第15話 真意
都季の叫びが辺りに木霊する。
同時に放たれた目に見えない力の波は、依人……特に、月神の配下である十二生肖達が怯むには十分すぎるほどの威力だった。
「っ!?」
茜は、自分が突き出した槍の切っ先を見て愕然とした。
せめて一瞬で終わるように、と狙いを定めたはずの刃。それが、悠の左胸に触れる直前でピタリと止まっていた。勢いを考えれば完全に止まるまでに僅かでも突いているはずが、肌どころか服にさえ傷一つない。
さらに、槍を持ったままの手は少しも動かすことができなかった。まるで、鎖で雁字搦めにされているようだ。
都季や月神を除いた全員が愕然とする中、脱力した声が緊迫した空気を壊した。
「や、ば……。すっごい疲れた……」
「しっかりせぬか。お主が『力を貸せ』と言うたのだろう」
一気に襲いかかってきた疲労感から座り込んでしまった都季を、呆れ顔の月神が彼の眼前に浮いて窘める。
魁や悠、琴音は、今の状況を一度経験しているため、何が起こったのかすぐに理解できた。
しかし、初めて体験した龍司達は愕然としながら都季を見て訊ねる。
「更科さん……今、何を……?」
明らかに、ただの霊力を込めた言霊ではなかった。十二生肖を制するほどの強大な霊力だ。下手をすれば歪みを開けていただろう。
龍司は都季からの答えを待ちながら、周囲に異常がないかを探る。幸い、問題はなさそうだった。
一息ついた都季は、ばつが悪そうに一度だけ視線を落とした後、龍司達を真っ直ぐに見て言う。
「すみません。つっきーの力を使わせてもらいました」
「月神の?」
「お主ら、我の器が何処にあるか、忘れたわけではあるまいな?」
「…………」
ピシャリと言い放った月神に、龍司はなぜ動きを止められたのかを察して口を閉ざした。
月神の配下である十二生肖は、月神が意識した命令に逆らうことができない。その月神を所有する都季も、激しい体力と霊力を消耗するが、同様の力を持つ言霊を使えるのだ。
「更科君、無茶しないで」
「ごめん……。でも、これしかないと思って」
歩み寄った琴音に軽く叱られた。
仕方がないとはいえ、心配かけたことを謝りつつ、彼女の手を借りて立ち上がる。悠に向き直れば、彼は複雑な顔をしていた。
「茜、少し下がっておれ」
「……へいへい」
ぶっきらぼうに返事をしながら、茜は少しだけ横に避けた。それでも神器を持ったままなのは、いつでも動けるようにだ。
都季と対峙した悠は、深い溜め息を吐いた。
「あまり焦らさないでくれませんか? せっかくの覚悟が揺らいでも知りませんよ?」
「なぁ、悠」
「はい?」
処罰を急かす悠に動かされてはならない。
今だけは悠の言葉を聞き流して訊ねた。彼の真意を知るために。
「悠は、なんですぐに月神を壊さなかったんだ?」
「僕だって無情じゃありません。仮にも都季先輩は巻き込まれたわけですし、定着していないなら、少しだけ様子を見ようと思っただけですよ」
「じゃあ、定着した後も俺を助けてくれたのは?」
「……単に、その場の流れですよ」
悠の返答に間があった。
やはり、彼の真意は都季が思ったもので合っているようだ。
「今だって、やろうと思えば月神は壊せるよな?」
「月神を持つのは都季先輩で、さらにその周りに何人いると思っているんですか? もう無理なら、諦めるしかないでしょう?」
悠の言い方には悔しさもなく、あっさりしすぎている。刃を向けていたときの威勢の良さどころか、都季の命を狙う素振りすら見えない。
都季が予感したとおり、悠には最初から都季を狙うつもりなどなかったようだ。
しばらく言葉を探した都季は、深く息を吐いてから頷いた。
「……分かった。月神を壊せない原因が俺なら……うん。悠の思うままにしていい」
「都季!?」
「ふざけているんですか?」
「本気だよ」
都季の申し出に驚いたのはその場の全員だ。
訝る悠に信じてもらうため、都季は傍らにいた月神を茜に渡した。
それでも力は使えるが、視覚的に都季は何も持たない無防備な状態になった。
「殺したいくらいに憎いならやればいい」
「おい、待てよ! お前は関係な――」
「なくはない」
「魁、待って」
「琴音まで……」
間に入ろうとした魁を琴音が引き止める。
都季か悠の心を聴いたのか、彼女は魁と違って落ちついていた。ただ真っ直ぐに二人の行方を見守っている。
「巫女は月神の補佐であり、代弁者なんだよな? それなら、末裔だっていう俺にも関係はある。それに、局の方針にも問題はあると思った」
