#95 Hold My Hand(頭にこびりつく)

 そして十分後、凍える身体を引き摺って再度銀盤の前に立った僕は震える指で彼女を呼び出して、入室の許可を得た。


 昨晩僕を拒絶した扉を目の前にした時は流石に少し堪えた。左胸の内部がきりりと締め付けられる様な感触。


 幻想の様に不安定な傷みを抱えながら僕はインターホンを押す。

 すぐに応答。返事は迅速に。


「宮元です。その…入ってもいいかな? 往来で話すようなことじゃないから…」


 一応の確認を取る。寒さのせいか少し声が震えていた。本当に寒さだけのせいかはノーコメントだ。ただの意地に似た意固地な意思。


 排他的で理不尽で、どうにもならないホワイトノイズの混じった静寂が糸の様に垂れて、敷き詰めて、張り詰めた後、彼女からの返答がゆっくりと片方に結ばれた。


「いま、開けます」


 昨日同様扉の向こうで歩を進める音がして、すぐそばに気配を感じる距離まで近付いた。

 複数の鍵を解除した後に約一日ぶりの再会を果たした。


「あーっと。こんばんは、新山ニイヤマさん」

「その…こんばんは」


 振った振られたの関係性の男女が交わす挨拶は平時よりも固く、小さい上にかなり拙い。


 まるで繰り返しの様に同じスリッパを充てがわれた僕は彼女の後をついてリビングルームへ案内された。


 またもや床に直に座り、何の気無しに部屋を見渡す。

 その様子は昨夜の記憶のままにこざっぱりとしているが、何処かツギハギの様な違和感を節々に感じる。特急工事の賜物であろうか? 隠し切れない秘めた生活感があって、むしろ温かくて好ましい。


 そして、この部屋の中に僕達の音楽が所有されていて、彼女の生活の一部として機能していたことを知ってしまった身としては何だか面映ゆく――どうにもくすぐったい気持ちに身体を揺らしてしまう。


「ごめんね…寒かったよね…」


 申し訳無さを全面に押し出して新山彩夏アヤカは謎の羞恥に身を攀じる僕にホットコーヒーを手渡してくれた。


 随分早い完成だが、この準備も十分の間に済ませていたのであろうか? 気遣い上手すげぇ…などという邪推の類を押し殺す。今はその心遣いにただ感謝しよう。


「ありがとう…嬉しいよ」


 カップを受け取りながら僕はコーヒーと共に急いで整えたであろう彼女自身に目を向ける。


 暖房の効いた室内という環境の為か、見た事の無いテイストのスタイルに身を包む想い人を舐め回す様に観察する。


 薄く最低限の化粧は兎も角、何より目を惹くのは下半身の服飾――タイトなジーンズだ。

 今までの数度における記憶では――ゆったりとしたロングスカートばかりであった為、脚部の輪郭がいまいち正確には分からなかったんだけど。

 ピッタリとしたデニムパンツとなれば自ずとそれが顕になる訳で、セクシーな臀部と柔らかさそうな内腿が何とも艶めかしい。


 そしてトップスもクリーム色の長袖で彼女の雰囲気にあっているし、こちらもルーズな感じでは無くボディラインが分かる程度にフィットしていて僕の目が上下に分かれていないのが悔しい限りだ。


 さて、刹那の邂逅で彼女のファッションを堪能した僕は温かな嗜好品に口を付けた。


 煩悩に塗れた僕の行動と同じく、カップを手にした彼女がまたもやソファの左側に腰掛けたのを見て、僕は今日の趣旨を語る事にする。今日は隣には行かず床からの咆哮だ。


「振られた癖に…お邪魔してしまって、本当にごめん。これじゃあまるでストーカーだよね…迷惑ならば出て行くから、いつでもそう言って欲しい」

「そ、そんな…来てくれるとは思わなかった…そ、その。彩乃アヤノちゃんから聞いたでしょう? 私って、最低の女だ……」


 謝罪から入った僕としては予想外の展開を見せそうな新山彩夏の言葉。

 率直な意見で反論。


「むしろ逆。他者からだけど、知らない君が知れたし、それに…まさか僕達を応援してくれてたなんて夢にも思ってなかった。すげぇ嬉しいよ。でも、そうならそうと言ってくれれば良かったのに…」


