9-10.高い場所から彼方へ
「あんたって高いところ好きだよね」
前触れもなく投げかけられた言葉に、ホースルは驚くでもなく振り返る。口に咥えた葉巻煙草には、まだ火が点いていなかった。
夕暮れの迫る街は、それぞれの建物を覆う雪やら氷やらを一様に薄青に染め上げて、これから訪れるであろう寒い夜を待ち構えているかのようだった。軍の基地からほど近い場所にある病院の屋上からは、その様子がよく見える。
「人目に付きにくいからそうしているだけだ。生憎と地面の下には潜れない」
ホースルはミソギの格好を見て、口端を吊り上げた。
「珍しいな。今日は軍服ではないのか」
「謹慎を命じられたんだよ。移民の俺に動かれちゃ困るってことみたいだね。大剣は逆の理由で謹慎」
「大剣なら……」
ミソギは相手の言葉を遮るように溜息をついた。いつもは首元までしっかりと締めている軍服を脱ぎ捨て、軽装にロングコートを羽織った姿は軍人には見えない。図書館の司書でもしていると言った方が、まだ受け入れられる。
「墓参り中だから知らないだろうね。あいつの墓参り長いんだよ。遊牧民流に四十人分もやるから。あいついると結構こういう時に便利なんだけどな」
「そうなのか?」
「揉め事に美形を放り込むって、結構有効だよ。一瞬、争いごとなんか忘れてそっちに目を奪われるから」
ホースルのいる場所まで歩を詰めたミソギは、そこにある柵に寄り掛かった。
「まぁいない奴のことを嘆いても仕方ないし、今は寂しくお散歩中ってところ。あんたは何してるわけ?」
「……私の同胞が近くにいるようだから探しているだけだ」
「同胞?」
ミソギはその言葉の意味を考えるように、語尾を上げる。しかしすぐに顔色を変えた。
「あんたみたいな化物がもう一匹いるってことかい?」
「獣みたいな数え方をするな。誰が来ているか確認しようとしているのだが、なかなか見つからない。見つけたらさっさと追い返そうと思っているのに」
「追い返すって、同胞とやらに会いたくないわけ?」
少々間抜けな問いだと自覚しながらミソギが言うと、ホースルは特に気にする様子もなく肯定を返した。
「二十年以上、会っていないからな。お前だって今更、故郷の人間に会いたいと思うか?」
「思わないね」
「だろう?」
ホースルは珍しくミソギと意見が合ったので、少し微笑んだ。ミソギは同等の理由により苦い表情となる。春が訪れる前の一際冷たい風が吹き、ミソギの長い黒髪が宙に踊った。
「トライヒの手紙は受け取った。出来るだけサポートをしろということだ。あの男が危険を冒してまで私に頼みごとをするなんて僥倖だから、手は貸してやろう。欲しいものがあれば言え。用立ててやる」
「この状況下で移民の商人が動けるのかい?」
「今だからこそ、だ。移民狩りのせいで折角仕入れた商品が売れない者は多い。彼らから手に入れるのは難しくもなんともない」
「あぁ……なるほどね。じゃあ、頑丈なブーツ手に入る?」
その単語にホースルは少し眉を寄せた。
「今履いているだろう」
「こんなの履いてたら、軍人だってバラすようなもんだよ。『頭隠して尻隠さず』だ」
「ヤツハ語で話すな。ではいくつか持ってきてやろう。あとは不要か?」
「そうだね」
ミソギは自分の足元を見下ろし、そして手入れを施された軍用ブーツの先端を見つめながら呟いた。
「そう願うよ」
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