9-21.何かの前夜

「ただいま、戻りました」


 シャリィは厨房にある裏口から屋敷の中に入ると、そこにいた執事に声をかけた。紅茶の準備をしていた初老の男は、シャリィを見て小さく微笑む。セルバドス家の使用人を束ねる立場にあるゴーシュ・バッツは、常に冷静で物腰も柔らかい。


「おかえりなさい」

「すみません、ちょっと遅くなりました」


 扉を閉めて施錠を行う。小さな窓から見える外の庭は暗くなっており、気温が下がった中帰ってきたシャリィの体もすっかり冷え切っていた。


「構いませんよ。ユーシル君のお店はどうでしたか?」

「売り上げがあまりよくないと言っていました。肉体労働者には移民の方も多いので、そのためではないかと」

「困ったことです。旦那様も酷く心を痛めています」


 溜息を吐いて首を左右に振るゴーシュだったが、シャリィはそれを見て歯がゆい思いをしていた。昨日、双子が襲われたことはまだ誰にも話してはいない。双子が口止めをしていなければ、シャリィは今すぐにでも屋敷の人間を全員集めて説明をしたいくらいだった。


「食事の支度はもう出来ていますから、シャリィは今日はゆっくりして下さい」

「え? でもお片付けもありますし」

「それは私がやっておきます。代わりに明日はとても忙しいので、覚悟してくださいね」

「何かありましたっけ?」


 シャリィは慌てて記憶を探る。しかし、特に何か予定されていたこともないし、まして誰かの記念日でもなかった。

 そんなシャリィの様子を見て、ゴーシュは口元に軽く手を添えて笑う。明らかにその反応を楽しんでいる様子だった。


「お客様がいらっしゃるのですか?」

「えぇ、そうですよ。何人もいらっしゃいます」

「何人も? このお屋敷に?」


 驚いた表情でシャリィは続けた。


「ま、まさか旦那様がお亡くなりに!?」

「何を馬鹿なことを。旦那様はお元気そのものです。今日もベーコンエッグを二つも平らげました」

「だってこのお屋敷に人が集まるのなんて、お葬式ぐらいかなって……。特に交友関係も広くないし……」

「色々と失礼な子ですね。否定はしませんが」

「じゃあ後は……」


 ふと、シャリィはそこであることに気が付いた。使い勝手は兎に角として広さには定評のある厨房が、妙に狭く感じられた。その原因は、テーブルや椅子や棚、果ては床にまで置かれた食材の山だった。いつもシャリィがジャガイモの皮を剥くのに使っている小さな腰かけの上にも、大量のお菓子が積まれている。


「……何事ですか?」

「パーティです」

「パーティ」


 この屋敷に似つかわしくない単語にシャリィは目を瞬かせた。セルバドス家の人間たちは華美を好まない。パーティも決まった時にささやかに身内だけで行うのみで、これほどの食材を使うことはない。


「近所の方々を招いてパーティをすることにしました」

「こんな時にですか?」

「こんな時だからですよ」


 遂にゴーシュは耐えきれなくなったのか、含み笑いを口から零した。


「旦那様が非常にお怒りなのですよ。移民排他運動のことについて」

「旦那様は怒るとパーティをするのですか? シャリィは初耳です」

「私も初めてです。ですがもう決まったことですので、お願いしますね」


 優しいが有無を言わせぬ口調でゴーシュは言い切ると、紅茶の入ったポットとカップをトレイの上に並べて持ち上げた。カップの数はいつもより多く、誰か来客があることをシャリィは一目で見抜いたものの、それが誰か聞く暇もなくゴーシュは厨房を出て行ってしまった。

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