第42話 桃カレは俺もだろ
*42*
いつだって津々浦々、四季折々は大好きな人たちと。時間は流れてゆく。
蓼丸と、涼風、杜野は変わらず生徒会活動で忙しいし、雫もバレー部の練習に余念が無い。萌美はというと――。
「そうそう、そこで、そーっとオーブンからパイを出すの」
ママとお揃いのミトンを買って貰って、アップルパイの練習中。上手に焼けるようになって、みんなに振舞ってあげようと日々格闘していた。
勿論、期末考査も油断はしない。大嫌いな歴史も、パパに相談して、大好きな洋画から興味を持ってみようと思った。
――今のあたしに頑張るものは何もない。だから、勉強と、恋。せめてこの二つは頑張ろうと思う、というくらい、中間の赤点トリオのご来訪に反省したわけである。
ペンを動かす窓からみえる、紫陽花のカタツムリのようにゆっくりでもいい。
(あれから蓼丸は昼休みに歴史と古語を見てくれるようになった)
「俺も、桃原が赤点取って「お腹痛い」なんて理由で逃げられるのはきついし」
優等生はどうあっても騙せない様子。「えへへ」と恥ずかしくも肩を竦めると、涼風がぷっと笑って、昼休みにちょっとした口喧嘩になる。
「選べない」と思ってより一ヶ月。やたらに三人でお昼をとる時間が増えてきた。
(だって、ねぇ。……どっちかを選んだら、どっちかが駄目だと決めつけることになるでしょ。あたしは、それがいやなの。蓼丸は想いをしっかり受け止めてくれるし、マコは思いをしっかりと伝えてくれる。あたしは中間でフワフワ……)
「どう?」と味見をしているママを窺う。
「うん、合格! リンゴの焼き込みも申し分ない! 萌美、免許皆伝ね」
さくっとしたパイを口で噛み砕いて、ふと酸っぱくて、甘い二面性に気付く。リンゴが二人のように思えた。どっちが酸っぱくてどっちが甘いかは判断しかねるけれど。
***
穏やかな六月が終わると、あっという間に一学期の終わりが見えてくる。期末考査が終われば、夏休み。思い思いの時間を過ごす生徒の中でも、運動部は大勝負の合宿に勤しむ。
それが、『篠笹高校・真夏の校内合宿』だ。
篠笹高校の文武両道のスゴさは、夏日の当たり始めたクラブハウスにも現れている。
――7月も二週目。金曜日。
夕方から、日曜日の正午。蓼丸こと合宿委員長(愛称)はホワイトボードに意味と注意点を書いたところだった。
講堂に集められた部活の代表者は、運動部と芸術部に分けられて(というか、勝手に分離して)座っている。奥には先生がいるが、基本、篠笹の方針の「生徒自主性」に則って、行事の大半は篠笹生徒会が仕切る仕組み。
「織田会長、逃げたらしいんだよな」涼風が呆れて呟いた。
「逃げた?」「女の子と海に行くってさ。蓼丸さん切れちゃって大変だったよ」涼風は遠い目をしてみせる。「バハハーイ」と逃げた図は簡単に想像できるからなんだかな。
(織田会長、力いっぱいぶれない人だな)と織田のあの軽い容姿を想い出す。
「副会長も夏の茶会で、結局二年の蓼丸さんと、俺らが仕切るんだけど」杜野が嬉しそうに告げてきた。
「嬉しそうだね」
「内申が良くなるしね。蓼丸さんと一緒にいられるしさ」
(……杜野、あんたも力一杯ぶれないね)
ざわざわと生徒が集まり終えて、涼風と杜野は「じゃな」と前の席へ移動した。
「改めて、校内合宿実行委員長の、生徒会書記、蓼丸です。先輩方、どうぞよろしくお願いします」
(ほわあ……)やはり蓼丸はあまあまモードもいいけれど、生徒会活動が似合うと思う。
――で、なぜ、一般生徒の桃原萌美がちゃっかりと交じっているかといいますと。雫美香の女子バレー部代理にうまく収まっているわけです。
お陰でボードを片手で抱えた委員会活動風味のクールな蓼丸の姿や、杜野と涼風の献身ぶりを堪能できるわけで。
後ろでへへっと男子の声が聞こえた。
(おう、ウイスキーをコーラで割るとうめーんだってよ)
(テニス部のスコート姿、見ながらってかぁ。おう、じゃあ女子見ながら)
――あ、先輩たちのいけない相談。と振り返ると、同時に蓼丸が「ばしこん」とボードを叩く音がした。
男子生徒たちは「チッ」と向き直る。
「くれぐれも規約違反はしないように願います。次に規約違反時の罰則ですが、運動部はインターハイ出場停止、部費カット、最悪退部ですので」
「インターハイ出場停止っすかぁ?! そりゃないっしょ! 眼帯王子!」
ぞわっと運動部部長たちがざわめき出すと、今度はケケケとみている芸術部に蓼丸は向いた。
「芸術部は、部費カット、主な校外活動及び広報の停止です。報道部は実際に廃部となっていますのでご注意を。いいですか!」
辺りがシンとなった。蓼丸は語尾を強め、片眼を据わらせて、ゆっくりと告げた。
「く・れ・ぐ・れ・も! 問題を起こさないように願います。備品は管理室にあります。救急看護は保健委員と擁護が常駐します。買いだしについては、生徒会有志で買いだし班、朝食も家庭科部を中心に、用意します」
(ねえ、サッカー部に応援にいこーよ。あたし、勝負下着持って来る)
(チャンスよね。肝試し、誘っちゃおうかなぁ……吹奏楽女子の凄さを教えてやらなきゃ)
――今度は文化部女子二年のいけない相談だ。
またボードが「ばしっ」と鳴った。杜野がしれっと記録を取っている前で、蓼丸は食いかかるように机を両手で掴み、低く唸った。
「異性交遊とか。飲酒とか。喫煙とか。喧嘩とか、夜通しの肝試しや男女入り乱れなど! 絶対にしないように! 学校の恥を晒すような真似はしないようにお願いします」
またシーンとなった。中で、黙っていた駿河がすいっと長い腕を上げた。駿河は足を机に投げ出しているが、誰も注意しないのだろうかと、萌美は目を丸くする。
「眼帯王子委員長の彼女がいるようですが~、桃原とは当然逢わないと言うことでいいんだよな?」
――うっ。
(どの子?)
