9-8.閑散とした店

「今日はお客さん少ないですね」


 暇そうに欠伸をしながら、ファルラ・シャルトはそう言った。午後からのシフトなので、まだ働き出してから数時間しか経っていない。空いた時間を皿磨きに割り当てたは良いものの、平素から丁寧に扱っている食器類はどれも綺麗だった。


「昨日、すぐ近くで移民狩りがあったせいだと思う。お陰で食材が余っちゃった」

「明日までなら大丈夫でしょう?」

「そうだけど、いつもは使いきるのに悔しい」


 アリトラはもう何度目かわからないテーブル拭きに勤しみながら口を尖らせた。どのテーブルも拭く場所を見つけるのが困難なほどに磨き抜かれている。


「というか、ファルラいるならアタシ帰っていい? 二人もいたら人件費が上がっちゃう」


 カウンターキッチンで食材の仕込みをしていたカルナシオンは、その言葉に顔を上げた。窓の外が既に暗くなり始めているのを確認してから口を開く。


「当分は一人で帰るな。もう少ししたら俺が送ってやるから待ってろ」

「子供じゃないから平気。明るいところ通るし」

「何も起きなくても、安全を確保するのは大切だ。シノ達を心配させたくないだろう?」

「それはそうだけど……」


 アリトラは納得できない様子で頬を膨らませた。暇なのは性分に合わないし、誰かに守られるのは更に気に入らない。だが、それを強硬しない程度にはアリトラは賢かった。


「じゃあ、新メニューの開発でもしようかな。いいでしょ?」

「何作るんだ?」

「ちょっと大人の女性を意識した、ジンジャーホットサンド。すりおろした生姜のエキスでお砂糖を練って、チーズとハムの間に塗るの」

「なんだそりゃ。砂糖に生姜って合わないだろ」

「この前、ミソギさんに生姜湯っていうの教えてもらった。生姜に蜂蜜の組み合わせが美味しかったから、お砂糖でも行けると思う」


 アリトラはキッチンへ入ると、食材を次々と取り出して調理用のスペースに並べた。


「チーズは味があまり強くないものを薄くスライスして、食感の変化をつける。ただの生姜砂糖入りのホットサンドじゃ面白くない」

「ハムも切ったほうがいいんじゃないか?」

「ハムには切れ込みをいくつか入れるの。そうすればチーズと生姜が染み渡る」

「あー、なるほどな。簡単だけど良い手だ。でも使うなら鶏ハムにしとけ。豚じゃ脂が多すぎる」


 暫くの間、それぞれの作業を進める音だけが続く。数分後にカルナシオンは洗い物を終えて、濡れた手をタオルで丁寧に拭ったが、そのままそこに留まり、少し悩む素振りを見せたあとでアリトラに声を掛けた。


「……ヴァンが持ってきた資料、見たか?」


 アリトラは仕上げとして振っていたジンジャーパウダーの瓶を作業台に置くと、指先についた粉を払いながら首を振った。


「見てないけど」

「そうか。多分、ヴァンはお前にも見せるつもりで置いて行ったんだろうが、お前が俺より礼儀正しいことは考慮しなかったみたいだな。……遺体は教会内部、オルガンの前に仰向けになった状態で発見された。既に絶命していて、床には血が広がっていた」

「マスター?」


 突然事件の話を始めたカルナシオンに、アリトラは大きな赤い目を見開いた。


「どうしたの、急に」

「良いから聞けよ。遺体には抵抗した痕跡はなかった。犯人が返り血を浴びた痕跡もない。ということは背後から抱き着くようにして殺傷した可能性が高い。オルガンの調律に集中していたところを狙ったと刑務部は見ているようだ」

