Side:Trinity 9 悪いな、年の功というやつだ
「アイラ嬢! マクィーユ嬢! 大丈夫か? しっかりしろ!」
遠くから自分を呼んでいるような声がし、アイラは朦朧としていた意識をかろうじて現実に繋ぎ止めることに成功した。
「う……っく……。あ、あなたは……?」
「ヴラマンクだ。忘れたか? あなたに、戦いを止めてもらった」
広場に倒れていたアイラを抱きかかえ、心配そうに覗き込んでいたのは美貌の青年である。その目は
「一体、何があった? ここにいたのはふたりだけか?」
「わ、私たちふたりはここに飛ばされ、土人形を操る敵と戦って、それから──」
アイラはマクィーユとともに、召喚した魔族を人形に封じ込める
「それから? どうした?」
「き、気をつけて……。この先の道に、あいつがいる。わ、私たちの世界最強の傭兵。たった一代で大帝国を起こした男。世界を席巻するヴァルトロ帝国の皇帝……」
「そいつにやられたのか?」
「て、手も足も出なかった……。そいつの名は……」
降魔師との戦いでほとんど体力が尽きていたとはいえ、何も出来ずに敗れ、脅威にすらなりえないというように、道端に転がされた。圧倒的な力の差が、そこにはあった。
「名は?」
この先へヴラマンクが進もうとしているなら、止めなければならない。アイラはそう思いながら、それでも、と一縷の望みをかけてその名を告げる。
その男の名は──
「ヴァルトロの覇王マティス・エスカレード……!」
× × × ×
白くそびえる高峰のごとき“
背はペギランよりも高く、目方は比べものにもならないだろう。その全身を分厚い筋肉が
顔の右半分を縦断する巨大な古傷。背まで伸びた枯れ草色の髪を無造作に後ろに流しているが、ひと房落ちた前髪がその傷を隠すように垂れていた。
その手には、ダラルードが持っていたものよりも更に大きく、武骨な大刀が握られている。
ヴラマンクは
「貴様が、マティスとか言うやつか?」
「仲間から忠告はちゃんと聞いてきたようだな。だが、この先に行くつもりなら殺す。ここを通ろうとする者は誰であろうと斬る、それが魔王との盟約だ。命が惜しくば引き返せ。弱き者を斬る趣味はない」
「皇帝ともあろうものが、魔王の軍門に下ったのか?」
「ふん。ヴァルトロとハジャイルはあくまで対等な同盟関係。そもそもヴァルトロの前身は傭兵団。ハジャイルはこの場を守れば相応量の
マティスの返答は端的であった。
(交渉が通じる相手ではなさそうだ)
男の発する威圧感に、ヴラマンクは底知れぬ悪寒を覚える。
「
ヴァルトロ皇帝の言葉は独白のようでもあった。
槍を突き出し、告げる。
「残念ながら、俺はこの先に行かなきゃならない。ひとつ、お相手願おうか」
「あぁ。分かっている。──その目を見たらな!」
と、両者の間はまだ600ピエ(≒18メートル)ほどもあろうかというのに、覇王は大刀を振り回した。
「なっ!」
瞬間、巨大な空気の壁──とでもいうべき暴風が、ヴラマンクの体を吹き飛ばす。
(ちっ!
ひらりと銀の四肢で着地し、真横に跳びながら槍を構え直した。
と、大刀を肩に乗せ、覇王は空いた左手をヴラマンクの足元にかざす。
──瞬間、足元につむじ風が巻き起こり、あわや足を取られそうになるのを、銀の四肢を巧みに裁いてこらえた。
(いや、違う。これはおそらく、やつの持つ神石の力!)
「むっ!」マティスが目を見開く。
「悪いな。俺も、風を使う」
ヴラマンクは逆向きのつむじ風を生み出し、風を相殺。そのまま、いくつもの小さな竜巻を起こし、別々の角度から覇王に向かわせる。
「ふん!」
気合一声、マティスを中心に巻き起こった風で、竜巻はすべて吹き飛ばされた。
と、マティスは大刀をヴラマンクに向け、宣告する。
「ならば、知り、
刹那、大刀の先から、
鎧のように風を纏った大蛇のあぎとはヴラマンクをひと飲みに出来てしまいそうなほど大きく、一撃で、後ろにあった街路樹が半分消し飛んだ。
(くっ!
馬上槍を消し、両手を広げる。
再びの、蛇頭の猛撃。
跳び上がって
(通じてくれよ!)
ヴラマンクは両の指の間に、細い銀の糸を張り巡らせていた。長さよりも強度を重視して生み出したその糸を、蛇の首筋に押し当てて半回転。蛇の体を覆う風が、ヴラマンクの皮膚を切り裂いてゆく。
「やるな」
抵抗が抜け、切り落としたと思った瞬間、近くから太い声が聞こえた。振り仰ぐと、覇王が今まさに、ヴラマンクを大刀で叩き潰さんとしている。
「くっ!」
両手の間に張った数十本の糸で、大刀を止めた。
地表から突き上げるような風を起こし、マティスを吹き飛ばそうとするが、マティスもまた叩きつけるような
両者の風は拮抗。重量に任せ上から押さえつけるマティスのほうがやや有利か。
と、
「貴様……。その体、どういうことだ?」
覇王の紺色の瞳がかすかに揺れているように見えた。
そして──、ヴラマンクもまた、自分の体の変調に気づきはじめていた。
「成長──したというのか? この短時間で?」
両者は立ち上がり、睨み合っていた。
「成長──とは違うな。どうやら、元に戻っているらしい」
なぜ、とは分からないが、何が起きているのかは分かる。ヴラマンクは90年の眠りの間に、15歳ほどの姿にまで若返った。それが今は20代ほどの、最も身体が充実していた頃に戻っているらしい。
マティスは弾かれたように飛び退り、大刀を地面に突き刺す。
途端、大地に激震が走った。地下に暴風を送り込み、地表を揺らしたのだ。
(むちゃくちゃだ──!)
