第9話 再会と思惑


「ありがとうございましたー」

(これでよしっと。さっさと帰ろう)


 レンタルショップで返却を済ませて早々に店を出ると、東の空は紺へと変わりはじめていた。ひんやりとした空気は、やはり今の時期からすれば違和感を覚える。

 早く帰ろうと足をアパートへと向ければ、前方から同い年くらいの少年三人がやって来た。彼らは都季を気にすることなく、笑い合いながら通り過ぎる。

 その様子に先ほど別れた三人を思い出し、小さく息を吐いた。

 三人もいれば問題はないだろうが、何かが引っ掛かる。以前はこんなことを思いもしなかったのに、と思ったが、やはり事情を知ってしまったからだろうか。

 再び溜め息をついた都季がマンションの駐車場横を通り過ぎようとしたときだった。


「溜め息を吐くと幸せが逃げると聞いたが?」

「っ!?」


 車の通る音、人の話す声、風が木の葉を揺らして鳴る乾いた音。

 それらすべてをかき消してはっきりと聞こえた声に、都季は緊張を走らせて振り向いた。

 すぐ後ろで聞こえたように思えた声だが、振り返った先には誰もいない。

 何処からだ、と辺りを見回す都季を、声の主はどこか可笑しげに見て言う。


「言っただろう? 『面白い事が起こる』、と」

「な、んで……」


 駐車場に停められていた白いバンの上に、昨夜の青年――魁達が「狐」と呼ぶ青年が座っていた。

 狐の耳と尾は相変わらずついており、彼が常人ではない……幻妖であることを表している。

 妖狐の青年は目をすっと細めた。まるで、体の内にある『物』を見透かすように。


「しかし、本当に馴染むとはな。実に興味深い」

(月神の事を知ってる……?)


 あれ以来、彼とは会っていない。しかし、月神が自身の中にあることすら知っている様子の彼に言葉を失った。

 いつの間にか、辺りには車だけでなく人すらいなくなっていた。大通りから横に入った道とはいえ、普段から交通量も人通りもそれなりにはある。妖狐の声が聞こえる直前までは、確かに存在していたはずだ。

 周囲を気にする都季を見て気づいたのか、彼は小さく笑みを浮かべて言った。


「空間の切り離しができる丑ほどではないが、術で私達の姿を隠す程度なら容易なこと」

「俺に、何の用だ?」

「ん?」


 冷や汗が頬を伝う。今、彼に何かをされても逃げられる自信がない。

 琴音達の言うとおり、大人しくしていれば良かったと少しだけ後悔した。

 警戒したままの都季に対し、妖狐は平然としている。何度か瞬きをした後、可笑しそうにクスクスと笑ってバンから降りた。


「お前の“こちら”への仲間入りを祝ってやろうと思ってな」

「遠慮する」

「そう堅くなるな」

「でも、狐の言葉に惑わされるなって」

「……ははっ! それを本人に言うか! 面白い!」


 近づいてきた妖狐は、都季の素直な言葉に怒ることも嫌な顔をすることもなく、心の底から楽しそうに笑っている。

 その隙を見てゆっくりと足を後ろに出した都季だったが、ピタリと笑みを止めた妖狐が肩を掴んできた。


「!!」

「まぁ、待て。なに、取って食おうなどとは思ってない」

「…………」

「お前の名は?」

「…………」


 妖艶な笑みを浮かべる妖狐の問いに、一瞬、答えかけて口を開く。が、脳裏に響いた「言うな」という忠告に口を閉ざした。

 自分の本能が告げたものではなく、聞いたことのない落ちついた男の声。もちろん、訊ねてきた妖狐本人が言うはずもない。


(今のは……)

「そうか。か。なら、先に私の名を教えよう」

「え」


 今の声は都季の脳内だけでなく、妖狐にも聞こえていたのだろうか。

 だが、妖狐はその疑問に答えることはせず、口元に笑みを浮かべると言葉を続けた。


「まぁ、名と言っても、正確な名は持っていないのだけどね。そうだな……刻裏こくりとでも名乗っておこう。さて、少年。お前の名は?」

「更科、都季……あ」

「安心しろ。そちらが不利になるようなことには使わん」


 ふふ、と満足したように笑みを浮かべた彼――刻裏は、都季の頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でた。

