第14話 翁坂⑵
銃口がこちらに向いた途端、その青い作業着を着たメガネの男性が拳銃を掴んだ。目出し帽の男は視線を即座に戻す。顔は見えないが、驚いているのが伺える。
メガネの男性は奪おうと、目出し帽の男は取られまいと、揉み合いに。ガチャガチャ、と音が鳴っている。だが、銃口は変わらずこちらに向いて……って、危なっ!
直後、銃口が火を吹く。バンッ、という激しい音と共に、発射された弾が俺と須藤さんの間を一瞬にして通り抜ける。目に捕らえることができなかったのに、空を切るような風と圧を異常なくらい感じた。俺は驚きと勢いに押され、腰が砕ける。そのまま、手をついてへたり込んでしまった。
隠れていた体が出る。頭ではもう何も考えることができなかった。だから、横目に動くのが見えるとそのまま顔を移した。2人はまだ奪い合っていた。上下左右、縦横に攻防を繰り返している。
銃口が斜め上を向く。すると、メガネの男はガラ空きだった弁慶の泣き所へつま先蹴りを一発決める。目出し帽の男の体勢が一気に崩れる。同時に、メガネの男は銃を引き剥がし、拳銃の持つ部分を相手の鼻辺りに思いっきり弾いた。鼻から血を吹き出して、口からは唾を飛ばしながら、男は後ろに倒れた。
動かない……もしかして? 湧いてきた後味の悪い考えを持ちながら、俺は恐る恐る立ち上がった。
「どうもな」
体が固まる。
「え?」予想外。礼とともに向けられた顔に、俺は思わず目を開いた。
「いいタイミングだった」
タイミング……?
「あ、いや……どういたしまして」
分からないけど、とりあえず。
メガネの男性は、倒れた相手の元へ近づき、目出し帽を取った。痩せ型で顔が逆三角形のように顎の細い男。口を無防備に開け、鼻から血を流している。小さくできた血の池に白い何かが見えた。歯だ。歯が数本落ちてる。その瞬間、落ちたのが唾じゃなく、白い歯だったのかと気づいた。
もう一度顔を見てみると、前歯の何本か抜けていたのに気づく。これだけで先ほどの一撃がどれほど強かったのかが見て取れた。
メガネの男性は続けて、手元に落ちていた拳銃を手に取った。側面を交互に眺め始めた。俺は辺りの様子を伺いながら、近寄る。
「エーケーエムか」
ぼそりと呟いたのを俺は聞き逃さない。
「エーケーエム?」
問うた俺の方をちらりと見るとすぐに拳銃に視線を戻し、「エーケー47の改良版だ」と返答してきた。まるで共通認識だろと言わんばかりに言ってきたけど、ちんぷんかんぷんだ。全く分からない。表情に表れていたのか、それとも気配を察してか、「アサルトライフルは分かるか?」と尋ねてきた。
「名前ならゲームとか」にわか中ににわかの知識だ。
「これは、その代表格。安価で操作が容易でな、戦場では少年兵が使っていたりする」
「へぇ……」
ていうか、せ、戦場?
「もしかして、自衛隊とかに在籍してたことあります?」
「いや」
「なら、もしかしてですけど、傭兵経験がおありとか……」
「そんじゃねえよ。一人旅してた時に知り合った奴から教わったんだ。傭兵どころか実戦経験さえない」
一人旅……バックパックをしてたってことか?
「にしても、おかしいな」メガネの男性は眉をひそめた。
「何がです?」
「ホンモンを持ってんのに、安全装置外したままだ。恐らく、操作に慣れてない」
「いつでも拳銃を撃てるようにしていたってことじゃなく?」
「戦場じゃなきゃ普通はそんな状態にはしておかない。そもそも意図的なら、弾が発射された時、あんなに驚いた顔はしねえはず筈だ」
あっ。驚いてたんだ。
「あと、アサルトライフルってのは小型自動小銃のことで、拳銃とは別もんだ」
「え?」
「拳銃っていうのは片手で射撃する小型で携帯性の高いのを指すんだ」
あぁ……「すいません、覚えておきます」
一言謝罪を加えてから「あの……お名前は?」と尋ねる。すると、メガネの男性は俺の後方に目を運んだ。
「それは後だ」
え?