足を取られ、思うように動けない。
──そこを狙い撃ちにされた。マティスの大刀が紺色に輝く。
「っぐ!」
突き出された大刀の先端から、先ほどまでの風はまるで小手調べだったとでもいうような、凶暴な風圧が襲う。
数百ピエ(≒十数メートル)ほど押し戻され、ヴラマンクは静止した。
「お・お・お……!」
ヴラマンクは体の前面に薄紫に輝く風を集め、暴風を受け止めていた。
渦巻く風を球の形に収束させ、暴風を絡めとる。
「くっ!」
覇王がさらに、力を込めた。
だが、その風のすべてをヴラマンクは球体の中に封じ込める。
両者の間に浮かぶ、無限の螺旋を描いて回転する球体には、凄まじいまでの破壊の力が内包されていた。
「おおお……!」
ゆっくりと、球体を押し返してゆく。
「おのれ……!」
マティスもまた、大刀に力を込め、両者の力を巻き込んで輝く球体を押し戻す。
強大な力の余波が、周囲の木々をなぎ倒した。
もはや、ほとんど目も開けていられない。
球体を中心に、薙ぎ払うように、風の腕がすべてを破壊していく。繰り返し襲い来る突風が真空波を生み、皮膚を、肉を、切り裂いてゆく。
その時、
「どういうことだ? 貴様、なぜそのように老いてゆく……?!」
ヴァルトロの絶対君主は理解できぬものを見たという顔で問う。
「さてな……。理由は分からんが……」
時折まぶたを開けると目に入る自分の両手が、見る間に老いて、皺がれていくのが分かった。
だが──、それはヴラマンクの操る風が最も充実していた頃の姿だ。
最凶と謳われるダンセイニ王国の“
徐々に、球体がマティスのほうへと動いていった。
「くっ!」
皇帝は大刀に力を込めるが──、球体はぴくりとも動かない。
「悪いな、年の功というやつだ。おとなしく、眠っておけ」
球体から生じた力の余波が、ヴラマンクの髪を束ねていた紐をちぎり飛ばす。
「ぐおおおおおお!」
マティスはもはや大刀を地面に突き刺し、両手で球体を押し戻さんとしていた。だが、すでに決した流れは変わらない。
球体に秘められた絶対的な破壊の力が解放される、寸前──、マティスの背後から現れた7頭の
弾け飛んだ球体から生じた衝撃波が、7頭の大蛇を
× × × ×
「ご無事ですか! 陛下!」
破壊しつくされ、更地になった街路を、王の忠臣が駆けてくる。
「ペギラン。お前、よく俺が分かったな?」
すっかり皺がれた両手を見て、ヴラマンクは笑った。
「はて? 陛下は陛下でしょう? すみません。もっと早く駆けつけたかったのですが、風が強く──」
当然のことのように答える忠臣の言葉に虚を突かれて、ヴラマンクはしばし声が出ない。
「あ、またいつものお姿に戻り始めていますよ。──しかし、不思議ですねぇ。この世界特有の現象なのでしょうか?」
と、皺がれていた手は再び瑞々しさを取り戻していった。
少し照れながら、ヴラマンクは命令違反をとがめる。
「ペギラン、お前、どうしてここに? 壁の警護は任せると言ったはずだぞ」
先ほどまで声を出すたび、何かがかすれているように感じていた喉も、今はすっかり通っている。
「え、ええとぉ……、エレシフの兵士長のインマヌエルさんが、ここは任せてよいと言ってくださいまして……」
──その時、軽やかな声がふたりの会話を
「ふふ。嘘ですよ。ペギランさん、ヴラマンク陛下のことが気がかりすぎて、戦いに身が入らないので追い出されたんです」
見れば、“
「ったく……」
ヴラマンクが睨むと、ペギランはしゅんと肩を落とす。
全員、傷はユナの力で塞がっているようだが、一番体力の消耗が激しかったのであろうアイラは、ユナとマクィーユに肩を貸されていた。
アイラを気遣わしげに支えながら、ユナが続ける。
「もちろん、それだけじゃありません。街の中から壁の上へと逃げてきた兵士たちが、魔王ハジャイルを見たというんです。それを、お伝えしに来ました」
「そうか……」
マティスが“
と、地表近くで声がした。
「おい……。貴様、ハジャイルと戦うつもりか」
虚空を見上げるマティスを見て、ヴラマンクは呆れる。
「なんつう豪胆なやつだ。俺の眠りの風を食らっても、まだそれだけ意識がはっきりしているとは」
さすがに、体は動かせないらしいが、マティスは虚空を見つめながら続けた。
「やつと戦うつもりならば、覚えておけ。仮に一騎打ちとなれば、俺はあいつに負ける気はしない。だが、あいつから感じた悪寒は──、まるで得体が知れぬ。俺たちの世界を襲った破壊神と対峙した時とも違う、底知れぬ不気味さ。純粋な強さなどとはまた別次元の何かを、やつは隠し持っている、とな──」
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