第16話 田荘⑵
「向こうが指名したんですよ。交渉はお前としかしない、って」
俺は思わず声をあげた。大人気ないとは思いながらも、自分でも一言一言発するたびに段々と声が大きくなっていることに気づいた。
「いいか?」
真野さんは眉をあげ、冷静に諭すように話し出す。
「これは、銀行強盗犯が人質取って立て籠もっている重大事件なんだ。学生が犯人の万引き事件とはワケが違う。現在進行形で状況が変化して、その都度対処法を変えなくてはならん」
「それくらい俺だって分かってますよ」
「だったら、あとは我々とSIT(=特殊事件捜査係)が当たることも分かるだろう。こんなくだらんこと、何度も言わせるんじゃないっ!」
結局、声を荒げた。
「だから、俺が電話をかけないと人質が1人減らすと言われたってさっきから説明してるじゃないですか。何度も言わせないでくださいよっ!」
「えへんっ」
左から聞こえる。見ると、錦戸さんが拳を口元へ運んでいた。
続けて、周囲を見回す。捜査官たちの視線が集まってきていた。どうやら、あまりの声の大きさに会話の内容が筒抜けだったらしい。俺は感情のまま声を荒げたことを反省し、俯きながら、咳払いして声を整える。それは真野さんも同じだった。
「まあとにかく」錦戸さんは片手を腰に当てた。「相手が何するかまだ分かってないんです。そんな中で、下手に逆らったりして人質が殺されでもしちまったら、責任は相当重くなるような気がしてならないんですけどね〜」
“責任”という言葉に真野さんの眉が反応し、目を閉じた。相変わらず、この言葉に弱い。今だ。俺はここぞとばかりに追随する。
「捜査から何から違うというのは知っています。けど、人質を助けたいっていうのは、部署は違えど、同じ思いです」
押しの一言が効いたのか、真野さんは少し考えると、深いため息を1つついた。
「……分かった」
やった!
「だが、直接の交渉内容は我々が考える。田荘室長にはあくまでそれを代わりに話してもらう。言われたことだけを伝えてもらう」
代弁しろってことかよ……
「これがこちらとしての最大限の譲歩だ。気に食わんなら、指揮監督をする立場にいる者として容赦せん。さっさとここから立ち去れ。どうする?」
「……はい」考える余地はない。腹話術の人形として、傀儡として、でしかここにいる手段はない。
「分かったら、とりあえず外で待っててくれるか」
「はい?」
室長は一笑する。「もう忘れたのか? あくまで交渉には同席していいと私は言ったんだ」
「そんな……」
「気に食わんのか?」
「……いえ」
「必要となったら、また呼ぶ。それまで待ってろ」
真野さんは踵を返して去っていく。
「待ってろって……」沸々と怒りが湧いてくる。「そもそも、チイタイってこんな時のためにいるんじゃないんですか!」
俺は自然と静かに拳を強く握っていた。
「まあまあ、室長」錦戸さんに肩を叩かれる。で、錦戸さんが歩き出すと同時に俺も足を動かし始めた。方向は後ろで長く張っている規制線。
「だけど、実質機能してないですよねって話してたのはどこのどいつだ?」「えっ?」言い方からして俺。
「いつ言いました?」
「それこそ、昨日だよ」
「とりあえずもう一回交渉してくるから」
「知り合いでもいるんですか?」
「まあな」錦戸さんはニヤリと笑うと、規制線の近くで立ち止まり、向きを180度変える。「ま、もしダメだったら、あの探偵さんでも呼ぼうや」
「先輩ですか?」思わず虚空を見てしまう。
「いつもみたいにささっと解決してくれんだろ」
「そうかもしれないですけど、そもそも真野さんが許しませんし」
俺は不機嫌に目を細める。
「冗談だって冗談。そんな顔すんなや」
錦戸さんは思いっきり肩を叩いてくる。かなり強めだったから、2、3歩前に体が出る。「んじゃ、交渉してくるわ」
錦戸さんは歩き出す。相変わらず自由な人だな……
「あの……」
女性の声が背中から。俺は振り返った。
俺は辺りを見回す。俺を見ている警官はいない。大丈夫そうだ。
「実はですね」
西さんに少し顔を寄せ、先ほど得られた情報を伝える。勿論、警察の情報を出すというのはご法度。とはいえ、本部からも情報が得られるとは思えない今、回り道ではあるけれど、情報を得るにはこれしかない。それに、我々警察でさえも知らない未知の情報を得られるかもしれない。持ちつ持たれつというやつだ。それに……いや、これは違うよな、うん。私情は一緒にしちゃいけない。
「中で籠城している犯人グループは、先ほどこの近くの銀行で金品を盗んでいたんですよ」
「つまり、強盗犯?」
確認をしてくる西さんに俺は、「ええ」と縦に頷いた。
「被害額は?」
「現在調べている最中なので、はっきりとは」俺はさらに顔を近づける。「ですが、現金以外に宝石類なども盗まれたらしく、被害総額は相当らしいです」
「だったらなんで、籠城なんか?」
盗んだのならさっさと逃げればいいのに——というニュアンスが声色から感じ取れることができた。そうか、この人は島外の人間なのか。俺は丁寧に説明する。
「おそらくですが逃げられなかったからだと。強盗があったと銀行から金戸橋の管理会社に連絡が行き、すぐに封鎖したので」
「へぇー、封鎖ってそんなすぐにできるんですね」
感嘆の声を上げる西さん。やはり、金戸島についてさほど詳しく知らないのだろう。まあ、島で生まれたり育ったり、仕事などで深い関係がなければ、そうそう知る機会もないか。
