第22話 残る不安
コンコンと従業員用の出入口がノックされ、少しの間を置いてからアルミ製のドアが開かれる。
入って来たのは依月の従業員ではなく、普段と違って堅い表情をした龍司だった。
「失礼しますよ、茜さん」
「どうかしたか?」
自身のデスクで仕事をしていた茜は、龍司を見ずに問う。
彼が依月に来ることは少なくはないが、自ら事務室に入ってくるのは滅多にない。本人が「私は従業員ではないですから」と割り切っているからだ。
だが、今回はそうも言っていられない状況だった。
茜のデスクの隣に立つと、冷静な目をしたまま言う。
「この間の件で、茜さんに続報をと思いましてね」
「一夜のことなら、もう処理は済んだだろう。……あ、くそ。誰だよ、こんな発注したの。やる前に一言かけろ……って、あたしか」
一夜の件は一昨日、彼と別れてから局に戻った茜が先代や他の部署と話をつけている。
裏支として、月神の密命を受けて外部から調査をしているのだと押し通した。歪みに関しては一夜が開けたのではなく、開いた場所にたまたま彼がいただけだと。
やはり龍司には目を向けず、帳簿とパソコンを交互に見ていた茜は渋面を作った。
苛立ったようにパソコンを操作し始めた茜だが、その手は高い機械音にて知らされたエラーによって止められた。
「うお。なんかエラー出たんだけど。龍司、分かるか?」
「知りませんよ……。私は機械が苦手なんです」
「マジか。機械類得意そうな顔してんのに」
「眼鏡で判断しているなら、これを機に考えを改めてください」
「へいへい。まー、花音が出てきたら聞くか」
軽口を叩く茜に深い溜め息を吐いた龍司は、気を取り直して本来の報告をすることにした。
一夜の件とは違った……しかし、茜も予想はしていたものを。
「悠が、『何者かに襲われた件』の続きです。発見されたのは昨日ですが、今日は漸く話せるまでに回復しましたから」
「……そうか」
パソコンを強制終了させ、帳簿を捲っていた手が止まる。
悠は、一夜の件が片づいた翌日の早朝、局のそばにある雑木林で発見された。重傷を負っていたためすぐに治療を施されたが、昨日は目を覚まさなかったのだ。
それが、今日は目を覚ましただけでなく、話せるほどにまで回復している。つまり、ケガをした原因は既に聞いているはずだ。
茜は大きな溜め息を吐いて帳簿から手を離し、イスの背凭れに体を預けた。
「で、相手は分かったんだろ?」
話したのなら、襲撃してきた相手は判明しているはず。わざわざ龍司が出向いてきたということは、それなりのものだったのだろう。
一昨日の一夜のある言葉が脳裏を過ぎったが、確定するにはまだ早い、と考えを抑える。
しかし、意外なことに龍司は首を左右に振った。
「いえ。悠は『分からない』と言っていました。急に背後から襲われ、相手の姿を目にする前に発生した火球が爆発したとのことです」
「ふーん。場所は、東区二丁目のテナントビルの屋上だったか。ニュースで出てたぞ」
「先ほど処理が完了したので、もう流れませんよ」
「さっき、か。悠がいればもっと早かったんだがなぁ……」
――僕、別件で任務があるので、しばらく先輩達から離れますね。
茜と電話越しにそう話した悠は、やけに上機嫌に思えた。
別件が何かは聞かなかったが、彼はその件でビルの屋上にいたのだ。そして、何者かの襲撃に遭った。
昨日は依月が定休日だったため、茜は局で悠の治療が終わるのを待っていた。二年前と同じにならないでくれ、と願いながら。
「紗智の二の舞にならなかっただけマシ……つったら、怒られるか」
「彼は、紗智さんとは状況が違いますからね」
「なんだ。まだ吹っ切れてなかったのか」
「そうみたいです。これは彼が明かしてくれましたが、前回の……月神を持ち出した依人の件も彼が絡んでいます」
「やっぱりな……」
そう返しながら、リモコンに手を伸ばしてつけたテレビをぼんやりと眺める。
龍司が小さく息を吐き、来客用のソファーに座ったのが音で伝わった。
二人の間に沈黙が流れ、室内にはテレビの音だけが響く。
月神が持ち出された翌日、龍司のもとに悠から電話があった。
巫女の子孫が月神を取り込んでしまった。会わせたいから依月に来てほしい、と。さらに、まだ巫女の子孫であることは本人に伝えておらず、また、月神を取り込んだことを知っているとは言わないでほしいと頼まれた。
