第3話 稀代の調律師
依獣を追い払った後、人生初のコードレスバンシーを経験した都季だったが、体は想定よりもかなり柔らかい物に落ちた。
「……?」
視界に広がる青い空。体を動かせば、かさりと乾いた音がする。
一体、何に落ちたのかと手に触れる物を掴んで顔の前に持っていく。
「……葉っぱ? え!?」
掴んだのは数枚の木の葉だ。ただし、落ち葉のように赤く色づいたものではなく、青々とした若い葉だが。
慌てて上体を起こせば、自分が何の上に落ちたのか漸く認識できた。
クッションになったのは、地面に高く積み上げられた葉の山。ただ、周囲の木々とさして変わらない高さのため、自然に出来た物にしては不自然だが。
「山奥なら、あり得る……のか?」
「阿呆。早う下りろ」
「え?」
困惑する都季だが、一蹴した月神は行動を催促した。声音は落ちついているが、表情には焦りが滲んでいる。
何故かと首を傾げれば、下から呻き声が聞こえて思考が停止した。
「緩衝材になったのは自然の物ではない」
「これって……」
「幻妖だ」
月神が言ったのと同時に、足元が大きく揺れ動いた。
急いで地面に滑り下りれば、緑の葉の塊がゆっくりと盛り上がっていく。
次第に形態の変化が落ちつき、全身を葉で包んだ卵のような形になった。体のあらゆる場所から、太さも長さもバラバラな蔦が無数に伸びて蠢いている。上の方にある丸い二つの窪みには、この幻妖の目なのか中で赤い光が灯っていた。
「な、なに?」
「下級の幻妖で、お主らからすれば『精霊』のようなものかの」
「えっ。精霊って、もっと可愛くて小さいイメージなんだけど」
思い浮かぶのは、漫画やゲームなどで描かれる羽の生えた小さな女の子などだ。だが、目の前にいるのはどう見ても精霊のイメージとはかけ離れている。
すると、幻妖の長たる月神はあっさりと言ってのけた。
「あやつら、姿形は様々だからの。何にせよ、あんな場所にいては食ってくれと言っているようなものだ」
「うわぁ……それはちょっと」
幻妖である葉の塊から下りたことで、月神もひと安心した。
食べられる自身を想像した都季が身震いをした瞬間、地響きのような大きな咆哮が辺りに木霊する。
「ヴオオオォォォォ……!!」
「っ!」
「おー。威勢が良いのぅ」
低い声に、地面さえ震えているような錯覚に陥る。
怯んだ都季だが、肩にいる月神は余裕な顔で幻妖を見上げていた。
「に、逃げたほうがいいんじゃ……」
「阿呆。ここは麓に近い。これを山奥に返すのが先だ」
「えー……」
「演習と思え。先も言ったが、今のこやつは大したことはない。ほれ、先ほどのように命じてみよ」
「う、うん」
確かに、逃げてばかりではこの先が困る。これでも特訓は続けてきたのだ。月神曰く大したことのない幻妖ならば、実際に使ってみるには良い機会だろう。
都季は怖じ気づきそうな自身を内心で叱咤しながら、深呼吸をひとつした。
「――帰れ!」
「ッ、ガアアァァァ!」
「うわぁ!?」
力を放ったはずが、精霊には大した効果はなかった。依獣相手では怯ませることはできていたが、やはり、幻妖ともなると話は別なのか。
都季の真横に蔦が叩きつけられ、思わず体を跳ねさせ悲鳴を上げてしまう。
「先の疲労が祟ったようだのぅ。出力の加減について、もっと経験を積む必要が、うわっ!?」
月神が都季の眼前に出て冷静に分析する。彼の霊力が弱っていると。しかし、それも勢いよく薙がれた蔦によって中断したが。
精霊の様子を窺った月神は、予想よりも力があることに内心で驚いた。
どうやら、甘く見られたことに気づき、周囲の森から力を集めて自身の霊力の糧にしているようだ。自然界の物質から生まれた精霊だからこそできる芸当である。
「怒らせてしまったようだの。ここはあやつの領域でもあるし、力を得るには十分なのだろうな」
「だから『逃げよう』って言ったのに!」
「責任転嫁するでないぞ。我を説得できなんだお主も悪い」
「それを責任転嫁って言うわあぁぁ!」
「仕様がないのぅ。ほれ、一旦退くぞ」
ふんぞり返る月神に言い返そうとすれば、またもや精霊が蔦を振るってきた。それも何本もだ。
慌てて避ける都季だが、このままでは体力が尽きるのが早い。
月神の催促と同時に、都季は地を蹴って走り出した。その肩にちゃっかりと乗った月神は何度目かの溜め息を吐く。
「まったく。集中せぬからこうなるのだ」
「じゃあ、つっきーが足止めしてよ!」
「断る」
「ドヤ顔で断るな!」
表情を引き締める月神だが、それはせめて精霊を引き受けてからにしてほしい。
すると、彼は首を左右に振って言葉の意味を修正する。
「いやいや、お主の成長を思ってだな……」
「嘘つけ! 潰されるからだろ!」
なにせ、追いかけてくるのは周囲の木々に引けをとらないほどの巨大な精霊だ。精霊に当たった木々は薙ぎ倒され、蔦も枝を簡単に折っている。月神など簡単に潰されるだろう。もちろん、都季もだが。
月神は都季の発言にわざとらしく愕然としながら、咎めるように言った。
「こんな可愛くて
「ごめん!」
前触れもなく都季が斜面にできた段差を飛び降り、着地の衝撃によって月神は肩で顎を打った。舌を噛まなかったのが不幸中の幸いだ。
月神はじんじんと痛む顎を押さえながら、涙目で都季に非難の目を向けた。
「お主……」
「説教はあとで聞く、うおわぁ!?」
「都季!」
蔦が足を払い、変な悲鳴を上げながら地面に勢いよくダイブする。
反動で月神が前方へ放り出されたが、宙で一回転してから振り返った。そして、視界に入った光景に言葉を失った。
「た、助け……っ!」
「軟弱だのぅ。待ておれ。今、助け……っ?」
都季の足や腕、胴体には無数の蔦が絡みついている。動揺で月神の力を使うこともできていない。
溜め息を吐いた月神が助けるために動こうとした瞬間、腹部に何かが巻きついて息が詰まった。
「この精霊、どの山神の眷属だ。我を締め上げるとは良い度胸だのぅ」
「つっきーまで捕まってどうすんの!?」
「仕方あるまい。ここは一つ――いや、待て」
歪みを覚悟で月神が力を使おうとしたとき、近づく新しい霊力に気づいた。
直後、澄んだ鈴のような音がその場に響く。
びくり、と精霊が震えたのが蔦を通じて伝わった。
次は何が来たのかと、その姿を見つけるより先に、澄んだ女性の声が耳に届く。
「――異界の者よ、此処は汝のおわす場所にあらず」
「な、なに……?」
「――去らずば一つ柏手にて我が守護を喚び」
「これで一安心だのぅ」
下を見れば、雪原を連想させる銀髪の女性が立っていた。傍らの地面には、青い石のついた白銀の杖を突き刺しており、先ほどの鈴のような音は杖の先にある複数の銀色の輪が擦れた音だった。
深い青の目は真っ直ぐに精霊を捉えており、精霊に動きのない様子からか、柏手を打つと杖とは反対側に旋風が巻き起こった。
その中から現れたのは、僅かに灰色がかった白い体毛とルビー色の目を持つ狼だ。首の周りには氷柱のような水晶の結晶が八つ浮かび、ふさふさとした長い尾は四本もある。
「――二つ柏手にて枷を解き」
やはり、精霊は動かず、二回目の柏手が鳴らされる。
狼の体が光を放ち、女性の腰を少し超えるくらいだった体高がおよそ三メートルまで成長した。爪や牙が鋭く伸び、背には純白の翼が生える。額に浮かんだ模様の中央では青い石が輝き、左右の目尻に三枚の赤い花びらの模様が浮かんでいた。
精霊が狼の鋭い目と低い唸り声に怯み、都季達を縛る蔦を緩めて解放する。
地面に落とされた都季は、打ち付けた腰をさすりながらもゆっくりと立ち上がって女性と精霊を交互に見た。
「――三つ柏手にて穢れを祓い」
また女性が手を打てば、辺りに澄んだ空気が満ちる。
精霊の勢いはさらに弱まり、蔦がどんどん精霊に引き戻されていく。
呆然とする都季の前に、狼が精霊から庇うように立ち塞がった。
「――四つ柏手にて悪しきを祓う!」
女性が力強く唱え、一際強く柏手を打つと彼女の足下から風が巻き起こり、背中の中頃まである髪がふわりと広がった。それと同時に狼が牙を向いて精霊に食らいつく。
精霊は悲鳴を上げて蔦を振り回すも、体の葉が舞い散るだけで狼に効果はなかった。
「都季。よう見ておけ」
「え?」
先ほどまで圧倒的に不利だった状況が、女性の登場で一気に形勢逆転だ。
一体、彼女は何者か、と言葉を失っていた都季に、月神は女性を見たまま言葉を続ける。
「あれが、我が一目置いている稀代の調律師だ」
「あの人が!?」
「アッシュ!」
狼の名前を呼んだ女性に応えるかのごとく、狼が精霊をくわえたまま口から炎を吐いた。
精霊の葉が瞬く間に燃え上がり、悲鳴が辺りに響く。やがて、体は小さくなり、狼の口の端から僅かに見える程度になった。
「もういいでしょう。アッシュ、離してあげてください」
『御意』
「喋った……」
「あれは『アルカス』だ。『オリジン』と呼ばれる分類の幻妖で、まだ未知の種族ではあるが、その知能は高く、戦闘能力も非常に優れておる。成獣はあれが本性なのだ」
狼、アッシュの低い男性の声に驚けば、月神が簡単に説明をしてくれた。
アッシュはそんな会話など気にもせず、主人の命に従って精霊を地面に置く。直後、眩い光がアッシュの体を包み、収まる頃には最初の姿のアッシュがいた。
調律師の女性は気にした様子もなく杖を手に取り、先に付いた青い石を精霊に向ける。
炎によって黒く焦げた精霊は、プスプスと音をたてながら煙を上げたまま動かない。
「とどめを刺す気……!?」
「大丈夫ですよ。――穀雨」
都季の言葉に初めて女性が反応した。
にこりと綺麗に笑った女性は、顔立ちが整っているせいか自然と都季の胸が高鳴った。気づいた月神が「阿呆」と小さく貶す。
それをよそに彼女が短く唱えれば、小さくなった精霊の頭上から、雲もないのに雨が降った。
焦げていた精霊に雨粒が触れると、まるで煤を洗い流したかのように綺麗な緑が下から現れた。
「むっ。どうして回復させるのだ」
「……あら? ……ああ、どうりで」
「え?」
不満を漏らした月神を、女性は目を瞠って見る。何かに納得してすぐに柔らかい笑みに変わったが、都季にはその理由が分からなかった。
彼女は都季に向き直ると、丁寧にお辞儀をした。
「お初にお目に掛かります。特殊管理局調律部所属、調律師の白雨蒼姫と申します。こちらは私の『
『ぬしが月神を保有する者か』
「は、はい。恵月学園高等部一年の、更科都季と申します」
「お主、マイペースなのは相変わらずだのぅ。都季はつられるでない」
丁寧な物腰の女性、蒼姫につられた都季も同じように名乗る。
肩で呆れ顔をする月神は、またもや溜め息を吐いた。
人当たりの良い笑顔を浮かべる蒼姫に、気を取り直した都季は先ほど出た単語で分からないことを訊ねる。
「あの、『しゅじゅう』ってなんですか?」
「『守』る『獣』と書いて『守獣』と呼びます。依人や特体者に使役される幻妖のことです」
「神使とは違うんですか?」
使役されている幻妖といえば神使も同じだ。最も、悠は神使を「幻妖のようなもの」と言っていたため、そのことからも厳密には違うとは分かる。
どのような違いがあるか分からずに問えば、神使の親ともいえる月神が答えた。
「あれは我と初代の十二生肖で創り出したものだからのぅ。どちらかといえば依獣に近いが、何にせよ、二つとは別格だ」
「へぇー……じゃあ、つっきーも守獣?」
「阿呆! 誰がお主に使役されておる! むしろ我が力を貸してやっているのだ!」
「うん、分かってる分かってる。ちょっとからかっただけだって」
「やはり、お主には我の有り難みを一度語らねばならんな。そこへ直れ!」
不満を露に騒ぐ月神を都季が軽くあしらう。
それをぽかんと見ていた蒼姫だったが、築かれた信頼の結果にアッシュと顔を見合わせて笑みを零した。
その様子を、蒼姫の足元に蹲っていた精霊がこっそりと見上げる。
――今なら逃げられる。
そう思った精霊がそろりと後ずさったとき、背後で何かが突き刺さる鈍い音がした。
ゆっくりと振り返れば、銀色に光る金属の壁に精霊の姿が写る。端に美しい模様の彫られた壁面を伝いながら見上げると、蒼姫と同じ深い青の目が淡々と見下ろしていた。