直後、背中からかけてくる音が耳に届く。振り返るとさっきの奴と同じく、目出し帽を被った3人が走ってやってきた。近い順に小柄、細身、少し距離を離して小太り。しかも、ご丁寧に両手で拳銃を……じゃなく、アサルトライフルを構えながら。
「隠れてろ」
メガネの男性は目を配ると、店と店の間にある通路へと走っていった。思考が停止していた俺は言われるがまま、急いで婦人服店の中へ逃げて、元いたところに身を潜めた。左隣には、スドウさんが身をかがめている。隠れてすぐ、もっと遠くへ逃げればよかったと後悔。
メガネの男性はさっきの場所から90度右にある清掃カートの横で立ち止まり、伸びていた木製モップを手に取った。直後、足の裏でカートを前に蹴りとばす。通路から勢いよく飛び出した清掃カートに、最も前を走っていた小柄なのがぶつかって前に回る。そのまま一回転して、背中からフロアにぶつかる。「うっ」という小さい音が聞こえた。声からして男だろう。頭を打ったのか、そのまま首をゴロンと横に落とした。
その後、細身が銃を構えた。メガネの男性は、銃口の下にモップを入れて押し上げる。構えていた手元が崩れる。メガネの男性は両手に力を込め、右に小さく円を描き、モップを顔面に。ビタンとまとわりつく音が鳴る。目出し帽越しにでも、顔が激しく弾かれて頬が波打ったせいで生じたと分かる音だ。細身が衝撃に勝てず、体勢を崩した直後、しなっていたモップが力に耐え切れなくなり、中央で真っ二つ。長さが半分になった。体の側面を床に激しくぶつける。一緒に顔面も打ったせいでめまいでもするのか、腕を地につけるものの立ち上がれていなかった。メガネの男性は、モップで膝の皿を叩く。まるでガラスのコップが砕けるような音が聞こえる。「ギャアッ」と短く低い悲鳴をあげる。左右に転がりながら苦痛に悶えた。
今、横には2人の男が倒れている。1人は眠り、1人は悶え苦しんでいる。
横目にメガネの男性が店内の隅に隠れたのが見えた。手には何故か赤いショルダーバッグが。しかも、肩がけの紐を伸ばしている。
小太りが来て、「どこだっ」と一言。声の大きさからしてもうすぐそば。
ヤバいっ!
スドウさんと共により身をかがめた直後、「うっ」という音が聞こえる。見ると、小太りが目を見開き口が小刻みに震えながら顔を赤くしていた。直後、顎を引きながら後ろに倒れるという不自然な動きをした。倒れると同時に後ろに立っていたメガネの男性を、そして小太りの男の首から赤く細い紐が解けたのを視界に捉えた。おそらく店内に入ったタイミングを見計らい、背後に素早く回りこんで、首に紐をかけたのだろう。
メガネの男性は、つま先そばに来た小太りの顔面を踏みつけた。ほぼ垂直に足の裏で。思わず目を瞑る。恐る恐る瞼を開けると、小太りの額から顎にかけてまっすぐと足の跡ができていた。鼻が変な方向に曲がっているから察するに多分、鼻骨は折れている。思わず自分の鼻まで痛みが走るほどの痛そうな容貌を見ている時、ふと横目に捉えた。気絶していたはずの小柄な男が体を丸めながらメガネの男性に向かっているのを。
「危ない」——俺は声をかけようとした。当のメガネの男性は、後ろから伝わる違和感に目を向けようとした。だけど、その両方とも間に合わなかった。メガネの男性は、タックルを食らい、倒れながら床を滑っていく。被っていた帽子が取れ、赤い髪が姿を現した。一方、小柄の男はタックルしたその場で足が絡み、こけた。
