第2話 依獣


「ホント、ごめん!」

「あはは……。いいよ。俺もすぐバイトだからさ」


 放課後になって早々、魁は都季に向かって両手を合わせて謝った。

 心の底から申し訳なく思っていると伝わる表情と動作に、もはや苦笑いしか出ない。

 魁が勉強嫌いなのは都季も知っている。そして、先日の中間テストで欠点を取ったことも。今日、欠点を取った人を対象に補習を行うと教師から告知があった瞬間、うなだれた魁が机に頭をぶつけたのも記憶に新しい。


「俺のことで勉強もほとんどできてなかったんだから、逆に申し訳ないくらいだよ」

「更科君のことだけじゃなくて、いろいろと、仕事もあったし……」


 悠の一件が終わってからすぐ、テスト期間に入ったのだ。その間も都季の護衛はあった上、幻妖や依人の問題があれば駆けつけていた。勉強をする時間は、他の学生よりずっと少なかったはずだ。

 フォローを入れる都季と琴音だったが、都季の肩にいた月神はけろっとした様子で言ってのけた。


「しかし、琴音やお主はできていただろう?」

「うっ」

「つっきー、とどめ刺さない。……教えられるかは微妙だけど、次の試験前は一緒に勉強しようか」


 都季の肩からの月神の一言に、魁の姿勢がやや下がる。

 月神を窘めてから再び魁をフォローするが、早くも次のテストの話題を出してしまった分、果たして気が楽になったかは不明だ。

 案の定、魁は難しい顔をしていた。


「うー……終わったらすぐ行く」

「分かった。店で待ってるから」

「私も、あとで行く」


 琴音は琴音で、別の用事で悠と共に局に向かわなければならなかった。その悠も休んでいた分のノートを友人に借りて写しているとのことで、琴音は悠の教室まで迎えに行く予定だ。

 都季一人という、いつか破綻者に襲われて危険な目に遭った状況と酷似しているが、今回は月神が一緒にいてくれるため、問題はないだろう。


「それじゃあ、また後で」

「おう。気をつけてな」


 都季と月神は、二人と別れて靴箱のある玄関に向かった。

 周りは帰宅する生徒や部活に向かう生徒で賑わい、都季もすれ違う友人に軽く手を振って別れの挨拶を交わす。

 その間、ずっと黙っていた月神は、靴を履き替える都季にあることを訊ねた。


「のぅ、都季よ」

「んー? ちょっと待って……あ。もしもし?」

「面倒だのぅ」

「怪しまれたくないんだよ」


 まだ周りには生徒がいる。彼らには見えない月神と長く会話をすれば、ほぼ確実に不審者扱いされるだろう。

 続きそうな会話の流れを感じ取り、都季は携帯電話を取り出して電話に出た振りをした。

 月神からすればとんだ茶番だが、ずっと独り言をしているように見られるよりはいい。

 都季は携帯電話を耳に当てながら玄関を出る。


「で、なに?」

「お主が仕事をしているとき、我は非常に手が空いておるのだ」

「暇なんだ」

「暇ではないが、手が空いておる」

「うん。暇ね」


 否定する月神を連続で一刀両断すれば、彼は観念したのか不服そうな顔をしながら話を進める。


「何かやることはないのか?」

「じゃあ、ナベと遊んでたら?」

「牡丹か。あやつも暇そうでは……って! なぜ我が神使と遊ばねばならんのだ!」


 依月には看板犬ならぬ看板猪の牡丹がいる。大人の姿では人に避けられがちだが、うり坊の姿は愛らしく、逆に人を集める。常に店にいるわけではないが、茜に話をすれば出してもらえるかもしれない。