(ああ、あのちっちゃい子のことみたい)チクチクと視線が纏わり付く。冷や汗が背中を流れる中、蓼丸は「当然です。桃原はバレー部の雑用有志ですので。俺は問題が起こった時の対処のために本館の生徒会室に詰めていますので逢える余裕なんかないですからご心配なく」と言い切った。
(……本当に言っちゃった……がまん、がまん)
萌美はじわりと涙を浮かばせて、蓼丸を見て、涙目のまま小さく頷いた。
受験の時は、蓼丸に逢いたくて、机に齧り付いた。して今は、一緒に過ごしたくて、追試をやり過ごした。
――ねえ、蓼丸。こうやって努力して近づくとね、とても自信がつく気がするよ。1歩一歩だけど。カクジツに、手に何かを掴めたような。だから、約束、護るよ。
***
『おい、蓼丸さんが呼んでる。俺と、一緒に来いってさ』
――数時間前。
今日はお昼をどうしようと迷っていたところで、涼風に呼ばれて萌美は蓼丸に逢いに行った。三年生は「修学旅行」の本を持って歩いていて、カフェにも、ガイドブックを覗き込んでいる生徒がちらほらみえる。
――ニューヨーク行くんだぁ……と見ている前で、蓼丸を見つけた涼風が手を挙げた。数時間ぶりの凛々しい姿に顔も綻ぶ。
『珍しいね。二人一緒にお昼呼ぶなんて』
(おじゃマムシ)の涼風を睨みながら、萌美はつんと顔を背けて、蓼丸に向いた。
『で、なーに? お昼なら、ママのお弁当があるから、一緒に食べようかと』
『後で戴くよ。今日の放課後の話なんだけど、涼風が話してないのではと思って』
蓼丸はちらっと涼風を窺い、涼風はさっと視線を明後日に向けた。「やっぱり」と一言投げて、机の上で指を組んだ。
『放課後に、夏の合宿説明会があるんだけど、俺と桃原のことを絶対からかってくるヤツがいそうだから言っておく。合宿は当然異性交遊禁止で、俺は取り締まる役なわけだ』
萌美は椅子に座って膝を進めて身を乗りだした。
『異性交遊禁止? 一緒にいられないの? そんなのつまんないよ』
蓼丸は「建前ね」と念押しして、ふっと笑った。こういうオトナの表情は涼風にはないので、きゅんとしてもいいでしょう。
(どっきゅん)……きゅんは大きかった。
『そんなつまらない夜は過ごしたくないな。ただ、説明会だけは悔しくてもやり過ごして欲しい。俺は桃カレと同時に、篠笹の生徒会書記なんだ。公平さは欠いてはだめだろ』
胸がきゅう、とした。
(ああ、きっと、頑張る旦那サマを見る若奥様ってこんな感じ)と萌美なりに咀嚼して落ち着きを取り戻そうと「落ち着きー」と落ち着きを呼ぶ。
『いや、桃カレは俺もだろ』懲りないサルが口を挟んだので、置いてあったバナナサンドを口に近づけておいた。
今は蓼丸のターンです。サルはバナナで満足してなさい。
『約束できるな? きみはバレー部の雑用ちゃん。俺は、生徒会書記。どんなに好きでも、物差しは変えてはだめだ。特に駿河秋葉に注意。演劇部長で演技も巧ければ、騙しも巧い。カネもあるし、頭もきれるから厄介なんだよ』
吊り目の美人・駿河秋葉を思い出した。陸上部長と、和泉と喧嘩させたらどっちが勝つかの口汚い言い合いをしていて驚いたが。
――ん?
『……いま、どんなに好きでも、って言った? ねえ、言った?』
蓼丸はちらっと涼風に視線をやり、にーっこりと笑顔を浮かべてのたまった!
『言ったよ。きみは女子で、俺は男子。可愛いと思うものを愛でて何か可笑しいか?』
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