茜から都季が月神を取り込んだことを聞いたときは、知らない振りをしただけだ。知っていたと言えば、彼女は口止めをした悠を追及するだろう。
もし、追及されれば、彼の行動を悪化させる恐れもあった。
それを裏付ける発言を、悠は電話を切る前に告げていた。
――僕、やっぱり、『あの時の事』が忘れられないんです。
悠が指すのは、十二生肖に任命されて半年ほどが過ぎた頃のことだ。
紗智の一件があってから、悠は局に疑問を抱いていた。
本来、十二生肖以外との人付き合いに積極的ではなかった彼は、その疑問を十二生肖含め誰にも相談しなかった。ただ一人で、これが正しいのかと悩んでいた。
そこに、悠が今も引きずる事件が起きてから、彼の局や十二生肖への想いは大きく歪んでしまったのだ。
――だから、しばらくは様子を見ますけど、もし……万が一、あの人に月神が定着したら、そのときは――
「私が、この役を受け継いだときにしっかりしていれば、まだ良かったかもしれません」
「お前は多くの記憶を引き継ぐんだから、アレも仕方ないさ。先代なんて、何人の交代があったと思ってんだ」
一昨日、花音に「『前の人格』滲んでるよ」と言われた言葉が、まだ耳に残っている。彼女に故意がないことは分かっているが、継承をしたときを思い起こす引き金になっているのも事実だ。
子と辰は、十二生肖の継承時に先代までの記憶も受け継ぐ。もちろん、他の十二生肖もある程度の記憶は受け継ぐが、二人はその比ではない。重要な物に限られ、それも断片的になってはいるが、初代から積み重なってきたものだ。
膨大な記憶を脳が受けきれず、中には気を狂わせて自ら命を絶ったり、植物状態になる者も出る。
龍司の場合は、およそ一ヶ月の昏睡状態ののち、目を覚ましてからは歴代の人格が入り混じり、落ちついた頃には元の性格とは正反対になってしまった。
だが、悠の場合は誰もが驚いた。
「悠は、前例にない、異常が出ずに継承ができた十二生肖でしたが……」
「まさか、こんなことまで前例にないことをしでかすとはな」
悠を襲ったのが誰かは見当がついた。そして、とどめを刺さなかった彼に内心で少しだけ感謝する。
まだ本人の口からは語られていないが、一夜の件にも悠が関わっているはずだ。記憶操作が彼の能力であることから考えても間違いないだろう。
これからのことを考えた茜は、疲れたように溜め息を吐いた。
「どうすっかなぁ……」
ぼやきながらも答えは一つしか出ないが、できれば避けたいものだった。むしろ、先代達をどうやって言いくるめるかを考えてしまう。
そのとき、従業員用のドアがまた開かれた。
「おはようございまーす」
「……お前か」
「お前かって……」
現れたのは夕方からのシフトに入っている都季だ。
時計を見れば、もう五時を回ろうとしていた。つけていた番組もニュースに変わった。
どうりで、店から若い声が聞こえてくるわけだ、とデスクに広げた帳簿や書類を眺める。当然ながら、見たところでそれらが減るわけもない。
学生を中心に客が増える時間帯のため、本来なら茜も店に出たいが、ここ数日で溜まってしまったデスクワークでそれどころではないのだ。
都季は着替えのために奥の更衣室に向かおうとしたが、途中にあるソファーに座る龍司を見つけて足を止めた。
「あれ? 辰宮さん、来てたんですね」
「お邪魔しています。体調は大丈夫ですか?」
「はい。一昨日はご心配をおかけしてすみません」
一昨日、術の使用に際して龍司が案じていたことに都季は気づいていた。
苦笑を浮かべた都季に呆れを滲ませたのは、彼の肩にいる月神だ。
「まったくだ。提案した我が言うのもなんだが、お主は自重というものをだな――」
「あーあー、はいはい。分かりました。以後気をつけます」
「いえ、結果的には良い方向になったので、一夜の件は助かりましたよ」
一夜の件は、と意図せずに出してしまったが、都季はまだ龍司に慣れないせいか訊かれはしなかった。
だが、説教を止められたことで口を尖らせていた月神が、都季の肩にいるまま僅かに目を細めた。
「……龍――」
《――次のニュースです。一昨日の夜九時頃、恵月町東区二丁目のテナントビルの屋上にて発生した爆発事件について、不審人物の目撃情報が警察に寄せられていることが分かりました》
「「「!」」」