 しかし、月神にとってはあまり喜ばしくはなかったようだ。


「ナベも生みの親の一人が遊んでくれたら喜んでくれるよ。多分」

「……最近になって、お主の我への態度は益々雑になっておる。よし、決めた。今日はお主に我の有り難みをとくと語ってやろう」

「いや、仕事の邪魔だから」

「それが雑だと言うておる!」

「耳元で叫ぶなよ……」


 携帯電話を耳から遠ざける振りをして、手の甲で月神の顔を軽く押す。

 押されて都季の肩から離れた月神が文句を言おうとしたときだ。

 突然、頭上で鳥の羽ばたく大きな音が聞こえた。その中には静電気が走ったときのような音が混じっている。


「ん?」


 何事かと思った矢先、都季の肩が何かに掴まれ宙に浮いた。

 状況に頭がついていかない都季は、不思議そうに目を瞬かせる。そして、地面の感覚がなくなった下を確認して息を飲んだ。

 先ほどまで足を着けていた地面は、今や十メートル以上も下にあった。


「……うわっ!?」

「都季!」

「ちょっ、なんだコレ!? 俺、掴まれてるんだけど!?」

「なに、易々と捕まっておるか!」


 慌てて追ってきた月神が都季の腕に掴まる。

 そこで、都季は自身の両肩を掴む黄色い光に気づいた。

 光は鳥の足の形をしており、それを辿って頭上を見れば、巨大な鳥の姿があった。時折、表面に電流が流れていたりと、どう見てもただの鳥ではない。

 月神の力は水晶で抑えているはずだが、どうやら嗅ぎつけられたようだ。


「やれやれ。油断しておるからこうなるのだ」

「いや、油断も何も……というか、学園のそばに幻妖がいていいのか!?」


 月神は焦った様子もなく、溜め息を吐いてから都季の肩に移動した。緊迫した空気がなくなって余裕が生まれたのは、何か手立てがあるからなのか。

 そんな彼に都季が声を上げれば、月神は鳥を観察するように見てから言う。


「都季よ。不幸中の幸いだ」

「幸いが一個も見当たらないんだけど!?」

「いいや、安心してよい。こやつ、幻妖ではなく、依人の力から生まれたものだ。我々は『依獣いじゅう』と呼んでおる」

「……ん?」

「雷の属性とは、また希少なものが出てきたのぅ」


 月神が焦りを見せないのは、鳥が幻妖ではなかったからだ。ただ、幻妖であれ依人の生み出した依獣と呼ぶものであれ、捕まっていることには変わりない。

 のんきに依獣を観察する月神は、都季の心配とはまったく異なることを言ってのける。


「依人の生み出す力は自然と同様で一般人にも見える。ゆえに、お主一人が宙に浮くという曲芸を披露しておるようには見えん。鳥に捕まっているからおかしくはなかろう」

「ああ、なるほどね……って、違うだろ! 鳥に捕まる人間のほうがおかしいだろ! しかもデカイし光だし!」


 納得しかけた都季だが、重要なことを流すところだった。

 鳥が都季を捕らえて飛翔するまでの時間が僅かだったのか、小さく見える校庭で騒いでいる気配はない。もしくは、誰かが気づかれないように工作したか。

 どうするべきか、と思案する都季に、月神はのんびりとした口調で続けた。


「まぁ、そう騒ぐな」

「つっきー、なんとかできない?」

「んー。なんとかしたいが、我が力を使うわけにはいかんのだ。まだそう危険なわけでもないし、お主に負担を掛ける上に歪みの元にもなる。ゆえに――」

「なぁ、降ろしてくれないか?」

「聞け」


 鳥に直談判しはじめた都季に突っ込みつつ、月神はまた溜め息を吐いた。

 今すぐ対処に当たらないのは、相応の理由があるからだった。


「やめておけ。どうせ、こやつの主は――」

「俺、今からバイトなんだよ」

「そこか。お主、我の心配ではないのか」

「え? ああ、まぁ、それもあるけど……」


 まさか心配の種がバイトとは思わなかった。

 頬を膨らませた月神に都季も今さらながら的外れなものだったと後悔しつつ、依獣への交渉を続けた。


「なー、頼む。離してくれ。じゃないと……」

「む?」

「――離せ!」


 何かを決め、息を吸った都季に嫌な予感がした。

 直後、月神が止める間もなく、都季は命じるように叫んだ。

 都季のピアスが光を放ち、依獣は甲高い鳴き声をあげて暴れた。肩を掴まれただけの状態はひどく不安定で、反射的に鳥の足を掴んだ。


「うわっ!?」

「阿呆! 考えて使わんか!」

「だって、こんな暴れるとは思わなああああっ!?」


 月神の力はまだ使いこなせてはいないが、命じるやり方は身についてきた。月神からすれば、周囲に力をばら蒔くだけの荒削りなものではあるが。

 ふと、別の力が接近してくることに気づいた月神は、辺りを見回して力の主を探す。すると、北の方に小さな黒い影が見えた。


「ん?」

「やばい、死ぬ……!」


 慌てる都季は気づいていない。月神だけが影の正体を探ろうと注視する。

 迫った影が、依獣を裂くように突き抜けた。姿を型どっていた光が影と共に離散する。


「あ。離……すのはせめて降ろしてからにしてくれー!」

「お主、馬鹿か! いや、馬鹿だろう!」


 離れたことに安心した都季だったが、次に襲ってきたのは急降下する感覚。

 影の正体を探っていた月神がそれどころではないと慌て、落ちていく都季のシャツの襟を掴む。が、スピードが僅かに遅くなっただけで、力が通常の半分しかない月神が支えるには無理があった。


「うわああぁぁぁぁ!!」

「誰のせいだ!」


 下は森だ。迫る木々に反射的に目を閉じた。悲鳴が周囲に木霊する。

 木にうまく引っ掛かれば助かるかも、と都季は叫ぶのをやめて心の中で必死に祈った。

 その姿を、やや離れた位置から双眼鏡で見ていた人影に気づくこともなく。


「あっちゃー、やってもうたわ。やっこさん、俺のが弱る瞬間を待っとったんやね。見事に消されたわ」


 斎は、双眼鏡の視界から消えた都季の姿に残念そうな声をあげつつ、顔は笑っていた。

 傍らにいる童顔の青年を見れば、彼は純粋に目を輝かせて言った。


「桜庭副長の依獣が一瞬で……すごいですね! 僕でも分かるくらい強い力を一瞬で放ってましたよ。ね、七海先輩!」

「感心するな、岸原。副長の依獣を荒技でも弱らせたのは間違いないが、消したのは別のものだ。回収を急ぐぞ」


 童顔の青年、岸原きしはら慶太けいたに顔を向けられた七海は彼を軽く叱りつけ、眼鏡のブリッジを指で押し上げながら一足早く行動に移した。

 やや遅れて慶太がついていこうとしたが、それを斎が止める。


「ちょい待ち」

「どうかしましたか?」

「『アレ』が出たなら、回収を急ぐべきかと思いますが」


 七海も斎も、黒い影が依獣に突撃するのは見ている。だからこそ、七海は先を急いだのだが、斎はある気配に気づいていた。


「大丈夫。やっこさんが退いたんは、や」

「下、ですか?」

「……なるほど。力を追ってきたのは、あの烏だけではなかったというわけですか」

「せや」


 慶太は首を傾げたが、七海は斎が指すものが何か分かったようだ。

 得意気な顔で頷く斎だったが、それも七海の一言ですぐに凍りつくことになった。


「つまり、我々が失敗したと」

「……せやな。予定変更や。Bプランで行くで」

「「はっ!」」


 やや言葉を詰まらせはしたものの、斎はすぐに気を取り直して言った。

 二人も姿勢を正して返事をしたが、それは続いた言葉で崩れた。


「明日な」

「「は!?」」


 今日ではないのか、と疑念の視線を送ってくる二人を無視して、斎は本部に戻るために踵を返した。




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