第25話 終わりの始まり


「ふぅ。ようやく出てこられたわ」

「つっきー!」


 都季の前で宙に浮いた月神は疲れたように息を吐いた。

 漸く会えた月神に喜色を浮かべた都季だったが、直後、月神に向けられた視線はやけに冷ややかなものだった。


「お主、我を拒むとは何事だ」

「え?」


 やっと出てこられたというのに、月神は不機嫌を露にしている。

 都季に心当たりはなく目を瞬かせれば、盛大に溜め息を吐かれた。


「工場でのときはともかく、それ以前ではお主が我を拒んでいたから、我は外に出られなんだ」

「いや、だって、あれは……」


 刻裏が術で月神を封じていたから。

 そう言おうとした都季を、月神は目尻を吊り上げて睨んだ。


「狐にうまいこと言いくるめられおって! 何故、我が幻妖界で幻妖どもに宥められるような惨めな思いをせねばならんのだ!」

「……ぶっ」

「そこ、笑うな!」


 その光景が浮かんだのか、堪えきれずに魁が吹き出した。

 茜も顔を背けているところから、必死に我慢しているのだろう。

 唯一、琴音だけがおろおろとしている。


「ご、ごめん。けど、いくら呼びかけても反応なかったから、てっきり……」

「途中で返事ができなかったのは狐の術ではない。お主が深層意識下で我を拒み、壁を作ったから声が届かなかったのだ」

「そうだったんだ。本当にごめん」


 思い返せば、公園で刻裏は「月神に関してはあやつを受け入れた都季ならば容易いことだ」と言っていた。

 出てきて欲しい思いもあったが、反面、会ったときにどんな顔をすればいいかという思いもあったのは事実だ。


「……まぁいい。狐がああ言うて結界を張っておかねば、我は弾かれるところだった」


 刻裏は月神を離さないためと、都季の体が壊れないようにするために結界を張っていた。

 定着するかどうかは都季が力を使うか否かの問題だったが、月神自身は十二生肖から離れて危険な場所を走る彼を守るために離れたくはなかった。その点に関しては刻裏には感謝している。

