第41話 お馬鹿さんの集まり。中間考査の追試
*41*
今日は雨。変わらずにしとしと降る雨が、廊下の窓をひんやり冷やす。雨雫を見ながら、萌美と涼風は視聴覚室に進んでいた。
お馬鹿さんの集まり。中間考査の追試である。ちなみに校長主催の筍祭りは雨天につき中止で、一年生は講堂で映画の鑑賞中。洋画好きの萌美には酷な話である。
(だ、大丈夫……苦手の古語も、ちゃんと克服した。社会も、数学も、ちゃんと蓼丸の合格貰ったし)
生徒会に、予算委員会、はたまた美化委員副委員長に、お馬鹿な彼女のお世話とサルの教育。蓼丸の多忙さは言葉にし難い。
でも、蓼丸は一日も欠かさず、萌美の追試の勉強に付き合ってくれた。すっかりカテキョ王子である。
(昔、漫画で読んだ。万能な猫たちがお手伝いしようとして、でも、散らかしちゃって、全部滅茶苦茶になっちゃったけど、自分たちのオトイレとごはんをちゃんと用意してた。その飼い主さんはこう言ったの。「出来ることをやったところはイイと思うよ」……あたしは、蓼丸に迷惑掛けすぎだよ!)
いや、蓼丸だけじゃない。合宿に行きたい! って言葉を聞いた雫もバレー部の雑用係にしてくれようとしているし……。
皆が萌美の面倒を見てくれているのに、自分の赤点1つ、何とかできない。これじゃ、人生自体も赤点だ。
『桃原、追試クリアしたら、何して欲しい?』蓼丸は涼風の前で平然と聞いた。ドドドドドドと胸の大太鼓を叩きながら、萌美は答えた。
『頑張ったねって言って欲しい』
――もっと違う願いがあったはずなのに、口からは褒めて欲しい、の言葉が飛び出て。
(蓼丸に相応しい子だって言って欲しい)
「――絶対、クリアするんだからぁっ」
「あー、織田会長って男には鬼だって噂は本当かよ……」
涼風も何やら生徒会長に圧力をかけられた様子で、赤く充血した目をしばたかせている。
「しかし、蓼丸は教えるのが巧いよな。俺、英語好きになったかも」
「あたしも! 古語が綺麗だなって思って。図書館も好きになった」
「勉強っていいな!」
「うん」
二人で顔を見あわせて、言っている内容の当たり前さと空しさを同時に噛み締めた。「やめやめ」とそれぞれ好きな席につく。みな離れて座っている追試対象者は数えると28名。
しかも、上履きの色が違う。二年生がいる。
――と、一番後ろに、栗色の髪が潰れているを発見した。その対角には、
「絶対全員クリアすんぞ、おまえらぁ!」「うす!」「篠笹ー ファイッ!」とギラギラした運動部らしき塊。実力クラスの選手たちがまとまって追試を喰らっているのだろう。
(駿河秋葉先輩だっけ……演劇部の)
「あ、桃」「すぐ戻る」と萌美は立ち上がると、栗色の髪の隣に落ち着いた。(うわ、睫長い……女優さん顔負け。男、だよね?)
肌も白いし、指もほっそりしていて長い。髪は萌美よりもツヤツヤで……。
「なんだよ」ふと睫が揺れて、駿河が目を開けた。綺麗な水晶のような濡れた目が露わになる。あっふと欠伸を繰り返すと、じ、と萌美を見下ろした。身長は高いが蓼丸よりは低い。「あれ? おまえ」と駿河が萌美に気づく。
ぺこ……と頭を下げると、駿河は綺麗な口角をすっと上げた
。
「――蓼丸と一緒にいたペットじゃね? ちまいから覚えてたぜ。あー、彼女? ならさ、蓼丸のヤローに演劇部の部費あげてっておねだりしてくれない? あいつ、上目使い弱そーじゃん? ああいうのは絶対ムッツリすけべって相場が決まってんだよ。演技指導してやろーか? あいつ、絶対奉仕させるの好きだぜ、あの眼帯サディスト野郎」
――超、口、わる! 美人なだけにタチが悪い。和泉椿の同類だが、和泉より語彙力があるから尚更タチが悪い。
萌美は(眼帯サディスト野郎って合ってるかも)に反応しつつ、頬を膨らませた。
「蓼丸は、泣き脅しには引っかからないよ。予算ならちゃんと蓼丸に言ってください」
「バァカ。あ、正真正銘のおバカか。追試に来てんだもんなぁ……一年ちゃん?」
コクリと頷くと、駿河はひょい、と手を出した。「お手」とからかって、ふっと笑う。
「蓼丸の彼女なのに、赤点? 捨てられるよ」
(嫌な部分に気づいた! ――反撃開始!)
