第40話 女性に人気の松下トリオ

5月18日。空はよく晴れわたり、風もさわやかな日曜の朝。


 リビングの窓のカーテンからは、まぶしい陽の光が感じられる。


 7時頃に目覚めた清原美樹は、毎朝の犬との散歩を終えると、

家族が寛(くつろ)いでいるリビングのソファに座った。


「お早(はよ)う、美樹ちゃん」と姉の美咲がいうと、家族のみんなも

「お早う」という。


 リビングのソファには、父の和幸(かずゆき)や母の美穂子(みほこ)や

祖母の美佐子(みさこ)がいる。


「お早う」といって美樹も微笑(ほほえ)む。


 テレビでは、チャゲ&飛鳥のASUKAが、5月17日に、覚せい剤取締法違反

(所持)の疑いで逮捕されたというショッキングなニュースをやっている。


「飛鳥(あすか)さんが、大変なことになってしまったわね」


 そういって、美樹は、ポメラニアンのラムを抱いて美咲の隣のソファに座った。


 しっぽをふっているラムは、白に、薄(うす)い茶(ちゃ)の毛並(けなみ)の、

8歳になる雌(めす)であった。夏向きに、毛をきれいに短くカットしている。


「才能に恵まれて、世の中で成功して、輝(かがや)かしい栄光を手にした人の心情

とちうものは、平凡な生活しか知らないものにはわからないものがあるのだろうね。

特に、そんな華(はな)やかな栄光の座から降りるとなったら、その落差がどれほどの

その人の悩みやストレスとなってしまうものなのか?」


 うすめのアメリカンコーヒーを飲みながら、父の和幸(かずゆき)がそうつぶやく。 


「そんなものかしら?じゃあ、美樹も気をつけないと!」と美咲が隣の美樹にいう。


「わたしなんか、まだまだ、成功なんていう状態じゃないわよ。ちょっとアルバムが

売れて、現役の女子大生のロックバンドなんていう興味本位で、マスコミとかで

騒(さわ)がれているだけだもの。わたしはだいじょうぶ、楽天家だから!」


「そうよね、美樹ちゃんは楽天的だから、だいじょうぶね。わたしもとても

うれしいのよ。美樹のがんばったことが世の中から認めれれているんだから。

これは、とてもすばらしいことだわよ。さあ、朝の支度(したく)をしてくるわね」


 そういって、美樹を見て微笑むと、母の美穂子(みほこ)はキッチンへ行く。


「そうよね。美樹は確かにバンドで、がんばっているんだものね。わたしも

うれしいわよ、美樹の成功は。でも、姉のわたしよりもお金持ちになっちゃった

とはね。ちょっとショックだわ」


「そんなぁ、お金持ちだなんて。でも美咲ちゃん、わたし、お金なんて、本当は

どうでもいいのよ。お金で幸せになんてなれないって信じているから」


「そうよね。美樹はそこがよくわかっているから、また、偉いのよ。確かにお金が

あっても、心が荒(すざ)ぶ人もいるわ。人としての道を踏み外(はず)したり、

人生の重大な失敗のきっ かけが、お金とかの欲望に始まることは多いんだから。

弁護士のお仕事をやってみて、つくづく、心に芽生(めば)える欲望ってこわいと思う」


「お金より、何が大切かって、やっぱり愛じゃないかと思うもの。美咲ちゃん」


「そうよね、美樹ちゃん。愛が1番だわよね。陽斗(はると)君もうまくいっている

んでしょ!そうそう、今日は陽斗くんのコンサートがあるんじゃない!美樹は

真央ちゃんとふたりで行くんでしょう?」


「うん。今日のコンサートは、客席が限定85名で、チケットも即完売だったの。

お姉さんには、岩田(いわた)さんとご一緒に来てもらいたかったけど、この次は

ご招待させていただくわ」


「楽しみにしているわ、美樹ちゃん」と美咲。


「美樹、おれたち家族全員も、招待してほしいな」と父の和幸(かずゆき)もいう。


「はーい、わかりました」というと、美樹は無邪気なあどけない表情でわらった。


「美樹ちゃんは、いつも幸せそうよね!陽斗(はると)がいるからよね!」


「お姉さんだって、岩田さんがいるから、いつも幸せそうよ!」


「まあ、そうだけどね」と美咲。


「なるほど、男って、そんなにいいものかな」と、ふと、父の和幸(かずゆき)がいう。


「やだーあ、お父さんたら」とって、美樹はわらう。


「もう、お父さんってば」と、美咲もわらった。


 リビングは、明るい笑い声であふれた。


 アート・カフェ・フレンズでは、松下陽斗(まつしたはると)の

コンサートが、ランチタイムの1時30分から始まった。


 アート・カフェ・フレンズは、JR線の恵比寿(えびす)駅から3分である。


 美樹と真央は、陽斗の気配りで、コンサートには最適な、

ふたり用のテーブルに座れた。


「陽斗くんって、女の子に、すごい人気よね」と真央が小さな声で、

美樹にささやく。


「女の子に人気なのって、ちょっと心配。でもしょうがないわね。

わたしも、男の子に人気あるみたいだし。お互いに旬(しゅん)だから」


「まあ、美樹ったら。でも確かに、あたしたちって、いまが1番美味(おい)しい

食べごろなのよね。だから大切に生きないとね!」


 そういって、真央と美樹は、おたがいに目を合わせてわらった。


  テレビや雑誌、インターネットなどのメディアでも注目の集まる、

21歳の陽斗は、ピアノ、ギター、ベースの編成による、松下トリオを

結成して、ライブやアルバム作りを精力的にしている。


 陽斗の父は、ジャズ評論家であった。また下北沢にあるジャズ喫茶の

オーナーでもある。また、母は、私立(しりつ)の音楽大学のピアノの

准教授(じゅんきょうじゅ)である。


 そんな家庭環境の中で、陽斗はクラシックピアノを2歳から始めた。

子供のころから、心の琴線(きんせん)に触れるメロディにあふれた

メロディアスなショパンが特に好きであった。そんな影響もあって、

陽斗のオリジナルの曲はメロディアスであり、それが好評であった。


 2012年3月、19歳の陽斗は、全日本ピアノコンクールで、ショパンの

エチュード(練習曲)を、ほぼ完ぺきに弾きこなし、2位に入賞している。

東京・芸術・大学の音楽学部、ピアノ専攻の大学の4年である。


 アート・カフェ・フレンズの限定85名の客席は、若いカップルや

ジャズの好きな中高齢者たちで満席である。特に若い女性が多かった。


 陽斗のすらりとした175センチの長身、気品のある端正な容姿(ようし)は、

ジャズやクラシックの貴公子と賞賛されて、若い女性たちを夢中にさせた。


 陽斗たちは、セロニアス・モンクのブルー・モンク(Blue Monk )や、

ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビイ(Waltz for Debby)などの

優雅で甘美なスタンダードな曲や、陽斗のオリジナル曲を熱演した。


 リズムを確実にキープする、気品と落ち着きのある、陽斗のピアノであった。

そのピアノを、ドラムとウッドベースは、きちんとバッキング(backing)していた。


「わたし、ドラムの、サーッ、サーッっていうブラッシングが好きなの」と美樹はいう。


「そうよね。なんか、とてもセクシーよね。はる(陽)くんのピアノもセクシーだわ。

ウッドベースの低音も、なんか、エッチな気分になってきそうなほどに、セクシー。

松下トリオの3人って、みんなかっこいんだもの。美樹ちゃん」


「いまの若い子たちって、ビジュアルが優先という感じだもの、ねえ、真央ちゃん」


「そうそう、若い女の子、わたしもだけど、ジャズって、よくわからないもの!」


「はる(陽)くんは、魂で演奏したり、聴くものさっていって、よくわらっているわ!」


「そうなの、魂かぁ。わたしは、音楽は、魂でもいいけど、心のコミュニケーション

だと思うけど、エッチすることと、似ている感じ。うふふ……」


 美樹と真央は、オレンジジュースやチーズケーキを楽しみながら、そんな会話もする。


 午後の4時。オープニングの曲からアンコール曲まで、聴衆を飽きさせない演奏を

終えると、陽斗たち3人は、拍手喝采(はくしゅかっさい)の中を、満面の笑顔で

こたえながらステージを降りた。


≪つづく≫--- 40話 おわり ---

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