第71話 聖女

 聖女の姿はその名の通り、触れ難い神秘性を持つ淑女……少女といって良いのか美女と言うべきか。大人と少女の中間くらいの年齢で、長い金色の髪に絹で出来た薄い白のヴェールを被っている。

 ヴェールから覗く顔は、少したれ目であるが整った顔立ちをしている。とにかく、「ザ・聖女」と言えばいいのか、纏うオーラの神々しさが半端ない。

 ティモタとエルラインは彼女を見てどう感じているのかが気になり、彼らに目をやると、


――ティモタは膝をつき、彼女をしかと見つめ、

――エルラインは面白そうにいつもの悪そうな笑みを浮かべている。


 ティモタの様子も気になるけど、エルラインのあの微笑みは危険な香りがプンプンする! これは近寄ったらダメなパターンだ。はやく通り過ぎてくれ聖女よ。

 しかし、嫌な予感ってたいがい当たるんだよね。ほら……


――聖女と目が合う。


 彼女は俺と目があうと、清楚な顔に似合わないほど目を大きく見開き、俺の方へと歩いて来る。あー。あー。俺の事は無視してくださいよ。しかし俺の思いとは裏腹に彼女は真っすぐに俺の方へ……

 思わずティモタの後ろに隠れようとしたところで、彼女から声がかかる。


「あなたは。プロコピウスさんではありませんか?」


 悲報! 聖女! 一発で俺の名前を当てる。事件です! 変装してるのに全く役に立ってません。ということじゃくて、何で聖女が「プロコピウス」の顔を知っているのかって事だよ。問題点は!

 現在の俺は髪と目の色が異なっているに過ぎないから、俺を知る者ならば確かに俺だと分かるだろう。しかし、俺は彼女と初対面だ。現在の地球のように写真があれば、聖教騎士団から俺の顔が出回っていたかもしれない。

 ここでは写真なんて無いだろうから、彼女は俺の事を以前から知っていたということ。ならば、いつだ? 「東ローマ時代のプロコピウスと彼女が知り合いだった」以外にないだろう。


 確かエルラインが俺やベリサリウスのような「英雄」と呼ばれる者は「英雄召喚」の儀式で召喚される。その数五名。目の前の聖女はそのうちの一人でまず間違いない。

 しかし誰だ? プロコピウスは政府高官だったから、多くの女性と知り合いだったろうけど……

 俺が彼女への返答を言い淀んでいると、彼女はさらに言葉を続ける。


「プロコピウスさん。私が分からなくて当然です。私の姿は随分……あなたの知る私と異なりますから」


「一体あなたは何者なのです?」


 俺がつい彼女に問うと、彼女は柔和な笑みであっさりと自らの名を伝える。


「私はナルセスですよ。プロコピウスさん。本当に本当に久しいです」


「ナルセス様!」


 ナルセスだと! 俺は思わずかつてのローマの将軍……ナルセスに片膝をつき礼をする。

 本当にナルセスなのか? いやここで疑っても仕方がない。ナルセス……宦官将軍ナルセスは「完璧」との異名を持つ優れた将軍だった。

 だが、ナルセスはこんな可憐な少女では断じてない! 夢で見たナルセスで一番印象に残っているのは、老人の「男」の姿だ。

 話は戻るが、彼が将軍職になったのは齢七十を超えてからだ。ベリサリウスが皇帝の嫉妬によってイタリア戦線から引き抜かれると、瞬く間にイタリアの戦況はひっくり返り、ローマは完全にイタリアから締め出されてしまった。

 再度ベリサリウスがイタリアに派遣されると、イタリア戦線は多少盛り返すが、またもベリサリウスは帰還させられる。

 この時、代わりにイタリアに赴いたのがナルセス。彼は七十を超えるまで優秀な「文官」だった。それが、イタリア戦線の司令官に任命されたわけだ。

 しかし、その軍才は比類無きもので彼はイタリアを統一する。

 ナルセスは間違いなく優れた将軍に違いは無いが、ある特殊な能力が彼の才能を後押ししていた。彼は生涯敬虔な神の使途として振る舞い、その信仰心は下手な神父顔負けのものった。

