第17話 巫女の正体


「こ、くり……?」

「お前は忙しないな、都季。ケガはないかな?」


 顔を上げれば、すぐ傍ににっこりと微笑む刻裏の顔があった。どうやら彼が助けてくれたようだ。

 ぶつかると思った壁は簡単にすり抜け、別の路地裏に出ていた。先ほどの壁は相変わらず顕在しているが、そこを通り抜けてあの女性が来る気配はない。

 刻裏は都季を片腕に抱いたまま、警戒するように壁へと目をやって溜め息を吐いた。


「これはまた、厄介なものに追われていたな。二級破綻者とは」

「刻裏にも嫌なタイプがあるんだ」


 何でも簡単に相手をしそうな刻裏だが、思えば彼も幻妖の一人だ。万能というわけではないのだろう。

 刻裏は苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「二級ともなれば、自我で力を抑えきれない。月神を求める意志のみが彼らを動かす。ただ、無闇に力を振り回されると動きの予測が難しいのでね。強行突破させてもらった」

「そうなんだ。ありがとう、助かった」

「いやいや、礼には及ばない。様子を見ていて正解だったけれどね」


 再び都季に向けられた目は優しい。

 管狐の主人が刻裏だと聞いたが、やはり信じられない。彼が裏で動いていたなら、どうして助けたのか。依人とは別に月神を狙っていたとしても、今が絶好のチャンスのはず。自分の手を汚したくないのなら、配下である管狐を喚べば済む話だ。

 刻裏の腕から離れた都季は、ここは本人に訊いてみるべきかと逡巡する。

 一人悩む都季を見て、刻裏は小さく笑みを零した。


「本当に、人とはよく悩むものだな」

「悪かったな。人と関わりが増えれば、その分悩みも増えるよ」

「ははっ。しっかりしていることだ」

「母さんの受け売りだけどね」


 無邪気に笑う刻裏は腕を組んで壁に寄りかかる。その様子を見る限り、もう危険はないのだろう。

 都季は幼い頃から母親にいろいろと叩き込まれた。今思えば、早く一人立ちできるようにと、何かあっても強く生きられるようにと育ててくれていたように思える。もちろん、偶然だろうが。


「都季よ。私に訊きたいことがあるのでは?」

「直球だな」

「お前は自分の中だけで考えて答えを出そうとする傾向がある。頭の中だけでは答えは出ないことが多い」


 ――特に、私達、幻妖に関することはね。


 見透かしたように笑みを浮かべた刻裏は、都季が半信半疑に陥っていることにも気づいている。

 だからといって、すぐに刻裏に訊くのは気が引けた。


「……ずっと迷路にいたみたいだったのに、どうやって出られたんだ?」

「彼女の力は『空間の作成』。つまり、本来ある路地裏に似せた新たな『空間』に都季を追い込んでいた。私は彼女の空間に一瞬だけ隙間を作り、都季を引きずり出しただけだよ」


 あの女性は都季の体力を尽きたところを襲う予定だったようだ。どうりで曲がり角だらけだったわけだ、と合点がいった。

 女性の空間から逃れたということは、今は一体どこにいるのか。その疑問は簡単に口から出た。


「ここは?」

「彼女の空間に私の空間を造らせてもらった。私が授けた力が、結果的には空間の作成になっているのだから、私にできないわけはない。最も、これが空間の隔離であったならば、侵入も許されなかったのだがね」


 刻裏の作った隙間は、空間の作成の能力によってすぐに修復される。もちろん、空間を造った主の女性が壁を取り壊すこともできるが、壁の向こうは彼女の力では及ばない別空間だ。

