第5話 眼帯王子が眼帯、解かれたら

*5*

 蓼丸は身長が高すぎず、低すぎない。姿勢が良いから、直ぐに分かるし、立ち姿に特徴がある。他校の生徒会長だったときも、ひとめで分かった。腕も長いし、伸びやかな動きをする。


(スウェーデンのクォーターって本当なんだ……)


 萌美に気づいた蓼丸は、ふ、と微笑んだように見えた。


(やば、あたし、さっき机にべたりとなってたよね。前髪とか変になってないかな。もう、確認くらいしようよ、あたし!)


 気になって来た。しかし、姿を見せているのに、引き返すのは、もっと変だ。


 見れば、蓼丸は他二人と一緒に、本館の入口にいた。クアハウスの庭石に寄り掛かった男子生徒と、その傍で腕を組んでいる黒髪美少女の先輩は朝も見た気がする。


(誰だろう……なんか、オーラが違うし、ちょっと恐い)


「あら、桃カレ子猫ちゃんが」2人に見られて、萌美はクアハウスの庭石に隠れて、そーっと顔を覗かせた。


「桃原、びくつかなくていいよ。生徒会長の織田と、副会長の糯月(もちつき)だ」


(言われて見れば、三人とも同じ腕章)ほっとして、萌美はおず、と蓼丸を見上げた。


「恐い人たちだって見抜いてる? ははは、ほら、挨拶してごらん。大丈夫だから」

「う、うん。一年の、桃原です。あの」


 生徒会長は柔らかそうな髪を肩まで伸ばしている。どことなくやんちゃで、でも油断をさせないタイプだ。隣にいる黒髪さんとは対称的。


「生徒会長の織田だ。ちょうど先生が本館を閉めてしまったので、帰るところだったんだ」

「副会長の糯月よ。蓼丸とは腐れ縁。小学校から知っているの」


「本館が開かないので、図書館で打合せするかって話してたんだけど、会長がデートがあるからと急に予定を取りやめたんだ。桃原と一緒に帰ろうと思って」


 ――いきなり、来ました。放課後デート。


「う、うん、あ、は、はいっ」

「返事を選べっていうなら、「うん」でいいよ。……そういえば」


 蓼丸は眼帯のスワロフスキーを揺らし、少々垂れ眼気味な目をきらと向けた。


「涼風、HR遅刻しなかったかな」

「えっ」


 蓼丸は涼しげに「さっき、俺のところに来て、何でも良いから教えてくれって。丁度委員会が決まったところで、「美化委員やるよ」とだけ伝えたけど。何だったんだろう」


「あ、あたしも美化委員」


「え? そうなの? それは奇遇だ」蓼丸は軽く言ったけれど、多分奇遇じゃない。不思議そうに首を傾げる前で、萌美は涼風の言動を思い出していた。


 ――本当だったんだ。本当に、蓼丸に聞き出して来て、マコ、遅刻してきた。


「好きだからだよ」の言葉も一緒に真実味をおびてきて、萌美は心の中でウロウロと感情を揺らして落ち着かなくなった。


(なんなの? お膳立てなんかして。あたしを喜ばせようとしてた? 遅刻までして)


 違う、知ってる。涼風はそういう男の子だった。

 遠足前の小学校で、小鳥が枝に引っかかったとみんなで騒いでいた時も、涼風は木登りして、小鳥を助けようとした。結局怪我して遠足には来られなかった。


(あたしは、ちょっとそういうトコが苦手なんだよね)


 一人っ子で甘やかされたせいかも知れない。嫌なお嬢様に育ったものだ。


「なーんてね。桃原、大切な友達は、邪険にするなよ。俺はちゃんと桃カレやるから」


「桃カレ?」聞き返すと、蓼丸はさらりと告げた。


「桃原のカレ。さっき副会長が言ったんだ。桃原の彼氏なら、桃カレねって。華夜! そう言ったよな」


 にこっと微笑まれて、萌美もにこっと笑い返した。生徒会長は無言。何かを考えているように見える。気付いた糯月が織田を窺い始めた。


「どうしたの? 織田」


「いや……もっと面白くならないものかな、と。蓼丸が落ち着いているのは分かるんだが、もうちょっとさぁ。せっかく桃ちゃんが告ったのに、「いいよ。カレです」はつまらん」


 ほほほ、と副会長が笑った。


「そういえば、そのオサルさん、生徒会室にも来たわねぇ。蓼丸のこと教えてくれって。蓼丸、ちょうど看板片付けでいなかったのよね」


 ――生徒会室まであのサル行ってた!


 萌美はなんだか恥ずかしくなって、ぺこっと頭を下げた。


(何やってんのよ。何がしたいのよ、あのトランプサルは!)


「なるほど。俺のところで話する前に、本館に回ったんじゃ、完全に間に合わなかったよな。立野は遅刻に厳しい女教師だから、気をつけないと」


「すいません……」


(なんであたしが謝るのよ!)と思いながらも、萌美は頭をまた下げた。「好きだからだ」なんて言われなければ、こんなに責任を感じなかったのに。よりにも寄って、気づいてしまう。萌美の行動と、涼風の行動はまるで同じだと。だから、責められない。


「でも、あたしは蓼丸がいーんだもぉん……」


 ふっと見上げると、優しい瞳とかち合って、萌美は恥ずかしさから爪先で校庭を掘った。


「さーて、お邪魔のマムシ2匹は退散しようか、副会長」


「待って」と副会長がふふっと笑った。「見てご覧なさい。山からおサルが降りてきたわ」


 ぴく、と蓼丸の眉と同時に、萌美の眉が上がる。


 本館の横にある自転車置き場の植え込みの近くに、ベリーショートのサル頭が見えた。


「あ! マコがいる!」


 萌美は気づくなり、唇を軽く引いた。「ぐるるる」と小さな唸り声を上げると、涼風はやれやれ、と立ち上がって見せた。


「一緒に帰ろうと思って。自転車置き場、近かったし」ブツブツ言い訳して、「さっきは教えてくれてありがとうございました」と蓼丸に向かって頭を下げて見せた。


「あら、良い子のおサルさん。今度バナナあげる」副会長が茶々を入れる前で、蓼丸はただ頷いた。


(もう、なんで待ってるの)膨れたい気持ちで、蓼丸を見やる。段々蓼丸諒介の性格が見えて来た。蓼丸は平和主義だ。それはさっきからの言動で分かる。


(そういうとこ、好きだけど……やっとカレになってくれたのに)


 他校の生徒会長の蓼丸を観るチャンスは、少なかった。学園祭に潜り込んで、先生に怒られた経験だってある。苦手な古語を手の甲にぷすぷすシャープペンシルを挿しながら頑張ったのは。得意な英語を更にしっかりと磨き上げて、揺るがないものにしたのは。

 社会歴史この際除きます。


(全部、全部全部、高校生活を蓼丸と過ごしたかったからなの!)


「そうか」と蓼丸が動いた。(お願い、空気読んで!)と思うも虚しく、


「じゃあ、三人で帰ろうか。お腹空いただろう。奢るよ」などとそれはそれは模範生徒の素敵な言葉を涼風に贈っている。


(もおおおおお! そうじゃなくって! でも……マコはわたしが喜ぶと思って、同じ委員会、聞き出してくれたんだよ。うん、嬉しかった……しょーがないなっ)


 萌美はチラチラと萌美を窺う視線から逃げながら、蓼丸を見上げた。


「うん、マコも一緒でいいよって言いたいけど」

「何を怒ってるんだ? 幼なじみ同士なのに」


 萌美は思い出してムスッとした。


「マコ、あたしの額のぷっくり、潰したの。お陰で痕が残っちゃって。小さいものだけど、スキンケアの時に見えてへこむの。それだけなんだけど」


「だーから、謝っただろっ! あれは、ガキの頃の話で! ほんっとごめん。マジ、あの頃の俺、タコ殴りにして、タイムトラベルカーに乗ってぶち殺して来るから」


(いや、そこまではしなくても。それに不可能でしょ、それ)


 しかも、蓼丸の前で、昔の傷に今更薬を塗られても……と、頭で蓼丸の手が跳ねた。


「許してやろうな、桃原はイイコだろ」

「――はいっ」


 ずる、と生徒会長がずっこけた。「織田?」「俺、もう無理」短い会話のやり取りの後、「おや?」と織田は蓼丸に近づいて来た。


「蓼丸、桜の花びらが頭に乗っているよ。知っているかい? 洋画の「パピヨン」では女役の囚人に花びらを載せるんだ。色っぽいねぇ」


「桃原、よけて」と蓼丸が静かに萌美に振り向いた瞬間。織田の手がさっと蓼丸の頭に伸びた。後頭部の眼帯の結び目に触れて、垂れている眼帯の紐をぐいっと引っ張った!


(あ、眼帯! 解かれちゃう!)


 解かれた眼帯が音もなく落ち、副会長の声がコロコロとグラウンドに響き渡った。


「あらあら、悪戯して、悪い生徒会長」

「面白いほうがいいだろ、物事は」


 二人の会話の前で、蓼丸は動きを止めていた。蓼丸は何かを隠していて眼帯をしている。動かない蓼丸が心配で、萌美は蓼丸の前に回り込み、覗き込んだ。蓼丸は瞳の奥までを澄ませている様子だった。オッドアイが交互に違う光を放っている。


「あ、眼帯、拾ってあげる」

「後ろへ下がっていろ」


 ――はい? 蓼丸はしっかりと低い声で告げると、露わになった両眼で、萌美を見詰めた。その熱っぽい視線に鼻がムズついた。眼を見開いた萌美の手を取り、蓼丸は跪いた。


「桃原に何かあったら、償いきれない。いいね? 俺の王女様」


「おっじょ……?」(王女様ァ?)パクパクと金魚のように口を開ける萌美の前髪を持ち上げて、蓼丸は額にキスを贈ると、にっこりと微笑んで、今度は手を持ち上げた。


「イイコだ。男の戦いに口を出してはいけないよ。ここで、待っているんだ」


 膝をついて、再度囁くと、蓼丸は副会長の折り畳み傘に視線を向けた。


「レディ、お借りしても?」

「いいわよ。壊さないでね。蓼丸」


「もちろん。無傷で返すよ」と丁寧に受け取り、数回、持ち手を引き上げた。


 一等ぽかんとしていた涼風の胸ぐらを掴みあげた!