「あ。このニュース、昨日の朝もやっていましたね。昨日は何も分かってなかったみたいですけど」
タイミングが良いのか悪いのか、渦中のニュースが聞こえてきたことで、都季以外の三人に緊張が走った。
昨日の朝、都季の部屋でニュースを聞いた月神はすぐに怪しいと睨み、分神達に調べるように思念を飛ばした。その結果、悠と一夜が関わっていると分かったが、状況が状況だけに都季にはまだ知らせていない。
また、この事件に関しては依人が関わっているため、局から早々に警察に手を引くよう言ったばかりであり、新しい報道内容には龍司も驚いた。
(なぜ、まだこのニュースが流れているのでしょうか……)
報道関係者からも事件に関する記憶は消している。報道が騒がなければ消えていく事件もあるように、今回もその流れで自然消滅させるつもりだった。
ただ、今回は悠が不在であったため、記憶操作は同様の能力を持つ局員によるものだ。子以外の記憶操作の能力は、小さなものしか消せないことが大半であり、蘇ってしまうこともある。
あとでまた記憶の操作が必要かと考えている傍らで、アナウンサーは事件に関する新しい内容を読み上げた。
《事件が起こる二時間前、屋上へ向かう人物がいたことを、ビル関係者が目撃していたとのことです》
「ケガ人はいなかったからまだ良かったですけど、これって何が目的なんでしょうね?」
「ビル関係者に恨みのある人でもいたんじゃねーの?」
「そう、ですかね」
「まぁ、目撃者がいるなら、これの犯人もすぐに捕まるだろ」
都季はまだ腑に落ちていない様子だが、下手に話を掘り下げるのは避けたほうがいい。
月神も龍司も口を閉ざしたままで、話題をすぐに切り替えることはできる。
そう判断した茜が、短く言って話を終わらせようとしたときだった。
「でも、火の気がないのに爆発するとか、なんか変な事件ですし、もしかしてこれも幻妖とか依人が関わっているんじゃないかって思ったんですよね」
(巫女の勘の良さは受け継いでいるというわけか)
月神は自覚なしに真相をついている都季に内心で小さく息を吐いた。
先の夢見といい、やはり、今の都季にはそれ相応の霊力が出てきているとみていい。
今まで結奈が封じ込めていた霊力が果たしてどれほどなのか、それはすべてが出てからでないと分からないことだ。
茜も都季の変化には気づいているのか、その点は指摘せずに言う。
「なら、今はそれ以上、突っ込むなよ」
「え?」
「いろいろとあんだよ、こっちの世界にはな」
「……ふーん。そうですか」
茜の言葉では依人か幻妖の仕業だと言っているようなものだが、かといって都季が追究するのは難しい。
諦めて更衣室に入ったのを見届けた茜は、疲れたように溜め息を吐く。
「さすがは、巫女の末裔ですね。霊力も、最初にあったときより随分と増しているようですし」
「だろ? 本人に自覚がないから余計に怖ぇんだよ」
「結奈さんの水晶はあるんですよね?」
「一応はの」
都季について行かずに残った月神は、龍司の前にあるテーブルに降り立った。
二人にも事情は話しているため、これからはさらに都季のことを用心して見てくれるはずだ。
月神は今朝の都季の様子を思い返し、軽く息を吐いた。
「念のため本人に話はしておる。ただ、前向きというか楽観的というかなんというか、本人は『なら、つっきーの力を使いこなせるようになるのも早いかな』とか言う始末だ。……ん? しまった。我自身があだ名を呼んでどうする」
「余計な不安を与えないためとはいえ、苦労されていますね」
「だろう? もっと労え」
前向きは悪いことではないのだが、それは時に取り返しのつかない苦境に立たせることもある。
月神が都季に話したのは、「霊力が増えているから、使い方には気をつけるように」とだけだ。破綻の可能性は話していない。正確には、言葉にしたくなかった、だ。
霊力か器のどちらかだけならば、体は耐えられたただろう。だが、月神の器がある上、水晶によって抑えられているはずの霊力が出てきている今、果たして体が耐えられるかは分からない。
渦中の都季に向かって言ってしまえば、それが現実になりそうで怖くなってしまった。
「仕方がないとはいえ、やはり器の定着は最も避けるべきことだったかのぅ」
「悠の忠告は正しかったってことか……」
「そうですね……」
最後まで、悠は都季に月神の力を使うなと声を張り上げていた。それが、今になってこれほどの大きな意味を持つとは考えもしなかった。