 花音であれば刻裏が作った空間へ侵入もできるのだが、一介の破綻者がそれほどの力を持っているはずもない。これ以上、追って来ないと判断し、刻裏は警戒を解いたのだ。

 安心したからか、都季は刻裏の言葉で聞き流せない部分があって視線を落とした。


「……やっぱり、依人が増えるのって刻裏が原因なんだ」

「継承組に関しては大部分が私だね。無論、私以外もあり得るが」

「月神?」

「それもだが、神に近しいものほど力は分け与えられる。厳密に言えば、『お守り』という物も力を継承していることになる」


 神の力を僅かでも宿した物。依人や幻妖とは違うのは、宿った力を自身の意思では扱えないと言うことか。

 また、都季が着けているペンダントも月神本人が力を宿していると言っていた。

 都季はペンダントを服の上から握り締めながら、昨日や先ほどの破綻者を思い出す。進行の度合いは違うが、どちらも苦しそうな顔をしていた。


「そこまでして依人になるメリットってあるのか?」

「あるなしは継承した本人によりけり。力を求める理由は様々だ。決まって、みながそれぞれ迷ってはいるがね」

「迷ってる?」

「ああ。『今』からの変化、脱却を望んでいることは確かだ」


 そして、力を継承する。末路はその人次第だ。

 刻裏も力を与えられるが、破綻寸前の者を救う力はない。それは神かその技術に優れた一握りの者であればできる芸当だ。ただし、救えるのは破綻初期である五級に限られている上、五級の期間は非常に短い。大抵が手遅れになる。


「でも、一般人は幻妖世界のことを知らないだろ?」

「最初はみな、知らぬ間に私に会うのでね。それも、互いに惹かれ合うようにな。まぁ、中には依人が唆す輩もいるがね」

「依人が? だって、依人って昔の事件で一般人から存在を消したんだろ?」


 木を切られて日本中が荒んだ。もしかすると、聞いていないだけで世界規模だったかもしれない。なのに、自ら存在を広めてどうするというのだ。

 都季からの問いに刻裏は意外そうに目を見張った。


「なんだ、『破幻事件はげんじけん』の話は知っていたか」

「はげん……?」

「都季が聞いた、神降りの木が伐採された後に幻妖と依人が暴走や暴動を起こした事件のことだ。“子”が言いかけていた、共存ができなくなったきっかけの事件もこれだ」


 千里眼で視たのだろう。刻裏は都季が聞いたままの事を、手短なものに直して説明した。

 「あれは酷かった」と顔を歪めて呟いた彼は、一体、いつから生きているのだろうか。


「これを『破幻事件』と一部では伝わっていてね。敬遠したというよりも、『迫害』、『弾圧』……まぁ、いろいろとある」

「そこまでされていたのか……」

「ああ。この町に依人や幻妖が多いのは、一ヶ所に集めていたほうが管理がしやすいと考えたからだ。かつては木もあり、巫女もいた土地だからね。だが、それがいけなかった」


 人に虐げられてきた恨みは、集まれば集まるほど強く大きくなる。また、恨みを持つ者同士で団結もしやすい。

 依人が一般人を唆して依人に変えようとするのは、二つの目的がある。一つは仲間を増やすため、もう一つは一般人への復讐だ。

 継承が上手くいけば仲間が増える上、継承が失敗してもその一般人は消えていなくなる。依人側からすればメリットしかないのだ。

 事件が収束した今でも、一部の依人には復讐心が強く残っている。それを取り締まるのも局の仕事の一つだ。

 そのまま先を語ってくれるかと思ったが、刻裏は妖艶な笑みを浮かべると劇の前座のように言った。


「さて、ここから先は都季が知りたいと思っていたものの一つだ。そして、私が管狐を送り込んでおきながらも助ける理由にもなる。聞きたいか?」


 やはり、刻裏は最初から都季が抱いていた疑いを見抜いていた。そして、管狐を送ったことを自分で明かしている。

 ここまでくれば断る理由も遠慮もない。


「教えてほしい」

「いいだろう。しかと聞け」


 刻裏がパチンと指を鳴らすと、辺りの景色が一変した。

 薄暗い路地裏から、恵月町が一望できる天降神社近くの見晴らし台へと。

 夕焼けに染まる町はいつもと変わりない平和な空気を保っている。先ほど、破綻者に追いかけられて恐ろしい思いをしたとは思えない光景だ。


「巫女が数年前まで存在していたと知っているな?」

「ああ。でも、亡くなったって……」

「そうだな。巫女の存在は一部の依人にとって、また人の介入があるのではないかと思うほどに恐れられるものだった。何せ、巫女はあくまでも特体者……霊力が強いだけの『人間』だ」