体勢を整えると、メガネの男性は「んにゃろぉ」と吐きながら、持っていたバッグを投げつける。小柄な男は両手で受け取る。いつの間にか、寸前まで近づいていたメガネの男性はそのバッグに向けて、サッカーのシュートを決めるかのように鋭い蹴りを入れた。小柄な男は目を見開く。続いて口から胃液を吐き、膝をついた。両手から力が抜けたのか、バッグが滑り落ちる。
メガネの男性は、両手で胸と股間の辺りを掴むと、なんと持ち上げてしまった。しかも、軽々と。効果音を付けるなら、ひょい、だ。
「2人」
俺は下から顔を出す。スドウさんも。
「どいてろ」
メガネの男性は、腕を少し後ろに向けていた。振りかぶっていたのだ。
おいおい……まさか……
そして、投げた。俺は右にスドウさんは左に避ける。まるで磁石で反発したかのような素早さで。
小柄な男はハンガーラックの上に落ちた。口から泡を吹き、白目を剥いている。さっきまで覗いていた服は下敷きになり、身を寄せていた銀色の金属ハンガーラックは中央が凹み、潰れていた。
「ったく」
メガネの男性は落ちた帽子を手に取ると、つばと後ろに手を置いて、被った。今度は落ちないようにとしっかり。
なんなんだこの人……銃を持った相手に1人でどんどん倒していくわ、人間を軽々持ち上げるわ……
カチャ
不穏な音を耳が捉える。恐る恐る視線を向けると、細身の男が銃を構えていた。銃口は最も近くにいる俺に。そばには血の付いた折れたモップが転がっていた。
あぁ……もうダメだ。終わりだ……
諦めて目を閉じた。殺される。覚悟した。だが、撃ってこない。いや、撃てていないの方が正しい。人差し指で銃のトリガー部分を弾いているけれど、弾が出ない。何度やってもだ。
メガネの男性は店内にあったマネキンのそばに体勢を低くしながら駆け寄り、左足を掴む。立たせるために付いていた金属の細い棒を引っこ抜き、やり投げのように構えた。で、投げた。直後、メガネの男性は動く。
頭を先にして飛んでいくマネキン。短い距離だったからか、すぐに細身の顔面とぶつかる。そのまま、細身は手を広げて後ろに倒れていく。地面に着く直前、メガネの男性は銃を奪い取った。細身は奪い返そうともせず、ただそのまま地面へ後頭部をぶつけた。特に反応はない。もう気絶しているのだろう。
メガネの男性は俺たちに背を向けたまま、すぐに銃を傾け、何かを確認する。
「さっきは外しっぱで今度は外し忘れ」視線を細身の方に。「ずぶの素人で間違いねえな」
振り返り、顔が見えた。で、気づく。
「あの……」
「あ?」眉をひそめて、俺を見てくる。ちょっと恐怖も感じていた。だからすぐに、「メガネ、取れてます」と目的を話した。
目の辺りを触る。ないことを確認し、地面に顔を向ける。
「どっか行ったな……」
第三者的な平然とした口ぶりだ。
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「いや……辺り見えますか?」
「伊達だからな、問題ねえよ」
は、はい? 思わず眉が上がるも、すぐにファッションでかけてたってことかなと思いつく。
何にせよ、少しホッとしたし安心した。いや、それはこれだけ強い人がいてくれるから身の安全が高まったっていうこともあるけど、それだけじゃない。
「あのー……」
声をかけてきたのは、立ち上がったスドウさん。
「とりあえず、こっから逃げた方が……」
「あ?」
「その、仲間が来るかもしれませんし」
確かに。さっきの音を聞きつけて、彼らの仲間とかがやってくるかもしれない。
俺とスドウさんと強過ぎる、もうかけてないけど一応今の所、メガネの男性の3人で、その場を後にした。
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