 短く息を吐いてから気持ちを切り替えた月神は、都季に向き直ってこれからを考えた。


「都季が我の持ち主となったなら、宝玉は媒体として形を変えたほうがいいかのぅ。このまま宝玉として体内に宿るのもいいが、器の状態は視認できたほうが良かろう?」

「確かに。器に異変が起こっていたらすぐに対処できるし、変えられるならそうしたほうが助かる」


 月神の提案に茜は同意した。

 器は外部から何らかの影響を受けた場合、すぐに表面に異常として表れる。今回の刻裏の術に関しても、器が外にあれば周りも気づいたはずだ。


「よし。ならば変えようかの。どれ、動くでないぞ」


 都季の目線の高さで浮遊した月神は、どうすればいいかと困惑する都季を優しく制してから目を閉じた。直後、彼の体は光に包まれて一つの球体に変わった。

 何が起きるのかと見ていると、浮いていた球体が突然、都季に向かって動いた。

 球体が都季の右頬を掠め、右耳に針を刺したような痛みが走る。


「いっ!?」

「大丈夫か!?」

「問題ねぇだろ。月神が、器だった宝玉の形を変えただけだし」

「耳、ピアスがついた」


 何故か都季本人ではなく、茜が呆れ混じりに答えている。

 大したことではないのか、琴音も落ちついた様子で都季の右耳を指差した。

 琴音に言われた右耳に触れる。すると、今まで何もなかった耳朶に固い感触があった。

 近くにあった全身鏡で耳を見てみれば、小さな水晶玉のピアスがついていた。

 そのピアスが淡く輝き、目の前にまた現れた月神は楽しげに笑った。


「若者がよく着けておるし、このほうが現代にはよく合うのだろう?」

「いや、そうかもだけど、学校はどうすれば……」

「それは問題ねぇよ。器は月神や神使達と同じ性質を持つから、一般人には見えねぇ。見せびらかしたいなら、それを可能にできる奴に掛け合うけど?」

「いえ、遠慮しておきます」


 校則は緩いと言われるほうだが、ピアスなどのアクセサリー類は注意されているのを見かけたことがある。見えないならば見えないほうがいい。

 茜はベッドサイドのテーブルに置かれた時計を見て、再び催促した。


「ほら、さっさと着替えな。局に行って話さないと」

「なぁ、俺達も制服?」

「当たり前だ馬鹿。先代を丸め込めなかったら、上層部集めての会議もあるからな。あ、更科の服は適当にお前の家から取ってきたから」


 局にも制服はあるらしい。

 都季は家から取ってきたとさらりと言われたが、どうやって入ったのかと疑問に思った。

 今回も疑問に答えたのは心を読んだ琴音だ。


「鍵、更科君の鞄から探したの」

「あ! そういえば、学校帰りに破綻者の人に追いかけられて、どこかで落としたんだった!」

「歪められた空間だったのに、よう見つけたの」

「都季を探してたら、暮葉が拾ってきたんスよ」


 鞄がないことを今さらながらに思い出した。

 路地裏での一件を思い浮かべれば、魁がどこか誇らしげに言った。

 どうやら、昨日、依月を出て都季を探しているときに見つけたようだ。

 そして、魁はまだ鍵が見つかっていなかったときのことをさらりと告げた。


「最初はめんどくさくて、イノ姐が破ろうとしてたけどな」

「うっせぇ。そのほうが手っ取り早いだろうが」

「いや、弁償しないといけなくなるじゃないですか!」

「何度も言わせんな。いいか。あと五分で着替えろ」

「「……はい」」


 ドスの効いた声に、二人は素直に頷いた。

 琴音と茜はもちろん、別室での着替えだ。

 二人が出てから、都季は魁に手渡された服へ着替える。

 局の制服は軍服かと思わせるようなデザインだ。黒のロングコートに、下は白いシャツに黒のベストを着ている。パンツは黒のストレートタイプだ。

 部屋から出れば、ちょうど着替えを終えた二人が隣室から出てきた。

 琴音はミニスカートに黒のニーハイだが、茜は魁と同じパンツスタイルだ。


(か、可愛い……)

「……ありがとう」

「あっ、そっか。聴こえるよね……」


 琴音を見て感じたままのことを内心で呟いたが、やはり彼女にはばっちりと聴こえていた。

 下心はないにしろ、何となく気まずい。ここに悠がいれば、にやにやとした笑みを向けられそうだ。

 琴音は、「褒められるのは、嬉しい」と素直に受け取ってくれているのでまだ助かったが。

 すると、朝食を準備してくれていた茜がやや呆れた口調で魁に訊ねた。


「魁。お前、自炊してないのか? 道具探すの苦労したぞ」

「あ、あはは……。……頑張ります」


 一人暮らしならば料理をする機会もあるだろう。現に都季もほぼ自炊している。

 だが、茜の口振りから察するに魁はそうではないようだ。

 リビングのテーブルを見れば、茜が用意してくれていた朝食が並べられている。こんがりと焼き色のついたトースト、綺麗に焼かれた目玉焼きとハムが良い香りを漂わせ、簡単なサラダも添えられていた。