 強い霊力を持つ彼女は、代々続いてきた巫女の家系からすれば喜ばしいものだ。だが、依人の中には、「また破幻事件を繰り返すのか」と反発する者もいた。

 だからこそ、巫女は表向きでは存在していないことに……局には関わっていないことになった。


「表向きは不在。しかし、本当は神降りの木の成長に一役買っていた。それは十二生肖もよく知っている」

「そうか。神降りの木は局が管理しているんだっけ」

「ああ。そこまでは何も問題はなかった。だが、巫女は局に出入りしていた政府の人間と結ばれてしまった」


 際どいラインで許されていた巫女は、依人や幻妖が嫌う政府の人間と結ばれた。それも、関わっていないはずの局で出会って。

 政府の人間がどのような人かは、局に所属している者ならまだしも、所属していない者からすれば知る由もない。

 人間達に存在が明かされ、迫害や弾圧が再び始まるのではないか。そう案じられた結果、依人や幻妖による暴動が起こった。


「十二生肖も依人達を抑えるのには苦労していた」

「その男の人って、悪い人じゃなかったんだよな?」

「ああ。人と幻妖の共存を強く望む意志を持つ、争いを嫌う穏やかな男だった」

「“だった”?」


 何故、過去形なのだろうか。

 そういえば……と、都季は巫女が結婚しているなら、その夫はまだ生きているのではないかと思った。

 魁達から聞いてはいないが、今も局か政府にいるはず。辞めていれば話は別だが、共存を強く望むのならそう簡単に辞めはしないだろう。

 刻裏はその疑問を読み取ったのか、答えるように言葉を続けた。


「男は政府から離れて局に属した。しかし、幻妖や依人の反発が収まるはずもない。そんな中、巫女は子を身籠った。その子が産まれてしまえばどうなる? その子にも、同様の力が備わっていたとしたら?」

「危ないって、思うだろうな」


 男は強い霊力を持つ特体者を二人も身内に持つ。局の今後を決めるような重要な場面で、夫だから、親だからと出る可能性もある。歴史でもそういった状況は多々見受けられるのだ。

 そして、誕生した子供は依人達が懸念していたとおり、母親同様に強い霊力を持っていた。



「依人の暴動はとても長く続いてな。局もその度に鎮圧したが、所謂『いたちごっこ』というものだ。そして、少し前、環境の変化があったのは覚えているかな?」

「たしか、冷夏とか干ばつとかあったな。あれに関係しているのか?」

「そのとおり。一部ではあるがあれにも絡んでいる」


 二、三年前の話で、まだ記憶に新しい。ニュースでも大々的に取り上げられ、あのときも地球温暖化が一因にあると騒がれていた。

 今の異常気象は十二生肖の月守がケガをしたからだと聞いたが、以前のは依人や幻妖によるもの。月守が万全であっても異常が起こったことを鑑みると、暴動はかなりの規模だったと分かる。


「依人達の暴動は記憶を操作しなければいけないほどで、局は疲弊しきっていた。巫女の子供はまだ力に気づかぬほど未熟だったが、月神の加護もあって狙われることはない。しかし、大きくなればその加護も減る」

「守るものが増えてしまうのか」

「ああ。一部の十二生肖は思ったのではないか? 『巫女さえいなければ』、と」

「そんな……」

「私の憶測でしかないがね。でも、それを裏付けるような事件が起きた」


 治まらない暴動騒ぎの中、巫女とその夫は交通事故に遭って亡くなった。

 事故当時、夕方から降りだした雨は、すぐに視界を遮るほどの豪雨になった。車で走っていた夫妻は信号待ちの際、後ろから来たトラックに追突され、車体は交差点の角にぶつかって大破。即死状態だったという。