 名乗られたからには返さなければ、と思ってしまったことが悔やまれる。ただ、悪用しないという言葉に偽りはない気がした。まだ完全に信用はできないが。

 刻裏は空を一瞥すると、まるで保護者のように都季を軽く注意した。


「さて。期日を守るのも大事だろうが、もうこの時間帯を一人で出歩かないほうがいい」

「なぁ、狐」

「『刻裏』と名乗っただろう?」

「……刻裏」

「何かな?」


 彼が呼べと言うのなら、そちらで呼ぶべきなのだろう。下手に癇癪に触れても面倒だ。

 現に、名を呼ばれた刻裏はどこか嬉しげだった。


「なんで、そんなこと知っているんだ?」

「視ていたからな」


 出会ってからずっと後をつけていたのか。そう思った都季だが、刻裏はまた可笑しそうに笑うと「違うな」と否定した。


「私のような妖狐は『千里眼』を持つ。だから、どこにいても視える」

「……やっぱ、お前って危ない」

「良い心がけだ。特に、幻妖相手には大切なこと」

「自分で言うか」

「言うとも。人間は、我ら幻妖を甘く見ないほうがいい」


 柔らかい声音なのに、背を悪寒が走った。

 彼の言葉はどこか説得力がある。話術が巧みとは聞いたが、それとはまた違った……言葉自体に力を持たせているようだ。


「さて、引き止めてすまなかったな。もうじき陽が落ちる。人の子は帰る時間だ」

「あ、ああ……」

「またな。都季」


 刻裏がにっこりと笑みを浮かべた直後、突風が二人の間を駆け抜けた。

 反射的に目を閉じた都季は、風が止んでくるとゆっくりと目を開く。目の前にいたはずの刻裏は消えていた。

 残された都季は張り詰めていた緊張をほぐすように息を吐く。

 何もなかった道路に車が通りはじめ、すぐ横をランニング途中の女性がすり抜ける。いつもと変わりない風景に戻った。

 ――何事もなくて良かった。

 そう安心しながら、都季は帰宅するために再び歩き始めた。

 自分を見ている視線には気づかずに。


「いいのか?」

「…………」


 刻裏はマンションの屋上から都季を見ていた。隣には、真冬並みの寒さだというのに、灰色のパーカーにデニムのパンツという薄着の人がいる。刻裏よりも頭一つ分近く背の低いその人物は、フードを目深に被っていることや目元近くまで覆うマスクのせいで顔は分かりづらい。また、パーカーも体格よりも大きなサイズのためか、性別を判断するのも難しかった。

 ただ、何度か言葉を交わしている刻裏は、その人物が少年であることは知っている。

 問いには答えず、目の前のフェンスの網目に手を掛けて都季の姿を見る少年に、刻裏は話を続けた。


「面白いことになったな。よもや月神を取り込むとは」

「…………」

「悔しそうだな」


 フェンスを掴む手に力が入った。少なくとも刻裏の話は聞こえているようだ。

 感情の機微を指摘する刻裏にその人は短く返した。


「……別に」

「おやおや。機嫌が悪そうだね」


 刻裏の記憶では、声変わりをしている割にはやや高めの声だったはず。だが、苛立ちを押し殺しているせいか、短い返答は以前聞いたときよりも低めだ。

 冷やかす姿勢の刻裏に、彼は苛立ちに呆れも交えて言う。


「お前、オレとの約束は忘れていないだろうね?」

「もちろんだとも。だからこそ、こうして狙う機会を与えてやったのだが?」

「機会? オレからすらも姿を隠した奴が何をぬけぬけと……」

「そうだったかな? いや、すまない。力加減は得意ではなくてね」

「…………」


 しばらく刻裏を見ていた少年はこの場から去ろうと背を向けた。まるで、刻裏の発言に呆れ返ったかのように。

 その背に、刻裏は言葉を投げた。


「私は、約束は違えぬよ。そちらが下手な真似をしない限りは、な」


 一瞬だけ足を止めた少年だったが、何も言わずに昇降口の中へと消え去った。

 完全に一人になったのを気配で感じ取ると、疲れたように溜め息を吐いた。


「やれやれ。あやつは鋭くて敵わん」


 また下を見れば、豆ほどに小さくなった都季の少し後ろに見たことのある姿があった。

 赤銅色の髪と整った顔立ちが、良くも悪くも目立つ青年だ。


「あれは……たしか、“申”か」


 名前は忘れてしまったが、十二生肖の一人であることは確かだ。危害を加えるような気配はなく、どちらかといえば監視に近い。

 千里眼で何をしているのか知った刻裏は、聞こえるはずのない彼に言うように呟く。


「私がついている限り、約束を違えぬ範囲で守ってやるというのに」


 その顔には今までの笑顔はなく、どこか悲愴感が漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る