#25 Fashion Victim(仮初の被害者)

 初対面かつ年下であるハズの女性。

 講師、新山彩乃による何とも深くて微妙に浅い――やおら僕の人生を比喩した様な意味不明で錯乱した講釈は──誰が望んだのか、未だ続行中であり絶賛継続中である。


 その内に響き渡るソプラノより低い声と年相応……かどうかはわかり兼ねる力説があった。


「いいですか、アラタさん? そもそも貨幣というのはですね、物々交換を端にした起源からして既に──、」


 という風に偉そうで賢そうな語り口から始まり、資本主義の起こりから現行までの移り変わりについて熱弁を振るった初対面のかしましガール。

 僕もかつては大学に席を置いた大卒であるから何とか耐えられたが、学歴マウントに慣れていないピュアな経歴なら無理だったぜ……。


 とは言え、どう見ても麗しき美女は経済的見地に基づいた意見を散々に吹聴し垂れ流したことで満足したのか、格言めいた言葉でその主張を締める。無関係な話を総計何分喋ったのか?


「…というわけで、確かにお金だけでは幸福は掴めません。しかし…現実問題! 幾らかのお金が無いと選べる幸せの選択肢が確実に減ってしまうのです!」

「おおっ!」


 これは普通に名言なんじゃないかとうっかり思ってしまった。

 それどころか、ほぼ初対面の年下女性から影響を受けて、「僕もいつか言ってみたいなあ名言」などと罪なき物思いすらする始末。

 国内外と時代を問わず、ロックスターの名言なんてものは人間性と性質を内包していて格好いいもんな。だから僕もいつかは、ね?


 僕の野望とは一切関係の無いとっ散らかった空気を締めるのはやはりこの人。


「さて、彩乃アヤノのご高説も無事満了し、充分堪能したと言うことでそろそろ行動開始と行きますか…」


 テーブルに備え付けられた紙ナプキンで口元の汚れを綺麗に拭き取った悠一は恐らく彩乃さんの話を、半分どころか三分の一も聞いていない気がした。


 しかし、彼の傾聴具合や態度は兎も角、発したその提案には概ね僕も賛成だ。

 現実的にこの謎飲食店でいつまでも油を売っている訳にもいかないのだろう。それが満点の正解だ。


 だが本音と建前は違う。素直な気持ちと乖離している。


 根っこの所の僕はこのテーブルを離れがたく、みっともなくそう思ってやまない。

 例え僕達の間に会話など殆ど無かったとしても、少なくとも彼女と同じ空間にいることを許されるからだ。

 ココから離脱すれば、もう一生…そんな機会が二度と無く、そのエニシが消失するのかもしれないと片隅に抱いてしまえばもう――僕はここから一歩たりとも動けない。決して先へは進めない。


 軽々には動けない。軽率には判断できない。最適解は? 順路は?

 段階を踏んで、適切に進まなくては? ここで採択すべき最良は?

 

 覚束ない思考が延々とループ。言葉を変え、表現で変えて誤魔化した所で、何をする?

 中庸で平均化された最善の模範解答は何気ない日常と偽りのない自分の奥底にこそ存在が確認される。 


 無意味の羅列が僕を包み、頭の霧をより深く濃いものに変容させる。

 無価値のベールが軽薄な人間に絡みつき、歩みを躊躇う重たい両足を今以上に固く縛る。


 そんな僕を永劫の自縛から解放すべく垂らされた光が眼前に唐突に、何の前触れも容赦もなく差し込んだ。


「じゃあ俺、彩乃と色々見てくから、またな」

「アラタさん。お姉ちゃんをよろしくお願いします」


 車のキーを投げ捨てた元恋人同士が今尚仲良さそうに席を去り際に残したお言葉が、混乱に身を浸す僕を更に奥深く、静寂の向こうの混迷の渦に突き落とす。ははん、さては貴様らは混沌の寵児だな?


 混乱は沸騰した血液に運ばれ全身に流れて染み渡る。


「お姉ちゃんもね。記憶の中にありし『元クラスメイト』と親交を深めるリトライチャンスなんて、ありはしないよ?」


 妹の意味深な言葉は、距離の離れた姉の肩を大きく揺らす確かな震源で。

 真っ直ぐに対象を貫く新山彩乃いもうとから逃げる様に伏し、視線を外す新山彩夏あね


 新山姉妹の間を繋ぐのは、本当に、冗談などでは無くて――ひょっとすれば、彼女達が生まれた時から今に至るまで挟んでいる『それ』は、画一化され均一化されたテンプレートの様に美しい姉妹愛などでは無いのかも知れない。泡食った愚鈍な頭脳の片隅で、原初の僕はそう思ったり思わなかったり。


 などと他所様の家庭事情について、現実逃避に等しい想像で眼前の現状を覆っている場合では無いのにね。

 僕が為すべきは既に起こった結果を引いて、これから訪れるであろう未来を予測し、対策を練ることだったのに。


 ではここで、簡単な算数の問題です。

 四から二を引いて、その後の場に残るのものは?


 答えは簡単―――宮元新ぼく新山彩夏きみとの二人だけだ。

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