「犯人は銃器を所持しているという話だったので、安全を考慮するのと島で起きたことは島の中でケリをつけるという強い意志の表れからでしょう。それに、橋の管理会社は島を作った金戸財閥の傘下にある企業ですから、特別ですよ」
ふと、以前に刑務所から脱走したマジマやジャック・エヴァーのことが頭をよぎる。今となっては、懐かしい昔話だ。
「であれば、要求していることは、封鎖を解け、ですか?」
「いや……」
俺は視線を落とす。実を言うと、これ以上言っていいものだろうか、と心の中で格闘していた。この時点で俺は既に相当の捜査情報を漏らしている。罪悪感は結構、積もりに積もっていた。
俺はちらりと西さんを見る。懇願している目を向けてきていた。その目から俺は逃れられなかった。
「ヘリです」諦めて白状する。
「ヘリ?」と首を横に傾ける西さんに、俺は「ヘリ」と繰り返す。すると、神妙な顔つきで小さく数回頷き、「陸がダメなら空で、ってことですか」と口にした。
西さんは少し俯き、顎に手をつくと、眉を真ん中に寄せてそう述べた。
「おそらくは」
「期限はいつまで?」
「ヘリがどれくらいで用意できるのか分からないですし、あくまで極力時間を延ばすための材料なので」
「でも、相手から催促されたりするんじゃないですか?」
「いえ。分かり次第教えろと、だけ」
「珍しい犯人ですね」
「同感です」やっぱそう思うよな……
すると、西さんの視線が少し後ろに向く。振り向くと、錦戸さんがこちらに走ってきていた。俺の顔を見て立ち止まると、「室長、きてくれ」と手招きしながら呼ばれる。
「それじゃあ」
「はい、ありがとうございました」
西さんからの一礼に俺も軽く会釈で返し、錦戸さんの元へ。
どうしました、と俺が訊く前に「交渉するから来いだと」と手招きながら、発した。腕時計を見る。話してから、まだ20分。案外早い。けど、犯人グループと話をしたのは俺だけであり、本部としても一度把握しておきたいのだろう。前向きな方へと考えを変えた。
「すぐ行きます」
俺は走る。制服警官、私服警官、重装備の警官の3種が混在している人の中を避けながら、本部のテントへと小走りで向かう。ショッピングモールがよく見えるよう、最前線に設けられている。
「お待たせしました」俺は速度を緩めながら、荒くなった息を整えながら、そう叫んだ。中にいる警察官が一斉に視線を向けてきた。
「ここだ」
真野さんが指で示した席に着く。途端、インカムを渡された。
「話す内容については、これで逐一指示をする」
つけろ、とは言われていないが、俺は受け取ってすぐに急いで耳にかけ、イヤホンを強く差し込む。
『聞こえますか?』
真野さんではない男性の声が聞こえてくる。おそらく
「聞こえていれば、右手を挙げてください。ボリュームが足りなければ、左手を」
これで問題はない。言われた通り、右手を上げる。
『では、このままで指示を出します。宜しくお願いします』
直後、真野さんが右側の視界に入る。俺の座っている椅子の背もたれに手をつき、体を曲げている。
「逃げてきた人たちの証言で、犯人たちは中の人質を選別したことが分かった」
「選別?」
「ああ。ある洋服店の中にいる一般客と従業員だけ選別して閉じ込めた。店の外にいる人間はどちらであろうと逃がされたんだ」
……うん、おかしな状況だ。
「別の目的があって、その中に目当ての人がいるんですかね?」
けど、銀行から金を盗んだのは事実だし、それが第一の目標と考えて差し支えない。てことは、目当ての人がいるとしても第二候補以降だし、いくら大事でも強盗と同日に偶発的なことを予期した上でそうしたってことになる。
「分からん。何をしようと画策しているのか、考えて動こうとしているのか、とにかく計り知れない。だから、いいか。勝手な発言はくれぐれもするんじゃないぞ」
「分かりました」仕方ない。それが条件だ。
「よし」先ほど使ったスマホを渡される。「まず今回は、人質の数とどの階にいるのか聞き出す。もちろん、相手に気づかれないようにな」
「階数もですか」
「1階には非常用の手動出口が、上の階には避難用の救助袋が設置されてるそうだ。人質がどこにいるかによって、突入方法や救出方法が変わってくる」
そうだ。聞き出すことが分かっても、相手の出方次第で逐一やり方を変えなければいけない。しかも、自然な形で。正直かなりの不安が襲ってくる。
「それじゃあ、かけてくれ」
俺は受け取り、鍵はかかっていないためスライドして入るだけのスマホのロックを解除した。続けて、電話マークのアプリに触れ、履歴を表示する。
一度顔を上げ、辺りで凝視してくる警官たちに視線を配った。それぞれタイミングは僅かに異なるが、縦に一回頷く。
俺は視線を落とし、最新の履歴をタップし、リダイアルする。そのまま、インカムをしていない耳につけた。
プップッ、という短い破裂音が聞こえる。繋ごうとしている。
現場に緊張が走る。間違えれば、人質の命が危ない。俺にかかっているんだ。口に唾液が溜まる。飲み込む。ごくりとはっきり音が鳴る。
プツリ
繋がった!
『おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かない場所にあります』
ぶっきらぼうに突っ返された俺の脳内に浮かんだのは2文字。
……はい?
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