みたく単独行動が増えていますし、都季先輩と距離が近いこともあって、それを不安視する人がいるみたいですよ」
「それって……」
魁が局に裏切りを働いているということか。
一夜、悠と続いていれば、他の十二生肖も不審な動きをすれば疑われるだろう。現に、琴音は裏切ったわけではないが、それでも特務に拘束されたのだ。
それが、都季に忠誠を誓っているも同然の魁にも疑いがかけられているのか。
「勿論、そんな噂、僕は信じていませんよ。でも、それを解消しないと、また諍いの原因になるかもしれません。なので、噂の出所を探すついでに、魁先輩の単独行動の理由も探っているんです」
今回、敢えて魁の単独行動を許可したのは、彼の動向を探るためだ。本来であれば、ルーインを探すことを優先しなければならないが、もし、魁が本当にルーインと繋がりがあるのなら一石二鳥。繋がりがないと分かれば、余計な不安が解消されて動きやすい。
琴音は、少し前、魁が都季の様子を見に行くと言い出したときのことを振り返る。
「さっき、魁だけが更科君の様子を見に行くって言ったとき、ついて行ったのもそのせい?」
「まぁ、そうですね。才知さんがいるなら問題ないでしょうけど、あの人が気づかないことをする可能性だってありますし」
(信じている割に、警戒してる……)
魁が背信行為をしていないと思っているのなら、悠達は先に捜索に向かえば良かったのだ。
それをせず、魁の動向を探るのは、果たして疑っていないと言えるのか。
「まったく。こんなのでよく組織として成り立ってますよね」
「……悠が言っちゃだめだと思う」
局を壊そうとした人の発言とは思えず、つい突っ込みを入れてしまった。
琴音は軽く息を吐くと、視線を少し下に向けたまま、魁がもし、局に牙を剥くというのならその理由は何かと考える。
悠の一件で、局の体制は少しずつ変わってきた。才知や一葉が積極的に動いてくれたからでもあるが、巫女の末裔である都季の存在が、先代達にも影響を与えているのだ。主に、抑止という面で。
初めて出来た普通の友達である都季を、彼が傷つけるようなことをするのか。
「魁が、そんなことをするメリットって……」
「それが、一つだけあるんです」
困ったように笑う悠は、そのまま言葉を続ける。
「月神を、都季先輩から引き剥がす」
「!」
「ラグナロクの狙いは月神ですから、最悪、そこを引き離してやると言ってきたら? 魁先輩は、都季先輩が局にいるのを受け入れてはいますが、危険なことに巻き込まなくて済むならそれがいいでしょう。家のこともあって、その辺は誰よりも過敏ですし」
魁は都季が局に入ると決めたときに止めていた。最終的には都季のことは守ると決め、今に至るが。それでも、ずっと心の内に抱えて悩んでいたのだとしたら。
悠はそこまでを言って、「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。
「局に隠れて動く? そんなこと、あの人ができるはずないでしょう」
「……言葉が」
噂の一部を思い出したのだろう。
悠は局員への苛立ちも一緒に吐き捨てたように感じた。
「あ、すみません。言い直すと、あの人はそんな小賢しい真似はしませんし出来ません。脳筋に近いですから、壁は登るより壊す派でしょう? 考えるよりも行動する人です。もし、演技だったなら、事務所に紹介しますよ」
「どうするの?」
魁を褒めているのか貶しているのか分かりにくい言い方だが、ここは指摘せずに流したほうがいいだろう。
琴音はこれからの動きを確認しようと問えば、悠もはっきりとは決めていなかったのか少し迷った様子で答える。
「んー、僕らが言うだけじゃ収まらないでしょうから、シロでもクロでも証拠が欲しいところですね」
そのためにも、今から魁の向かう場所を確認しなければならない。暮葉が出ているのでそれなりの距離を開けて。
魁が角を曲がったのを確認し、悠は気配を探りながら駆け出した。そして、後に続いた琴音に言う。
「これは『グレー』を『クロ』にするためのものじゃありません。『グレー』を『シロ』にするためのものですからね」
そう言った後、悠は足下に目を落とす。そこには、何処から現れたのか、一匹の灰色のネズミがいた。御黒でも茶胡でもない、普通のネズミだ。
「よろしくね」と言えば、ネズミは小さく鳴いて魁が走って行った方角へと駆けていった。
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