#178 Always The Same(いつも変わらない)
何とも形容しがたいセンチメンタルを引き摺り気味な僕が、満を持して相対するランチメニューはオートマティックに製造された事が難なく予想出来た上で、我が家のコンロで湯煎されたレトルトカレーだった。
況や――
その上でタダ飯を美味しく享受する身分なので文句は無いが――何だかちょっと、無性に泣きそうになった。
引っ込んだ筈の涙が違った種類の感情を援軍として引き連れて、無駄に戻って来るのを確かに感じたんだなぁ…。
長年の経験通りに具の少ないルーを白米に絡めながら色々もしゃもしゃ噛み締めていると、対面に座り同じメニューを食している母親が何らかの折を見て、対話を求めてゆっくりと口を開いた。
「それでアラタ、今晩はどうするの?」
この場合の『夜』というのは時間に合わせた挨拶では無く、恐らく晩飯の事だろうとぼんやり当たりをつける。
些か発信者の言葉は足りていない気もするが、その遠因は朴訥としてコミュニケーション能力にやや難が有る性格を受け継ぐ血筋だから――と言うだけで無く。
僕基準の経験と判断から察するに、多分。
家族とかいう繋がり方はこういうもので、そういうものなんだと思う。
実地やら現場に即した理解と認識を飛び越えた部分で、お互いに雑な感じで甘えているのだと思う。
尤も、結論に至る根拠のエビデンスとサンプルが我が家だけなので――観測結果に著しい偏りが無いとは言わないが――多かれ少なかれ、大勢の平均をアッセンブルすればこんな感じだろう。
「んーっと、ああ。外で食べるし…そんで、そのまま駅に向かうよ」
「そう…デートなのね」
「でてででで、で、デートじじゃじゃなねぇしぃッッぃっぃ!!」
実際問題、問題無く普通に恋人との逢瀬なのだが、長年続いた干物生活の弊害か、つい反射的に――使い古された手垢まみれのテンプレを周回遅れで追従するみたいな──童貞丸出しの声が、全力で喉を閃光の速さで駆け抜けた。
いやはや、何とか色々ありつつも、女性と肌を重ねて。
肉体的にはようやく大人になったものの。早過ぎる成長に精神の方はなかなか
真実には決して辿り着かないのが現実…とまでは突き放さないけれど、人生一生勉強とはなかなか真理であるようだ。あーあ、解脱してぇ。ヴァルハラだかに転生してぇわ。
そしてまた一つ重い足取りで大人の階段を心の中で登った僕の言葉をまるっとそのまま受け取った母親は意見をするりと翻し、柔軟に変更した。
「あらそう。ならば友達と食事なの?」
「いやまあ…その。うん…いや違う…そう。そうだ。うん。麗しい恋人と。うん」
「折角のクリスマスだものね。うちは良いから楽しんで来なさい」
「うん。ありがとう」
なんだこれ? なんだか無性に気恥ずかしいぞ?
そのせいか知らんけど、かつての覚えがない程「うんうん」言い過ぎじゃね僕? 将来的にうんうん詐欺とかしたいのかな? うん、絶対成功しなさそう。
偏差値10くらいのクソみたいな疑念に悩む僕はまあ、母親を含めてそのパートナーたる父親とも。
同居家族として今まで築いて来た関係性はそれなりに良好だと思っているけれど、それでもこの羞恥の炎は消えないのだろう。
聞くところによればいくら家族と言えども尻の穴までは見せないし、エロ本の隠し場所を教えたりはしないらしいし、恋バナとはそれに匹敵する秘事である可能性が大である。
ということは恋バナ=エロの等式が成り立つまである気がするが、それについてはまた今度――電車待ちの暇な時間とかに考えることにしよう。
話を戻せば、僕は恋人が出来たのなんて初めてだけど、世間における大半の人はそうじゃない。
そんで、その大半の連中と来たら、彼女のママを含めて、三人でデートしたりとかも当たり前だとかも何処かで聞いた事もあるし、その倫理観と道徳観を疑う現実の前提として紹介に類する行為があったりしたはずだ。おいおい正気かよ、世間に溢れる彼氏諸君の諸兄達。豪気が過ぎるだろ、神話の勇者かよ…。
親に恋人を紹介したり出来る系の勇者候補の人種に対して、恐れ八割のリスペクトを奥歯で噛み締めている僕の思考を読んで業を煮やした訳でもないだろうが、母親は少しレールの逸れた言葉を独りごちる様に零した。
「それにしても、昔から楽器と戯れてばかりだったのに…世の中ってよく分からないわ」
ん? それこそよく分からないな…。
含む所が意味するのは多分二択なのだろうけれど、どっちなのか…。或いは中庸という可能性も余裕で有り得るな。
しかし、僕の有する能力と持っている情報では絞り切れない感じがそこはかとなく漂っているし、仮にそれらが十全に備わっていたとしても…産みの親たる母親に勝る気がしない。
なので素直な疑問を口に出してみる。
「それは進路のこと? それとも恋人のこと?」
