第6話 田荘-たどころ-⑴
パトカーを止まると、体が前に傾く。パーキングに入れ、前方を改めて見る。
「なんだこれ……」
異様な光景だった。東西に長く伸びている巨大ショッピングモールから、人々が逃げてきているのだ。驚きで目の開いた顔、恐怖に染まった顔、後に続いているものの何が起きているか分からず困惑している顔。人それぞれだが全員の表情は共通して必死だった。今、中で異常なことが起きているというのはひしひしと分かった。
「室長」
隣を見る。表情の険しい錦戸さんがいる。おちゃらけて冗談ばかり話してくる普段の顔つきではない。丸まっている背が自然と伸びているというのも、そう感じさせる。
「一応、連絡入れとっか?」
一応という前置きをしたから、もう通報は来ているだろうけど念のため、というニュアンスを俺は汲み取る。
「お願いします」
そう答えると、錦戸さんはすぐさま警察無線を口に寄せ、本部へ連絡を取った。やはり歳上だ。経験や培ってきたものやことが言動に出てくる。部下だからとか役職が自分の方が上だからなんていうのは関係ないし、意味が無いということを、こういう時強く感じる。
後ろから音がする。背を向けていたドアの窓が叩かれた音。見ると、そこには女性が片方の手を窓に伸ばして立っていた。俺はすぐさま降りる。
「あ、あの……」声をかける前に、そう一言。声も体も細かく震えている。怯えているみたいだ。
「これを渡せと……」
女性は胸の前で握りしめていたもう一方の手を解いた。中には、背を向けたままのスマホが。差し伸べられるがまま、受け取る。画面は下になっている。
「その……これは誰から」
女性は背を向けていた。というか、逃げ惑う人々の中に紛れるように走り去っていた。
何だったんだ?
「おい」
辺りを見る。だが、俺を呼んだような男性は誰もいなかった。錦戸さんでもない。まだ窓が閉まっている車内にいる。気のせいかと思っていると、再び「おいっ」と強めの声が。それで気づく。手の平でスマホが揺れていることを。
スマホを起こす。驚いた。思わず眉が上がる。テレビ電話で誰かと繫っていたのだ。いやこの場合、誰かというのはおかしいか。顔に目と口にあたる布が丸く切られた覆面を被っている。怪しさが半端じゃないし、状況から考えられる心当たりは1つだ。
『警察か?』
「あ、ああ。そうだ」
俺は答える。甲高い声だったが、相手は男だというのは喋り方から分かった。
『無事に届いたようで何よりだ』
なんか台本があるかのような台詞だな……
『けど、お早い到着だな。流石は、日本警察。優秀優秀』
相手は不敵に口元を綻ばせた。やっぱ映画っぽい……
「お前は誰だ?」
『なんとなく分かんだろ。ここに立て籠もった人間さ』
「た、立て籠もり?」
俺がそう叫ぶと、錦戸さんがパトカーから降りた。俺がドアを開けっ放しにしてたから、中まで声が届いたんだろう。
『もうそっちは把握してんだろうから、手短に話す』
いや、把握も何もしてないし、できてないんだけど……
『俺たちは今、アイトドスを占拠した』
構わず話を進める犯人。いや、俺たちだから、複数犯かな。
『俺たちの要求はただ1つ。ヘリを用意しろ』
「ヘ、ヘリ?」予想外の要求に、思わず眉が寄る。
『ここの屋上に、だ。勿論、燃料は満タンでな』
そこまで言うと思い出したかのように『おっと』と身を引いた。
『車があって止められない、とか下手な嘘なんかつくなよ。さっき確認したが、車一つなくだだっ広い。止められるはずだ』
うん……もうこれは、ぽいではない。映画だ。映画を見てる感覚だ。
『とにかく、どれぐらいで用意できるか連絡を寄こせ」
『……分かった』
けれど、少し安心することがあった。中にいた人たちは逃げていた。ということは、中にいるのは犯人グループのみ。SITの到着次第、突入することは可能——
『だが、下手なマネしたら、いや下手な動きを微塵でも見せたら、ここにいる人質の数が減っていくと思え』