 思えば、昨日は気絶をしたせいで夜ご飯を食べ損ねていたため、今さらながら強い空腹感に襲われる。

 時間がないからと朝食も手早く済ませて下に降りれば、茜がマンションの駐車場から車を移動させて来た。


「何だか連行されてるみたいだ」

「半分そうだよ。ほら、乗れ」

「え」


 茜に背を押され、都季は反論もできずに車に乗った。続いて魁が都季の隣に座り、琴音は助手席だ。

 後部座席のドアを閉めた茜は、ふと、乗り込む前にマンションを見上げた。

 屋上の縁に人影が一瞬だけ見えたが、特にそれを都季達に言うこともせずに運転席へと戻った。


「ちょっと飛ばすからな」

「いや、安全運転で頼む」

「うるせぇ。あたしに指示すんじゃねぇよ」

「イノ姐、ほどほどで……」


 魁の様子が変わったところから、よほど荒々しいのだろう。

 実際、琴音が言い終わるか終わらないかで急発進した車は、都季の予想を超える速度だった。

 警察に見つかれば検挙されるか否かの速度の中、都季はぎこちないながらも今しかないと口を開いた。


「あ、あのさ、すごく今さらなんだけど……」

「ん? 忘れ物か?」

「忘れ物、というか……昨日、依月で皆に八つ当たりして、ごめ――」

「謝る必要はねーよ」

「え……?」


 謝罪を遮ったのは運転中の茜だ。ルームミラー越しに合った目は、都季を通して誰かを見ているかのようだ。

 再び前に視線を戻した茜は落ちついた声音で言った。


「事実だからな。それに、お前はこうして受け入れてくれた。それだけで十分だ」

「…………」


 茜が事実だと言うのは、都季が責めたことに関してか。

 都季の疑問を空気で感じ取ったのか、茜は「仕組んでたり利用してたのかと聞かれたら、答えはイエスとノーの両方だ」と曖昧に返してきた。

 その意味を理解しかねていると、小さく息を吐いた茜が言葉を続けた。


「更科。今から行く所は、お前にとって戸惑うことばっかだと思う」

「……はい」


 突然、変えられた話題だが、幻妖や依人のことを知ってから戸惑う日々が続いている都季は素直に頷いた。

 今さらな言葉ではあるが、都季は身が引き締まるような思いがして自然と背筋が伸びた。


「でも、お前の両親が大事にして、最期まで前向きに一般人との共存を願って努力していた場所だ」

「両親を知ってるんですか?」

「あたしを幾つだと思ってんだ」

「二十ろ――」

「うるせぇ黙れ」

「…………」


 素直に答えた結果、一蹴されて項垂れる魁の肩を、月神が慰めるようにポン、と叩いた。

 軽く流したまま、茜は言葉を続ける。

 昨日、魁達にも説明していなかったことを。


「あの二人には世話になったし、何かあれば更科のことを頼んだとも言われてた」

「店長に?」

「今は店長じゃねぇ。……多分、あたしに言ったのは、お前が一人立ちするまでの生活のことだよ。だから、事故の後、お前はあたしが引き取る予定だったんだ」

「え」

「いろいろあって、お前の母親の実家に引き取られることになったけどな」


 声のトーンが落ち、彼女が両親の言葉を守れなかったことを悔いているのが伝わってくる。

 都季がバイトの面接に来たときは予想外の出来事に驚いたものだ。すぐに都季を引き取った家に連絡をしたが、ただ「よろしく頼む」と言われただけだった。

 そこまでを聞いて、都季は先ほど茜が曖昧に返してきた言葉の意味を理解した。

 仕組んだつもりはないが、両親のことを知っていながらずっと黙っていた。それが、結果として月神を取り込むことになってしまったからだ。


「局に入って、お前に両親の続きをやれとは言わない。だけど、あの二人の意志をムダにするようなことだけはしないでくれ」

「……はい」


 続きをやれる自信は、関わったばかりの今はない。

 それでも、都季は自分なりに彼女達の手助けができればと思った。

 大通りに入り、車のスピードがやや緩やかになった中、覚悟を決めた都季を見た月神は目を閉じて小さく微笑んだ。

 そして、再び都季を視界に収めると優しい笑みを浮かべたまま言う。


「今までは立場上、我も言うてやれなんだが……」

「何を?」


 膝にいた月神は宙を舞い、都季の頭を小さな手で軽く叩くように撫でた。

 突然の行動に固まっていると、彼はまた都季の目の前に戻って言葉を続ける。


「ほんに、大きくなったのぅ。結奈達も喜んでおるだろうて」

「……っ! つ、つっきーが小さいからじゃないの?」

「何だとぉ!? 人がせっかく成長を喜んでやっているというのに!」


 まるで小さな頃から知っているかのような口振りに、戸惑いや驚きよりも気恥ずかしさと嬉しさが勝った。久しく会っていない親戚にでもあったかのような感覚だ。月神は不満を露わにしているが。