「……え?」

「事故はトラック運転手のスピード違反と視界不良による信号の見落とし。世間ではそう片付けられていた」


 聞き覚えのある内容に思考が停止した。交通事故ならば似た状況がいくらでもある。しかし、他人事には思えない。

 刻裏はあえて都季を無視したまま話を続けた。


「私は偶然、あの場に居合わせたが……悲惨だったな」


 悲しげに目を伏せた刻裏は、一体、どこで起きた事故を思い浮かべているのか。訊こうにも口から言葉が出なかった。


「だが、あれはただの事故か? 事故現場はそう簡単に事故など起きないような真っ直ぐな道だった。さらにあの日、巫女が亡くなったというのに、十二生肖は何故現場に現れなかった?」

「ちょ、ちょっと待って」

「もし、事故が『偶然の不幸』ではなく、『必然の不幸』だとしたら? 依人と幻妖が暗殺を企てていたことを知った十二生肖が、見て見ぬふりをしていたものだとしたら?」


 都季の制止を流した刻裏は喋ることを止めない。

 確かに、都季の知る事故は不可解な部分も多かった。それが幻妖や依人によるものなら合点がいく。

 まるで事故は偶然ではないと言い切るような口振りに、思考を奪われていく感覚がした。ただ、胸元だけは熱かった。今まで反応のなかった月神が「出せ」と暴れているように。


「依人達を抑える方法はただ一つ。暴動の起因となった巫女をこの世から消すのみ。そして――」


 刻裏は空へと右手を伸ばし、また指を鳴らす。

 切り替わった景色に、背筋が凍りついた。


「巫女の子を町から追放すること」


 ビルの屋上。下には見晴らしの良い広い交差点。車は信号に従って走っている。

 都季はよく知っている場所だ。両親が事故に遭ってから、ここには一度も来ていなかったが。

 冷たい風が体を打つが、今は寒さよりも突きつけられている事実に身が震える。

 この場所をなぜ刻裏が知っているのか。今までの話からすべてが繋がった。


「巫女は息絶える寸前、近くにいた私に『私の子供に何かあれば力になってほしい』と言い遺した。だから、私は助けたまで。巫女の子はその後、親族の手によって町を出た。しかし――」

「分かったから……」

「巫女の子供は、この町に戻って来てしまった。タイミングが良いのか悪いのか、月神の力が不安定なときに。それを知った十二生肖はどう思う? 利用しない手はないだろう?」


 今まで不思議に思っていたことが驚くほど綺麗に解かれていく。

 母の実家のことも、茜や月神が先代の巫女の話をしたがらないことも、何故、母が月神の加護を受けたペンダントを持っていたのかも。


「都季。お前は、あの友人を信用できるか?」

「もう、いいから……」

「お前の中に月神が入ったのは偶然か? 月神は本人が望まぬ限り、人体に入ることはない。だが、こうしてお前の中にある」

「刻裏!」


 胸元を指さした刻裏の手を払い除ける。頭が混乱して、何が正しいのか分からなくなってきた。管狐の件を聞けていないが、それすら理由を聞く余裕がない。

 都季の隣に立った刻裏が、耳元で愉しげに囁く。


「すべて、彼らが仕組んでいたのではないか?」

「もういい!」


 ――聞くな、都季!


 必死に制止する月神の声が聞こえた気がしたが、今は何も聞きたくなかった。

 気づけば屋上を飛び出していた。階段を駆け下りながら、疑心暗鬼に陥る自分の思考を否定し続ける。


(違う、違う! 魁達が、そんなこと……!)


 息を切らしながら、真っ直ぐに一つの場所を目指して走った。途中で何度も人にぶつかったが、それでも足は止めずに。

 魁は都季に久しぶりにできた友人であり、冗談を言って笑うこともあれば、意見が衝突することもあった。月神が体に入ってからは心配をかけてばかりだ。

 琴音も、ぎこちないながらもようやく話してくれるようになった。彼女なりに都季を気遣い、置いて行かれそうになったらすぐに足を止めて待ってくれた。

 まだ付き合いの浅い悠も、都季に幻妖世界について丁寧に教えてくれた。

 それらがすべて、嘘だったとは思いたくない。


(違うって言ってくれ……!)


 祈るように、何度も胸の中で唱えた。

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