「どちらかと言えば前者だけど、その様子では後者もあるみたいねアラタ…」
「ゆ、誘導尋問だ! 黙秘権と弁護士を要求する!」
「あんたが勝手に喋ったんでしょ?」
流石手強い…。
生来よりあまり弁の立つ方では無いとは言え、まるで子供扱いである。
いやまあ、偽るまでも無く、まさしく正しく子供で息子で実子な訳だが…。
バツと居心地の両面に加えて旗色まで悪い気配が濃厚でトリプルスリーって感じなので、カレーの残りを喉に押し込んでから「ごちそうさま」と席を立つ。
賢明たる内弁慶なネット軍師タイプの息子の敗走に一言コメントを添える母の声。
「近い内に帰って来て、そんで連れて来なさいよ」
「えっ? 何を……ああ、誰を?」
「彼女さんに決まってるでしょ」
「…おぉ、うん。気が向いたら?」
「自信が無いの?」
「僕はともかく。何処に出しても恥ずかしく無い自信があるけど、何処に行っても恥ずかしがる
うーん。うーむ。
そう考えると僕達ってマジでお似合いだな。
うん。なにをどう考えたのか分からないけど、そんな感じがする。
何気ない会話の途中で一人腕組みをして深刻な雰囲気を混じえながら悦に浸る。
そもそも僕は目的の為ならば、受ける恥も注がれる外聞も必要な手段の一つだと捉える程度には将の器を過不足無く持っているが、何なら彼女は多分恥ずかしかったら普通に逃げる
彼女の性質に混じえて要らぬ見栄と虚勢を誰に向けるでも無く無意味に積んでみたが、やっぱりそれは砂上の楼閣よりも頼り無くて基本的に何の役に立たないので呆気無く撤回してみたりもする。そこまで含めてもやっぱり何処までも無意味な物思い。
「これまたよく分からない事ばかり」
「まあ…マジで、思いの外。貴方の息子には色々あったからね」
頭を捻る曖昧な言葉に被せるふわふわの相づち。
これは別に意図した所では無い。別にはぐらかしたかった訳でも無い。
ただ、彼女との
当人たる僕と彼女を含んでも――なにかの強制で、もし仮に除いたとしても――実に色んな人の様々な思惑と過去と願いと、望んだこれからが絡んでいる。
それを当事者かつ部外者である僕がおいそれと恥ずかしげもなく吹聴するのもどうかと思うし、当面そのつもりも無い。個人情報を迂闊に漏洩すると痛い目を見ると相場は決まっているしね。
そんな義理堅いとも言えない程度に裏打ちされた、何ともパッとしない人間性が吐き出したのが玉虫色という塩梅である。
汚れた皿を洗い場にすごすご運んでいると背中越しに優しい声音で続きが投げ掛けられた。
「いつでも帰って来なさい。ここはあなたの家よ」
おっ、おおお、オイオイヤバいわこれなんだこれ。
涙腺を刺激しまくるぞおい。ガチガチマジで。
なんだよやめろって急に家族っぽい深イイこと言うの。本当に。心の準備とかが不足しまくってんぞ…。
僕はそもそもフィーリングの思い付きで行動する割に結構理論派だと自分では思ってる。他の誰も思っていなくとも自分だけはそうであると信じている。
というのも閃きと思い付きを行動の端にした所で、結局その奥底には何かしらの『理由』や『根拠』と呼べるものを拠り所としているからだ。
それは巻き戻ったフィーリングでも思い付きでも、自分にとって選択すべきベストだと少なからず信じられる何かが根っこの端に常に存在している。
それは空虚な理想であったり、架空の自信であったり。或いは砂上の楼閣や若しくは頼り無い理論武装だったりするのだけど。
微細でも微小でも、己を肯定する何かを依り代に僕はこれまで立ってきた。そうやって虚弱極まるメンタルを奮起させてきたんだ。
ならばこそ、実家という死ぬ程慣れ親しんで余りあるにもマジで程がある舞台はそういった類の個人的な武装を全て剥がして裸一貫のステータスへと強制する。
だから、そんな場所と場合においてのこれは『効く』。かなり。
マジで泣く五秒前。MN5…重火器かな? 多分違う。待て待て追い付け落ち着け自家中毒。
意味不明過ぎる自身の思考のせいか、逆に落ち着く僕。
世界で活躍するトップアスリートは劣勢の時こそメンタルの切替が巧みであると聞いた事があるが、地方で活躍して首都に戦場を移す予定のミュージシャンも案外その境地に達しているのかも知れない…なんて無駄に自意識過剰で過大な自己評価だ。
賛否を幾度も繰り返し、泥沼に両足を突っ込んだ僕は、足掻くでも無くただただそのまま沈んで行くのを待つ事を許容する訳でもないので。
「うん、そうする…近い内に」
切なる願望と呼ぶには規模がささやか過ぎるし、聖なる反抗と名乗るには何とも矮小過ぎる。
そんな幼稚極まる言の葉で頼り無く、囀るみたいに自身の喉を短く震わせた。
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