第6話 見えない闇
「魁――」
「しっつれいしまーす」
「タイミング悪い!」
都季の言葉を掻き消すように、リズムをつけて入室してきたのは悠だ。その後ろから入って来た琴音は、都季の鋭いツッコミに少しだけ驚いた。
だが、会話を断ち切った当の本人は、けろりとした様子で言ってのける。
「狙いました」
「なお質悪いし!」
「やだなぁ。冗談ですよー」
困ったように笑う悠だが、言い方は冗談に聞こえなかった。
都季は軽い目眩を覚えつつ、いつもの悠だと自身に言い聞かせ、改めて二人に本来の目的をお願いすることにした。
「今はまだ治療中なんだけど、あの人に何があったか調べてもらいたいんだ」
「了解です」
「分かった」
悠は断片的な記憶を視ることができ、琴音は心を聴くことができる。意識のない彼から早急に事情を知るには、二人の能力に頼るのが一番早い。今は治療をしているところなので、調べるにしても終わってからになるが。
ただ、琴音については治療中でも問題なく聴くことはできるため、目を閉ざして隊員に集中する。
そんな彼女の傍らで、悠は自らの左手首に着けたブレスレットを胸の高さに掲げて唱えた。
「――宝月、制限解除。形態、神使」
『はいよ!』
『お待ちぃ!』
やけにテンション高く出てきた二匹を見て、都季は「まさか……」と悠へと視線を移す。
訝る視線を受けた悠は、都季の言いたいことを汲んで返した。
「善は急げって言うでしょう?」
(邪魔にならないといいんだけど……)
実体があるものが近くに寄れば、作業の邪魔になりかねない。
もしかすると、琴音のように離れていても視ることができるのかと期待したのも束の間。
「あの人の記憶を齧ってきて」
『『らじゃ!』』
「あ、そのまま行く感じなんだ」
治療中の隊員を悠が示して言えば、御黒と茶胡はすぐさま治療部屋へと駆けて行く。やはり、記憶を視るには相応の距離に近づく必要があるようだ。
御黒が僅かに開いていた隙間に顔を突っ込み、茶胡に押されながらも体をねじ込ませる。押していた茶胡は、御黒が入ったことでさらに開いた隙間からするりと入った。
だが、中に入り込んだ二匹を見て、治療に当たっていた女性スタッフが顔色を変えて首根っこを摘んだ。
「今は治療中です! 鼠は外!」
『『きゃああああぁぁぁぁ!』』
「「…………」」
「え。なに、雑菌扱い? 神使なのに?」
治療部屋の外に放り出された二匹を見て、さすがの悠も傷ついたようだ。
都季と魁は、追い出したスタッフの気持ちも、悠と神使の気持ちも分かるため、かける言葉が見つからずに視線を泳がせた。
世間的には衛生上、鼠は良いものではないが、御黒と茶胡は鼠である以前に『神使』だ。雑菌とはほぼ無縁の存在といえる。
それが幻妖世界を知らない人ならばまだしも、ここは幻妖世界に密接した局内の医務室。働く人は皆が知っている。当然、追い出したスタッフも。
対応に不満を抱いた悠は、スタッフに一言物申すために治療部屋に向かった。
そんな悠を慌てて止めたのは都季だ。
「ちょ、ちょっと待った! 悠、落ちつこう!」
「落ちついてますよ。この上なく」
治療の邪魔になることを懸念して止めたのだが、悠は想像以上に頭にきていたようだ。声音は落ちついているが、落ちつきすぎた声だからこそ怒っていると分かる。
今、説教を始めてしまえば、それこそ治療に支障が出てしまう。
「あの人も反射的に言っちゃったんだろうし、それに……ほら! 神使とは言え、ふたりとも床とか走り回ってるし!」
「神使は基本的に細菌類を寄せつけません」
「『念には念を入れて』って言うしさ!」
「……分かりました」
渋々、といった様子で、悠は治療部屋への乱入を諦めた。
胸を撫で下ろした都季は、先に記憶を聴き取っている琴音に結果を聞くべく、視線を彼女へと向ける。
ちょうど、琴音は記憶を聴き終え、閉じていた目をゆっくり開いたところだった。
小さく息を吐いた彼女の顔には、僅かだが疲労が滲む。
「どうだった?」
「……怪我の痛みで呻いていて、よく聴こえなかった」
「そっか。じゃあ、ちゃんと終わるまで待ったほうがいいかな」