悠の件だけでなく、紗智の件についても同様だ。十二生肖だからと一人に任せるのではなく、分担することもできたのではないのか。他の道もあったはずだ。
もし、巫女が生きていれば、別の結果が出されていただろう。
その巫女を失った切っ掛けは、事情を知らなかった都季の誕生にもある。
しかし、視線を落とした悠の言葉は、今までの言動とは正反対のものだった。
「でも、都季先輩はあの時、まだ巫女の末裔として自覚はなかったんです。さすがに、『末裔だから責任を取れ』なんて馬鹿みたいなことは言いません」
「自覚がなかっただけで、血は変えられない。一夜さんとのことで、それはよく分かった」
体を巡る血液を変えることはできない。また、一夜との一件で術を使えたのも、母親である結奈が巫女として強い力を持っており、都季も受け継いでいる証だ。
「それに、悠のことをこの数週間で少なからず知ったし、一応、仲が良くなったとも思ってる。悠も、そうだからできなかったんだよな?」
「……っ!」
悠にも情が湧いて都季を殺せなかった。口先では月神ごと壊すと言っておきながら、実際には何度も躊躇い、もう少しだけ様子を見ると先延ばしにしてきた。別の方法はあるのではないかと。
つい先ほどの、末裔だから責任を取れとは言わないと聞いて確信した。
ならば、あとは悠に気持ちを自覚させるだけだ。
「今なら誰の邪魔も入れさせない。悠が、本当に月神を壊したいならやればいい。俺ごとだろうと構わないから」
真っ直ぐに悠を見たままの都季に嘘偽りはない。
その目は、悠が十二生肖の子を継承するずっと前、鍛錬や勉強が嫌だと駄々を捏ねていた自分を宥めた巫女を思い起こさせた。
曇りない瞳はこちらのすべてを見透かしているようで、母からすらも聞かなかった優しい声音で「大丈夫」と言われると、不安や不満など消え去った。
しかし、今はあの時とはわけが違う。自身の命がかかった一言だ。決して、軽々しく口にしていいものではない。
「なんで、そんなこと言うんですか……」
「もちろん、悠を助けたいから。じゃ、納得しないかな?」
「……バッカじゃないの」
悠は泣きそうな顔で、吐き捨てるように言った。
先ほどから、都季は同じ言葉ばかりを繰り返している。ただ、繰り返されているからか、その信憑性は最初に比べるとかなり高い。
感情の昂ぶりを抑えるために、一呼吸置いてから言葉を続けた。
「全部、知らない振りをしていてくれたら、僕は迷わずに片付けられたのに」
「うん」
「そんな、関係なくないとか言われたら……迷っちゃうじゃないですか」
殺したはずの情が、こんなにも簡単に現れるとは思わなかった。
顔を隠すために俯いた悠だが、声が震えている。手に握ったままのクナイが指示もないのに姿を変え、茶胡が腕を伝って肩に乗った。
心配して悠の顔を覗き込んだ茶胡は、困ったように都季を見て首を傾げる。
その様子から、都季はもう大丈夫だろうと息を吐いた。
「一夜さんもそうだったけど、壊す必要なんてないんだよ。今ある形から少しずつでもいい。良い方向に変えていけばいいんだ」
「でも、僕には……」
「時間がない、だっけ?」
「……はい」
どう足掻いても、それだけは変わらない。
そう思っていた悠だが、都季がそれをいとも容易く打ち砕いた。
「役を続ければいいんじゃないのか?」
「……は?」
「十二生肖になった子が動けなくなったり、亡くなったりするのは交代するからだろ? それに、十二生肖に選ばれてない悠の家族は、平均と比べたら短命だけど平気みたいだし……引き続き、十二生肖をやればいいんじゃないのか?」
「そんな簡単に……」
思いもよらない考えに、悠からは呆れさえ滲んだ。
だが、本気で言っている都季は確かめるために月神に訊ねた。
「茜さんも続けてるけど……役によってはできないのか?」
「無論、次代にその者を超える者がいなければ可能だ。子が続投する例は極めて少ないが、悠はまだ若い。代が変わるときに力が劣っている可能性は低い」
十二生肖は霊力だけでなく体力も必要だ。霊力ならばともかく、体力は年齢と共に低下していくことが多い。鍛えればそれも僅かだろうが、若い者との差はどこかにはできてしまう。
しかし、悠はまだ十四になったばかりだ。次に交代をするときもまだ二十四歳。霊力も体力もほぼ変わらないだろう。
すると、その二十四歳を過ぎる茜が月神の発言を裏付けた。
