第64話 第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会

 12月6日、北風が冷たいけれど、澄んだ青空の土曜日。


 正午から、下北沢駅から歩いて3分の、ライブ・レストラン・ビートでは、

『第2回 モリカワ・ミュージック 忘年会』が盛大に始まっている。


 招待客には、レコード会社やテレビ局、ラジオ局や劇団の人びと、

演出家、脚本家、プロデューサーたちが数多く出席している。


 1階と2階を合わせた、280席は満席であった。


このモリカワ所有のライブハウスは、赤レンガ造りの外装や、

高さ8メートルの吹き抜けのホールなどが、

現代的で洗練されていると、好評だった。


 グループで楽しめる1階のフロアの席、

ステージを見おろせる、二人のための席1階フロアの後方には、

ひとりで楽しめるバー・カウンターがある。


 舗道から10段ほどの階段を上がったエントランス(上がり口)には、

高さ2mはありそうな、クリスマス・ツリーが早くも飾られてあった。


 間口が約14メートルのステージでは、森川誠社長の挨拶が始まっていた。


「みなさま、この1年は、本当にお疲れさまでした。

モリカワも、外食産業と芸能プロダクションのモリカワ・ミュージック、両社の業績は、

今年も順調に推移し、昨年を上回る大躍進を達成できました。

これも、本当にみなさまからの、

日ごろからの多大なご尽力(じんりょく)の賜物(たまもの)であります。

『失敗は成功の母である』とは、よく聞く言葉でしょうけど、

実際と言いますか、現実的には、仕事の現場では、失敗に対して、

厳しいと言いますか、寛大ではないという、世間一般の傾向があるように思うんです。

わたしの母のことをちょとお話しします。

母はひとりで、この下北沢の商店街で、小さな喫茶店していたんです。

おれは、その喫茶店で売っているケーキとかの洋菓子が好きだったんです。

商品のケーキをつまみ食いしては、「誠!また、ケーキ食べたわね!」

と母に、よく怒(おこ)られたもんです。あっははは。

まあ、わたしは、ケーキが大好きで、高校を卒業すると、洋菓子の店に修行に行ったんです。

その3年後には、母の店を継(つ)がせてもらいました。

店は改装して、洋菓子と喫茶の店を始めたんです。

その母は、なぜか、あの幕末を生きた坂本龍馬が大好きでして、

いつのまにいか、わたしも、龍馬のファンになってしまったのです。

龍馬の実家も商人ですから、それで、時代のニーズとでも言いますか、

その時代に必要なことをとらえる眼力が、人の何倍もあったのだろうと考えています。

つまり、龍馬の場合は、よっとくらいの失敗も失敗と思わないで、次の成功へと結びつけるような、

柔軟な発想力や想像力の持ち主だったのだろうと思うのです。

人は、無意識のうちに、面子(めんつ)だとか、名誉だとか、権力欲だとか、固定観念だとか、

まあ、何でもいいのですが、いろんなものにしがみついてしまうものですよね。しかし、

そんな何かのために、本当のものが見えなかったり、

本当の自分の力が出せなかったりすこともよくあることだと思います。

失敗の話から、少々脱線してしまいました。あっはっはは。

まあ、失敗を恐れて、挑戦をしなくなったら、

個人も企業も、成長はそれで止まってしまうと、わたしは信じておるわけです。

厳(きび)しい、この現代のビジネス社会においては、まずは行動力が大切なのだと思います。

ですから、厳しい現実を避けて、失敗を恐がったりするよりも、

坂本龍馬のように、成功の可能性をシュミレーションしながら、

挑戦する姿勢を大切にしてゆきたいと思っています。

失敗は成功の母です!そして、ピンチはチャンスという、

そんなメンタリティ、精神のもち方が大切です!

みなさん、どうか、ごいっしょに、来年も自信を持って、大きく羽ばたいてゆきましょう!

それでは、きょうは、この1年のご苦労やご尽力を心から感謝しながら、思いっきり、楽しみましょう!

それでは、みなさま、グラスをお持ちください。 ・・・それでは、乾杯!!・・・ありがとうございました!」


 森川誠が、ところどころで、会場のみんなをわらわせながら、そんな挨拶と乾杯の音頭をとった。

森川は、8月5日で60歳。目元がやさしく、

白いものが混(ま)じる髭(ひげ)のよく似合う芸術家風な男で、

社内のみんなに慕われている社長である。


 会場は、森川の挨拶と乾杯の音頭による、熱い余韻に、しばらく包まれた。


「社長って、なかなか挨拶の名人だよね。ちょっと胸にジーンと来るもんがあったよ。あっはは」


 そういって、わらいながら、生ビールをゴクリと飲む、川口信也だった。


「森川社長って、ものの考え方がアーティストですよね。しんちゃん」


 信也の右隣にいる水谷友巳(ともみ)がそういって、微笑んだ。


「森川社長には、パッションがあるんだわ。その情熱が芸術家っぽいのよね!」


 信也の左隣の大沢詩織がそういって、色っぽい眼差しで、信也と知巳を見る。


 信也は24歳。詩織と友巳は、同じ1994年生まれの20歳(はたち)である。


 詩織は料理をつまみながら赤ワインを、友巳は生ビール飲んでいる。


「人間、誰もが、夢や希望や憧(あこが)れとかの、何か目標を持ち続けようってことかな?!」


 信也がそういった。


 ステージでは、オープニングとして、

沢秀人(さわひでと)の指揮で、総勢30名以上のビッグ・バンド、

ニュー・ドリーム・オーケストラによる、ヨハン・シュトラウス2世が1986年に作曲のワルツ、

『美しく青きドナウ』と『芸術家の生活』が演奏されている。


 沢は、レコード大賞の作品賞の受賞や、テレビドラマの音楽を制作などで、

売れっ子のユニークな音楽家で、事務所はモリカワ・ミュージックに所属している。


 1973年8月生まれ、41歳の沢は、1013年の春までは、このライブハウスの経営者でもあった。


「Jポップもいいけれど、こんなクラシックも、ステキだわ。特に、わたしはこんなワルツは大好きなのよ!身体(からだ)が自然に動いて、踊りたくなっちゃうわ!」


 優美に流れる、3拍子の舞曲に、清原美樹は右隣の席の姉の美咲にそういい微笑(ほほえ)む。


「みんなで、踊っちゃおうかぁ!?」と、ワインにほろ酔いで、いい気分の美咲。


「でも、おれ、ワルツとかって、ぜんぜん踊れないんだ!今度習っておこうかな!あっはっは」


 そういって、美樹の左隣にいる、美樹の彼氏の松下陽斗(はると)はわらった。


「日本は、まだまだ、ダンスカルチャーの後進国かも知れないのよね。ねえ、岩田さん」


 そういって美咲は、左隣の席の、美咲と交際している岩田圭吾(けいご)に微笑む。

美咲と岩田は、美咲の父の清原法律事務所で弁護士をしている。


「日本では、いまだに、60年以上も前の、1948年に作られた風俗営業法をもとに、

ペアダンスとかを、厳しき規制しているのが現状なんですよ。

取り締まっている警察では、規制の理由を、『男女の享楽的雰囲気が過度にわたるとか、

風俗や環境を害するとか、少年の健全な育成に障害を及ぼすおそれがある』とか、

いっているんですけけどね」


 岩田は、落ち着いた声で、優しく目を輝かせて、みんなを見ながら、

ちょっと困ったような顔で、そう語った。


「ヨーロッパやアメリカとか、外国では、ペアダンスは文化なのにね!

外国人からのお客さんたちは、日本でダンスが禁止されていることには、

びっくりするんだって、六本木のクラブのオーナーもおっしゃっていたわ」


 そういって、岩田と目を合わせる美咲。


「ダンスカルチャーを守ろうってことでは、呼びかけ人として、音楽家の坂本龍一さんや、

作詞家の湯川れいこさんとかも、活動しているそうですよね」


 美樹や美咲たちのテーブルの向かいの席にいる川口信也がそういった。


「わたしも、坂本龍一さんたちがやっている、Let’s DANCE署名推進委員会には、

共感しちゃうわ。Let’s DANCEのホームページには、『憲法が保障する、

表現の自由、芸術・文化を守ってください』ってあるけれど、

ダンスを踊る自由って、いまの日本には、無いようなものですものね!」


 美樹はテーブルの向かいの信也と、ちょっとのあいだ、見つめ合った。


「60年前に作られた風俗営業法も、いろんな犯罪の防止のために作られたらしいけどね、

なんていったらいいのだろうね、自由や芸術や文化を守ってゆくためには、

いろいろな悪と戦うことも必要なのかなって、思っちゃうよね。あっはっは」


 持ち前の楽天さで、信也はそういって明るくわらった。


「でも、しんちゃん、なんで、世の中には、悪いことをする人と、正しく生きようとする人と、

戦い合っていかなければ、いけないんでしょうね!これじゃまるで、

勧善懲悪のバトルの、エンドレスのような映画の連続だわよね。

そんなことを考えていると、わたしって、すごく悲しくなっちゃうんだけど」


 信也の左隣の大沢詩織が、信也を見つめながらそういった。


「だいじょうぶよ。詩織ちゃん、あなたには、正義のヒーロー、しんちゃんがいるじゃないの!」


 テーブルの向かいの美咲がそういって、詩織に微笑んだ。


 「そうよ。詩織ちゃん、みんなで、いっしょに、がんばりましょう!」


 美樹がそういいながら、明るくわらった。


 「おれが、正義のヒーローですかあ。まあ、いいや、

まあ、コツコツと無理はしないで、楽しく、みんなで、

力を合わせて、がんばっていかなくっちゃ。あっはははは!」


 信也がそういって、またわらった。みんなも声を出してわらった。


 忘年会の中盤からは、モリカワ・ミュージックのミュージシャンたちのオン・ステージもあった。


 後半は、大抽選大会が行われた。1等の5万円が3本、2等の3万円が4本、

3等の2万円が5本、4等の1万円が7本、5等の5千円が10本というもので、

当選者の発表されるたびに、明るい歓声やわらい声が上がった。


≪つづく≫ --- 64話 おわり ---

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