二章 月夜を舞う者

第1話 最初の犠牲者


 恵月町東区。そこは、他の区画と比べるとオフィスビルが集中している場所だ。

 夜の闇に包まれていた東区は、普段ならば都会を思わせる近代的な雰囲気を味わえるのだが、今はまるで大きなデモ騒ぎでもあったかのように荒れていた。

 道路は至る所が割れ、ビルの窓も派手に割れたり大きな皹が目立つ。また、街路樹は倒され、道路と歩道を区切る鉄製の柵も大きく変形していた。

 さらに、衰えを知らない真っ赤な炎が複数箇所で揺らめいており、中には大小様々な黒い塊が見えるが、どれも既に原型を留めていない。

 見る人が見れば、ゾンビ映画のワンシーンのような光景だと思うだろう。

 そんな荒れ果てた路上には、二つの人影があった。

 血にまみれてぐったりとした十代後半くらいの少女と、彼女の上体を抱えて必死に呼び掛ける青年だ。


「もうすぐ他の奴らも着く。あと少しの辛抱だ……!」


 青年は口早に言うと、少女の脇腹に手を宛がった。全身から出血している少女だが、その部分の傷が特に深く、せめて止血にならないかと思ったのだ。

 だが、少女は痛覚が麻痺しているのか、傷口を押さえられても顔を歪めることなく、必死に声を絞り出した。

 体がやけに冷えるのは冬が近づく気候のせいか、それとも流れ続ける血のせいか。


「ねぇ……私、ちゃんと……役目、果たせた、かな……?」

「は……?」


 一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 死にかけた状況で、何を気にしているのかと。

 晴れていた夜空に雲がかかる。

 人為的に引き起こされた雨が、ぽつりぽつりと降り出した。

 周りで燃えていた炎は、雨によってその威力を弱めていく。しかし、血を流す腹や手足の傷は深く、止まるところを知らない。

 「わ、たし、頑張った、よね……?」と力なく呟いた少女を見て、青年ははっとしたように目を見開いた後、顔を歪めて悲痛な声を漏らす。


「なに、最期みたいなことを言ってんだよ! これから……っ、『一緒に頑張ろう』って言ったの、お前だろうが……!」

「なんで、泣いてるの……げほっ。……私が、傷の痛みで泣くなら、分かるけど」


 青年の頬に流れた涙に、苦しそうな笑顔が浮かべられた。

 拭おうと持ち上げた少女の手は震え、今にも落ちてしまいそうだ。

 縋るようにその手を握り、彼女の体を強く抱きしめた。

 どうしようもないことは分かっている。それでも、彼女を失いたくない一心で腕に力を込めた。

 これから訪れるであろう現実を、頭の中で必死に否定し続ける。

 雨は容赦なく体を濡らしてさらに冷えていく。

 だが、腕の中の少女は、雨だけで体温が下がっているのではない。


「俺が……俺が、変わってやれたら……!」

「……バカねぇ。そこは、『お前の分まで生きてやる』、でしょ?」


 少女は既に現実を受け入れていた。

 それは、当の本人だからこそ分かる『命の終わり』を直感したからであり、また、彼女自身がいずれこうなるとからだ。


「なんで、お前が……」

「そ、んな、もんよ……。私達、『十二生肖』は……。……でも、後悔は、ないの。だって――」


 ――最期に、貴方の傍にいられたから。


 そう言った少女は青年の胸板を軽く押して少しだけ離れると、襟を掴んで引っ張り、軽く触れるだけの口づけをした。

 それが離れると、固まる青年に悪戯が成功した子供のように笑った。


「ふふっ。……驚き、すぎ」

「っ、お前な……!」

「ねぇ」

「……なんだよ?」


 少女は一度笑みを消すと、青年ではなく彼の後ろに見える真っ暗な空を見た。

 できれば、青空が良かったと思いながら。

 ぶっきらぼうに答えた青年に、彼女は目尻に涙を滲ませながらまた笑みを浮かべると、「ありがとう」とか細い声で呟いて目を閉じた。

 周りから音が消え去った。

 あまりにも突然の事に呆然としてしまったが、それきり動かなくなった彼女に、次第に体の芯が冷えていくのを感じた。

 力が抜けそうになった腕に再び力を込める。

 目の前の事実を受け入れたくない青年は、懇願するように声を絞り出す。


「おい……。『ありがとう』って、なんだよ……なぁ!?」


 肩を揺すっても、彼女は瞼一つ動かさなかった。

 背後に複数の人が、服に泥水が跳ねるのも気にせずに走ってきた。その全員が二人を見て足を止める。

 動かない少女に一人の女性が膝から崩れ落ち、最年長であろう女性が顔を歪めながらその隣に片膝をついて肩を抱く。泣きじゃくる少女を、同い年くらいの少年が宥める。

 沈痛な空気が流れる中で、唯一、最年少に見える少年だけが怒りを交えて強く手を握りしめた。


「これが、『十二生肖』なのかよ……」


 その呟きは雨音に掻き消され、誰にも届くことはなかった。

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