 齢七十前を迎える頃には、積み上げられた神への信仰心がにじみ出てきたのか、彼に従う兵士はある種の狂信者と言えるまで彼に絶対的な忠誠心を持つほどになる。

 「神のカリスマ」を持つ男――ナルセスの部隊からは唯の一人も裏切者や落伍者が出なかった。この時代、どれほどカリスマを持つ指揮官でも、落伍者や裏切者を出さないことは不可能だった。

 自ら死ぬことが確実で、国家に忠誠も誓ってない者が逃げ出さずにいれようか。事実、後にも先にもナルセス以外「一人」も落伍者を出さない部隊は存在しない。


 彼の人柄もまさに賢者のようなふるまいだった。どのような人にでも平等に接し、私欲は無く、命令は忠実に実行する。清貧を好み、酒も嗜まない。

 よりによってナルセスか! 聖教とは非常に相性がいいだろうなあ。


「ベリサリウスさんの事は話に聞いていましたが、あなたもこの世界へ来ていたのですね」


「え、ええ。どうにかこの世界で生きております」


「魔族と共に暮らしていると聞いていますが、あなた方の意志でしょうか?」


「はい。俺達は望んで魔の森で生活しています」


「それでしたら、私からは何も言う事はありません。あなた方へ神のお導きがありますように」


 こういったところがナルセスらしい。彼じゃない……彼女は人にあれこれ命じない。例え敵対という結果になろうとも、本人が満足しているのならばその指針を変えようとはしない。

 強制されているのなら、救い出そうとするだろうけど。だからこそ恐ろしい。彼女ともし戦争になれば、彼女が俺達へ手心を加えることはまず無い。それが必要なことであれば彼女は全力で任務を遂行するのだから。

 必要なことであればだけど。


「ナルセス様。一つお尋ねしてもよろしいですか?」


「はい。私に分かることでしたら何でもお答えしますよ」


「ナルセス様の信じる神はそのままなのでしょうか?」


「ええ。私の信じる神はあの方以外ありません」


「では、パルミラ聖教とあなたの神は相容れるものなのでしょうか?」


「神は信じる者であってもそうでない者であっても、全てに慈悲をお与えになります。神が否と言わぬのにどうして私が否と言いましょうか」


 つまりパルミラ聖教であっても人類の為になるのであれば、協力は惜しまないってことか。


「なるほど。ナルセス様。あなたにも神のお導きがあらんことを」


「その言葉は懐かしく感じます。プロコピウスさん、何か私がお手伝いできることがありそうでしたら連絡をください」


 ナルセスは慈愛溢れる微笑みを俺に向け、胸元に手をやる。少し前かがみになった彼女の胸の谷間が俺に見えるんだけど……純白の貫頭衣の下には何も着ていないようだ……

 俺に谷間が見えることなど全く気にしていないんだろうなあ……彼女は人としては超然としているから、自分がどう見えるなど気にしていないんだろう。


 俺がそう考えている間にも彼女は首から下げたネックレスを取り、俺に手渡してくる。ネックレスには大きなオパールがはめ込まれていて、特徴的な紋章が刻まれていた。


「ナルセス様。これは?」


「それは聖教騎士団の文様が刻まれたネックレスです。それを見せ、私の名を出していただければ必ず私にあなたの伝言が伝わります」


「了解いたしました。ご厚意感謝いたします」


「プロコピウスさん。ベリサリウスさんにもよろしくお伝えくださいね」


 彼女は最後に軽く俺に祈りを捧げると、大通りの中央で待つ兵士の元へと帰っていった。

 俺は手にもった大きなオパールのついたネックレスを見つめ、この衝撃の事実を今だに飲み込めないでいたんだが……


 ふと二人に目をやると、彼らは何か言いたそうなことは容易に見て取れた。まずは彼らに説明をしないとな……全く次から次から。

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