籠城犯が、スマホで辺りを映す。そこには、身を縮こませて、恐怖に耐えている男女複数人の姿が見えた。少し残していたのか……訂正。全く安心できない。
『何でどうやってか、は』男は腕を上げ、手に握っているものを見せてきた。間違いない。マシンガンかアサルトライフルか、どちらにせよ弾を連続して出すことのできる銃だということは、知識の浅い俺でも見当がついた。
『言わなくても分かるよな?』
スマホの向こうから上がる小さく短い叫び声に、俺の喉がごくりと鳴った。
『最後に確認だ。俺はどこに何を用意しろって言った?』
「ショッピングモールの屋上にヘリを用意する」
『よし。じゃあ用意の時間が分かったらすぐに連絡を寄こせ』
「分かった」
端的に返す。明確な時間を決めず、催促もしない。なんとも珍しい犯人だ。けど、ラッキーだ。このチャンスをどうにか上手く利用して、引き伸ばせれば……
『とは言っても、いいか? 俺たちはいつ痺れを切らすか分かんねえからな、できるだけ早くした方がいいぞ』
妙に回りくどい犯人が一言に、思わず眉が寄る。結局、早めに連絡しなきゃダメってことか……
『あと、次もお前が連絡してこい』
「お、俺?」思わず自分で自分を指差した。
『そうだ』こくりと頷く。『違う奴になったら、時間稼ぎされるかもしれねえからな。もし違う奴がかけてきたらその時点で、人質を1人減らすからな』
マジかよ……急に俺の背中に見えない重りが乗っかってきた。
『じゃあな。連絡、楽しみに待ってる、よっ』
最後まで映画っぽい、というかコテンパンにやられるチンピラっぽい言い回しを貫いて、犯人は電話を切った。
「指名されちゃったか」
ルーフに腕を置き、上に顔を乗せた錦戸さんが訊ねてきた。
「ええ……」
「室長はそういう星のもとに生まれてるな〜」
錦戸さんは眉を掻くと「そんで、要求はヘリか」と続けた。
「ええ」
「ヘリだけか?」
「だけです」
「錦戸さん」俺は少し引っ掛かりを感じていた。
「ん?」
俺も錦戸さんと同じ格好にする。「こういう時って、しますよね?」
「何を?」
「身代金です。要求しませんか?」
「さあな」錦戸さんはショッピングモールの方を見た。「けど、人質取って籠城した目的がヘリなんてのは、これまでにない。初耳だ」
「ですよね」
「もしかして」錦戸さんは何かを閃いたように目を開いた。「金には困ってないとか?」
「ハイリスク過ぎでしょ。そもそも、買った方が早いです」
「だよな」口をとんがらせる錦戸さん。
ガシャン。重い金属音がショッピングモールから届く。見ると、出入口のシャッターがゆっくりと下りていた。どこも例外なく。
錦戸さんは腰に手を当てた。「こりゃあ、一筋縄じゃいかねえぞ」
すると、後ろから聞き慣れたサイレン音が。錦戸さんと同じタイミングで振り返る。これも見慣れた白黒模様。
「ようやくお出ましか」
歩いて数歩の距離に、赤ランプを回したパトカーや乗用車が何台も止まる。いや、何台もどころの話じゃない。目視できるパトカーにはどれにもドアに大きく“北署”と書かれている。
あっ。今、気づいた。ドアに書かれているのが北署だけではないことに。
「ったく、メンドくせぇな」
錦戸さんが小声で呟く。同意見。指名されなければ、別に良かったのだが。
最も前方に止まっていた中央署のパトカーから、ネクタイを整えながら男性刑事が下りてきた。険しい顔をしている。それは、籠城にもだろうけど、俺らに対してもだろう。
「チイタイは帰れっ」
開口一番、はぶられた。まあ、いつものことだけど。
「帰れはひどくないっすか?」錦戸さんが前に出る。「今さっき別の捜査が終わったばかりなんですよ。そんで、戻る途中に偶然……」
「いいから帰れっ」
聞く耳持たず。これもまあ、いつものことだけど。
さてと、どうやろうかなぁー……ハァ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます