第20話 榎本あかりと対談

 事務室へ続く階段を上る。

更衣室で着替えを済ませ、帰路に着く工場員達とすれ違っていく。


「「「「お疲れ様です」」」」

「おう、お疲れ」


 声に気づき頭を上げると、ウチの社員の顔。

互いに挨拶を交わして、すれ違っていく。

階段を上りきり、事務室に入る。

佐伯が帰宅した今、この部屋には俺1人しかいない。



ふう



不意にため息が出る。 今日はいろいろなことがあった。



 思えば、俺自身がポロッとこぼした言葉が始まりだったのかもしれない。

そこから、様々なことが起こるとは、予想できるはずもない。


急遽企画された、昼休みでの「発表会」。

思っていた以上に、たくさんのひとが集まった。

ノゾミの年齢や、人となりが発表されて、大好評。

さらに、彼女自身が映る生放送まであり、俺自身も驚きの展開。


漠然と思い浮かべていた、俺の嫁の姿が露見して、尚更、皆が喜ぶ結果となった。

嫁が女子高校生、地元有数のお嬢様学校である鈴峯女学園在学、社長令嬢、人並み以上の容姿。

提供する話題としては、最上級だったのであろう。


実際、アイツは可愛いからな。


 加えて、許嫁の俺は、アイダコーポレイション次期社長になると、期待されることとなった。

期待してくれるのは嬉しいが、本当のところは分からない。

これについては、近いうちに、とおる叔父さんに話を聞かないといけないだろう。


次期社長になってくれとか、懇願されるのだろうか。


 普通に考えると、いきなりの社長抜擢は、有り得ない。

俺には、その会社での仕事経験がない。

経験豊富な社員の誰かが、任せるのが筋だろう。

もし、次期社長になってくれと言われたら、断ろう。

決意を込めて頷く。

断ると、「娘を返せ」とか、言われたりするのだろうか。

言われたら困るなぁ。ノゾミの顔を思い浮かべながら苦笑する。


自分自身が変だ。


 昨日の今日で、そんな気持ちになっている。

まだ1日と少ししか、一緒に過ごしていないのに、「困る」だなんて。

ノゾミに毒されてるな……。

そんな自分自身にムカついたので、今夜、彼女にイタズラすることを決意した。




トントン

「失礼、します。榎本、です」



 ドアを叩く音とともに、か細い女性の声がしたような気がした。

物思いに耽っていた俺は、反応が遅れたため、気づけなかった。


トントン

「佐々木、部長、榎本です……。いない、の、ですか……?」


 

 再びドアを叩く音とか細い声がする。

今回は気付くことができた。

その声は、震えている。


「おう、榎本か。入っていいぞ」


 俺は慌てて答える。

カチャッと音がしてドアが開き、榎本 あかりが入ってくる。


 青い作業着、靴は黒の安全靴、背は俺の肩より低く、ノゾミくらい。

なで肩で、華奢な身体つき。

ヘルメットは、右手に抱えているため、トレードマークのツインテールを、認めることができる。

頭の側頭部に、結び目があるタイプのツインテール。

ヘルメットに格納されて、蒸れていたのか、ベタッとしている。

そんな中、胸辺りまで垂れ下がる両テールは、ヒョコヒョコ自由を満喫していた。

ヘルメットの中に、どのように格納されていたのか、不思議に思うくらいの髪量だ。

小顔で、目はクリッとしている。動物に例えると、リス、だろうか。

全体に醸し出す小動物感が、非常にかわいらしく感じる。



「佐々木、部長、遅れて、すみません……」


 いつも以上に、ビクビクしているようだ。

時計を見る。思いに耽ったせいで、そこまで時間が経っていたのか?

17時30分。そこまで時間が経っていないことにホッとする。

そして、約束の時間通り。彼女に否はないはずだが……。

そう思いながら、視線を時計から彼女に戻す。

彼女の身体がビクッとする。

俺の一挙手一倒足を、集中して見ている彼女は、ものすごく緊張しているようだ。


「まあ、そこに座って」


 そんな彼女に微笑みながら、着席を促す。

そこには、長机、その両脇にソファチェアが2つずつ鎮座していた。

彼女は、おどおどしながら、ソファチェアに腰かける。

それを確認して、炊事場に行き、紅茶を用意……、あー、佐伯が片付けている。

仕方がない。


「榎本、缶コーヒーでいいか?」

「……え?あ?……ハイ……」


 彼女の答えを、聞くか聞かないかのタイミングで、事務室を出る。

階段で下りて、事務所棟の脇にある自動販売機で、ホットの缶コーヒーを2本購入する。

素早く階段を上がり、事務室に戻った。


「はい、お待たせ」

「……ハイ……」


 2本のうちの1本を彼女の目の前に置く。

そして俺自身は、彼女の向かい側に座り、缶コーヒーを開けた。


シュコッ


いい音がする。少し飲み干す。


 俺の様子を彼女は、ただ眺めているだけ。

リラックスして欲しいんだけどなぁ……。

右手で「どうぞ」とジェスチャーをする。

彼女は、オドオドしながらも、缶コーヒーに手を伸ばす。


「熱っ!」

缶が熱かったようだ。手を込めている引っ込めている。

今までおっとりした様子だった彼女に、似つかわしくない反応。


「……ぶちょー、私、熱いのダメなんですー」

言葉まで流暢になっている。


「えっ?」

「……あ……」


 驚いて聞き返す。

一瞬だけ、彼女の目が開かれた気がした。

そして、その空間だけ、時間が止まっているようにも見えた。

が、次の瞬間、普通のサイズに戻り、口元は笑みをたたえている。


「……コホン!」

唐突に、軽く咳払い。


「部長、私、熱い、の、ダメ、なんです……」


なんと彼女は、普段の口調で言い直した。


いやいやいや。なぜ、言い直す?


誤魔化すつもりだったよな?

誤魔化すつもりでしたよね、榎本さん?


吹き出しそうになるところを堪えて、彼女を見つめる。

俺の視線から逃げるかのように、俯いている。


「今のは、素、なのか?」

「……」


「まあ、榎本の事情は知らないが……」

黙り込んでいる彼女に向けて、言葉を続ける。


「俺は、そっちの方がいいかな」


言った後に、しまったーと、思った。


 勝手な持論を話してしまったことに。

素じゃないかもしれない。

何か、誰にも話せない事情が、あるのかもしれない。

そもそも、彼女側にしてみれば、「構うんじゃない!」、そんな事案だ。

仕事に支障がないのなら、上司が口を挟むのは、おかしい。

とはいえ、ビクビクして言葉が遅い彼女に、思うところがあるのは事実だ。

そんな彼女が、先程のように、流暢に話ができるなら、ぜひお願いしたいところである。

恐る恐る、彼女の反応を観察する。


 彼女は一瞬、目を見開いた。そしてすぐに瞑った。

その間に、ツインテールを結んでいた輪ゴムを取っていく。

そして、2つを1つにまとめて結ぶ。

これは、ポニーテールだな。

リアルに馬のしっぽと思うくらいの髪量だ。


「いやー、ぶちょーにそれを言われてもー」


 髪形の変わった榎本は、今までがウソに思うくらいに、流暢な言葉を発していた。

流暢になったが、敬う心まで、無くなってしまったようだが。


「おい、榎本。一応、俺、上司なんだけど」

「あ、すみませーん」


 言葉で誤っているが、笑顔。何も反省の色がない。

とりあえず、緊張はなくなったようなので、疑問に思ったことを質問する。


「髪形を変えると、言葉遣いも変化するのか?」

「そうだよー、ぶちょーは嫌だったー?」


 お互い、イスに座っている状態なのだが、わざわざ下から覗き込んでくる。

作業着の胸元から谷間が……は、中に来ているTシャツに阻まれて見えなかった。

そもそも、谷間ができるほどの、大きなものは存在していなかった。

下から覗き込まれるのは、嫌ではないし、むしろ好ましい。


「確かに、俺はこっちの方が助かるが」

「……助かるが?」


「お前、仕事場でもこの言葉遣いは、いろいろ不味いだろうよ」

「……そうかなー」


「そうだよ、これじゃあ、友人同士の関係だからな」

「……友人でいいじゃん」


「いやー、俺、上司なんだけど……」

「ぶちょー、堅いこと、言わない、言わない」


 ニコニコしている榎本 あかり。

ここまで変化するか、普通はしないぞ……。

ため息が出る。

仕方ない、出番だ秘密兵器。

彼女のおでこに両指をセットする。


ペコッ


デコピンが発射された。


「いったーい!」

おでこを右手で抑えて、机に伏せる彼女。


「いきなり、デコピンするなんてー、信じられないー!」

「すまんな。言うことを聞かない悪い部下には、こうすることにしている」


「えーっ!鬼!悪魔!優のバカ!」


おいおい、コイツ、どさくさに紛れて「優」と呼びやがった。

もう1度、秘密兵器発射するか?

まあ、悶絶しているから、許してやるか。

そのまま話を続けよう。


「で、本題に入りたいんだけど、いいか?」

「グスッ……いいけど……」


おでこを擦りながら、同意してくる。


「昼の生放送の情報って、どこから得たんだ?」

「……うーん、私、わかんなーい」


 榎本は、首を横に振りながら答える。

おでこの痛みは気にならなくなったようだ。

口調が戻っている。

言葉を伸ばしてくるため、真面目に答えているように聞こえないという、弊害が起きている。


「えっ?わかんないって、お前が持って来たんだよな?」

「持って来たのは私だよ。でも、わかんない」


情報を持って来たのは認めた。でもわからないって……。


「おいおい、それはないだろう……」

彼女を睨みつける。しかし、彼女の表情に負の感情が浮かんでこなかった。


「なあ、榎本」

「2人のときは、『あかりん』って呼んで欲しいなー」


 いやいやいや、「あかりん」って呼ばないから。

呼ばないぞ、絶対。ツイテのときなら……と考えてしまったのは、秘密である。


「榎本、ノゾミの情報は何処から手に入れた?」

「『あかりん』だもーん」


マジかー


「じゃあ、あかりん、ノゾミの情報は何処から手に入れた?」

「わからないー」


「おいおい、『あかりん』と呼んだら答えてくれるのではなかったのか?」

「言ってないよー、私はそんな軽い女じゃないからー」


 軽い女って……。俺にはノゾミがいるから、女は間に合ってるよ。

これは、質問に全く取り合ってくれないな……。


「これは、もしかして、聞いても教えてくれないってこと?」

「ハイ、正解でーす、ぶちょー」


 ああ、ただの無駄時間だったか。

帰ってノゾミに聞いた方が、分かるかもしれない。


「そうかー、じゃあ、この会議は終わり」

「えーっ!もう終わりー?早くない?」


「早くない。何もないなら、俺は帰る」

「あー、愛しのノゾミちゃんが待ってるって、かー」


 よくわかってるじゃないか。

そうだ、ノゾミが、餃子作って待っているはず。


「餃子の他に、シュウマイもあるようですよー」


 なぜコイツが、さも当然のように、答えることができるのだろうか。

本当にシュウマイがあったら、どうしてくれよう。

その場合は、榎本 あかりが、何らかの方法で、情報を得ていることになる。


「じゃあ、解散だ、解散」

「もう、ぶちょーのいけずー」


 そう言いながら、事務室を出る。

榎本も俺の後を付いてくる。

男子更衣室と女子更衣室は隣同士なので、当然のことなんだろうけど。

ようやく家に帰ることができる。長かった今日の業務は終了。


……しかし、家にはノゾミがいる。

身体や気持ちは癒されるが、休まるかどうかは、未知数だよな……。


本日、何度目かのため息をついて、着替えを始めたのであった。

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