「駿河先輩だって、そうじゃん。ここ、赤点の人しかいないはずだもん」
駿河はククッと笑って、丸めたテキストで萌美を軽くばこんとやった。
「俺はオーディションが被ったんだって。芸術コース取ってっから。これが本試験になんだよ。そうだ。蓼丸と一緒に来るか? ロミジュリ……定番だけど」
駿河はレース彫りのチケットを二枚差し出した。劇団の名前がある。
「え? 駿河さんが出演してるんですか? 高校生なのに」
「アホか。芸術の世界に高校もガキもねーよ。夏公演の千秋楽だ」
千秋楽とは、舞台の最終日。舞台が跳ねる、と言うらしい。映画の「コーラスライン」で見た気がする。
(嬉しいけど、蓼丸にチケットを見せたらきっと「あれ? 涼風の分がない」と言い出すに決まっている。二人っきりになれば、報道部につけられるし、はぁ)
「ねえ、もう一枚欲しいんですけど」と約束の涼風の分を強請ると、駿河は微妙な顔になった。言って置くが、蓼丸に問題があるわけじゃない。周りに振り回されるだけだ。二人でいても、蓼丸はしょっちゅう「ちょっとごめん」と案件に突っ込んで行く。
――この間だって、やっと、いい感じになったところだったのに。
目の前の駿河と近江の仲裁で、中途半端になったハグを思い出した。蓼丸と、やっと通じ合えると思ったところで、二人が校庭で言い合いをして、蓼丸は飛び込んでいって……。
こんなにラブシーンをブツブツ切られると、いつまで経っても慣れやしない。
「っそ。このあいだの詫びなんだけどな。言ってただろ、『おまえらががちゃがちゃやるから、俺のラブシーンが続かねえよ!』って。ラブシーン中断させたんだったら、悪かったなと思って。デートの足しになんだろ? なのに、もう一枚?」
……あれ? 意外といい人? 首を傾げたところで、追試の監督の教師が入って来た。あちこちから「あー」だの「うー」だのの嘆きの声が聞こえる。
「全く。クラスから二人も赤点出しちゃって……ハイハイ、あたしが監督。桃原ぁ、古語落としたら容赦しないからね!」
監督だった立野にばしこん、とやられて、萌美は涙目で「大丈夫だもん!」と言い返す。
「一年は75点以上で合格! 二年は80点! では、各時教科があってるか確認!」
古語、歴史、倫理。こんにちは。トリオが並んでいた。問題は同じだった。
(もう2度と来ないようにしよ)と萌美はペンを握りしめた。
学生の萌美がやるべきことは、お勉強と恋。たった2つしかないのに、両方できていない。蓼丸は両方とも完璧なのに。涼風を考える余裕もあるのに。
(見ていて、蓼丸! クリアして、夏の想い出作ってみせるから!)
「一年生、追試、スタート!」
――今日限りでお馬鹿は卒業するんだ! と、苦手な古語から取り組んだ。しかし、苦手意識を無くせば、なんでもすんなり行くもので。
(判る、古語の綺麗さ、流れがわかる!)
昔の人は、季節を慈しんで、四季を大切にしたから、こうやって現代に伝わって行く。言葉の歴史だって蓼丸は教えてくれた。
春は桜が満開、夏は青竹がすくすく。秋は銀杏が黄金色に翻り、冬は白銀の粉雪が世界を綺麗にする。
――いつだって、貴方と一緒に四季折々。好きな人と見る月はより美しいんだって。
「お」と立野が見廻りながら声を発したけれど、萌美は夢中で文面を追っていた。蓼丸の教え方を想い出しながら、コチコチの時計音の中、ようやく古語の試験を終え、制限時間前に歴史に入れた。涼風にも教えて貰った歴史も何とか、最後は倫理。終わった教科から回収されるので、最後は一枚と取っ組み合っておずおずと提出することになる。
「先生、おね、お願いしますっ!」
立野はじ、と萌美を見ると、きゅぽ、と朱ペンを咥えてキャップを開けた。
「ほら、気になるんだろ。ここで採点してあげるから」と壁に寄り掛かって、一枚をぽい、二枚目をぽい、三枚目をぽいっと投げて、萌美の頭をわしゃっとやった。
「古語76点、歴史75点、倫理75点。ギリギリの人生だねぇ。桃原」
――うっ。本当にギリギリ。
「頑張った! 出てってヨシ!」立野はにっと笑うと、「他の生徒の邪魔すんなよ」とばかりに萌美を廊下にぽいっと出した。
……終わった……お馬鹿ちゃんの地獄の時間……これで、みんなとやっと並べる。お馬鹿だけど、追試なんか受けてるお馬鹿だけど!
「うわああああん、やったーーーーっ 雫――っ、蓼丸――っ!」
がらっとドアが開いて、真っ赤な顔した涼風が飛び出して、萌美にピースを見せて来た。
「おう、桃! 合格したぜ! 英語75点! 理科75点だった! やったー! 蓼丸と杜野と会長に報告!」
「やったね!」と涼風と手を打ち合わせて、廊下に飛び出し、このしょうもないであろう歴史的な戦いの勝利を噛み締めたのだった。
(お騒がせしました。桃原、涼風、両名、無事に追試合格しました! 合宿参加させて戴きますっ!)
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