悠も治療が終わるまで記憶を視れない。ならば、きちんと治療が終わって落ちついてからのほうが、より正確なものを視られるはずだ。
小さく息を吐いた悠は、到着前に聞いた傷害現場を思い浮かべながら言う。
「先に、現場に僕の仲間を向かわせてみます」
「うん。頼んだ」
現場に残ったものや周りから情報を得られることもある。
悠は御黒や茶胡を通じて、町中の鼠達に探すように命じた。
そして、半時間後。
治療を終えて医務室のベッドに移された隊員は、運び込まれたときよりもずっと穏やかな顔をしていた。傷口の縫合と鎮痛剤を打ったことで、容態は安定したとのことだ。
「それじゃあ、始めますね」
「眠ってるけど大丈夫か?」
薬の効果もあって、意識は深いところまで落ちているだろう。
悠や琴音がどうやって記憶を視たり聴いたりするのか、詳しい方法や条件などを知らない都季は小さく首を傾げた。
目を瞬かせた琴音と違って、悠は苦笑を浮かべて返す。
「都季先輩の過去を視たの、いつだと思ってるんですか? 全然、問題ありませんよ」
「そうだった」
「むしろ、変な意識に邪魔されないで済むので、寝ているほうが楽なんです」
隊員のベッドの傍らに立った悠は、そう言うなり隊員の頭に手のひらを翳した。
琴音は悠の隣で丸椅子に座り、目を閉ざして集中する。膝の上に置かれた手は軽く握りしめられており、彼女の心を聴こうとする真剣さがひしひしと伝わってきた。
眠ったままの隊員は、顔の左右にやって来た御黒達が髭を擦らせても起きる気配はない。
「――
短く唱えた悠が埃を払うように、隊員の頭から体へと手を動かす。すると、その軌跡に黒い光の粉が舞った。黒い光の粉は眩く輝き、御黒や茶胡と共に消え失せる。悠は記憶を視るためか、目を閉じたまま動かない。
都季は、「自分もいつぞやはこうされていたのか」と、悠と出会った頃を思い出す。あの時は、悠が記憶を視たことで夢として過去を見ることになった。目の前の隊員も、今、同じ状況にあるのだろう。
五分もしない内に、悠はゆっくりと目を開いた。ぼんやりとしていた濃い灰色の瞳に、すぐに意思の籠った光が戻る。
ふわり、と隊員の顔の左右に宙から光が降り注ぎ、収束したそれは御黒と茶胡の形を成した。
「戻って」
悠が神使に短く命じれば、二匹は躊躇うことなく、悠の持つ宝月へと吸い込まれて消える。
ほぼ同時に、心を聴いていた琴音も目を開いた。
「……ふぅ」
「なにか、分かったか?」
少しだけ疲労が滲む悠に、急かしてしまって申し訳ないと思いつつ問う。
すると、悠は都季を見てしばし思案したのち、傍らで記憶を聴いていた琴音に回答権を流した。
「そうですね……。琴音先輩はどうです?」
「…………」
聴こえたものが曖昧だったのか、それとも口にしにくいだけなのか、琴音は戸惑いを見せた。
やがて、彼女は聴いたありのままを口にする。
「真っ暗で、とっても寒いって」
「暗くて寒い?」
「奇遇ですね。僕も同じです」
心を聴いたにしては情緒的な答えに、都季は首を傾げた。
しかし、記憶を視た悠も同じならば間違いはない。
「どういう意味だ?」
「そのままですよ。恐らく、襲撃者が何かやったんでしょうね。途中で弾かれましたし」
「
「その可能性もあるけど、悠の力は、相手にその過去を見せるから……だから、嫌がられたのかも……」
悠の能力は、「消す」だけならばともかく、「視る」ことは対象に拒まれるとうまく使えない。意識のないときが最も鮮明に、長く視ることができるのはそのためだ。
悠は自身の能力の条件にげんなりしながら頷き、困ったように続けた。
「弾かれた正確な原因は分からないですし、視えたものも異質。さて、どうしたものでしょうねぇ」
「現場行くか?」
「そうですね……」
悠の配下が探っている他、警邏部が現地で調査に当たっているが、悠や琴音が加われば、新しい発見があるかもしれない。
魁の提案に悠は頷いたものの、何かに気づいたようにはっとすると、すぐに表情を元に戻してから言った。
「やっぱり、僕が行きます。先輩方は、今日はこのままお帰りください」
「え? 俺達も行くよ」
悠だけに負担は掛けられない。また、人手は多い方が得られる情報も多いはずだ。
都季の申し出に魁や琴音も頷いたが、悠はただ休ませるためだけに言ったのではなかった。
宝月に戻した御黒と茶胡が伝えてきた、現場にいる配下からの報告のせいでもある。
「いえ。先に向かわせた仲間からの報告なんですが、どうも、あまり良くない気配が残っているようなんです」
「良くない気配?」
都季は抽象的な言い方に首を傾げた。
破綻者や幻妖のことだとは分かるが、それならば今までも何度も対峙しているため、わざわざ都季達を帰して単独で行くほどの理由にはならない。
だが、魁と琴音は、その言葉だけで数日前の出来事を思い出してハッとした。
「ただの破綻者や幻妖ではない可能性です」
「!」
「なので、都季先輩は先に帰っていてください」
さすがの都季も、悠が言いたいことが何かは分かった。それを明言しないのは、口にすれば現れてしまうような気がしたからだ。
室内に緊迫した空気が流れ始め、魁はやや焦りを滲ませて言う。
「なら、都季の護衛は琴音に任せて、俺が悠と行くのでいいだろ」
「ちょっと。この間、奴が『宣戦布告だ』って言ったの忘れたんですか? 本当は僕も護衛につきたいくらいですよ」
悠達が危惧する相手、ラグナロクのボスであるルーインの力は計り知れない。警邏隊員がいようとも、互角に渡り合えるかは不明だ。
だからこそ、悠は都季を先に帰し、護衛を二人にしようとしている。
「悠、大丈夫……?」
「大丈夫です。と、言いたいところですが、こればかりは僕の運と相手の出方次第ですね」
未だ不安げな三人に、悠はにっこりと笑みを浮かべて見せたものの、すぐにそれを消して小さく肩を竦めた。さすがの悠でも、ルーインが相手となると余裕はない。
やはり、都季達も一緒に向かうべきか、と思った矢先、悠の口から出た名前にその考えは消し飛んだ。
「まぁ、一葉さんと蒼夜さん、蒼姫さんも連れて行くので、大丈夫ですよ」
「せめて、蒼姫さんか蒼夜さんを都季の護衛に回そうぜ!?」
局に所属する調律師や警邏部の中でも実力のある双子と隊長の参加に、魁は驚きの声を上げた。
調査に危険があるとはいえ、三人も引き連れて行く必要はない。
しかし、悠は可笑しそうに笑って一蹴した。
「やだなぁ。百人力の十二生肖が何を弱音吐いてるんですか」
「言ってること矛盾してっぞ」
トップクラスの実力者を引き連れて行こうとしている人の発言とは思えない。
魁が呆れ混じりにツッコミを入れると、突然、悠は口元に手を当てて愕然とした。
「えっ。魁先輩、『矛盾』って言葉を知ってたんですか……!?」
「一人で行ってこい」
「はい、そのつもりですよ。行ってきまーす」
悠の言動が魁から言質を取るためだったと気づいたときには、彼は颯爽と部屋を出て行った後だった。
一葉達にも仕事は多くある。護衛に回すのならまだしも、「いるかもしれない」という推測だけで動かすのは、十二生肖という立場上できない。応援が来るまでの一時凌ぎができる程度の実力はあると周囲に示すためにも。
残された都季達の間には、しばしの沈黙が流れる。開け放たれた窓から夕方の涼しい風が入り込み、隣の道場で練習をする音を運んできた。
都季は、今日は特訓もできそうにないな、と思いつつ小さく息を吐く。
それが切っ掛けとなり、魁が行動の催促をした。
「じゃあ、帰るか。特訓はまた今度」
「うん。ストレッチだけで終わったし、次はちゃんとできるといいな」
「できるさ。……あ、そうだ! 次は琴音も来いよ。都季も結構、動けるようになってきたから」
「……うん」
答えるまでに間があったが、おっとりとした喋り方をする琴音はいつもこうなると周囲は認識している。
そのため、誰もが追及することなく話は終わり、都季と魁は医務室を出た。
小さく息を吐いた琴音は、未だ眠ったままの警邏隊員をちら、と見てから二人を追った。
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