 ただ、横で聞いていた魁は月神が都季を知っていたことに驚いていた。


「え。月神って、都季のこと知ってたんすか?」

「一度だけ、局に来ておったからの。そのとき、舌っ足らずな言葉で『つっきー』と呼んでおったのだ」

「……あ」


 その瞬間、都季の記憶の奥深くに沈んでいた声が朧気に浮かび上がった。


 ――よしよし。良い両親のもとに産まれて、お主は幸せ者だのぅ。


 どんな姿だったのか、もはや随分前のことで覚えていないが、声は目の前の月神とよく似ている。今は小さいためか、少し高い気もするが。

 どうりで、月神と初対面ではない気がしたわけだ、と合点がいく。


「じゃあ、つっきーって呼んでいいって言ったのは……」

「懐かしかった故にな。まぁ、それもいいだろうと思うた次第だ」

「そっか……」


 茜も言えないことがあって苦しかっただろうが、月神もまた過去に会ったことを打ち明けられずにいた。

 だからこそ、少しでも過去の繋がりを消さないようにしたかったのだろう。

 都季は月神の手をそっと取って言った。


「それじゃ、これからもよろしくな。つっきー」

「……ふっ。せいぜい、頑張るがよい」

「えっ。なんで突然、上から目線?」

(((照れ隠し……)))



   * * *



 一方、魁の住むマンションの屋上からは、二つの影が車が去った方角を見ていた。


「亥には気づかれたな」

「気配だだ漏れにしといてよく言うよ」

「それは少年もだろう?」


 屋上のフェンスの外側にいたのは刻裏と、彼の隣で縁に座る灰色のパーカーの少年だ。フードが風に煽られ、今日は留めていないのか白に近い灰色の髪が見え隠れしている。

 呆れも交えて吐き捨てるように言った少年だが、刻裏は嫌悪感ひとつ見せず軽く笑みを浮かべた。


「策とやらは失敗か?」

「……ふん。やっぱり、成りそこないはダメだ」

「そうか。……人とは、いつの世も面白いものだね」


 少年は刻裏を見ることを一切しなかった。それは、少年の中にある刻裏への最低限の抵抗の表れだ。

 しかし、刻裏はそれを気にすることも指摘することもなく、深い意味を含んだような言葉を口にする。


「前に進もうとする者、立ち止まる者といろいろだ。……ああ。変えようとする者もいるな」

「君があのとき、彼に『暗示』なんて掛けなかったら、こうはならなかったのに」

「約束は違えていないよ。お前に言われたのは、『月神を壊すための機会作り』と『継承行為』のみだ。『月神の定着をしてはならない』とは言っていなかっただろう?」


 刻裏は都季に継承をしていない。ただ、力の使い方に戸惑っている彼に、力を与えたように見せかけて使い方を教えただけだ。

 不満げな少年に対し、刻裏はいけしゃあしゃあと言ってのけ、「ではな」と背を向けて姿を消した。

 神出鬼没の彼は、新しい楽しみを見つけているようだ。

 一人になった少年は刻裏の言葉が頭の中で反芻され、悔しそうに歯を食い縛る。だが、それもすぐに思いついた考えにより消え、口元に笑みが浮かんだ。


「じゃあ、もっと強い奴を当てないといけませんね。“都季先輩”」


 立ち上がった拍子に被っていたフードが落ち、まだあどけなさの残る整った顔立ちが露になる。

 平穏が流れる町を見渡す少年の足元で、二匹のネズミが鳴いた。






一章 終

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