肩に少しつく程度の銀髪が風に靡き、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「ギッ!?」
「どこに行くつもりだ?」
「わ!?」
「
精霊の真後ろに現れた「蒼夜」と呼ばれた青年に、今まで気づかなかった都季が声を上げて驚く。
蒼姫も彼に視線を向ければ、「余所見をしすぎだ」と軽い注意が返ってきた。
バツが悪そうに目を逸らした蒼姫だったが、すぐに気を取り直して杖の先に付いた青い石に触れる。淡い光を発した後に蒼姫が手を離せば、八面体のルビー色の石、封妖石がするりと現れた。
「精霊さんにはもう暴れるような力はありませんから、討伐の必要はありません。一旦、局に連れ帰って、事情を聞いてから然るべき所へ還します」
「ああ。で、コイツは?」
「さ、更科都季です」
ふんわりとした雰囲気に反してテキパキとした蒼姫の言動に頷いてから、蒼夜は都季を見る。
蒼夜の深い青の目や銀髪は蒼姫と同じだ。顔立ちもどことなく似ている。最も、蒼姫と違って、蒼夜は表情の変化が少ないが。
どちらが年上かは分からないが、血縁者であることは間違いないだろうと都季が結論付けていると、蒼夜は初めて表情に変化を見せた。怪訝に眉を顰めたものだが。
「お前が? 結奈さんの? の、割に逃げてたし、力も使いこなせてないな」
「うっ」
「蒼夜、失礼ですよ」
容赦ない言葉の雨に都季の心はもはや折れる寸前だ。事実なので言い返すこともできない。
精霊を封妖石に封じた蒼姫は蒼夜を軽く窘め、都季に向き直ると彼に代わって謝った。
「申し訳ありません、更科様。こちらは私の双子の弟で、『
「……警邏部機動隊、副隊長です」
自身の発言を振り返って反省したのか、今度は蒼夜がバツの悪そうな顔をしながら、蒼姫の紹介に自らの肩書きを追加した。
そんな蒼夜に、月神は親しげに話しかける。
「蒼夜も久しいのぅ。相変わらず、姉に反して表情が少ないが」
「双子の姉です」
「……すまんの」
「双子の」という部分を強調した蒼夜は、「姉」や「弟」といった単体で言われることが嫌いなようだ。
蒼夜は小さく溜め息を吐くと、未だ地に刺していた刀を抜いて土を振り払い、腰に差していた鞘に納めた。
初めて目の前で見た動作に、都季は思わず見惚れてしまった。だが、すぐにまだ言っていないことを思い出して声を上げる。
「あ、あの! 助けていただいて、ありがとうございました」
「いえ。私も『探しもの』をしていまして、偶然、月神に近い力を感じたので来てみただけですので」
「探しもの? 良かったら手伝いますよ?」
「あー……いえ、探しものと言いますか、探し『幻妖』と言いますか……」
都季は何を無くしたのかと首を傾げる。
助けられたこともあり、困っているならば手伝いたいと思っただけだが、蒼姫は苦笑を浮かべて言葉を濁し、蒼夜はまた溜め息を吐くだけだった。
すると、月神は周りを見渡してから訊く。
「お主ら、『シエラ』はどうした?」
「それが、この精霊さんを探している途中ではぐれてしまいまして……」
『ん?』
「はぐれたって……この山中で?」
『…………』
アッシュが何かに気づいて明後日の方向を見たが、主である蒼姫をはじめ、都季と月神も気づかなかった。唯一、気づいてアッシュの視線を追ったのは蒼夜だ。
アッシュは空を見たまま、蒼姫に知らせようと口を開いた。
『主。あれは――』
『そぉぉうぅぅきぃぃぃぃ!』
「うわああぁぁぁぁ!?」
蒼姫の名前を叫ぶ少年の声に都季がそちらを見た瞬間、顔面に白い何かが勢いよくぶつかってきた。
踏み留まれなかった都季は、そのまま近くの茂みに突っ込んだ。
「更科様!?」
「都季!」
『……遅かったか』
それぞれが驚く中、気づいていたアッシュと蒼夜だけが溜め息を吐いた。
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