当初、月神の器が都季に入ったと知らなかった茜だが、定着したところでいつか外す方法も見つかると軽んじていた上、大した問題にはならないと思っていた。
それが、今になって問題が顔を覗かせ始めている。
龍司はテーブルを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「彼は、どうする気なのでしょうね」
「更科が破綻する可能性はゼロじゃねぇが、まだ月神がいるからなぁ……」
「我でも抑えられるかは分からんが、ないよりは幾分かはいいのかもしれんな」
「ああ、いえ。更科さんではなくて、こちらの話です」
茜はてっきり話の流れから都季のことかと思った。だが、龍司が言ったのは別のことだった。
「他事で思い出したことがあっただけです」とぼかした龍司は、茜にはまだ言っていないことがある。
月神のことについてはもう知られてはいるが、悠が本当にやろうとしていたことは伝えていない。
(一夜の件は、悠が彼の記憶を操作して月神を壊そうとしたように見えた。一夜がその行為に更科さんの命を付け加えたように)
龍司は、月神が都季に入ってしまった翌日の電話を思い出す。
電話が切られる直前に、決意の籠った声で発された言葉を。
「つっきー。俺、もうホール出るけど、今日はここにいる?」
「いや、我も外に出るぞ」
「…………」
考え事に浸りかけていた龍司の耳に、更衣室のドアが開く音と都季の声が入った。
月神が定位置である都季の肩に移動すれば、彼は数日前を思い出して注意した。
「また退屈だとか言わないでよね」
「誰がそんな事を言うたか」
「えっ。なに、物忘れ? いたっ!」
「しばくぞ」
「もう叩いてる!」
一飛びして都季の頭を叩いた月神に不満を漏らしながら、都季はホールへと繋がる扉に向かう。
だが、扉を開く前に一度龍司を見て笑顔を浮かべた。
「辰宮さん、あとでホールの方に来ますか? 最近、俺も紅茶とコーヒー淹れていいって店長に許可を貰えたんです」
「そうですか。なら、後でお伺いしますね」
「はい。じゃあ、また後で」
都季は上機嫌にそう返すと、扉の向こうに消えた。
一通りの話も終わっている上、約束をしたからには行かなければ、と龍司もソファーから立ち上がった。
そんな龍司を、茜がやや緊迫した声音で呼び止める。
「なぁ、龍司」
「はい?」
「パソコンが起動しなくなったんだが」
顔を強張らせた茜の様子から真剣な話かと思えば、まったく別のことだった。
確かに、パソコンは起動ボタンを押してもうんともすんとも言わない。画面も真っ暗なままだ。
沈黙が二人の間を流れる。ニュースの声だけがやたらと室内に響く。
どうにかしてくれ、と無言で訴えかけてくるが、先にも言ったように、龍司は機械関係に疎い。
眼鏡のブリッジを指で押し上げた龍司は、にっこりと笑みを浮かべる。
「では、私は更科さんのお茶を頂いてきますね」
ここは関わらないほうがいいと判断し、まるで、「なにも見てませんし聞いてません」と言わんばかりに流した。
逃げるように従業員用の出入り口に向かえば、後ろから再び呼び止められる。
「龍司」
「まだ何――……」
ドアノブに手を掛けたまま振り返れば、茜は先ほどとは違う神妙な面持ちをしていた。
「もし、他にも何かあるんなら、早いうちに話せよ」
「……ええ。そうします」
その返事が他にも隠し事があることを肯定しているが、彼女が強制しない限りは話す必要もない。
外に出れば、夕焼けが辺りを赤く染めていた。
「言えば、あなたはすぐに動くでしょう」
茜は結奈とは親しかった。歳こそ茜のほうが下だが、その性格からか彼女が結奈の姉のようにも見えた。
だからこそ、茜は結奈の忘れ形見である都季を守りたいと、誰よりも強く思っている。
葬儀のときに都季を迎えに行ったのも、アルバイトに採用したのも、すべてはその表れだ。
「でも、こればかりは私の口から出すには恐ろしいのですよ」
我ながら情けない、と溜め息を吐いた。
悠の言葉が脳内で再び繰り返される。
それは、いつか悠が人に対して敵対心を抱いていたときと同じ声音だった。
――彼ごと、月神を破壊しますから。
二章 終
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