「悠は知ってるだろうが、続投は子や辰以外にはそこそこある。もしかして、お前、たった一代で交代する気でやってたのか?」
「……それもそうですね」
「どうりで、茜さんに発言力あるわけだ」
茜の言葉に納得した悠の一方で、都季は別の意味で小さく呟いた。
だが、茜の耳にその言葉はしっかりと届いていた。
「おい。歳だけで発言力あると思ってたか?」
「い、いえ!」
実のところは彼女の性格も含めてだが、それを口に出せるはずもない。
ガンを飛ばしてきた茜に全力で否定し、平静を装いながら悠に向き直る。背中に刺さる視線には触れないことにした。
「そういうわけだから、もう一度……今度は本当に、一緒に頑張ろう?」
「……僕が局に戻ったことで、先代達に先輩方が責められるのは嫌ですよ」
「まー、その辺は俺達に任せて、若いのは若いのでこれから努力してくれりゃあいいさ。なっ、茜!」
「年寄り扱いすんじゃねーよ」
「いでっ!」
紫苑のフォローは珍しく良いものだったが、茜は聞き捨てならない言葉を耳にして彼に蹴りを入れた。
いつもの和やかな空気に、話を聞くことに徹していた龍司は疲れの籠った溜め息を吐いた。
「まったく、彼には昔から敵いませんね」
「単細胞だけど、ああいう開けっ広げなとこがいいんじゃないの?」
「あの人の取り得は、立ち直りの早さだしな」
「うわぁっ!? 千早、どっから……」
「…………」
龍司と一夜は、近くには二人だけだと思っていた。しかし、一夜のすぐ隣にはいつの間にか千早の姿があった。
いつもながら、気配を消すのは忍者並みだ。最も、千早の場合は寡黙な性格が相まって生まれた影の薄さゆえのものだが。
つい先日まで敵対していた一夜でさえこの馴染みようだ。悠も不安がってはいるが、また以前のように戻れるだろう。
「卯京さんが言ってたこと、本当だったな」
「……うん」
「何を言ったんですか?」
嬉しそうに頷いた琴音を見て首を傾げる悠に、都季は小さく笑んだ。
歳不相応な考えや物言いをすることが多い悠だが、ふとした瞬間の仕草はやはりまだ幼い。
都季は琴音から聞いた悠の性格を言った。
「悠は優しくて、責任感の強い子だって」
「え?」
「優しいから、誰にも相談できなくて、一人で抱え込んでしまうって」
「…………」
予想外のことに言葉が出ない。唖然とした顔は、やはりまだ幼さの残る少年のものだ。
しかし、その意味が体に染み渡ると、驚きに勝ったのは恥ずかしさだった。
「そうじゃなくたって、相談なんかしません」
「ははっ。そうかもな。でも、もう迷っても俺たちがいるから大丈夫だろ」
照れ隠しから渋面を作った悠だが、髪から覗く耳はしっかりと赤い。
都季はそれに気づきながら指摘せずに笑うと、今度こそ悠はそっぽを向いた。
「……はっずかし。よくそんなこと言えましたね。どっかのイヌじゃあるまいし」
「なんか言ったか?」
「いえ別に」
明言はしていないものの、身に覚えのある魁は悠に問いただした。最も、「イヌ」と言われた時点で魁が反応するのは自然なことだが。
悠が答えをはぐらかせば、「なんだよ」と魁は不満そうにぼやいていた。
様子を見ていた茜は、終わりの見えない状況を切り上げるために声を掛ける。
「おい、悠」
「はい」
「一旦、局に行くぞ」
「……はい」
「茜さん」
これからも悠が十二生肖の一員としてやっていくとしても、今回の騒動の説明はしなければならない。ただ、厳しいものにならないでほしいと、不安になった都季が茜を見る。
そのことを表情から読み取った茜は、都季の頭を軽く二度叩いて宥めた。
「大丈夫だ。心配すんな」
「……よろしくお願いします」
「我も行こう。魁、琴音。すまぬが、我が戻るまで都季についてやってくれ」
「了解っス」
茜達だけでは心許ないわけではないが、月神がいれば話は早く済む。
都季から離れることになるため、その間は魁達に都季の護衛を任せればいい。今までと大して変わりはしないが、月神がいないという状況と改めて告げられた指示に魁と琴音の表情が引き締まった。
悠が龍司と紫苑に連れられて去るのを見た茜は、残る二人にも次の指示を出した。
「千早と一夜は、警邏と一緒にここの片付け手伝え」
「えー。局の奴とやんの? 更科もいないのに?」
一夜は都季に借りがあるために力を貸しただけだ。その都季が帰るのなら用はない。局の関係者と顔を合わせるのも気まずいのだ。
さっさと帰ろうとした一夜だったが、素早く腕を掴んで阻止したのは千早だった。
「見張っておくからな」
「……ちっ」
