第99話 刻印はどうでもよかった
マッスルブ夫婦の結婚式が終わり、その晩は広場で祝宴が開催されていた。
最近になって、待望の乳製品が手に入るようになったから、今日の祝宴でもふんだんに乳製品が使われている。
チーズにバター、牛乳。どれも地球で食べ慣れた味とは異なるけど、確かに乳製品だ。初めて口にした時は感動したよなあ。
鶏から今朝とれた新鮮な卵や小麦粉で作ったパンも並んでいる。もちろんキャッサバ粉を原料にしたフフやパンも並ぶ。
お酒もマッスルブが探して来たヤシを原料にしたヤシ酒にキャッサバ酒。ジルコンから輸入したワインやビールまである。
俺のお気に入りはヤシ酒で、口に含むとよい香りと共に甘みが広がり、発泡が喉を通った時に心地いい。
マッスルブが言うにヤシは魔の森に自生しているみたいで、元はワインの原料となるブドウを探しに行った結果発見したそうだ。
アルコールがダメな人にはヤシの実ジュースや、サトウキビを使った砂糖水、ブドウジュースなどが並んでいる。
交易をするようになってから、本当に食事の種類が豊富になった。
オークじゃないけど、彩豊かな食卓は人を幸せにし、明日への活力になると俺は思っている。
ここに来た頃に比べると格段の進歩だよ。
俺は集められた色とりどりの食べ物に目をやりニヤけていると、ミネルバがこちらにやって来た。ジャムカに会って以来、彼女は龍の谷へ帰り、週に一度稽古の為にローマへ戻って来る。
そういえば、ミネルバと刻印についてあれ以来話をしていないがいいんだろうか……聞かれなかったから今まですっかり忘れていたぞ。
「ミネルバ、そういえは刻印の事すっかり……」
「問題無い。既に済ませた」
「そ、そうか。あの時、カエサル様の後でと言っていたのにごめんな」
「刻印の用事は大した事では無い。ただ会うだけだからな」
「刻印って一体何の事なんだ?」
忘れていたから気にならなかったけど、思い出すと気になる。
人と会うだけとミネルバは言っているから、アイテムなのか紋章みたいなのが体に浮かぶのか、そんなところかな。
「ピウス。我ら龍は人型に変化できるのは見ての通りだ」
「ああ。ミネルバは今人型だよな」
ミネルバもここ一年でようやくちゃんと服を着てくれるようになった……ローマに居る時はずっと人型になっている。
龍は人型に変化することができて、ずっと変身したままでも大丈夫だそうだ。
「刻印持ちは、龍の姿を捨てた龍が持つ」
「ええと、龍に戻れなくなった龍の事なのかな」
「その通りだ。人の姿に成れない龍は居るが、龍に戻れない者はいない。それは龍ではないからな」
「ややこしいが、言ってることは当たり前だよな。龍に成れないのなら龍じゃあない」
「自ら龍の姿を捨てなければ、そのようにはならないのだ」
「自分から龍の姿を捨てるのか……それはまた変わってるなあ」
「そういった元龍は体に刻印を持つ。我が会おうとしていたのは、魔の森に住む龍ではなかったからだよ」
「他にも龍の住処があるってことか」
「ああ。ずっとずっと南東にエルフの森がある。森を越えると龍の渓谷があるのだ」
「んんと。刻印を持つ者は珍しいから会ってみたかったってだけ?」
「いかにも」
なんか脱力した……全然深刻な話じゃなかったよ。初めてミネルバ達に会った時、かなり切羽詰まってるように見えたんだけど……刻印の方は単なる興味本位かよ。
「教えてくれてありがとう。平和的な話で良かったよ」
「力試しをすることもある」
龍の性質を考えたら、手合わせもあるだろうなあ。彼らはとても、そうとても好戦的だからな……
引っかかっていた事が聞けたのですっきりした俺は、並べられたアルコール類へ手を伸ばす。ん、マッスルブ拘りのヤシ酒は絶品だな。
その時だ――
――ハーピーが息を切らせて広場に降り立った。
俺がハーピーの元へ駆けよると、既にベリサリウスも彼女の元へ駆けつけていた。
「ベ、ベリサリウス……様」
俺はハーピーに水を差しだし、彼女に息を落ち着けてもらう。彼女は水を飲み俺に礼をすると再び話始める。
「ベリサリウス様。失礼いたしました。ラヴェンナに辺境伯の使いの者が来ております。急ぎお伝えに参りました」
「ご苦労だった。そなたの働き見事だ」
ベリサリウスはハーピーを労うと、彼女をさがらせ、近くの者に食事を与えるよう指示を出す。
ハーピーと飛龍が居るとはいえ、即時連絡に慣れていたらこうして伝令が来ると戸惑うなあ。現状、遠距離で会話が出来る者は、パオラ・エリスの精霊術を使用した遠隔会話に、エルラインの魔術だ。
限定的だけど、俺とミネルバは離れていても会話ができる。ローマだけの時は良かったんだけど、今は四つの街があるので、伝令に頼っているというわけだ。
ベリサリウスが移動する際にはエリスが着いていき、ローマと通信できるようにはするが、その為にはパオラを残さないといけないし、エルラインは俺達の指揮下にないから他の街へ待機してもらうこともできない。
俺が外に出る時は……まあ、エルラインを誘えばついて来る……
「ベリサリウス様。私がラヴェンナへ行ってよろしいですか?」
「うむ。連絡は都度頼む」
俺の問にベリサリウスは
いきなりボスが出て行って、使者と話をするのは何かと問題だから、俺がそうするようにベリサリウスに頼んだからなんだけど……いきなりボスが出ていくと、相手に舐められたり、こちらが考える時間を取れなかったりするからな。
ボスの決定までにワンクッション欲しいんだよ。
「では。急ぎ行ってまいります。ミネルバに乗って向かいます」
「よろしく頼む」
俺が急ぎミネルバの元へ行くと、彼女の隣にはリッチの少年エルラインがいつの間にか駆けつけていて、楽しそうな顔で俺を見つめている……
「やあ。ピウス。何か面白そうなことがあったんだね」
「面白いかどうかは分からないけど、ラヴェンナに辺境伯からの使者が来たそうだ」
「僕も行っていいかな」
「もちろんだ。エルは俺の知らない事をたくさん知っているから、居てくれた方が助かる」
「全く君は変わらないね……」
エルラインは肩を竦め、大きなルビーが先端に取り付けられた杖を振るう。
――景色が突然変わる!
「エル?」
訝しむ俺にエルラインは肩を竦めたまま顎で奥の建物を示す。俺が振り返り、エルラインの示した方向を見ると……ラヴェンナの冒険者の宿が見えた。
なるほど。転移魔術か……一言俺に断ってから言ってくれよな……ミネルバに乗るつもりだったのに置いてきちゃったじゃないか!
「早いほうがいいんだよね?」
「そ、そうだけど。やる前に何か言ってくれよ!」
「使者とやらがどこにいるんだろう。まず冒険者の宿に行くか……」
「どこにいるかハーピーに聞けばよかったんじゃないの? 相変わらずだね君は」
「転移魔術で来ると思ってなかったんだよー」
冒険者の宿に寄り道しても、ミネルバで移動するより遥かに早く使者に会えるだろう。その点エルラインに感謝だな。やり方は酷いが……
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