 彼女自身の持つ『症状』はともかく――意図して実施した隠蔽工作については本当に――敢えて隠す意味が僕には分からないってのが本音の正直な所。

 人と人とが何の因果か知り合えたのだ。「ハンズ知ってるよ。好きだよ」と素直に教えてくれれば良かったのに…。


 すると彼女は大きく横に頭を振った。やがて心中を少しばかり明かした。


「言えないよ…好きだからこそ言えない。だって私はファンとしても人間としても失格だから……」


 それ以上は何も言わずに俯く彼女に僕は何て言葉を掛けるべきか…正解は分からないが、見切り発車で言葉にしていく。


「人間失格か…それで良いんだけどな」

「えっ…どうい……」

「僕達が聞いてきた音楽はさ、僕達が演奏している楽曲は、君が聞いてくれた歌は…の為の受け皿なんだから」


 現代のロックンロールはそういう側面を間違い無く有している。

 自分自身や他人、世界とか社会とか。自分を取り巻く全てに上手く折り合えない奴の為の音楽なんだ。だからリスナーは人間失格位で丁度良い。


 だから駄目人間の僕は人間失格な人類の範疇と範囲に位置する君の受け皿になりたいんだと説く。


「それでも私は駄目だ。宮元くん…貴方と出会って、守ってもらって。話をして食事をして……夜の部屋に上げている。悪いバンギャの見本…いやらしくって卑しい女」


 頭を抱えた彼女は吐き捨てる様にそう言った。

 過激で自罰的な内容は昨日までの彼女には見えなかった。本音の一部。


「そう…反吐が出るくらいにいやらしくて、本当に浅ましくて卑しい…」


 再度そう繰り返した女性は不意に絶叫した。決壊したダムの様に止めどなく、溜め込んだその思いを涙に載せて放水させる。


「私は、嘘をついて自分に良いように貴方を動かした。好きなってもらうように誘導した。自分の欲を達成する為に、自分の気持ちを満たす為に貴方の優しさを都合が良いと考えた。そんな醜悪な人間に、卑しい私は…あなたを愛する資格なんて無い」


 それこそが彼女が隠した最大の嘘。

 義妹候補から聞かされた二つの嘘が合わさった彼女の抱える混成物。


 いやしかし、ちょっと待てよ。彼女の発言を噛み砕いて…みれば…?


「待って新山さん…利用したってことは……その、僕の気持ちは既に…?」


 泣きじゃくる女性に対してする質問において最下級とも思える僕の疑念。

 彼女は嗚咽に塗れた声で返答。


「すぐ気付いたよ…そういう視線だった。確信したのは、連絡先を聞かれた辺り。嬉しかったし誇らしかった。ハンズのアラタが自分を好いてくれるなんて思ってもみなかったから……」

「ん? んんぅううう……おおおいう」


 黒歴史を不意に思い出した時の様な咀嚼し切れない羞恥に冒されて僕も頭を抱える。恥ずかしい。告白する前から当人に好意がモロバレだった奴はそうはいないんじゃないか?


 尤もに晒され続けて来た彼女だからこその審美眼や嗅覚なのかも知れないが。何とも男の浅い情欲とか意味不明なメンツについて色々考えさせられるな……。


 しかし、この際僕のメンツなどそのへんに捨て置いて良い。そんなバナナの皮よりくだらないものよりも、ずっと欲しいものがあるんだ。


「ならいいじゃないか。資格なんか要らないよ。好きなら好きで良いんだ」


 先程感銘を受けた言葉を早速拝借しながら、僕は漠然とした頭で思う。


 なんだこれ…――何の、話し合いなんだ?


 僕の好意を利用した彼女は誘いに乗った。

 そうすることで生じる彼女のメリットを考えれば、彼女は恐らく僕を憎からず思っていると推察される。


 しかし、彼女は好きになる資格も愛する資格も卑しい自分には無いのだという。

 それ故に僕の告白を受け入れないと言う。

 愛し愛されているはずなのに結ばれない二人。


 つまり、僕は告白を成就させる為に何をすべきなのだ?

 多分彼女自身を説得しなければならないのだろう。

 なるほど、聡明な義妹の言う通りだ。


 確かに、これは…

 どうにも奇妙であると、言わざるを得ない。

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