「一夜」
「あー、はいはい。分かったよ」
千早がいるならまだマシか、と言い聞かせて、一夜は帰宅を諦めた。何か言われても聞き流せばいいだけだ。
局員の到着を待つ姿勢の二人を見て、都季達は神社の出入り口である長い階段に向かう。階段の左右には等間隔で石灯籠が置かれており、今は階段を照らすための電灯がついている。
来るときは急いでいたため、特に段数は気にしていなかった。しかし、すべてが終わった今、都季は駆け上がれた自分の体力に驚いた。
階段を下りながら、魁はずっと気がかりだったことを口にする。
「都季さ、よく悠にあんなこと言えたな」
「『殺してみろ』って?」
「バカ。口に出すな。怖いんだからよ」
「あはは……」
魁の表情から、本当に恐れているのだと分かった。
悠を説得するためとはいえ、やはり強引な持っていき方だったかもしれない。だが、あの言葉を言えたのは根拠があったからだ。
「あれを言えたのは、卯京さんが言ってくれたこと以外にも、『普段の悠』が関係してたかもな」
「普段の悠?」
「そう。悠なら、とっとと俺ごと月神を始末して、周囲の記憶から俺を消すか、俺が月神を持って逃げたって改竄できそうだなって」
しかし、悠はそれをしなかった。
先にも言ったが、何かしら理由をつけて先延ばしにしていたのだ。できるだけ、都季には被害がないように。
「それに、一夜さんと似ているんだ」
「猫と?」
「うん。紗智さんの件があって、これ以上、十二生肖だけに負担が掛からないようにっていうのと、あの女の子の件で一般人に被害が出ないようにって」
仕返しをしようとした意思も少しはあっただろう。何故、早々に対処をしてくれなかったのかと。しかし、救えないものもあるというのは、十二生肖である悠も重々承知しているはずだ。
やり方は多少違っているが、二人とも局の現状に不満を持ち、新しい犠牲を出す前に変えようとしていた。
「犠牲を出したくないなら、破綻もしてない他人の命を、そう簡単には奪わないだろうって思ったんだ」
「……まさか、都季のほうが悠を信用してたなんてな」
魁達のほうが長い付き合いであるはずが、少しも信じてやれていなかった。
悔いるべきところであり、直さなければならないことだ。
「どこがいけないのかもう分かっているんだから、変えるのも案外早かったりするかもな」
「先代達が何言うか知らねーけどな」
「そういえば、俺、その人達に会ったことないけどいいのか? 茜さんはともかく、他の役は先代から続投してないみたいだし」
「問題ない。それに……会わないほうが、多分、いい」
「いいの?」
もう存在していない者もいるだろう。子の先代も植物状態だと言っていた。
それでも、顔すら見せないのは礼儀としていいのかと躊躇ってしまう。
すると、魁と琴音は揃って脅すように言う。
「末裔だからって、囲って外に出さないかもしんねぇしな」
「え」
「いろんな理由をつけて、研究されたり、力を吸い取られるかも……」
「ええ……」
いくら月神がついているとはいえ、相手が想像できない分、簡単に否定できない。
難しい顔をする都季を見て、魁と琴音は顔を見合わせて吹き出した。
「ははっ! 嘘だよ!」
「大丈夫。……でも、先代も更科君のお母さんの件で、会いづらいみたいだから……」
「……そっか」
都季の母が亡くなった時の十二生肖は先代だ。申し訳ない気持ちが先立つのだろう。
魁は、脳裏に先代を思い浮かべる。都季の中に月神の器が入ったと知ったときの彼らは、酷く困惑していた。
「先代達は、ある意味、臆病なんだ。だから、会うにはまだ時間がいる」
あの困惑は、前例のない現象が起こったことに直面したからだけではない。
局の頂点に君臨する月神を手に入れた都季が、復讐をしに来ないかと怯えたようにも見えた。また、巫女の血筋に月神の力が加わることで、大きな歪みを発生させないか、過去と同様の事件が起きるのではないかという不安も。
「けど、いつか、必ず会うときがくる。その時、都季が何を言っても俺達は止めないからな」
「……うん。考えとく」
見殺しにしたのかと罵倒するのか、終わったことだと赦すかは分からない。
それでも、話せる日が来るのなら、局を変える大きな一歩になるだろう。
都季はゆっくりと頭の中を整理しながら、石灯籠の灯りでぼんやりと照らされる階段を下りて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます