第122話 芸術的な生き方をちょっと考えてみるのもいいのかも?

122話 芸術的な生き方をちょっと考えてみるのもいいのかも?


 3月18日、土曜日。一日中よく晴れていた。最高気温は16度ほど、

南南東からの風で、春らしい暖かさだ。


 夕焼けもきれいな日暮れどき、川口信也と、森川純、大沢詩織、菊山香織の4人が、

居酒屋『もりかわ』の、予約していたテーブル席に集まっている。


 もつ焼きともつ料理の居酒屋『もりかわ』は、

外食産業大手のモリカワが全国展開している。現在は40店舗以上ある。

信也と純は、モリカワ本社の課長だ。

菊山香織も、去年の2016年、早瀬田(わせだ)大学を卒業後、

モリカワの本社スタッフだ。

大沢詩織も、この3月、早瀬田(わせだ)大学卒業のあとは、

モリカワの本社スタッフとしての就職する。

4人そろって、モリカワ本社の社員となるわけだ。


 居酒屋『もりかわ』は、下北沢駅南からも、モリカワ本社からも歩いて4、5分ほどだ。

完全禁煙の店内の39席は、ほぼ満席だ。


 信也たちは仕事のあとのゆったりとした気分で、飲み物や料理を店のスタッフに注文した。


 モリカワの本社には、2015年の春に、早瀬田大学の卒業生、清原美樹と小川真央や、

水島麻衣や山下尚美、森田麻由美たちも、入社している。

下北沢のモリカワの本社は、そんな若い女性たちで、華(はな)やかだ。


「まあ、まあ、しんちゃん、詩織ちゃん、香織ちゃん、きょうもお疲れ様でした。ではでは。かんぱーい」


 そう言うと、純は、生ビールのジョッキを手に持った。


「純ちゃん、みなさん、きょうもお疲れ様でした!かんぱーい!」


 信也がそう言う。4人は、楽しそうな笑顔で、

テーブルの炭火でもつを焼きながら、生ビールのジョッキで乾杯をした。


「しかし、何と言ったらいいのだろうか、ねえ、みなさん、

モリカワの本社には、おれや純ちゃんや、高田翔太に岡林明という、

クラッシュビートのメンバー全員や、グレイス・ガールズのメンバー全員の、

清原美樹ちゃん、平沢奈美ちゃん、水島麻衣ちゃんたちも、

入社して、2つのロックバンドの全員が、集まってしまったんだから、笑っちゃうよね。

というかさあ、こういうのを不思議な縁(えん)というのでしょうかねえ。あっははは」


 そう言って、信也が、持ち前の楽天さで、明るく笑った。


「そうよね。それだけ、モリカワっていう会社が、魅力的なのよ!うっふふ」


 いつも信也と仲のよい、彼女の大沢詩織は、そう言うと、みんなに微笑(ほほえ)む。


「入社した人、みんなが言っているけど、本社のオフィスって、ゆったりと広いでしょう。

窓は大きくて、日もさんさんと入ってくるし。快適な仕事の環境なのよね。

この4月からは、岡昇くんも、詩織ちゃんと同じく、本社に入社よね。

岡くんの彼女の南野美菜ちゃんも、昨年から、本社でわたしたちと仕事をしていて・・・」


 いつもどこかお洒落(しゃれ)な、グレイスガールズのドラムもしている、菊山香織がそう言った。


「あっははは。どうも、早瀬田からモリカワへの入社の流れは当分続きそうですよ。

ミュージック・ファン・クラブのメンバーからの、

そんな相談のメールや話も、おれには、しょっちゅうあるもの。あっははは」


 純が、そう言って笑いながら、ちょっと頭をかいた。


「モリカワで働く社員は全員、正社員じゃないですか。

正社員登用制度で、パートやアルバイトや契約社員から正社員へ転換する人もいるし。

そんなふうな、働き手の立場に立った会社って、いま、なかなか無(な)いんじゃないですか」


 大沢詩織がそう言った。


「うちのおやじは、今年の8月5日で63歳になるけどね、

精神的な若さでは、おれも負けるくらいに少年のように若々しいんですよ。あっははは。

たとえば、日本一のホワイト企業として有名な、

岐阜県にある電気設備資材などを扱っている会社の、

の創業者の山田昭男さんとかの考え方に、影響受けたり、感銘しているんです。

その経営方法も、納得がいけば、どんどんマネしているんです。あっははは。

残念なことですけど、『未来工業』の創業者の山田昭男さんは、

2014年に、82歳で、お亡(な)くなりになられましたけどね」


 未来工業は、1965年創業の建築用電気資材メーカーで、社員は約780人全員が正社員。

60歳時の年収のままで一切減額せずに、本人の希望に応じて、70歳定年制を採用している。

年商314億円(2013年3月期)。経常利益は39億円。

創業から2013年3月期までの平均経常利益率は13%を超えている。

しかも、創業以来49年間、売り上げ目標を立てたこともなく、赤字決算になったこともない。

毎朝8時半始業で、1時間の昼休みをはさみ、午後4時45分終業。

午後5時前には大半の社員が退社する。

1日の業務時間は7時間15分が基本で、残業禁止はもちろん、仕事の持ち帰りも禁止。

おまけに年間休日も140日+有給休暇40日(育児休暇は最大3年)で、

社員を信頼するから、タイムカードもない。

厚生労働省から『日本一休みの多い会社』として表彰されている。

休みが多くて働きやすく、かつ利益率の高い中小企業なので、『社員が日本一幸せな会社』と

呼ばれることもある。


「純ちゃん、未来工業って、製造業なのに、制服もないというよね。

どこの会社にもあってあたりまえの、朝礼も、

『管理職の自己満足にすぎない』と、社長の山田昭男さんは言って、

どの部署でも行われていないらしいし。

でも、純ちゃん、森川誠(まこと)社長が、未来工業を見習っているっていのは、

とてもいいことだと思うよ。モリカワの朝礼を廃止になったし。あっははは。

まあ、われわれのモリカワのすばらしいところは、

未来工業の山田昭男さんが言ってる、

『つまらい常識を捨てられないから、会社は儲からない。仕事はつまらない』とか、

『社員のみんなが、自分の頭で、常に考える』とかを、取り入れて、実践しているところですよ。

森川誠社長にしても、未来工業の山田さんにしても、

会社経営を、まるで芸術作品の創造のように考えているんだろうなって、

おれは思うんですよ。純ちゃん」


「まあ、そんな感じだね。あっははは。

山田昭男さんの場合は、若いころ、演劇に熱中していたっていうじゃないですか。

だから、きっと、その魂というか精神というか、心というか、芸術家なんですよね。

山田昭男さんの名言には、いろいろあって、おれも感心するんですけど、

『日本人の正直さを信じている、』とか、

『社員をいかに<やる気>にさせるかで会社は決まる』とか、

『会社は社員を幸せにする場だ』とか

『いま、派遣労働者の労働条件の改善が社会問題になっているけど、ウチはすべて正社員。

基本的に経営者は、定年まで勤めたいと考えている、

大多数の真面目で純粋な従業員の思いをすくい取ってやるべきでしょう』とか言ってますよね。

あと、『未来工業のいろいろな取り組みは、すべて社員の不満を解消するとともに、

社員を感動させるためにやっていることばかりだ。

感動は人を喜ばせる。喜んだ社員は一生懸命に働いてくれる。

会社のためにやってやろうという気持ちになる。

そうして頑張った結果が、お客様を感動させ、事業を発展させることにつながるのだ』とも言っている。

山田昭男さん言葉は、芸術家的だと思うよ。しんちゃん、詩織ちゃん、香織ちゃん」


 森川純は、笑顔でそう言いながら、信也や詩織や香織たちと目を合わせる。


「やっぱりね。今の世の中には、社会も企業も個人も、

芸術的な生き方を、ちょっと考えてみるのもいいのかも?っていう気がするんですよ、おれは。

もちろん、みなさんも、同感だと思いますけどね。あっははは。


2012年の3月の、いまのような春に亡くなられた、吉本隆明(よしもとたかあき)さんは、

芸術的な言語について考えることを、ライフワークのようにしていましたけど、

こんなことを言っていました。


『インターネットや携帯を使って、いくらコミュニケーションをとったって、

本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。』ってね。

吉本さんは、言葉の本質的なことについて、さらに、こんなふうにも言っています。


『言葉というものは、コミュニケーションの手段や機能だけではない。

それは、言葉の枝や葉の問題であって、根幹(こんかん)は沈黙だよ。』と言っています。


あと、『言葉とは、内心(心のうち)の言葉を主体として、自己が自己と問答することです。

自分が心の中で、自分に言葉を発し、自分に問いかけることが、まず根底にあるんです。

友人同士で、ひっきりなしに、メールで、いつまでも他愛のない、おしゃべりを続けていても、

言葉の根も幹(みき)も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものです。

言葉の本質は、沈黙にあること。そのことを徹底的に考えること。』

吉本さんは、『若い人に言えるとしたら、それしかない。』って、

言葉の本質について、こんなふうに、本に書いてました。


この吉本さんのお話と、美しいハーモニーを奏(かな)でているような、名言が、

もうひとつあるんですよ。名言って、けっこう長くって、

こうやって、コピーして持っているんです。あっははは。

ちょっと聞いてください。

あの哲学者のニーチェの言葉なんですが、

『芸術的な本能が、人を生かす』ってことで、こんなふうに言ってます。


『わたしたちの感覚を魅了し、わたしたちに快感や感銘を与えるものは、

いつも、単純さ、見通しのよさ、規則正しさ、明快さという特徴を持っている。

現実には、わたしたちの眼前にあるものは、カオス(混沌や混乱)だ。

それを単純化したり、論理を与えたり、規則づけたりすることで、

わたしたちは物事を整理し、ようやく理解している。

いや、そういうふうにしてしか、人はいっさいについて、理解も納得も認識もできないのだ。

つまり、事象そのものに手を加えて、論理的で芸術的なものにすることでのみ、

人はこの世界の中で生きてゆくことができる。これはまさしく本能というべきものだろう。』ってね。

吉本さんも、ニーチェも、芸術的な生き方こそが、

人間らしい生き方だって、言っているようですよね」


 信也は、牛革(ぎゅうがわ)のカードケースに入れておいた、

2冊の本のページのコピーを見ながら、そんなふうに、みんなにゆっくりと語(かた)った。


☆参考・文献・資料☆

1. 『毎日4時45分に帰る人がやっているつまらない「常識」59の捨て方』

  著者 山田昭男・東洋経済新報社

2. 山田昭男の名言 厳選集|名言DB リーダーたちの名言集【インターネット】

3. withnews 日本一休みが多い会社 未来工業【インターネット】

4. 『超訳 ニーチェの言葉(2)』から『生成の無垢』(認識論・自然哲学・人間学)編訳 白取春彦

5. 『芸術言語論への覚書』  著者 吉本隆明  李白社

  

≪つづく≫ ---122話 おわり ---

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