第17話 女性たちの思惑

 昼休み終了のチャイムが鳴る。

事務室に戻り、佐伯と共に、デスクワークを始める。

室内は、紙をめくる音と、キーボードを叩く音に、支配される。


★★★



 ウチの会社の本社は名古屋。社長は本社にいる。

広島においては、俺がトップなのだ。

そんなこともあり、他関係企業との書類や、決済書類などの承認印を押していくのも、立派な仕事となっている。


 佐伯の仕事は、そんな俺の補佐。

書類の整理の他、電話番や予定の調整など、細々とした雑用をしてくれている。

就業時間のほとんどを、俺の傍で過ごしている。

そんなこともあって、彼女は、俺の「恋人」や「愛人」に勘違いされることが多い。

……と、同時に、彼女を落とすには、俺が最大の障壁だとも言われている。



 彼女……佐伯 由美は、俺が部長に昇格した2年前に、入社してきた。

現場希望だったため、工場での作業部署に配属された。

当時、男性ばかりだったウチの会社には、新入女性社員は、刺激が大きすぎたらしい。

彼女にちょっかいを出す、若い社員が続出し、現場を任せている次郎から、密かに相談を受けた。

工場に紅一点。皆が気にし過ぎて仕事が捗らない、と。


どうやら、女性初起用が、ウチの会社には、悪い方向に働いてしまったらしい。


 次郎と考えた末、俺の近くに置くことにした。

工場と仕事場を離し、他社員との接触が少なくなるように試みる。

彼女自身も、前職が事務関係だったため、今思えば、良い話になった。


ただし。


「私、佐々木部長とつきあってるんだよー」


 俺を信頼した彼女は、当時、対応に苦慮していた男たちを一掃するため、言ってまわった。

それにより、彼女の男関係の問題については、解決の兆しが見えた。

しかし、今度は俺の方が大変だった。

新入社員を喰ってしまう鬼畜部長と、指を差された。

工場長にもウチの社長にも叱責された。そのたびに、説明して回った。

そして、彼女がいる、ということで、合コンに誘われなくなった。

ただ、俺が表に出ている分、彼女を守れたということも事実。


彼女にちょっかいを出す輩は、見る見るうちに減っていった。


 事務所勤務になってからは、俺や次郎と行動を共にすることが多くなったことも要因かもしれない。

俺から離れているのは、10時と15時の休憩時間くらいだろうか。

通勤時間まで、合わせてくる徹底ぶり。

彼女をそうさせている理由は、俺にもわからない。


 一度、飲み会の席で聞いてみたことがある。

「部長が良い人だからですよー」と、上手くはぐらかされた。

嫌われているよりはいいので、それ以上は追及しなかったけど。



★★★



「なあ、佐伯」

「なんでしょうか、部長」


 書類の整理が片付いて、一息入れた時に話しかけてみる。

佐伯は、給湯室からコーヒーを用意している。


「ノゾミのデータとか、生放送とか、どうやって用意したんだ?」


 ずっと、不思議に思ってたんだよな。

短時間で彼女1人でできることではない。


「ああ、あれはですねー」


 彼女が説明してくれた。


 10時の休憩のときに、女性社員から声を掛けられて、メモを受け取った。

そのメモには、俺の嫁のデータと、画像を送るから上手く合わせて欲しいという文章が、記載されていた。

その社員に詳しいことを聞くと、説明してくれたものの、よくわからなかった。

最悪、画像が届かなくても、ノゾミについてのデータを発表するだけで、盛り上がるだろう。

そう判断した彼女は、その話に乗ることにした。


 昼休みになって、彼女は動き出す。知り合いの社員6人に、話をする。

佐伯が合図をすると、食堂にある全てのテレビのチャンネルを変えてもらうためだ。

使用するチャンネルは、そんな特別なものではなかった。


全体放送をするときに、いつも使用するチャンネル。


 それもあって、彼らへの説明も簡単に終わった。

佐伯を含めたこの社員7人は、それぞれの会社の側近クラス。

全体集会の司会進行は、彼ら7人を中心に行われる。

テレビの操作くらいでは、誰も不思議に思わないし、咎めない。

むしろ、噂好きの7人。嬉々として行動したのではないだろうか。


「でも、本当に映るとは、思っていませんでした」


 彼女は、画像が映って、本当に驚いたようだ。

普通であれば、何の映像を、どんな理由で流すのか、解って放送する。

だが、今回は、中継内容も、手段も解っていなかったので、本当に映るのか、疑っていたらしい。


「今、部長、『生放送』と言ってましたが、本当ですか?」

2つのコーヒーのカップを、デスク上に置きながら、質問してくる。


「ああ、撮影場所はウチの部屋だったし、ノゾミ自身、時間の尺を使えてなかったからな」


 予め撮っているものであれば、素のノゾミを出すわけがない。

多分だけど、公の場では「お嬢様:希」を出していくだろうから。

確証はないけど、そんな気がする。


「そうなんですか!へぇー」


 彼女は、感心している。

俺もあの「生放送」には驚いた。

家に、そんな機材はない。

ノゾミがどうやって用意したのか。

声だけ入っていた、彼女の友達が、持って来たのかもしれない。


「ところで……、あのが、希ちゃん、なんですか?」

「ああ」


鈴峯がみねの制服着て、もの凄くかわいかったですが」

「……そうだな」


「……どこからさらってきたんですか!」

「いやいや、許嫁だから」


 彼女は、若干興奮気味だ。

映像でノゾミが、どんなか、見てしまったからかもしれない。

それだけ、あの映像はインパクトがあっただろう。

上司の奥さんがかわいい高校生。

俺でも、その上司が近くに居れば、いろいろ質問したくなる。


「希ちゃんって、かわいい?」

急にそんな質問してくる。


「ああ、かわいいなぁ」

「誰にもあげたくないくらい?」


質問の意図が解らない。


「そうだな」

俺の答えを聞いて、ふいに立ち上がる。


「部長、メロメロなんですね」


そう呟くと、窓際に向かい、外を眺めている。


「あーあ、私、本格的に失恋したなぁ……」


 俺に聞こえないように呟いているようだが、ここは部屋に2人きり。

他に妨げる音がないので、聞こえてくる。


「悔しい。ずっと、優さんを見続けていたのは、希さんではなく、私なのに」


 俺に聞こえていることに、気づいていないのだろうか。

独り言のような、愚痴みたいなものが聞こえてくる。

彼女も気づいているのか、いないのか、「部長」が「優さん」に変化している。

彼女の中での俺は、「優さん」だということは、すでに知っているので、気にはしない。


聞こえていないフリをするべきだろう。


「でも、あんなかわいいと、私、憎めないよ……、どうしよう……」


 背中が寂しそうだ。

涙を流してはいないだろうが、心の中では、泣いているのかもしれない。

後ろから抱きしめてあげたい。だが、俺にはその資格はない。


「部長の、1番になりたかったんだけどなぁ……」

突然振り返った佐伯は、俺に向けてそんなことを言ってくる。


「仕事では、1番、信頼してるから」


 口をついて、そんな言葉が出ていた。

言い過ぎではない。仕事では俺の補佐なので、1番の信頼を置いているのは事実だ。


「……そんなの、わかってます……」

いじけているようだ。俺に向けてなのか、彼女自身に向けてなのか。

イスに座り、心を落ち着かせるように、コーヒーに口を付けた。




話が一息ついたので、疑問に思っていたことを聞いてみる。


「そういえば、メモを持って来た社員って、誰?」


そう。

なぜ、俺のプライバシーとも言える、ノゾミのデータを持って来れたのか。


「ああ、それは……」


トントン


「……失礼、しまーす」


 佐伯が俺の質問に答えようとしたときに、ノックする音が鳴り、女性が入ってきた。

青の上下の作業着、黄色のヘルメット着用。ノゾミと同じくらい小柄である。


「ああ、このです」

「えっ?榎本えのもとが?」


「わ、わたし、ですか?」

いきなり「このです」と言われて、榎本は戸惑っている。


 この女性社員は、榎本 あかり。確か、22歳だったかな。

ウチの会社に今年初めに入ってきた。

作業で必要な、消耗品の補充を担当する部署に配属されている。

髪形はツインテールだったと思うが、ヘルメットの中に収納されているようだ。


「で、榎本。佐伯にメモを渡した、というのは、本当か?」

……と、聞いた後、いきなり聞くのは、どうなのだろう。

そう思い直し、質問を代えた。


「ごめん、榎本。何の用事でここに来たんだ?」

「はい、用紙が……、足りなく、なったので……、原紙を、取りに……、来ました」

俺の権幕に半ばビクビクしながら、質問に答える。


 工場では、薬品や塗料など危険物を扱うことが多い。

それらを薬物庫から出すときに、申請をするため、書類が必要となる。

その書類の原紙が、工場に無かったのだろう。


「……佐伯、用意してやれ」


 佐伯は、帳簿を取り出して、探し始める。

何枚か捲った後、見つけ出し、コピーし始める。

コピーし終わった後、榎本に渡す。

A4用紙を4つに分けて使う類のものだった。

カッターナイフと敷板、そしてスケールを取り出す。


「榎本、これを使いなさい」

「ありがとう、ございます……」


 空いているデスクに座るように促し、そこで作業をしてもらう。

デスクに座った彼女は、ヘルメットを脱いだ。

前髪は乱雑だったが、2本の細いツインテールが垂れる。

その作業の合間に質問に答えてもらおうか。


「……で、メモを何処で手に入れたんだ?」

「……すみません!」


榎本は作業を止めて、直立不動。顔を見ると、泣きそうである。


「いや、別に怒っているわけでは、ないんだけどな……」

「すみません、でした!」


 そう叫んで、お辞儀をする。、

会話にならない。どうしようか、これ。

佐伯に顔を向ける。助けてほしいのだが……。

俺の気持ちを汲んだ佐伯は、スッと、榎本の隣に移動する。


「あかりちゃん、こんなことで、クビにはならないから、安心して」

佐伯は、彼女の頭を撫で始める。撫でながら言葉を続ける。


「私としては、楽しかったからいいんだけど」

榎本は、頭を撫でられて少し落ち着いてきたようだ。


「部長から見ると、プライバシーが漏れたことになるんだよね……」

静かに、諭すように言葉を選んで話していく。


「で、榎本 あかり。どうやって手に入れたの?」

「あわわ、あわわ」


佐伯って、俺のことが絡むと、凄みがでてくるんだよな……。

凄みが出ているのに、頭は撫で続けている。

かわいそうに、榎本は青ざめている。


「部長のプライバシーの入手ルート、私も教えてほしいくらいですね……」

佐伯は微笑む。怖い。俺から見ても恐ろしい。


「それは……、言えま、せん……」

「……えっ?」


「……言えません……」


 青ざめながら、ビクビクしながら、榎本はそう言い切った。

そんな彼女を、訝しげに見ながら、佐伯は離れていく。

諦めたようだ。

うーん、怪しい。けど、何か知っていそうだ。


「俺からも質問いいかな」

「ハイ」


「ノゾミに何か指示をもらっているのかな?」

佐伯をチラチラ見ながら、答えに悩んでいる。


「ここでは、答えにくい?」

助け舟を出す。彼女はわずかに首を縦に振る。


……そうか、佐伯には聞かれたくないことなんだな……。


 俺は、小さい白紙に連絡事項を書く。

そして、裏向きにして榎本の手元にその紙を置く。

彼女は、一瞬こちらを見て、コピーした紙に混ぜた。


「そうか、そうか。答えにくいなら、仕方ないね」

俺は、白々しくそんな言葉を吐く。


「えっ?ですが……」

「本人が言いたくないって、言ってるのだから、仕方がないじゃないか」


「……部長がそうおっしゃるなら、いいのですが……」

驚いた佐伯を、なんとか宥める。強引だったかな。


「……では、わたしは、これで」

作業が終わったのだろう、榎本が立ち上がる。


「部長、ありがとうございました」


お辞儀をして、事務室から出ていく。

その後ろ姿を見て、大きく息を吐く。


 榎本とノゾミ。何か関係があるはずだ。

今の時点では、どんな関係かわからない。


……場合によっては、俺の近くに配置転換かな……。


そんな考えを巡らせながら、佐伯の用意していたコーヒーを、喉に流し込むのであった。

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