「……マスターは違うと思うの?」


 言い回しが気になったアリトラは純粋な疑問として尋ねた。カルナシオンはそれには何も答えないまま言葉を続ける。


「被害者は胸を数ヵ所刺されていた。被害者が抵抗しなかったということは、ほぼ即死だったんだろう。なのに何度も刺す意味がわからない」

「死んでいないと思って、入念に刺したんじゃないの?」

「返り血がかからないように、後ろから手を回して刺すような奴が? ロープや鈍器のほうがいいと思うけどな。痕跡も残らずに済むし、教会にはごまんと転がってる」

「あ、確かに。じゃあどうして……」


 アリトラはカルナシオンの視線が自分を見ていないことに気が付いた。店の外を気にしているようだったが、なんとなくそれを確認するのは躊躇われた。


「要するに見せかけの殺人ってことだよ」


 カルナシオンはシガレットケースを手に取り、それを弄びながら続けた。磨きこまれたケースには、店の外にある街灯が反射している。


「移民が金目当てに、行き当たりばったりの殺人をした。……って見せかけるためのな。俺の勘じゃ、容疑者のイゴット・キンダースは他国の工作員だ」

「工作員って……」

「異邦の門を焚きつけて移民狩りを誘発し、フィンの情勢を悪化させようとしている。ハリか、西ラスレ。どちらかが怪しいな」

「何でそんなことを?」


 そう聞き返しながらも、アリトラは此処に片割れがいないのを歯がゆく思っていた。勉強熱心で世界情勢にも明るいリコリーであれば、カルナシオンの話についていくことも可能だったかもしれない。だがアリトラはそういった物には全くと言って良いほど疎かった。


「フィンは、フィン人のみで構成される制御機関と、移民も積極的に受け入れる軍、この二つの絶妙なバランスによってアーシア大陸の中でも主要な国となっている。となるとだな、フィンよりも大きい国にとっては目障りだったりするわけだ」

「目障り?」

「魔法使いが殆どを占めるフィン国が、大国と肩を並べるような事態になったら、魔法使いの地位が変動してしまう。ハリやラスレじゃ、魔法使いの地位ってのはあまり高くないんだ」

「自分の国の情勢を安定させるために、他国の情勢を悪化させるってこと?」

「そういうことだ。俺も制御機関にいたころは、「勧誘」を何度か受けたな。性分じゃないんで断ったが」


 カルナシオンは、そこで漸く視線をアリトラに合わせた。口元には形容しがたい笑みが浮かんでいる。何かを誤魔化しているような、あるいは諦観しているような笑みだった。


「『異邦の門』を殺人で焚きつけて、更に移民狩りを扇動しようとした誰かがいる。フィンを不安定にさせて、外から叩くための下準備としてな。早めに鎮圧しないと、国家間の戦争あるいは一方的な干渉を許すことになる」

「戦……」


 思わず声を上げかけたアリトラだったが、カルナシオンが目線で静かにするように告げる。


「俺が何でお前にこんな話してると思う?」

「どうして?」

「目的や黒幕がどうであれ、『異邦の門』による移民狩りは、犯人が明確になれば多少は鎮静化する。ヴァンがお前に読ませようと思って資料を置いて行ったってことは、多少は期待してるってわけだ」

「犯人を見つけるのを? だってそんなの刑務部がやればいいのに」

「政府から圧力が掛かってるんだろうよ。さっきも言った通り、フィンは軍と制御機関の絶妙なバランスの元に秩序を維持してる。移民っていうデリケートな問題に対して、どちらかに先んじられちゃ困るんだろう」

「ヴァンさんは、マスターに助けてほしいんじゃないの?」


 元刑務部の副長官でもあった男を見てアリトラは言う。しかしカルナシオンは再び自嘲気味な笑みを浮かべただけだった。


「俺はこの前、ちょっとやりすぎたからな。それに元々監査部からは要注意人物扱いされてたし、下手に動けば親父やロンまでとばっちりが行きかねない。その点、お前は比較的自由に動けるし、情報も集めやすい」

「それってつまり……」

「アリトラ先輩」


 ホールの掃除をしていたファルラが、カウンター越しに声を掛けた。

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