「俺のオンナが欲しいなら、ここで決闘しろ! 男なら受けて立て!」



 傘を向けたポーズは、まんま海賊。〝気に入ったものは、何でも奪う海賊王子〟杜野の言葉を思い出し、背中に汗が垂れた。


(まさか、海賊王子って仇名の理由、コレなんじゃ……)


「お、おう! 分かった!」と涼風は涼風でトランプを扇型に持ち出し、シャッと投げたが、蓼丸は冷静にカードを叩き落とした。そもそも涼風は何故トランプ出した!


 蓼丸は涼風にぐいっと傘を突きつけて、ニィと笑った。


「観念しろ。喉仏を刺されたくないなら、手を引け」


(あ、わわわわわ……っ)


おろろろと生徒会長と副会長と蓼丸を交互に見やった時、遠くから杜野が走って来るが見えた。

「蓼丸さんっ! 眼帯思いだして下さい! 桃原、眼帯!」


(あ、これ、ずっと持ってた!)握りしめていた眼帯を更に握って、震える足で近寄ろうとしたが、「うおりゃぁ」と涼風が応戦して、蓼丸の注意が逸れた。


「いいだろう。遊んでやるか。いいか! 桃原は俺のオンナだ!」


 ずっきゅううううううううううううううううん。夢にまで見た彼女宣言に萌美は感涙で喉を詰まらせた。


(あ、ありがとう……! 神さま、ありがとう……っ! 眼帯、ありがとう……!)


「感動してないで、早く眼帯返してやらないと。本物の海賊になったままのカレになるよ。大騒動になる前になんとかしろって。ほら、厄介なの来た」


 騒動を聞きつけたのか、遠くからジャージの教師がやってくるが見えた。


「蓼丸、眼帯……っ」


「ははははははは! どこまで逃げる!」


 とてもではないが、蓼丸の動きが速くて追いつけない。萌美は泣きそうになって杜野を振り返った。


「ねえ、海賊王子の異名ってもしかして」


 杜野は「言い忘れてすまない」と短く謝罪を口にして、頷いた。


「そう。あの人、眼帯外れると、オンナには究極のフェミニスト、男には誰彼構わず決闘を申し込むスウェーデンのヴァイキングになっちゃうんだ。ちなみに、俺は決闘を申し込まれました。強いよ。フェンシングやってたし。決闘というより、喧嘩売ってくる」


 海賊になっちゃう――?!


「な、なんで……眼帯してるときは穏やかなのに……?!」


「理由は後で聞けよ。一種の催眠みたいなものじゃないかな。蓼丸さんの場合は箍が外れるって言うか、本性が出るというか」


 背が高い同士の決闘の行方も興味があったが、ちょこまかする涼風を蓼丸は壁まで追い詰めていた。副会長のカサを壁に突き刺して、凄み始めた。


「桃原は俺の彼女だ。手をだすなら容赦しないぞ」

「違う! 俺のお嫁さんだ!」


(それは絶対違う! 断じて違います!)


「ちょっと、もおっ! ねえ、喧嘩やめてっ」


 ニヤニヤと観察する生徒会長たちを横切って追いかけるも、大柄で動きが俊敏な蓼丸に眼帯をつけるタイミングが見つからない。


(どうしよう、完全に海賊だよ。も……眼帯に、なるもの……これだっ)


「戻ってよぉお……っ」


 萌美は咄嗟に手を伸ばし、蓼丸にしがみついた。(が、眼帯)と震える小さな手で右眼を隠すようにつま先立ちして蓼丸の顔を覆った。ぱち、ぱちぱち、と瞬きした蓼丸の手から、折り畳み傘が滑り落ちた。後で蓼丸は正気に戻った。


「――あ……桃原?」

「はい。眼帯返すね。二人とも喧嘩しないでよ。嫌だよ……」


「悪い。って俺、何がなんだか……っ! 海賊に攫われたサルの映画のサルの気分」



 騒動が収まったところで、「またおまえか蓼丸諒介ェ!」とがなる体育教師の声が響き渡った。


「また、俺、やった?」と蓼丸は顔を覆って動かなくなってしまった背後では


「先生たち、お騒がせしましたが、我が生徒会に異常はなしです。うちの蓼丸がちょっと暴れただけですが、まあ、木の芽時に叫びたい年頃なので。ご面倒をおかけしました」


 毅然と対応する織田会長と、「お騒がせしました。後ほど職員室に生徒会として、お詫びに窺いますので」との優雅な副会長の声が響いていた。

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