第30話 鉢巻きの決意は嘘じゃない
*30*
その後、3分ほどのスピーチを考えて、書き上げて、うとうとしていた蓼丸を起こして、変な言い回しを直して貰って、涼風への応援演説の原稿は仕上がった。
「でーきたっ!」
大声を張り上げて、恥ずかしさにすとんと座った。蓼丸は大きな手で口元を覆っている。
(手、大きいな。ごつごつしてて、手首とかも、なんか違う。今日はずきゅーん、というより、じんじんする……さっきも「やん」とか言ってるし)
――ゴン。机に倒れた。
「桃原?」「あ、あははははははは」
(ジンジンってなんだーっ!)と自己突っ込みしつつ、涼風にぷっちんやられたおでこをさすって顔を上げた。
「何やってんだ」と大きい手が伸びて来て、前髪を持ち上げた……ところで、蓼丸は顔を険しくした。「和泉」と小さく呟く。
(まずい! 監査なのに! 原稿見て貰ってたの、見られてた!)
「言い訳はしないよ。宮城に報告していいよ」
幸せな時間が音を立てて崩れかける。しかし、和泉はふいっと蓼丸に、「何の事かわからないな」と告げた。
和泉は廊下の柱に寄り掛かって横顔を向け、爪先をひょい、と上げた。
「生徒会役員が、いつまでも揃わない、提出されない原稿を回収に来ただけでしょ。蓼丸先輩」
(それって……)
「つばにゃん」
ついつい出た呼び名に和泉が「今なんつった?」とむっと振り返った。
「ありがとう、つばにゃん」
「引っ掻くよ。羨ましいとかないし。これ、講堂に貼る垂れ幕の印刷。確認して」と抱えていたロール状のプリントを広げて見せる。
「垂れ幕貼るんだ」
「立候補者の垂れ幕か。お疲れさん」
蓼丸の声に、和泉は背中を向けた。
「応援演説の原稿、出来たならチェック入れるよ。みっともないもの読ませられないし」
「――はいっ」と勢いよく差し出した。
和泉はざっと目を通して、「そういや英語だけは出来てたな」とぼやき、「本気でこれやんの? 正気かよ」との相変わらずの口の悪さでおとしてくれて。
「蓼丸先輩は許可したんですか。生徒会が許可したなら、僕が言うことはないけどね」
ぽーい、と投げられた原稿をキャッチした。
(もう、素行悪いの、あたしに対してだけですか!)
でも、腹は立たない。何となく和泉椿は憎めないと思えるからだ。萌美はぎゅっと原稿を抱き締めた。
「つばにゃん」
「……過去のクソむかつく呼び名を当たり前に呼ぶな! やまんば女子」
(うっ)と思いながら、萌美は目線が合う和泉に向かい合った。ずっと、心に響いてしまった。和泉と宮城の距離。それも、応援で何とかなるのなら、と思い始めたところで。
「お願いがあるの。あたしが涼風をちゃんと応援できたら……」
冷ややかな視線が萌美を射貫いた。
「当選したら、だろ。理系の僕には結果を出しなよ。これだから英語脳は」
また髄を凝らした厭味を飛ばされた。(負けないもんっ)と萌美は蓼丸を見やる。何もかも判っているような片眼が僅かに細くなった。
「つばにゃんも、宮城さんと仲直りして欲しい」
「え......?」
しばしの後。「アホか、おまえは」ぽかーんの和泉の顔は初めて見る表情だった。
「それができたら……どんなにいいか」
「できるよ! ……だって、悔しいんでしょ? でも、あたし思うんだ。つばにゃんの意地が邪魔してんじゃないかって!」
和泉は例の如く「めでたいな桃原萌美」と大きな眼を潤ませて、背中を向けてしまったけれど。
「失敗かぁ……」と蓼丸の前で萌美は肩を落とした。
「そうでもないだろ。多分、驚いていたから。それに、また首突っ込んだな」
萌美は「ん」と小さく頷いて、蓼丸の袖を掴んだ。
「あたしだけ幸せはいやだなって。……何とかしてあげたくなったの。蓼丸の気持ちが分かるよ。蓼丸、いっつも「なんとかならないか」って考えてるもん。マコとの」
目の前で、蓼丸は眼帯に指を引っかけて、ぐい、と引っ張った。
(なんでここで外しますか!)
色の違う双眸に見られて、ずっきゅん、ドクドクドク。緊急心臓工事が始まった様子。
蓼丸は首に手を当てると、両眼でじいっと萌美を見た。いつもと違う目付き。
(ま、まさか、あたしに決闘しろって言うんじゃ……)
少しばかりの垂れ眼が僅かに潤んで、どっひゃー! とか引っ繰り返……ている場合ではない。萌美はごくっと喉を鳴らした。
どうにもこうにも、イライラしている蓼丸は、男に見える。つい、と指で顎を持ち上げられて、至近距離で言われた。
「あっちこっち見てねぇで、まずは目の前の自分のカレ、幸せにしろよ?」
「します! させていただきますっ!」
蓼丸は腕を伸ばして、萌美を囲い込むように抱いた。(ふおっ……あのっ)和泉が近くにいるに決まっているのに、教室での不純異性交遊がばれれば、大変なことになるのに。
「暴れるなよ、教室、萌えるし」
「暴れるっ! た、蓼丸、眼帯、ほら、眼帯しましょ? ね?」
「いやだ」
(ヤダって言った?!)
「チ」と小さな舌打ちの後、蓼丸はしぶしぶ眼帯をつけて、忽ち赤面して、気の毒なほど今度は青ざめた。
「……すまないな。またか」
「いいえっ……もう、慣れた! だ、段々エスカレートして……るよ……ね。あは……」
「…………」
無言の2人に居たたまれない空気が流れる中、「ふんふんふん」と鼻歌の涼風が来て、萌美はひたすら頬をバシバシバシバシ叩いて振り返った。
「じゃ、じゃあね、蓼丸っ!」
「頑張れよ、2人とも」また騒動を起こした眼帯王子はそれでも毅然と帰っていき。
(あー、あたしの心臓どこにおっこちた~~~)と何度も呼吸を繰り返す前で、涼風がぼやく。
「フェアじゃねーもんなぁ……逢えた?」
「まさか、蓼丸呼んでくれたの?」
「さあ?」と涼風はらしい笑顔でニッと笑った。ちなみに原稿は……もう好きにしろと言ってあげた。
――応援演説と、涼風の演説は明後日に迫っている。鉢巻きの決意は嘘じゃない。
教室から空を見上げると、5月の星座が瞬いていた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます