3.5th Day : "Another Wasted Night With"
#51 Noctiluca(夜光蟲)
「ねぇー」
「あ?」
未だ勢いの衰えぬ繁華街の淫靡な灯りが視界の端に儚く消えた所で、右隣を歩く女は適当な長子で問いかける。
半ば形骸化して、死滅したのでは無いかとも言える形式的な位置取りは、より道路から遠い位置。比較的安全地帯。昔通りの位置関係だ。
昔通り通りとは言うものの。
俺の記憶よりは多少なりとも大人びた彼女は一旦立ち止まって、それでも尚存在する明確な身長差を埋める為に俺を見上げながら言葉を悪戯に紡いだ。
「こうして私を送ってくれてるのは、本当に私の身を案じたから? それとも二人の…いや、アラタさんの為の口実?」
自然さをたたえて男性の同情を誘う水の様な表情は、当時のコイツには持ち合わせていなかった女性の技術であり、それがどうしようもなく時間の流れを感じさせる。
生来の性格のせいか、彼女に対して取り分け未練など欠片も持ち合わせてはいないが、少し…切なくて遠い気持ちになった。
滲んだのは決して後悔や残滓ではない。
「そりゃあ、こんな夜更けに。年頃の良い女を一人で返す訳に行かないだろ? 勿論、おま…」
「嘘だね」
間髪入れずに否定の言葉が到来する。
流石一年近く付き合った女だ。俺の人間性を熟知している。
であるならば、これ以上の言い訳は意味が無い。
オーバーな降参のポーズで
「現実的には愛する男の為以外のナニモノでもないな」
「やっぱり。そうだと思った」
俺の発した本音を受けた元カノ、その反応は折り込み済みとばかりに冷ややかだ。
その割にわざとらしく浮かべた悲恋の顔付きにまたしても違和感を覚える。お前はそうじゃなかっただろう?
その生き方を会得する為に、一体何を犠牲にしたのだろう? 無関係な他人事ながらもそれなりに引っ掛かる事柄だ。
しかし、現状攻められっぱなしなのが現状であり、それは俺として面白く無いやり取りだ。強引に主導権を取りに行く。
「て言うか、実際問題どうなんだ? アラタの無垢な感情は上手く行きそうなのか?」
幼馴染を引き合いに出して話題転換。彼の純粋な恋心を撒き餌の様に使うのは若干の心苦しさが伴うが、本当に気に掛かるのも事実なので大目に見て欲しい。
緩いパーマ気味の髪をくるくると指先で弄びながら彩乃は曖昧な口を開いた。
「さあねぇ…現状どうとでもなると思うし、どうにもならないかも知れない。私に見えるお姉ちゃんはそういう感じ」
「何だよそれ…」
どっちつかずにも程がある。今後の参考には到底なりそうに無いと洩れる溜息が白色を帯びて、やがて消失。
スキップ未満の足取りで俺の二メートル先に進み出た彼女はその場でひらりとターンをしてからその本意の一旦を語り出す。
結局のところ、アラタさん次第だよ。
「あの人が
そう言って寒空に瞬く星の下に掌を翳して、繰り返しくるくると反転させる。
それが意図するのはどういうことなのか、計りかねる。彼女に―――いや、この姉妹に何かあるのは察しているが、その中身までは想像の余地すらない。
だが、元カノの姉について未だ無知である事実がその鍵であると考えている。その辺りが恐らくアラタの成功には必要なのだろう。
「けれど同時にアラタさんならば可能である。逆に彼に出来なければ姉は一生あのままであるという予感めいた感情も私の中にはある…」
「お前…何を……?」
さてねと煙に巻こうとする彼女を問い詰めることは不可能だ。何か見えない感情に足を取られ、それ以上の追求を許さない空気を年下の彼女が恣意的に構築している。
「何にしても『それ』は私の願望」
両手を大きく伸ばした元カノはこれで話は終わりとばかりに歩みを再開した。その姿は完全に俺の知らない女であり、変容を果たした別個の人間だ。
そこから彼女の自宅前まではくだらぬ与太話に花を咲かせ、昔話に酔いしれた。
オートロックの扉が阻む三階建の共同住宅の前で彼女は改まった口調で御礼を述べ、悪戯に笑う。
「どうする? 泊まってく?」
「勘弁してくれ。お前はともかく、名前も顔も知らない彼氏に悪いよ」
今更どの口が言うのかと自身の内に批判と自嘲の声が巻き起こるが、火遊びは本気になったら負けであると鎮火させる。
尻軽の女子大学生は『そっ』とあっけらかんに吐き捨てて、背を向け住居の中に足を向けた。
それに倣い帰路へ着こうとした俺を呼び止める声が彼女の方から流れてきた。
「ねぇ…私達、ヨリを戻そうか?」
想定外の言葉に身を翻しオートロックの前に立つ昔の恋人に近付いた。
「どういうつもりだ?」
「別に、そういう気分になっただけ」
彼女の眼には後ろめたさで武装した幼き光が宿っている。何だよ、大して昔と変わってないじゃないか。多少の慈しみの感情が心中に生まれ、ささやかな暖かさが全身に行き渡る。
「ちょっと何笑ってんよ? で…どうするの?」
嘲りに見えたのだろうか、頬を紅潮させて催促の言葉を口にしたかつての恋人。その髪の毛を掌でかき乱しす様に撫で付けてから、俺は可否の気持ちを言葉にする。
「そんな気は無い。俺はお前とヨリを戻そうとは思わない」
我らがベーシストの言では無いが、上京を控えた身の上で来春の就職が内定した女子大学生と付き合うつもりは無い。彼女の人生の責任を負いきれない。
尤も同じ条件の筈の我が幼馴染はそれを知ってか知らずか、愚直な姿で自らの愛に生きているのだが…。
「だと思った。アンタは頭が良くって、先を見据えてる。自分だけじゃなくて周りの人間達の分まで小賢しく計算している」
結果、相棒に叱責されることになったのは記憶に新しい。大変耳が痛い言葉だ。
唇を噛み締めた彼女はやがてそれを解き、舌を出して別れの言葉。
「少しはアラタさんを見習いなよ! あの人はアンタに無いものをいっぱい持ってる。彼の爪の垢でも煎じるべきだね!」
吐き捨てる様にそう告げて透明な壁の向こうに消えて行く。階段を駆け上がるけたたましい音が消えて、ドアの開閉音が夜空に一瞬響き渡る。
紆余曲折があったもののエスコートという意味ではこれで完了。
彼女の最後の置土産は俺の急所に鋭く突き刺さっており、否応無く『それ』についての思考活動が心臓付近で開始された。
アラタにあって俺に足りないものがある。
俺が求めてやまない資質がアラタには宿っている。
「そんなの分かってる。今更言われるまでもない。十分に理解している現実さ。知った風に言われた所で既知の事実だろ!」
だからこそ、それ故に――――
「俺はアラタに賭けたんだ」
しかし、幾ら既知であるとは言え、自己の核心に纏わる
ジャケットから即効性の精神安定剤を取り出して、火を灯す。立ち上る煙は終焉の証の様に思えた。
「だあークソ。やっぱり格好つけずにオッケーしとけば良かったかな〜」
紫煙と共に吐き出したのはそんなみっともない後悔。
火遊びが発展し、いっそ小火騒ぎになればいいと自暴自棄気味の溜息。
けれど、その焦燥を燃やした根源は、いつか決着を着ける必要のある個人的なけじめであり、幼き日より俺が抱える致命的な
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