第22話 初帰宅

 路面電車を降りて、信号が変わるまで待つ。

広島にある路面電車は、道路の中央付近を走っている。

そのため、横断歩道を渡らないと、歩道にたどり着けないのだ。


 横断歩道の信号が、青になった。

ゆっくりと歩き始める。

家の近くにある、ケーキ屋を見つめる。

家で待っているであろう人物を思い、ケーキを買って帰ることにした。

イチゴのショートケーキとモンブラン。

大概の女性は、甘いものが大好きだ。

ケーキが嫌い、ということはないだろう。

嫌いだったら……、仕方がないので、俺1人で食べよう。



 階段を上り、家のドアの前まで来た。

先週までとは、違う雰囲気を感じる。

家には、俺の帰りを待ってくれている存在がいる。

そう思うだけで、心の奥底が熱くなる。

そして、そんな気分になっている自分自身に苦笑する。


まだ初日だぞ、と。


 ノゾミと暮らし始めて、初めての帰宅。

昨日の出来事から、護らなくてはならない存在ができた。

このドアの向こうで、待ってくれているはず。


ドアノブをつかむ。回す。引く。


ガタン


抵抗を感じる。


あれ?なぜ、鍵がかかってるんだ?


 一瞬考えて、1つの結論にたどり着く。

女性が住居で1人でいる場合は、防犯上、鍵をかけるということに。

さらに、鍵が壊されて開いたときに、最後の門番となるドアチェーン。

そこまでしていても、おかしくはないはずだ。


彼女に、1人暮らしの経験はない。


 しかし、親が不在のときが、多かっただろうから、自ずから防犯意識は、身についていると思われる。

ましてや、彼女は東京出身。

ここ広島より都会の分、常識的な対処なんだろう。


むしろ、鍵がかかっていない方が、非常識なのだ。


俺は、思い直して、鍵を開ける。


カチャリ


ドアノブを引く。


 ここで、チェーンが引っかかって……ということはなかった。

あれ?なぜ、チェーンをしてないのだろうか?

都会育ちの彼女なら、当然しているものだと思ったのだが……。


「ただいまー」


 家の中に人がいるなら、言うべきだろう。

久しく言う場面のなかったその言葉を、少しの勇気を持って叫ぶ。

高揚する気持ちを抑えながら。


……しかし、返答がなかった。


あれ?ノゾミは?


 家の中を見渡す。電灯は、消えていた。

キッチン台の上は、きれいに片付いている。

キッチン周りや洋室も、掃除をしてくれているようだった。

洋室の真ん中にあるテーブル。

その上には、彼女のノートPCが置いてある。

ベランダを覗くと、洗濯物が干してある。

かなり汚れていた作業着も、綺麗な青が映えるほどになっていた。


ノゾミは、何処に行ったのだろうか?


 電話をして連絡を取ることを思いつく。

が、携帯番号などのアドレスの交換を、していなかったことに気づいた。


うーん、連絡手段がない……。


 そういえば、ノゾミに何時に帰るか、伝えてなかったなぁ……。

16歳の高校生だ。友人と遊びにでも、行ったのかもしれない。

でも、餃子を作って待ってる、と言ってたよな……。

あれは、ウソだったのか、それともただの思いつきだったのか。

そもそも、俺が何時に帰ってくるのか、知らないのでは、無理な話だな。



 それはそれとして。

買ってきたケーキを、冷蔵庫に入れよう。

そう思って冷蔵庫を開けると、餃子の皮の入った袋と、ボウルが目に入ってきた。

ボウルには、ミンチ肉と緑色っぽいものが入っていた。

ラップを外し、匂いを嗅いでみる。

緑色の物は、匂いからニラとわかった。

他にショウガとかも、入っているようだ。

これは、餃子の餡だな。


餃子の皮と餡が、用意されている……。


 思っていたより、本格的なものを作るつもりだったようだ。

冷凍や、焼くだけで済むものを、用意しているだろうと予想していたので、驚いた。


今は時間がある。


 そして、ノゾミが帰ってきたら、すぐに食べることができるようにしたい……。

それならば、この餃子の材料を、調理する直前の姿に、してしまうべきだろう。

俺は、ケーキを中に入れると、皮と中身を取り出した。



 キッチン台の上に、餃子の皮と、餡の入ったボウルを置く。

円形の皮を取り出し、餡をスプーンですくい、皮の真ん中に落とす。

皮のへりに水分を付けて、餡を落とさないよう、へりとへりを折り合わせる。

時間をかけて1つずつ、ひだを作りながら、少しずつ進めていく。


餃子の皮の包み方。


 知識としてはあるものの、滅多にすることがない。

インターネットで検索しつつ、確認しながらの作業になった。

普段は、焼くだけで済むものを購入しているため、皮を包むことまではしないのだ。

そういうこともあり、1つ目はかなり歪なものが完成した。

皮が破けなければいいだろう。

そう思い、引き続き包んでいく。


 餃子の皮・25枚入り。

餡の量を考えると、半分くらい使うことになりそうだ。

5つくらい作って気づく。平皿の上に置くと、引っ付いて取れない……。

無理に持ち上げると、皮が破けそうだ。

インターネットでは、クッキングペーパーを敷けばいいと書いてある。

しかし、そんなもの、今、無いのだが、どうしようか……。


パタパタパタパタ……


思案していると、家の外で音がした。

走る足音。そしてドアの鍵を開けようとしている。


「あれ?えっ?なんで開いてるの?マジでぇ……」


聞いたことのある、女性のつぶやきが聞こえてきた。


バタン


 ドアが開く音がすると、勢いよく家の中に入ってきた。

黒髪ロングでミニマムな、家の中で待っているはずの女性。

紺色のロングキャミワンピース。

下にベージュのフカフカ感のあるTシャツを着用している。

手には、袋を持っていた。


「あっ!ユウ兄、おかえりなさい……」

「ああ、ただいま。ノゾミこそ、おかえり」


俺の姿を認めると、その場にへたり込む。


「どうした……?」


 彼女に声をかけるものの、うつむいている。

手を洗い、タオルで水気を拭き取る。

彼女の元へ駆け寄り、同じ目線になるように、しゃがみ込む。

落ち込んでいる様子の、彼女の頭を撫でる。


「うううううううううう……」


ノゾミは、唸っている。

なぜなのだろうか。


「どうしたー?」

「……ユウ兄が帰ってきたところを、お出迎えしたかったのに……」


なぜ、彼女がへたりこんでいるのか。

そんな可愛い理由だった。


「……そうか……」

「……うん……」


 落ち着いてきたようだ。

俺は、ホッとするとともに、そんな彼女を見つめる。

なんて可愛いんだ。

緩やかな空気が流れる。

が、ノゾミは台所の上を見て、目を見開く。

クワッという擬音語が、当てはまりそうだ。


「ユウ兄!」

「ど、どうした?」


突然叫ばれてびっくりする。

彼女は立ち上がり、俺を見下ろしてきた。


「ユウ兄!餃子包んでしまったの?」

「ああ」

「もう!信じられない!」


彼女は、なぜか怒っている。

そうか、一緒に作りたかったのかな。


「もうー、ユウ兄!餃子は、クッキングペーパーの上に並べないといけないのにー!」

「……えー」

「ほらぁ、やっぱり……。お皿にくっついて、皮が破けてしまうじゃない……」


 お皿に並べた餃子を持ち上げて、不服を言ってくる。

全く予想が外れた。

俺の嫁は、思った以上に現実的だった。


「でもさ、クッキングペーパーなんて、無いけど……」


 そんな俺の言葉に頷きながら、袋から何かを取り出す。

クッキングペーパー。

ああ、これが欲しかったんだよ。


「買い忘れたことに気づいて、スーパーに買いに行ってたんだー」

「だから、俺が帰ったときに居なかったのか……」

「……えっ?」


なぜか驚かれた。そうじゃないのか?

気になったので、聞き返す。


「えっ?違うのか?」

「……買った後、小夜の家でゆっくりしてた……」


そうか、友達の家に行っていたのか……。

なぜか、悪いことをしたように、ノゾミはシュンとしているけど……。


「まあ、いいんじゃないか」

「いいの?」


「ああ、学生だしさ、友達と遊びたいだろー?」

「あー、でも、私、ご飯作るって言ったし……」


俺の言葉に少し思案顔になって、静かに呟いてくる。

自分自身で言い出した手前、バツが悪いのかもしれない。


「そこは、無理するなよ」

「うん」


沈んでいた表情が、輝きを取り戻す。


「まあ、連絡は欲しいから、後でアドレスを交換しておこう」

「そうそう、アドレス交換、し忘れてたよねー!うけるーー」


 そう言うと、コロコロ笑い出す。

ようやく笑顔になったな。

顔合わせてから、ずっと沈んでいたから、気になっていたんだよ。


ノゾミは、新しい平皿を取り出し、クッキングペーパーを広げる。

俺の包んだ餃子を、クッキングペーパー上に移し、隣にいる俺に振り向く。


「ユウ兄、下手くそー」

「仕方がないだろ、慣れてないんだから」


「これなんか、ひだとひだの間隔、空きすぎー」

「うるさいなー」


俺の包んだ餃子を見て、散々な批評をしてくる。

皿から移す際に、引っ付いて破れてしまったものもあり、悲惨な状態だ。


「ノゾミ、お前はちゃんと作れるって言うのか?」


俺が不服を漏らすと、サムズアップをしてきた。

どれだけ自信あるんだよ、ならば、見てやろうか。



 彼女は、エプロンをして、キッチン台に立つ。

餃子の皮を持つと、餡を入れ、サササーッとあっという間に包んでいく。

8個作ったところで、餡が無くなった。

俺の包んだ5個と、ノゾミの包んだ8個。合わせて13個。



 今日の夕飯は、ご飯と餃子……と思っていたら、彼女はまだ、何かを作るらしい。

冷蔵庫から野菜を、冷凍庫から豚肉を取り出した。

豚肉を電子レンジで短時間で解凍して、少量を切って冷凍室に戻す。

キャベツも少し切って冷蔵庫に戻し、もやしはザルに上げて軽く水洗いをする。

フライパンに油ひいて、豚肉、もやし、キャベツと入れていく。

野菜炒めだな。

軽く塩、コショウをふって、あっという間に完成したようだ。


「ユウ兄」

「なんだ」


「ご飯、よそってくれますか?」

「おう」


 ノゾミは、隣で観察していた俺に、指示を出してくる。

茶碗を2つ取り出して、炊飯器に向かう。

炊飯器は、すでに保温を示している。

炊き上がっているようだ。


 ご飯をよそっている横では、じゅわーっという音がしている。

ノゾミは、もう1つのフライパンに、餃子を並べて、焼き上げていた。

その間に、野菜炒めの盛り付けを済ましている。

盛りつけた皿を受け取り、テーブルに持っていく。

餃子は最終段階のようだ。

ノゾミは、餡の入っていたボウルや、餃子を置いていた平皿などを洗っていく。

手際がいいなぁ。感心していた。


「あーーーーっ!しまったーーーー!」


不意にノゾミが叫ぶ。

そしてこちらを向く。絶望感一杯の表情だ。


「ラー油、買い忘れた、あと、みりんも」


みりんか。

確かに餃子のつけダレは、醤油と酢、みりんを入れて作る。

お好みでラー油かごま油を入れる形である。


「ポン酢ならあるぞ」


苦肉の策だが、ここは代用となりそうなポン酢を勧める。

過去に皆で集まって鍋をしたときに購入したものが残っていた。


「ラー油……」


そうか、辛い方がいいのか。

でも、無いものは仕方ないよ、ノゾミさん。



そんなこともありながら、無事に盛り付けまで終わった。

餃子は、俺が8個、ノゾミは5個。


「破けたのは、俺のせいだから、交換しないか?」

「いいえ。ユウ兄が作ったものだから、いいのです、譲りません」


 いい笑顔で断られた。

よく見ると、俺の皿には、同じ形のひだの、ノゾミが包んだきれいな餃子が、盛り付けられていた。

それに比べて、彼女の皿には、一部、見るも無残な俺作成の餃子だったものが何個か存在している。


いいのかなぁ……。

そう思って見つめていると、睨まれた。


 ご飯に餃子、そして野菜炒め。

昨日の夜の時点で、薄々感じていたが、確信してもいいだろう。

ウチの嫁さんは、高校生ながら、主婦顔負けの料理の腕を持っているようだ。


本当に、俺には、もったいない。


「しかしまあ、手際が良すぎる、すごいな」


そんな俺の言葉に、彼女の瞳が大きく見開かれる。

ニコッとして、頭を右に傾け、右手でピースサインをしてくるのであった。

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